- 親記事No.2412スレッドの返信投稿
- board4 - No.2414
Re:田中芳樹とフェミニズム
- 投稿者:匿名希望
- 2002年07月31日(水) 12時42分
> 「田中芳樹の小説は、サヨク親父のオナニーだ!」何て言うと言い過ぎだが、僕はそれに近い印象を受ける。
> 「銀英伝」に見える、幼稚な反体制趣味(この人自分が、今や体制側の人間だって気づいてるの?)。「創竜伝」に見える、軽薄で嗜虐的な日本叩き(ウォルフレン並)。「自転地球儀シリーズ」に見える、紋切り型の教育観・子供観(小浜逸郎の論考の一つでも読んで欲しい)。
> 小説中では自分の気に入らない文化人などに、罵詈雑言の雨あられ(「藤岡信勝」を「梶岡」というキャラで登場させたり)……だけど巻末で「この物語はあくまでフィクション」だとうそぶき、自分に対する批判からは、ケツまくって逃走。この人の思想信条うんぬんより、物書きとしての不誠実さに閉口してしまう。
> まぁ、中国モノはどそれほど悪くないけど(なぜかパンク右翼の福田和也は「作家の値打ち」の中で、田中を結構、評価している)。
> 一番気になるのは、田中のフェミニズムに対する冷たさだ。才女フレデリカを平気で専業主婦にしてしまったり、茉莉に家事洗濯をやらせたり……。夫婦別姓についても、こういう時にはご都合主義にも、保守の論理(八木秀次や宮崎哲弥なんかの)を借りてきて、ちゃっかり理論武装。
> あの世代のサヨクって、口先ではフェミニストぶってみても、下半身はズブズブの男根主義者なんだよね(辺見庸なんかも、この仲間)。
> もう過去の人なんじゃないかな、僕の印象だけど。
>田中氏は時代を読み間違えた男だと思う
20・30年前なら通用する理屈だと思うが、今の時代にはそぐわないことを書いていると思う。
今、心ある若者に必要とされているのは、自虐的史観ではなく、日本という国のあり様を見つめ直す歴史観ではないであろうか
- 親記事No.2396スレッドの返信投稿
- board4 - No.2415
Re:封神演義
- 投稿者:ドミニオン
- 2002年07月31日(水) 18時35分
> > 田中さんはジャンプでやっていた藤崎版封神演義をどう思っているのだろうか?
> > 原作を完全に破壊しまくったストーリーやキャラ設定は中国好きの彼の腹には据えかねると思う。
> > まぁ、原作はどう考えても少年誌向けとは思えないが。
> > ガンダムシリーズ顔負けの大量殺戮だけならまだしも、それを天数をふりかざして正当化する仙人達は一歩も間違えなくても悪役にしか見えません。
> > なお、私はそれでも原作の方が好きです。
>
> >Re田中芳樹の風水学の芝山志さんの発言からも分かるように、田中氏は中国史にはうるさそうだが、宗教や信仰面の話になると分野外なので、文句が言えないのでは?
ふと思ったんですけど、田中さんはそもそも藤崎版の存在そのものを知らないような気がしてきた。
なんとなく、少年漫画をあまり読まないような気がする。
-
- board4 - No.2416
田中芳樹VS小林よしのり お知らせ!
- 投稿者:ジャザノヴァ
- 2002年08月01日(木) 08時44分
2ちゃんねる→政治経済→ゴーマニズムの掲示板で、
「田中VS小林」やってるよ。
- 親記事No.2378スレッドの返信投稿
- board4 - No.2417
Re:補記
- 投稿者:駆け出し
- 2002年08月01日(木) 21時30分
駆け出しでございます。
> インタピュアー(福野氏の論調が手厳しいことについて)「何もそこまで言わんでもみたいな」
> 福野「うん。……しかし何というか、それは読者の皆様の判断におまかせしたいな。読みたくない人は読まない自由もあるんだから。オレはひととおりホントのところを書いとく主義ね。だって読者の方ひとりひとりの気持ちや気分なんて判断つかんもん。『何も'そこ'まで』って一体どこが'そこ'だ?」 何が言っていいことで何は言っちゃいかんことだ? その一線はどこに引く。書き手が読む人の気持ちを探り探り原稿手加減し出したら、これはどこまでも妥協せざるを得ないからね。だからオレの一線ってのは合法的で公序良俗を犯さず特定個人の誹謗中傷しない限り何でもあり、そこに引くしかないと。だってそうでしょ」
「くるまにあ」誌8月号ですね。
私もあの方の記事はいつも読んでいます。
こんなことも書いていますね。
「なんかだからオレの書く論評に皆様あまり振り回されないでほしいんだよなあ。仕事してるだけなんだから。こっちは。オレが「最低」って書いたとしても好きだったクルマ嫌いになることはないしがっかりすることもない」
田中氏もこういう心境なんでしょうか?
- 親記事No.2396スレッドの返信投稿
- board4 - No.2418
Re:封神演義
- 投稿者:U
- 2002年08月02日(金) 11時33分
> > > 田中さんはジャンプでやっていた藤崎版封神演義をどう思っているのだろうか?
> > > 原作を完全に破壊しまくったストーリーやキャラ設定は中国好きの彼の腹には据えかねると思う。
> > > まぁ、原作はどう考えても少年誌向けとは思えないが。
> > > ガンダムシリーズ顔負けの大量殺戮だけならまだしも、それを天数をふりかざして正当化する仙人達は一歩も間違えなくても悪役にしか見えません。
> > > なお、私はそれでも原作の方が好きです。
> >
> > >Re田中芳樹の風水学の芝山志さんの発言からも分かるように、田中氏は中国史にはうるさそうだが、宗教や信仰面の話になると分野外なので、文句が言えないのでは?
>
> ふと思ったんですけど、田中さんはそもそも藤崎版の存在そのものを知らないような気がしてきた。
> なんとなく、少年漫画をあまり読まないような気がする。
賛成です。それと藤崎氏の封神演義は、「封神演義」として読まなければそれなりにおもしろい、ぐらいの発想の転換は効くと思うな。
なにしろ、あれだけ発想転換して政治家ネタ披露してるんだから。
- 親記事No.2399スレッドの返信投稿
- board4 - No.2419
Re:軍務尚書は陰謀家か
- 投稿者:IK
- 2002年08月02日(金) 11時42分
こんにちは、優馬さん。
> 自分の「縄張り」に固執するあまり近視眼的になりがちなのが官僚的パーソナリティですものね。特に「情緒的な反応」を軽視する彼のパーソナリティは、政治家としては致命的です。
そうですね。オーベルシュタイン自身は政治家であろうとしたこともないと思いますが、人はとやかく、「出来ないこと」を「したくないこと」と捉えがちです。
必要があれば敢えてぬかるみをも行く、と言えば聞こえはいいですが、オーベルシュタインはしばしば不必要な敵意を周囲にあたえるところがありますからね。
> でもこういう人って、平時の官僚組織においても本来あまり偉くなれないんですけどね。「幅がない」とか言われて閑職に追われがち。軍務尚書という超高級ポストは、務まっていないですよねー。
オーベルシュタインは「政治嫌い」でしょうからね。マズローのいうところのインフォーマル・オーガニゼーションには絶対に参加しないタイプでしょう(笑)。
ただ、そういうところが人材収集癖のあるラインハルトには受けたのだと思います。そういう意味ではラインハルトにもちょっと人格の偏りがありますね。悍馬なればこそそれを愛でる、というような。悍馬すなわち名馬とは限らないのですが。
「余はあれを一度も好いたことはないのだ」
と本人談にありますが、どうでしょうか。
> いささか屈折した愛を込めて作者に「諫言」したいのですが、銀英伝キャラクターの政治的行動は、特に情念の部分において浅薄な傾向があると思います。それが後年の作品に至っても改善されるどころではない!という状況であるのは、残念至極なのであります。
この辺はフェミニズムの書き込みとも関わってきそうです。
銀英伝は人間の複雑な面を描ききっている(例としてはラングなど)との評価も高いですが、その複雑さがキャラクター設定メモ帳の域を出ていない感があります。小説の方法論としては際立ったものがあるにしても、キャラクターがあくまで役割主眼でとらえられている、とこれはまあ印象批評ですが、その辺の軽薄さは感じます。
もっともメモ帳的なキャラクター造形能力であっても銀英伝は大したものという全体の評価は変わりませんが。
長くなりますが…。ついでに書きますが、いわゆる中国史小説にもその辺の不満を覚えますね。中国は有史以来、日本の隣国だった訳で、にもかかわらず中国史を題材にした小説がこれまで少なかった、それを田中さんは嘆いていらっしゃいますが、そうなったにはそれなりの理由があると思いますね。
日本の古典代表として源氏物語を挙げるとして、中国のそれは三国志演義でしょうか、水滸伝でしょうか、あるいは史記でしょうか。仮に三国志演義として、まあ、面白いですけど、あれで人生の深遠に触れる人はそうはいないと思います。まごうことなき天才の筆による源氏物語と比較すると、気の毒かも知れませんが、劉備にしろ諸葛亮にしろ、理想的な君主の役割、理想的な軍師の役割を演じているに過ぎないように感じます。誤解のないように言っておきますが決して三国志演義を貶めているわけではありませんので。
歴史の捉え方そのものも、源氏物語のように時にアンビバレントな見方を許容する日本史と、何らかのイデオロギーに拠ってでしか人物を評価しない中国史とではかなり異質なものに感じますね。
前漢の呂后と清末の西太后の間には二千年以上の時代差があるのに、非常に似通っているのは、中国の歴史が積み重なっていくだけで、原理が変化しないところにあるのだろうと思います。
つまり中国は確かに歴史の国ですが、その歴史は日本史とも西洋史ともまったく異質なものだということです。
その辺が、中国史を題材にした小説が日本ではあまり書かれてこなかった(読者が要求しなかった)理由であり、田中芳樹さんの中国史小説の人物が特に書割的に見える理由だろうと思います。
あるいは人物を書割的に見る田中さんだからこそ中国史に惹かれているのかもしれません。
ちょっと整理がつかず申し訳ありません。もう少し思考を深めて、いずれまた書き込みたいと思います。
-
- board4 - No.2420
本朝における中国文学の土壌
- 投稿者:匿名希望
- 2002年08月02日(金) 12時07分
>>2419のIKさんの意見は興味深く読ませてもらいました
日本の場合、中国からの書物は宗教や政治、芸術などといった思想的なものを中心として広まっていきました
想像するに、物語としての書籍の流入は2の次3の次だったのではないのでしょうか
故に、中国文学大衆に定着する土壌が成立することなく現在に至っているのではないかと考えるのですが
- 親記事No.2399スレッドの返信投稿
- board4 - No.2421
Re:軍務尚書は陰謀家か
- 投稿者:S.K
- 2002年08月02日(金) 16時25分
IKさん、こんばんわ。
やっとまともな話題でお話できる事を嬉しく思います。
ちょっとした可能性としての異説としてオーベルシュタイン=屈折のロマンチスト説を推します。
ちなみに私は彼の才能・技能・見識はごくごく現実的なものであると思っております。
ただ、その才能の使い方に彼の「採算度外視」な一面が見えるだけで。
>
> 必要があれば敢えてぬかるみをも行く、と言えば聞こえはいいですが、オーベルシュタインはしばしば不必要な敵意を周囲にあたえるところがありますからね。
>
まんざら不要と切って捨てた物でもないです。
彼の進言に益はあっても害は精々「聞こえの悪さ」止まりでしょう。
しかもそれは「ローエングラム王朝の汚点」にはならず「軍務尚書の非情」になる訳で、彼は彼が憎まれる事でラインハルトに累が及ばない様にしているのではないでしょうか。
> 「余はあれを一度も好いたことはないのだ」
> と本人談にありますが、どうでしょうか。
>
一つの事実だと思います。
誰が「分かちがたい自分の暗部」を好くでしょう。
恐らくラインハルトにとって一番許しがたいキルヒアイスの一件にした所で、事実キルヒアイスの寛容に甘えるあまりにラインハルト自身「“俺が悪かった”程度の事も言えない」ほど判断力の失調をきたした訳で、たとえばキルヒアイスと同様の事を「幕僚の総意の代表」という形で双璧二人が言っていれば「不用ではなかったが無情の策であった事を認める。以後このような方策の必要が生じない様卿らの一層の忠勤に期待する」くらいは遠慮の産物として言えたかもしれません。
オーベルシュタインは自身の仕事を「有効に国益をもたらすという観点のみで献策を行い、その結果生じる軋轢を全て己の責とする」汚れ役として規定していたとも思えます。
まして主人があのラインハルトでは「新秩序の構築と国家の安定」など考えはじめたらあの位は「義務感」でやらないでしょうか。
私個人はオーベルシュタインに陰謀家の生臭さよりはむしろある種の芸術家の非常識な潔癖さを感じます。
- 親記事No.2366スレッドの返信投稿
- board4 - No.2422
変節しました(笑)
- 投稿者:S.K
- 2002年08月02日(金) 16時37分
恵さん、こんばんは。
>
> レスありがとうございます(^-^)
>
> いえ、どうせ「パロディ」ならユーモア感覚で、あえて創竜伝の社会評論手法で江戸時代にチャレンジしたら面白いかも?と、単純に思っただけですから(笑)。加えて、竜堂兄弟のかけ合い漫才もプラスしたらけっこう笑えるものになると思ったんですけど、真面目な「if物語」を書くなら確かにおっしゃる通りかもしれませんね。
> …でも、それだとますますわたしにはまったく書けそうにありません~(T~T)
>
全面的に私の不見識と勘違いをお詫びいたします。
何故なら、私も「以前竜堂兄弟に成敗された悪の副将軍だか悪老中だかの忘れ形見で南蛮渡来のからくり鋸を振り回す非常識で傍迷惑な女鎧武者な姫君」が見たくなりましたもので(笑)。
そういう訳でどなたか着手される折にはぜひ「をーっほっほっ」と高笑いと共に現れる謎の奈津子姫をよしなに。
- 親記事No.2416スレッドの返信投稿
- board4 - No.2423
Re:田中芳樹VS小林よしのり お知らせ!
- 投稿者:朝日新聞キラー
- 2002年08月03日(土) 01時00分
松岡圭祐VS小林よしのり氏というのが、あったらいいのにね。2ちゃんねるの人は松岡圭祐の「千里眼シリーズ」という反米反日小説を読まないのかな?田中芳樹なんかより松岡圭祐の反日社会評論のほうが、小林よしのり氏の神経を逆なぜにすると思うのに・・・
-
- board4 - No.2424
中国史の考察、他
- 投稿者:IK
- 2002年08月03日(土) 05時16分
現在、暇なのでどんどん書き込んでしまいます(笑)。
まずS.Kさんへのレスです。
>彼に進言に益はあっても害はせいぜい「聞こえの悪さ」止まりでしょう。しかもそれは「ローエングラム王朝の汚点」にならず「軍務尚書の非情」になる訳で、彼は彼が憎まれることでラインハルトに累が及ばないようにしているのではないでしょうか。
おっしゃることはすごく分かります。私も初めて部下が出来た時、オーベルシュタインみたいのがいれば要らざる叱責もせずに済み楽なのになあ、と思ったものです(笑)。ただ、彼の進言がどうあれ、それを採用するのは皇帝ですから、ラインハルトの責が打ち消される訳ではなかろうと思います。その献策がオーベルシュタインの個性を濾過されてなされる訳ですから、時に全体の関係性を見た場合、当該部分では最適であっても他の部分で著しい損失を与えるということはあったと思います。
うーん、例えて言えば、現在の日本にとっての捕鯨みたいなものでしょうか。IWCの反応は非科学的で、こと捕鯨に関しては日本政府の言い分に理があると私は思いますが、それをごり押しすれば日本はかなりの損失を他の部分で被ることになりますね。だから正しいかどうかではなく、適切かどうか、その「適切」も当該案件だけでなく全体を見た時のバランスシートはどうなるかということだと思います。
オーベルシュタインがいるおかげでラインハルトは随分楽をしているのはその通りだと思います。
>私個人はオーベルシュタインに陰謀家の生臭さよりはむしろある種の芸術家の非常識な潔癖さを感じます。
これもその通りだと思いますが、純粋な清廉潔白は傍から見る限り時に腐敗よりもたちが悪い(笑)ということはあろうかと思います。政治というのは妥協なくしてはあり得ないのですから、妥協=逸脱と見る人はとかく全体を破壊してしまいがちです。江藤新平みたいなものでしょうか。誰の言葉でしょうか、「エゴイスト同士の間では常に妥協が成立し得るので戦争にはならない」という考え方もあります。
オーベルシュタインを愚かだとか、その任にあらずとは思いませんが、いくら自分自身を無色透明にしようとしたところで彼もまた人間ですから、自分の個性からくる癖は避けがたかったのだろうと考えます。その癖が、場合によっては「行き過ぎている」こともあったと思うのですが…。
匿名希望さんへのレス、並びに本論です。
>想像するに物語としての書籍の流入は二の次、三の次だったのではないでしょうか。故に中国文学大衆に定着する土壌が成立することなく現在に至っているのではないかと考えるのですが。
中国から日本への文化的影響が大きかったのは奈良時代から平安時代前期にかけてですね。主に仏教関係が主でしたから、文学書は確かに少なかったでしょう。白楽天などは随分、好まれたようですが、土着化したとはいえないでしょうし。
中国で文学が大衆化したのは明代以後のことです。中国は漢字の国ですから庶民が本を読む、まして文字を書くというのは大変なことなんですね。文学の土壌で言う限り、日本の方が適性があったと思います。
「西遊記」「三国志演義」「水滸伝」などが書かれたのも明代のことです。そしてそれが日本に伝わったのは江戸時代に入ってからだろうと思います。「三国志演義」について言えば、大衆に受け入れられていたと思います。幕末には日本外史と並んで、相当広く読まれていたのではないかと考えます。
ただ、後が続かなかったんですね。何故がというと、私は「後」がなかったからだと思いますが。
まず言っておきたいのは、日本で中国史小説が受け入れられなかったのは単に接する機会が少なかったからだ、と私は考えていないということです。それとは別に、日本人が文学に期待したもろもろ、読み物ではなく、いわゆる文学性が中国において誕生するのは日本の年代で言えば明治以後のことです。これは文学の問題ですから本論から外れますのでこのくらいにしておきますが。
中国では皇帝専制政治というあるべき姿ががんとしてあって、それから外れた時代を非常時と見なす傾向があります。つまりいずれ皇帝専制政治へと回帰していく訳です。この辺が中国の歴史に「発展性」がなく、いつの時代をとってもそう変わり映えしないという結果をもたらしているのではないでしょうか。
日本史で言えば、織田信長の登場以前と以後では社会環境、構造、正義の概念が全然違う訳です。同様のことが源頼朝、北条早雲などについても言えるかもしれません。
江戸時代にあって藤原道長のような人物が出ることは絶対にといっていいほどあり得ませんが、中国では呂后と西太后のような類似がしばしばあるのです。十九世紀のイギリスでリチャード獅子心王が出現する余地があるでしょうか。構造的に不可能でしょう。
故に、中国史では「歴史の革変者」というのは出てこず、中国史は個人史の集積といった感があるのです。なにがあろうともそれは個人の中のことであり、歴史の国としては意外ですが、その実、個人は「歴史」とは切り離されているのです。
「歴史」という評価基準が背後にない分だけ、個人はその行動をイデオロギーによって処断されます。だからどうにも薄っぺらな印象を私は受けるのですよ。
例えば文天祥ですが、彼は田中芳樹さんも取り上げていますが、最後まで宋王朝に忠節を貫いた偉い奴、という評価はそれはそれで結構ですが、中国人民はそれぞれの行動基準で行動していて、彼の存在は歴史上孤立しているのです。
ああ、なんだかまとまらないな。どなたか賛同なり反論なりで補助して下されば助かるのですが。
簡単に言えば、日本と中国では歴史の構造が違うのだから、日本史小説と中国史小説は単に扱っている国が違うという以上に全然別のもの、ということです。日本史小説に慣れた読者には中国史小説はなんか肌合いがちがう(敢えて優劣は論じませんが)、と感じるのではないか、だから余り中国史小説は読み物としてはともかく、真面目に歴史を考察したい読者からは受け入れられなかったのではないかと考えるのです。
以上!(半ばやけになりつつ)
- 親記事No.2424スレッドの返信投稿
- board4 - No.2425
Re:中国史の考察、他
- 投稿者:優馬
- 2002年08月04日(日) 12時13分
優馬です。
私個人としては「オーベルシュタインの犬」のエピソードがお気に入りです。みっともない老犬(それも性格の悪い)をオーベルシュタインがかわいがっていた、というエピソードは「孤高の陰謀芸術家」としての彼らしいですし、妙なおかしみがあって好きです。(ひょっとしたらコミック版のエピソードだったかも)
さて、私も「中国史小説」が日本人にとって面白くない、というご考察に同感です。で、少々コメントを。ただ中国文学の専門家でもないので半可通の恥をさらすかもしれず、「茶飲み話」として聞いていただければ幸いです。
かの国の文芸には、「士大夫のもの」と「女子どものもの」という区分が厳然とあったように思います。士大夫=政治を司る階級であり、文字を使える唯一の階級なのですが、「書く内容」については非常に強い階級的制約があったみたいですね。士大夫たる者の書くべきものは、歴史の論評(通常はそれが現状の政策批判ないし提言)、儒学に関する議論などに限定されていたようです。情緒的な詠嘆は、もっぱら詩の役目。ただ、韻文ですら用途の限定は甚だしくて、男女のこととか、女々しい感情は排除されている。
どうも大の男が大っぴらに泣いてよいのは友との別れのときだけだったようで、漢詩には友人との別離の歌がやたらに多い。また家族との死別を詠った漢詩も少ないというか、浅学にして見たことがない。万葉集から恋愛歌と挽歌を除いたらほとんど何も残らないでしょうに。すごいコントラスト。漢詩と和歌って取り扱うテーマがとことん違いますよね。
エンターテインメントとしての文芸は科挙の落第生という「士大夫階級の落ちこぼれ」によって担われるしかなかったわけで、「小説」という呼び方自体、非常に蔑視のこもったものです。
で、そういう人たちが書いた歴史文学というのは、多分に政治に従属していたと思います。つまり、現実の政界で文天祥に似た立場の人物を支持したくて文天祥を誉める話を書くわけで、作品本来の価値(エンターテインメント性や文学性)は二の次だったのではないでしょうか。
> 中国では皇帝専制政治というあるべき姿ががんとしてあって、それから外れた時代を非常時と見なす傾向があります。つまりいずれ皇帝専制政治へと回帰していく訳です。この辺が中国の歴史に「発展性」がなく、いつの時代をとってもそう変わり映えしないという結果をもたらしているのではないでしょうか。
私も安能務さんの「中華帝国志」を読んで「なるほど」と思った口です。同氏の「八股と馬虎(パクーとマフー)」には「中国史に『時代錯誤』なし」という、「そのまんま」な一章がありました。
ある意味、皇帝専政という古代農業社会に最適なシステムを発明し、さらに易姓革命という「プレイヤーの交代システム」まで発明してしまったために、システムが二千年間も持ってしまった。それは偉大なことなんでしょうが、これからの中国人にとって幸いなことなのかどうかは大いに議論のあるところでしょう。
なんか私もまとまりませんでした。中国史や中国文学に詳しい方に、ご教示いただければ幸いです。
-
- board4 - No.2426
お返事です
- 投稿者:ROM専
- 2002年08月05日(月) 06時22分
管理人様へ
度々差し出口を叩いて申し訳ありませんでした.
ご趣旨は理解いたしました.
もはや申すべきことはございません.
毎回ご丁寧に返信いただきありがとうございました.
IK様へ
向こうにお返事を書かせていただきましたが,お読みになられたでしょうか.
それから,わたくしはインターネットに関して制限があることを説明いたしております.
それを無視してわたくしに不可能な方法を強要なさるのは,そのほうが非常識ではないでしょうか.
S.K様へ
わたくしは今まで待っておりましたが,なにも動きがないということは,わたくしのS.K様への評価に異論がないということだと理解してよろしいですか.
- 親記事No.2426スレッドの返信投稿
- board4 - No.2427
取り急ぎ一言
- 投稿者:本ページ管理人
- 2002年08月05日(月) 16時37分
> S.K様へ
>
> わたくしは今まで待っておりましたが,なにも動きがないということは,わたくしのS.K様への評価に異論がないということだと理解してよろしいですか.
せっかく落ち着いてきた話題(しかもこの掲示板の趣旨とは関係ない、議論ですらない)を蒸し返すおつもりでしょうか?
(そもそも当のS.K氏は先の投稿で「『タナウツ』に関係ない私闘なので全部さらしてメールかオフラインでやろう」と書いていますが)
この場で新しい投稿をしてまで過去の遺恨を議論する価値があるとお考えでしょうか?
- 親記事No.2424スレッドの返信投稿
- board4 - No.2430
Re:中国史の考察、他
- 投稿者:S.K
- 2002年08月06日(火) 13時03分
中国史文学の普及率の悪さには「間の悪さ」も多少あると思います。
遣隋使、遣唐使の頃は仏教文化を中心とした政治学・社会学に転用出来る実用的な知識が第一義で文学・娯楽は二の次にされた処はあるでしょう。
そこへ来て中国の一王朝の寿命が短いせいで教えてもらう前に交流自体が有耶無耶になったのは痛いです。
少し後の日明貿易がそういう意味で一番間口の広い交流だったと思います(もともと足利義満の見栄の部分以外はまっとうな経済交流でしたし)が、こちらは逆に日本の政情不安でなし崩しでした。
そして鎖国を経て一番情報が広く定着しやすい時代の近代ですが、ここでは中国は「一番珍しくない外国」な上に「学びようのない斜陽国(アヘン戦争にはもう負けてますし)」だった訳で、これでは必然誰の興味も欧米が強国となるにいたった過程になるでしょう(珍しいですし)。
「なまじな近さ(距離・文化双方)」がかえって日本人の中国への興味を削いだ所はあると思います。
そしてこの「知ってるつもり」がある意味日中戦争の悲惨さに拍車をかけた面もあるのではと思う所もあります(真面目に仲良くする気で中国人の自尊心を傷つけた日本人もいたでしょうし、両国民の自覚なき「夜郎自大」合戦もあったかと推測されます)。
とはいえ「俺が中国史の面白さと奥深さを教えてやる」ならまだしも「何故(俺がこんなにも面白いと思っている)中国史に興味を示す人間が少ないのか(俺が好きな題材で書けないぢゃないか)」は文筆表現者が自分で言ったら「みっともない愚痴」ですね。
>IKさん
>オーベルシュタインのような部下
いたらそいつへの不満にいきり立つ他の部下たちを宥める苦労が待っている罠(笑)。
「銀河を奪う」級の大事業主以外にはお勧めできません。
いずれオーベルシュタインがキッツいお人なのは確かなんですよ。
ただカテゴリーとして「陰謀家」というのはどうだろうと思い、あまつさえそこで良い評価をされていないのを見て、まるでアイルトン・セナが「バイクの耐久レーサーとして二流」とか著名なフレンチシェフが「寿司屋としては素人芸の域を出ていない」とか評されるような納得いかなさを極個人的に感じていただけでして。
- 親記事No.2420スレッドの返信投稿
- board4 - No.2431
Re:本朝における中国文学の土壌
- 投稿者:新Q太郎
- 2002年08月06日(火) 23時08分
高島俊男に「水滸伝と日本人」というすごく面白い本がありますが、これによると江戸時代でフィクションとして一番人気は水滸伝で、熊さん八っつあんのような庶民ですら知っていたそうです。
川柳に
「留守番に めしのありかと 水滸伝」
というのもあったそうで。
(留守番に「腹が減ったら棚に○○があるから。それから退屈だったらこの水滸伝でも読んでな」と置いていくということね)
いや、ほんとに同書はおもしろいですよ
ttp://www10.u-page.so-net.ne.jp/da2/s-wada/h12/h12a184.html
-
- board4 - No.2432
誤解でございます
- 投稿者:ROM専
- 2002年08月07日(水) 10時00分
管理人様へ
誤解を招いてしまったようで申し訳ありません.
ここで続きをやろうということではなく,すでにS.K氏へ宛てた返事の中で,案内済みの場所にてやるであろうことを暗黙のうちに想定しての内容です.
こちらに書き込んだのは,確実に読んでもらうためであって,ここに返事を書けという意味ではございません.
説明不足から無用な心配をおかけしました.
-
- board4 - No.2433
恩書としての銀河英雄伝説
- 投稿者:すかちゃん
- 2002年08月07日(水) 16時22分
はじめましてなかなか面白いHPですね。
僕も中学高校と夢中で銀英を読んでました(今でも好きです)。
皆さんがドラマタ涼子を嫌う気持ちもよくわかります。
しかし田中先生の作品全てを否定するのはいかがかと思います。
今の自分が物事をなるべく多面的にとらえようと
心がける事ができるのは中学時代に銀英を読んでいたおかげだと思います。
ゆえに銀英は自分にとって恩書であるとおもっています。
- 親記事No.2424スレッドの返信投稿
- board4 - No.2434
ちょいとずれるが・・・
- 投稿者:やまそ
- 2002年08月07日(水) 17時11分
この国ではヨーロッパ史もそれほど研究されていないし、中央アジア史に至っては文献そのものが壊滅状態。
中世ヨーロッパのイメージに至っては後世に粉飾されたまがい物がまかり通っているがなあ。
まあ、田中氏もそれにストレートに乗っかって見当違いなヴラド批判をやらかしていたが・・・。
何が言いたいのかと言うと、「中国史、文学に限った話ではないよ」とそういうことだ。
ここからは主観的感想。
歴史的に殲滅戦を知らないぬるま湯文化の日本人と大陸各国人とには感覚的に温度差があって、それがどうしても壁になるのではないかな。
まあ、論理学が発達した後のヨーロッパと儒教の害に浸かり続けた中国の感覚はまた違うものがあって、近代日本人にはヨーロッパの方が魅力的に見えたと言うのは分かる気がするな。
ま、個人的には中国文学をそのまま訳したものは読めたものじゃないな(笑)。支離滅裂だし、矛盾しまくるし、散文的過ぎる部分がある。翻訳者が日本人向けにかなり変更して読めるようになるかな(笑)。
- 親記事No.2424スレッドの返信投稿
- board4 - No.2435
Re:中国史の考察、他
- 投稿者:駆け出し
- 2002年08月07日(水) 20時00分
駆け出しでございます。
>日本と中国では歴史の構造が違うのだから、日本史小説と中国史小説は単に扱っている国が違うという以上に全然別のもの、ということです。日本史小説に慣れた読者には中国史小説はなんか肌合いがちがう(敢えて優劣は論じませんが)、と感じるのではないか、だから余り中国史小説は読み物としてはともかく、真面目に歴史を考察したい読者からは受け入れられなかったのではないかと考えるのです。
私もIKさんの、このご意見に深く賛同いたします。
それゆえに、北方謙三さんが、日本独特の皇国史観をベースにして「三国志」をお書きになったのは、日本における中国小説のひとつのありかたを示したのではないか、とも考えています。
- 親記事No.2424スレッドの返信投稿
- board4 - No.2437
Re:中国史の考察、他
- 投稿者:IK
- 2002年08月08日(木) 12時56分
いろいろありますが、ここはひとつ気を取り直しまして…。
私も北方三国志は数ある三国志の中でも最高峰ではないかと思っています。実のところ、それほど期待していなかったので、いい意味で裏切られた、この一作によって北方謙三さんは私にとって特別な作家となりました。呂布の描き方が特にいいですねえ。実は最近NHK人形劇「三国志」のDVDを買ったのですが、呂布がただただ粗暴な男なのでちょっと悲しい思いをしました(もっともその方が原作に近いのですが)。
宮城谷昌光さんが文芸春秋誌上に「三国志」を連載されてかれこれ一年ですが、いまだに劉備の「り」の字も出てこない(笑)。一体、何年連載するおつもりなんでしょう。
水滸伝―この小説の面白さは私にとって不可思議の中の謎です。
すごく面白いに違いないと思って読んだ(吉川英治版です)のですが、彼ら登場人物の道徳観が余りにもはちゃめちゃなので、どうにもついていけない。宋江なんぞ、一体、どうして首領でいられるのかまったく理解できません。旅人を襲って人肉団子を売るような人間を英雄視する神経が分かりません。
私は別にイエズス会士でもないので道徳を振り上げて誰ぞを断罪するような真似をするつもりはありませんが、水滸伝は余りにも「トンで」います。
伝え聞くところによると、映画の「タイタニック」で船が沈没する場面で、上海の観客は爆笑したとか。こうまでディスコミュニケーションだと、今後の日中関係が心配ですね(笑)。
高島俊男さんの著作は私も読んだのですが、いろいろ勉強になったのは事実ですが、結局のところどうして水滸伝がそれほど良いのか分かりませんでした。
実を言うと封神演義にもそれと似たようなことを感じました。私が読んだのは安能務さんの著作ですが。殷の紂王は要は操られていたわけですから、日本人が書いていたらああいうストーリー展開にはならないような気がします。
という訳で、世の中には水滸伝が理解できる人と理解できない人がいる、ということですね(笑)。
コナミのRPG「幻想水滸伝」は好きです(笑)。
- 親記事No.2433スレッドの返信投稿
- board4 - No.2438
Re:恩書としての銀河英雄伝説
- 投稿者:かすちゃん
- 2002年08月10日(土) 03時54分
> 皆さんがドラマタ涼子を嫌う気持ちもよくわかります。
> しかし田中先生の作品全てを否定するのはいかがかと思います。
してません。全否定してるといえるのは四兄弟とお涼くらい。