- 親記事No.1726スレッドの返信投稿
- board4 - No.1962
Re:今度こそ終わりレス
- 投稿者:平松重之
- 2002年06月03日(月) 16時50分
冒険風ライダーさん
<とりあえず私としては、「長征一万光年」を取り上げることで「同盟側にも要塞クラスの体積&質量を移動させられるだけの技術は存在した」「無限の自給自足能力は実在し、かつ移動しながらの自給自足システムも技術的に可能である」ことを立証するという目的はある程度達成されたわけですから、そちらにそれ以上の意見がないのであれば、この件に関する議論は終了してもかまいません。>
お疲れ様でした。
それにしても、冒険風ライダーさんが示された移動要塞関連の問題提起は予想以上の反響がありましたね。銀英伝という作品の持つ奥深さを改めて実感しました。
- 親記事No.1726スレッドの返信投稿
- board4 - No.1963
Re:感謝と感想
- 投稿者:mnk
- 2002年06月03日(月) 18時23分
Zeroさん
初めまして。お返事ありがとうございます。
> 冒険風ライダーさんの「移動要塞論」に反論している論の多くは
> 「技術的」というよりも、その「恒常運用」に重きを置いています。
すみません、表現が不適切だったようです。
冒険風ライダーさんが論じられてるような移動要塞の使い方もできるだろう、というのも含めてこちらの方が説得力あるかな、と感じたんです。
そう感じた理由ですが、移動要塞戦法は、このままじゃあ100%敗北という絶望的な状況に置かれたヤンたちが打つ、一か八かの大博打になりえるかどうか、と解釈したんで、ちょっとでも成功の可能性があれば論は成り立つと思ったんで。
どうなれば「成功」かについても、別に本当に何十年も何百年も戦いつづけなくても、帝国軍が降参…はしなくても、うんざりして折れてくれる気になれば良いということ、と見ました。
だから、移動要塞戦法が100%不可能だというだという証拠が出てこない限り、Zeroさんの表現で言えば、「1/nのif論」として成り立っていればいいと思いましたんで、この議論は冒険風ライダーさんの説の方が説得力あるなと感じたのです。
それから、キャラ批判についてですが、あれは本当にキャラを攻撃したくてなさったものでしょうか。「キャラをバカにしている」ではなくて、「(こんな戦法が成り立つようでは)キャラがバカに見える」とおっしゃっているのでは?
移動要塞説全部を含めて「このように、作中で天才と描かれているキャラがバカに見えてしまう矛盾を含む、物語の設定ミスに対する批判」だと解釈しました。それで「田中芳樹を撃つ」ホームページさんらしい議論だなぁ、と私は感じたんですが……。
- 親記事No.1946スレッドの返信投稿
- board4 - No.1964
Re:有事法制について
- 投稿者:かあか
- 2002年06月04日(火) 03時08分
> 田中芳樹氏はこの有事法制について今どう考えていらっしゃるのでしょうか?
> 昔の作品を読んだだけでは、自衛隊が軍隊となることに反対しているように思えます。
最近の著書を読んでいないので、今現在、田中芳樹氏がどう考えているのか、は分かりかねますが、「自衛隊が軍隊となることに反対している」のは現在の憲法に違反するから、ではないでしょうか?
一度でも、国が法律に反する行動を取ってしまうと、法に対する信頼と違法行為を働くことに対する抑止力とを失ってしまいます。
「銀英伝」のロイエンタールの叛乱のとき、ラインハルトがラングを更迭できなかったのは、証拠もなく好悪の念だけで臣下を処断したという悪しき前例を作る訳にはいかないから。たとえ、それがロイエンタールの叛乱を招くのだと分かっていても、悪しき前例は、それ以上に国の将来に禍根を残すから、だったと思うのです。
ヤンにも軍隊は政府の決定を遵守すべきだ、と何度も言わせていますし、ユリアンにもどんな非民主的な憲法でも、ないよりはまし、というようなことを言わせていたと思います。
そう考えると、法治国家である日本で、自衛隊という武装集団が超法規的な存在になること、超法規的な行いをすること、は例えば、他国から攻撃を受けて被害を受けることよりも、もっと日本という国の将来に禍根を残す、と考えても不思議ではないでしょう。ですが、だからといって、犠牲はやむを得ないと言うわけにもいきませんから、有事法を作ることは必要なことだと思っているのではないでしょうか?
ただ、有事法の内容如何では、反対ということもあるかと思います。
> しかし、今の作品を読むと、もっと陰湿な表現が使われており、私にはその真意は読み取ることはできませんでした。
「もっと陰湿な表現」が具体的にどういう表現だったのかは分かりかねますが、悪意から、というよりもむしろ氏の修辞技法に関するこだわりから、ではないでしょうか?
「銀英伝」の時代から、氏の修辞技法はやや装飾過剰気味なところがあったと思うんですが。
とくにラインハルトの容姿の形容などは、私はラインハルトが非常に好きですが、時に失笑したりしてましたよ?
「創竜伝」は「銀英伝」と違って、善玉悪玉の区別がはっきりしていますし、竜種を立派に見せるために、わざと人類を醜悪に書いてあるような部分はあると思います。
> 戦前の日本が、若者の思想コントロールに教科書を使ったように、大量発行された本は、人の思想に深く影響を及ぼすと私は考えます。
> 三島由紀夫のように、自らの体を持って自分の信念を貫こうとするならまだ私は共感を覚えます。
> しかしこのように、わけの分からなくなった本はどのように扱えばいいのか私は分かりません。
> 以前の私のように、無視をすればいいのでしょうか?
もちろん、大量に出回っている本の思想に読者が感化される、ということはあると思います。
ですが、教科書と娯楽小説では根本的に性質が違うと思いますし、戦前と戦後の出版業界の変化を念頭に入れずに、比較なさるのは危険なことだと思います。
氏の真意を探ることよりも、娯楽小説は娯楽として楽しまれれば良いのではないでしょうか?
どう扱うのか?は読者ひとりひとりが決めることであって、人に尋ねたりなさるような問題には思えないのですけれども。
- 親記事No.1726スレッドの返信投稿
- board4 - No.1965
レッドカード、退場処分です!(本気で怒ってます)
- 投稿者:Merkatz
- 2002年06月04日(火) 06時42分
>何を言っているのですか。私に対して反論してきた人達のすくなくとも半分ほどは、
>私の主張への反論を優先するあまり、銀英伝の作品設定との整合性に対する配慮どころか、
>そもそも銀英伝の作品設定そのものに対する知識すらもおざなりにしたまま、
>その場しのぎの裏設定をでっち上げていただけではありませんか。そのようなやり方では、
>たとえ私の主張をその場限りで覆したとしても、銀英伝の他の設定と確実に矛盾をきたすことになってしまい、
>作品擁護論としては絶対に成立しないと、
>私はこれまでの投稿で手を変え品を変え何度も繰り返し述べてきたはずですが。
・
(中略)
・
>作品擁護論は作品批判論の何倍も難しく、
>その検証には作品批判論以上の設定踏襲と設定配慮に基づいた理論的説得力が必要である。
>今回私に反論してきた人の大半に欠如していた認識がこれなのでしょう。
>あまりにも作品設定に反した、安易かついいかげんに作成したとしか思えない破綻した「作品擁護論」モドキが次から次に出現し、
>そんなもので擁護されるのでは銀英伝も田中芳樹もたまったものではないだろうと考えたからこそ、
>今回私は孤軍奮闘で「作品擁護論」モドキに片っ端から反論していったのですよ。
> 下手な作品擁護論は、下手な作品批判論よりもはるかに作品と作者に対する深刻なダメージになりえるということをもう少し自覚した上で、
>作品設定に基づいたきちんとした作品擁護論を、私に反論した人達には是非とも展開してもらいたかったところなのですけどね、
>私としては。
何ですか、これは!
あの反省の言葉は嘘だったのですか!
議論相手をでっち上げ、すなわち嘘吐き呼ばわりし、
モドキとコケにして自分を高みに置いて相手をせせら笑うのが、
貴方の反省の表明なのですか!
冒険風ライダーさんは、根本的に議論の態度がなっていません。
どうしてこうまで自分を賛美して相手を貶め、高慢な態度に終始するのか。
「私に対して反論してきた人達のすくなくとも半分ほどは」と逃げをうっていますが、
まったく白々しく聞こえますね。
貴方の文章からはひたすら相手を馬鹿にする感情しか読み取れません。
どなたかがフォーク准将だと揶揄されてましたが、
今はまったくその通りだと思います。
つくづく愛想がつきました。
勝手に妄想に浸って勝利を喜んでなさいな!
- 親記事No.1726スレッドの返信投稿
- board4 - No.1966
追加
- 投稿者:Merkatz
- 2002年06月04日(火) 08時02分
> 「私に対して反論してきた人達のすくなくとも半分ほどは」と逃げをうっていますが、
> まったく白々しく聞こえますね。
具体的に言えば、冒険風ライダー氏に反論を試みた(やり取りが成立した)のは7名です。
Merkatz
平松重之
Zero
はねだみずき
本ページ管理人
tina
陵雲
(敬称略。順不同)
どこで線引きしようが、これらの論者の半分ほどが決めつけでモドキであるという言い草が、
極めて失礼な言い草であることは明白ですね。
- 親記事No.1950スレッドの返信投稿
- board4 - No.1967
トリューニヒトとオーベルシュタイン
- 投稿者:ビンス・マクマホン三世
- 2002年06月04日(火) 23時12分
トリューニヒトとオーベルシュタインの実際の
関係ってどんなものだったのでしょうか?
あれだけ暗躍していたトリューニヒトの行動にオーベルシュタインが
気づいていないとは思えません
ほっといても問題ないと思われていたのか
それとも黙認していたのかどうだったのでしょう。
こうしゃのようなきがしますがどうなのでしょうか?
> 田中芳樹的な物語作りではまずありえないですが。
> 何かの間違いでトリューニヒトとグリューネワルト伯爵夫人が深い仲とかになっちゃうと人間ドラマとしては凄く面白いでしょうなぁ。(^_^;)
> たとえばキルヒアイス横死の後とか・・・
> トリューニヒトとラインハルトという、政治手腕においてこの時代最大の実力者(性質において両極端だが)が公私共に陰湿に対立するわけです。ああ楽しそうだぞ。思わずSSを書きたくなってきました(w
是非お願いします。無茶苦茶面白そうです。
- 親記事No.1726スレッドの返信投稿
- board4 - No.1968
Re:感謝と感想
- 投稿者:Zero
- 2002年06月05日(水) 19時33分
【キャラ批判云々について】
NO.1726以降のこのスレッドを見れば一目瞭然ですが、冒険風ライダー
さんは「移動要塞論」を前提として「移動要塞があるのに使わない
(気づきもしない)のはバカだ」と結論づけられています。
少なくとも、僕にはそう読めました。
何で、そんなことをするのか意味不明でしたが。
mnkさんの言い方をお借りすれば、
>「(こんな戦法が成り立つようでは)キャラがバカに見える」
というより、
>「こんな戦法が成り立つのに、気づきもしないキャラはバカだ」
と論理展開されている訳ですね。
只、以前にも書いたのですが、小説はある程度限られたモノですし、
記述する設定にも限度があると思います。設定をタラタラと書き連ね
られても面白くない事もあり得ますし。
はっきり言ってしまえば、ネガティブなスタンスで作品を解釈しよう
とすれば、いくらでも重箱の隅をつつくことは可能だと思います。
#絶対に矛盾のない作品があるというならご教授願いたいくらいです。
ですので、設定ミス(記載されない事による補完の難しいモノも含
めて)をあげつらって持論の通りに動かないキャラクタや、ひいては
作者を批判する事の意義が分からないのです。
冒険風ライダーさんは、少なくとも持論を展開する部分に於いては
意欲的に様々な設定補完をされますが、いざ、作品を肯定する部分
に至ってはその意欲が全く発揮されていないのです。
また、そういう意見を片っ端から否定されてますよね。
自分の「if」は肯定し、他人の「if」は否定する、という傾向を顕著
に感じます。
本スレッドの趣旨である「要塞移動がガイエスブルグやロングマーチ
によって設定的肯定が裏付けられる」というのであれば、その方策が
「正史」で採用され得なかった「理由」を考察すべきではないですかね?
そっちの方が楽しいと思うのですが。
ただ一度の成功を以て、「その後の恒常運用問題なし」というのも、
奇異に感じますが。
#そういった意味で反論した人の多くは「技術」でなく「恒常運用」
を問題視した訳ですし。
更にいうなら、ifを以て作品否定までするのなら、そのifを用いて
エンターテイメントとしておもしろい作品が出来るのかも検証が
必要ではないでしょうか?
正直言って、冒険風ライダーさんのifを用いたその後の展開は特に
おもしろいモノではありませんでした。
ロングマーチの記述が極端に少ないのも、「同盟の起源」としての意義
以外は特になかったのでしょう。もしかしたら歴史の闇に埋もれた
ロングマーチがあるかもしれませんけど、言い出したらキリがありませんし。
今回の一連のやりとりは、お互いがお互いの「オレ設定」を基準に
して発言し、互いが相手の発言を「オレ設定」に照らして意見のやり
とりが行われた感があるので、結局は平行線だった気がします。
相手の「オレ設定」に踏み込むと、論理展開が難しいので・・・
#まぁ、議論とはそんなモノなのでしょうが
只、「作品や作者に対して失礼なのは半端な擁護をする方だ」と
言われてるのですが、そのロジックがよく分かりません。
まぁ、批判は矛盾をつつくだけで良いが、擁護は作品設定を無理なく
纏めろとかいうのは「ちょっと都合良くないか?」とおもいましたが。
特に「記載部分の明らかな設定ミスでなく、未記載部分を脳内補完し
た批判」と認識してましたから、その批判に正当性があるのかなとか
も思ってましたし、ガイエスブルグでやったことをイゼルローンで
やらなかったことが設定の矛盾とはとても断言できませんので。
正直な所「~の目的はある程度達成されたわけですから」とか
「~については立証済み」とかよく書かれてますけど「そうかな?」
とか未だに思っている部分も多々あります。
まぁ、ご本人がそう思うのはご自由なのでそれ以上は何もいいません
でしたが、それ以上の議論が成立すると感じられませんでした。
で、引いてしまいましたが。
僕は「田中芳樹を撃つ」為には、撃つべき部分とそうでない部分を
「撃つ」者が厳密に識別しなくてはならないのではと思うのです。
冒険風ライダーさんの投稿は「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」とばか
りに見えてしまいます。
#ご本人の意図は別にして。
あ、あまりmnkさんへのご返事に書くべき事ではないですね。
まぁ、「冒険風ライダーさんの投稿に対する認識がこれくらい違う者
もいる」程度に受け止めておいて下さい。
-
- board4 - No.1969
日本サポーターと「特定作家のファン」との酷似
- 投稿者:速水右近(プチ・ヒッキー状態)
- 2002年06月05日(水) 19時34分
W杯をやっているから、書くネタです(きっぱり)。
小生が別ネームで出入りしている、過激系サッカー・サイトがあるのですが、そこでは日本代表に対する批判がやりとりされています。
でも、それをやっている人たちは、なにも監督を含めた日本チーム嫌いというわけじゃなく、「好きだから批判的に見る」だけです。
ともかくそこの管理人(W杯を一〇試合も見る馬鹿野郎)が某有名スポーツ・カフェに行ったとき、「純粋なサポーター」たちと大激論になったとか。
「かつてこういうミスをしたから、今度はこう改めるべきだ」
と管理人が言うと、「純粋なサポーター」たちは、
「お前は、日本代表が嫌いなのか」
と、非国民呼ばわりしてくる。しかし、どれだけ管理人がデータなどを提示しても、彼らはそれには応戦してこようとしなかったと。
管理人に言わせると、
「そういう連中ほど、自分のサッカーに対する考えがない。
そのくせ何の根拠もなく、『トルシエ解任だ』(註)と息巻く」
のだそうで……。
そこで強引に小説とくっつけます(爆)が、なにかこの状況、特定作家のファンたちと酷似しているようですね。
ファンが増加するに従い、それぞれの楽しみ方が増えても許されるのは当然でしょう。無論、そのなかに「お耽美」さんや「ドンパチ大好き」さんがいてもいいとしましょう。
しかし「批判的に見る」ファンは、なぜか浮いてしまう……。こういう存在がいてこそ、作品の自浄作用を促すのですけども。
もっとも他のファンから見て、批判的ファンが増えると自分たちの存在が危なくなるから、「消したい」のでしょうが。
その心情はまだ理解できるにしても、今度は、
「自分たちが楽しめるのなら、作品の質が低下しても許される」
というドツボには落ちちゃうことに、気が付いていない……。
なにか特定作家と読者の関係は、「日本人」的な要素があるのかも知れませんね。
どなたか海外の作家やスポーツ事情に詳しい人は、情報提供を。
註 小説とは関係ないけど、これは爆笑ネタ。
「トルシエ解任」の急先鋒だった、伝説的元日本代表フォワードで国会議員のKさん(バレバレ)。理由は、
「フランス人だから、コミュニケーションに難がある」
というもの。そこで記者から、「誰ならいいんですか」と聞かれると、
「(英 アーセナルの)ベンゲル監督でしょう」
と、即座に答えたとか。
実はベンゲルも、フランス人なんだよなぁ。
-
- board4 - No.1970
他には?
- 投稿者:州
- 2002年06月06日(木) 04時53分
はじめまして。
ここでは主に銀英伝、創竜伝が語られていると思いますが、
他の作品についてはあまり興味がないのでしょうか?
私はROM一方の人間ですが、7都市物語、タイタニア、竜騎兵等の
皆様の考察を見たく、書き込ませていただきました。
これらには銀英伝、創竜伝のような矛盾点、
俗に言うなら突込み所はないのでしょうか?
- 親記事No.1726スレッドの返信投稿
- board4 - No.1971
終戦勧告受諾
- 投稿者:はねだみずき
- 2002年06月06日(木) 06時32分
どうも、はねだみずきです。何か言う気力がなくなってしばらく引っ込んでましたが、終戦勧告も出てますし、最後に私の小説の読み方に対するスタンスだけ言って終わりにしようと思います。
私も小説を書いているのでわかるのですが、そもそも、文章を書く時は「自分の言いたい事」と「説明しなきゃわからない事」を書くのが普通です。このうち、後者は重要です。つまり、文章として明記されてないことは「存在しない」のではなく、「誰もが知っている」事であるのが普通です。多分、これは田中芳樹氏も同じだと思います。Zeroさんが「給油シーンのない自動車小説・漫画があったとしても、それはその世界で給油をする必要がない事を意味しない」と言うことを仰っていましたが、それは「自動車は給油をしなきゃ動かない」と言う常識を作者も読者も持っているからですね。
ですから、小説を読んでいて特に明記されていない事柄に関しては、作者と読者の共通に持っている「常識」で説明がつくことが大半です。銀英伝の場合、現在の常識で説明がつかないので、ちゃんと説明が書かれている事柄としては超光速航行・通信の存在、世界背景としての帝国と同盟の存在と、そこに至る歴史などが挙げられます。
一方で、質量保存の法則が打ち破られたと言う記述はありませんから、「私たちの知る常識としての質量保存則の存在」は、銀英伝世界においても健在だと考えます。
もちろん、冒険風ライダーさんも膨大な作中の記述を拾い出して「無限の自給は成り立つ」と判断されたのでしょうが、私には暗黙の了解としての質量保存則を打ち破る証拠としては弱く見えたのです。
まぁ、犯罪捜査にたとえれば「(無限自給を肯定させるような)状況証拠はある。しかし、アリバイ(質量保存則)は成立しているから犯人(無限自給)とは断定できない」みたいな状況でしょうか。ちょっとわかり辛いですが。
よって、私の場合、無限の自給能力に関しては「銀英伝世界においても質量保存則は成り立つだろう」と言う判断の元に、否定側に回らせていただきました。
ただ、あくまでもこれが重要なのですが…これらの作品に対する解釈、読み方の方法論はあくまでも私のものです。冒険風ライダーさんには独自の方法論がおありでしょう。ですから、結局は第三者の目でどちらがより説得力があるか、と言う判断を待つしかないのでしょうね。それが分からなかったばかりに、雰囲気がちょっとトゲトゲしいものになってしまったのは残念でしたが、いい経験をさせていただきました。それについては感謝しております。
- 親記事No.1969スレッドの返信投稿
- board4 - No.1972
Re:日本サポーターと「特定作家のファン」との酷似
- 投稿者:tina
- 2002年06月06日(木) 09時34分
速水さん、はじめまして。
tinaと申します。よろしくお願いします。
いきなりですが。
お願いですからサッカーと田中教をいっしょにしないで下さい(泣)
私は三度のご飯よりサッカーが好きなのです。
結論から言います。
サッカーや田中さんの作品だけじゃありません。どんなものにもそういう「良識のない特殊な人たち」はいます。
私はサッカーも田中作品も大好きです。
でも信者じゃありません。
友達も信者じゃありません。
今までそんな人に一度もあったことがありません。
っていうか特殊な人だからこそ、そうやって事件として取り上げられているわけでしょう?
というか疑問なんです。
ときたまこのHPでいわれている「田中教の信者」
実在するんですか?
少なくとも私は今までそんな気配の人一人も会ったことがないんですけど。
皆、ただのエンタメ作品として読んでいて、「あまるクンかっこいー」だの「俺もとびてー」だのばっかです。
でもまぁ実際のところはいるんでしょうね。
ただ私の生活の実感としては、このHPの各所を読んでいて不自然な感じがしました。
むしろ私は、このサッカーフィーバーを皆さんはナショナリズムの観点からどう見ているのかお聞きしたいんですが。
どこで仕入れた情報だか忘れたんですけど、「右翼がよく人集めするのはサッカー場」だそうです。
たしかに純粋なナショナリズムが発揚していますよね。
大抵の人は、日本戦をみているとき「愛国心」は少しでも有るはずです。
「日本負けろー」何て応援してる人は別として。
私なんて、昔は納得行かなかった日の丸君が代も、サッカーの国家斉唱の時は「なんてすばらしいんだろう」みたいな感じで歌っちゃって国旗振り回してます。
でも、ちょっと考えると危険ですけど、皆がひとつのことに向かってまい進している姿とパワーってすごくないですか?
中にはいっている人間にとっては気持ちよさを感じます。
だから、ナショナリズムを否定している田中さんに対して、疑問に思っちゃったりして。
あーよく考えると恐ろしいー。
田中さんはこのサッカーフィーバーも否定しちゃうのかなぁ。
- 親記事No.1970スレッドの返信投稿
- board4 - No.1973
Re:他には?
- 投稿者:本ページ管理人
- 2002年06月06日(木) 13時01分
こんにちは。
> 私はROM一方の人間ですが、7都市物語、タイタニア、竜騎兵等の
> 皆様の考察を見たく、書き込ませていただきました。
> これらには銀英伝、創竜伝のような矛盾点、
> 俗に言うなら突込み所はないのでしょうか?
ツッコミどころが無いと言うよりは、単純に規模と知名度の違いだと思います。過去ログには単発で散見することが出来ますし…
もっとも薬師寺シリーズレベルの問題があれば、規模が小さくてももうすこし見ることが出来ますが…
- 親記事No.1969スレッドの返信投稿
- board4 - No.1974
Re:日本サポーターと「特定作家のファン」との酷似
- 投稿者:本ページ管理人
- 2002年06月06日(木) 13時35分
> でも、ちょっと考えると危険ですけど、皆がひとつのことに向かってまい進している姿とパワーってすごくないですか?
> 中にはいっている人間にとっては気持ちよさを感じます。
> だから、ナショナリズムを否定している田中さんに対して、疑問に思っちゃったりして。
> あーよく考えると恐ろしいー。
> 田中さんはこのサッカーフィーバーも否定しちゃうのかなぁ。
故手塚治虫氏がスポーツマンガをほとんど書かなかったことに対して、評論家の呉智英氏は「所詮限定されたルールの中でのゲームという醒めた視点があったのではないか?」(うろ覚えですが)という意味の指摘をしています。
また、評論家の夏目房之介氏は、手塚氏が「俯瞰的な視点を持つ作家」であるという観点から、「俯瞰的な視点=上から世界全体を見下ろす視点から物語を紡ぎだしているために、行為者のプライヴェートな視点から作品を描くことが欠かせない、恋愛マンガやスポーツマンガは、手塚治虫には決して描き得ないものであった」という趣旨のことを指摘しています。
私は、この点に関しては手塚氏と田中氏の性質はよく似ており、故に「スポーツに対する熱中」というものは田中氏には理解できないのではないかと考えます。
…まあ、巨人嫌いやパリーグ贔屓をするくらいには、スポーツを知っている気配はありますが(笑)
- 親記事No.1950スレッドの返信投稿
- board4 - No.1975
ラインハルトはつぶされたと思います
- 投稿者:佐々木公彦
- 2002年06月06日(木) 17時21分
> トリューニヒトって、同盟時代より帝国亡命後の方が魅力があるような気がします。
> その卓越した政治的才能がより発揮されているような気がします。
> しかし帝国の首脳の評価は同盟降服時にとった行動により低くなっています。
>
> そこで、少し考えてみました。
> もしトリューニヒトが帝国に生まれていたら?
> ローエングラム朝初代帝国宰相になった可能性が高いように思えます。
> どうでしょうか?
トリューニヒトにとっても操りにくい金髪の坊やより、貴族たちを傀儡にするのを選ぶと思われるし、帝国内乱時に彼が暗躍したらあそこまでラインハルトが自由に動けはしなかったでしょう。
そして、口先で貴族たちの作戦参加を押さえれば多数のメルカッツ軍をラインハルトは倒さなければいけない。
さすがに無理でしょ。
貴族たちが作戦立案に参加しないなら、ラインハルトは相当の兵を首都防衛に当てなければならない状況に追い込まれますから。
-
- board4 - No.1976
ここで言っていいかな?
- 投稿者:鹿角
- 2002年06月07日(金) 05時45分
「恋愛白書」という雑誌の漫画で主役の名は忘れたけど彼氏の名前が「芳樹」というんです(^^;)これで名字も田中なら完璧だったのに・・・しばらく笑いがとまりませんでした。
- 親記事No.1946スレッドの返信投稿
- board4 - No.1977
Re:有事法制について
- 投稿者:やまそ
- 2002年06月07日(金) 21時04分
創竜伝について言えばそこまで考えてないが正解だと思いますよ。
銀英伝について言えば必要か不必要かで言えば、必要だと考えていると解釈できますよ。
ちなみに有事法制と交戦規定は違うものですけどね。
そして諸外国に有事法制なんてないですけど。
有事の対義語は無事。平時の対義語が戦時。戦時規定なら普通の国家ならどこにでもありますね。
あ、そうそう、自衛隊には交戦規定は存在しません。したがって創竜伝世界においても、自衛官は自身に危険を感じたら如何なる反撃も許されます。その行為によって罰せられることはありませんよ。
以上。
- 親記事No.1726スレッドの返信投稿
- board4 - No.1980
Re1968/1971:最終まとめレス
- 投稿者:冒険風ライダー
- 2002年06月08日(土) 13時02分
とりあえず、双方互いに意見は出尽くしたようですし、これ以上議論しても平行線なのは確実でしょうから、私も終戦勧告に従い、この投稿をもって当スレッドにおける私からの投稿は最後とさせて頂きます。
>Zeroさん
<NO.1726以降のこのスレッドを見れば一目瞭然ですが、冒険風ライダー
さんは「移動要塞論」を前提として「移動要塞があるのに使わない
(気づきもしない)のはバカだ」と結論づけられています。
少なくとも、僕にはそう読めました。
何で、そんなことをするのか意味不明でしたが。>
<はっきり言ってしまえば、ネガティブなスタンスで作品を解釈しよう
とすれば、いくらでも重箱の隅をつつくことは可能だと思います。
#絶対に矛盾のない作品があるというならご教授願いたいくらいです。
ですので、設定ミス(記載されない事による補完の難しいモノも含
めて)をあげつらって持論の通りに動かないキャラクタや、ひいては
作者を批判する事の意義が分からないのです。>
そんなの極めて簡単明瞭な理由なのですけどね。今回私が展開した作品批判論は、単なる設定ミスなどで収まる話などではなく、銀英伝という作品のテーマそのものを崩壊させかねないほどの内容だと考えているからです。第一、銀英伝のみならず他の田中作品でも散々取り上げて説明するほどに作品中の重大なテーマとされている「補給の概念」が、他でもない作者自身が作った作品設定によって崩壊してしまうというのは、自らが訴えようとしている主要テーマに対する配慮が作者自身に欠けていることを意味します。それほどまでに重大なミスを「単なる設定ミス」として片づけてしまうことは、声を大にして自らの主要テーマを訴えたがっている作品と作者に対して大変失礼な話でしょう。「あんたが訴えたがっているテーマなんて、作品中に必要のないどうでも良いことでしかない」と結果的に公言しているも同然なのですから。すくなくとも私の方では「補給の概念」を銀英伝の中でも重要なテーマのひとつと認めた上で作品批判論を展開しているというのに、作品擁護派が「補給の概念」を「つまらない設定ミス」と切り捨てるほどに作者の意図をないがしろにしてどうするのですか?
今回に限らず、考察シリーズで私が作品批判論を展開する際には「その作品の主要テーマないしは作者が特に声を大にして訴えたがっていること」が、作品論的にいかに破綻していることを明確に示すことを常に心がけているつもりですよ。銀英伝考察シリーズに限定しても、「1」で取り上げているのがヤンの抱いている思想的矛盾、「2」がヤンのシビリアン・コントロールと民主主義思想の認識および行動の実態、そして今回の「3」が要塞の特性から発生する「補給の概念」や「移動要塞戦術」の破綻および「ヤンの独裁権力者的側面」と、どれもこれも「こんなものが存在したら銀英伝という作品が訴えるテーマそのものが崩壊する」といったものばかりです。そして、そのような作品および作者の主要テーマにまで深く踏み込んだ批判こそが、作品に対しても作者に対しても致命的なダメージを与えられるだけの作品批判論となりえるのではありませんか?
設定ミスに関しても、たとえば「ガイエスブルク移動要塞ハイネセンワープ論」とか「ゼッフル粒子自爆特攻論」とかいった、それが作品の主要テーマと直接的には関係しない形で存在するものについてならば、私も作品擁護をやってみようかと考えなくもないのですが、今回はそんな生易しいレベルの話ではないわけです。そして前述のように、そのような作品の主要テーマと密接にかかわる設定破綻を安易な論法で擁護することは、結果として作品と作者に対して大変失礼な行為に繋がると考えるからこそ、私は今回のスレッドでは一切作品擁護論を展開しようとは考えないのです。
むしろ今回のような問題に関しては、作品の設定・思想的破綻を素直に指摘することこそが作品および作者に対する最高の敬意の証である、とすら私は考えているくらいですよ。すくなくとも、作者の意図も作品設定も全く尊重しない安易な作品擁護論などよりも、はるかに作品と作者を尊重していると思いますけどね。
そして何故私が作品批判論を展開する際にキャラクター批判にこだわるかと言えば、そのような批判手法こそが「フィクションだから許される」だの「キャラクターと作者の思想は違う」だのといった「赤錆のついた反論」の類を事前に封じ込め、かつ作品や作者が作中で一番訴えたがっている主要命題に対して致命的な大ダメージを与えることを可能とする唯一の手段だからであると答えますね。
「フィクションだから許される」「キャラクターと作者の思想は違う」などといった類の思考停止的な発想は、何も創竜伝だけの専売特許ではなく、フィクション作品全てに適用できる最も普遍的かつ陳腐な反論なのですから、それに対する対処法は事前に打っておく必要があったわけです。この類の反論はタナウツ掲示板初期にも何度か見られましたし、私自身、初期に創竜伝考察シリーズを展開していた際に何度か同じ事を言われたことがありましたからね。
で、その対処法として私が考えたのが「フィクション部分はあくまでもフィクションとして認めた上で、あえてそのフィクションの土俵に立って『フィクションとしては許されない』作中の描写矛盾やキャラクターの破綻した言動・行動をいちいちバカ正直に取り上げて批判する」という方法です。作中のキャラクターをあえて批判の矢面に晒すことで、フィクションとしての作品設定や主要命題が持つ矛盾と破綻を明確にし、さらにそれによって、そのような「致命的な作品設定および思想的な破綻」を作ってしまった作者の責任をも無言のうちに問いかけるといった効果が期待できるわけです。そして私はこの方法に基づいて考察シリーズという膨大な作品批判論を展開してきましたし、今回もその路線から大きく逸脱していたわけではないのです。
銀英伝考察だけに限定しても、今回だけでなく前回「2」でも前々回「1」でも私は全く同じような方法で作品批判論を展開していたのであって、今回だけが特別だったわけでもなかったのですけどね。
<冒険風ライダーさんは、少なくとも持論を展開する部分に於いては
意欲的に様々な設定補完をされますが、いざ、作品を肯定する部分
に至ってはその意欲が全く発揮されていないのです。
また、そういう意見を片っ端から否定されてますよね。
自分の「if」は肯定し、他人の「if」は否定する、という傾向を顕著
に感じます。>
<本スレッドの趣旨である「要塞移動がガイエスブルグやロングマーチ
によって設定的肯定が裏付けられる」というのであれば、その方策が
「正史」で採用され得なかった「理由」を考察すべきではないですかね?
そっちの方が楽しいと思うのですが。>
そういう類のことは作品擁護派の面々こそが積極的に行うべきことなのであって、全く反対の立場にある私に対してそれを要求するのは筋違いもいいところでしょう。私には自分の主張の正当性を立証する責任と義務はあっても、自分の意見と全く正反対の主張にまで配慮した設定補完を行わなければならない理由も余裕もどこにも存在しないのですから。
議論において相手の主義主張に不満があるのであれば、相手の主張を完全に覆せるだけの理論構築を自らが積極的に行うべきでしょう。それもせずに相手の議論姿勢のみを云々しても意味がありますまい。
<更にいうなら、ifを以て作品否定までするのなら、そのifを用いて
エンターテイメントとしておもしろい作品が出来るのかも検証が
必要ではないでしょうか?
正直言って、冒険風ライダーさんのifを用いたその後の展開は特に
おもしろいモノではありませんでした。>
シミュレーションとエンターテイメント性とは何の相関関係もないでしょう。そもそも私が展開していたシミュレーションは「どうすれば銀英伝がより面白くなるのか?」ではなく、当時のキャラクターの状況を推察した上で「自分ならばどうやって現状の困難な状況を打破しようとするのか?」というテーマに基づいて行なっていたわけですから、それでエンターテイメント性がどうなろうが私の知ったことではありません。そのテーマで議論すべきなのはエンターテイメント性云々などではなく、私が考えたIFの有効性や危険性などであるはずでしょう。
それに、この論法では「銀英伝世界におけるヤンやラインハルトは、エンターテイメント性を求めるために作戦を立案していた」などという、戦略家としては本末転倒もはなはだしい結論が導き出されることになってしまいますが、それで良いわけなのですか?
>はねだみずきさん
<私も小説を書いているのでわかるのですが、そもそも、文章を書く時は「自分の言いたい事」と「説明しなきゃわからない事」を書くのが普通です。このうち、後者は重要です。つまり、文章として明記されてないことは「存在しない」のではなく、「誰もが知っている」事であるのが普通です。多分、これは田中芳樹氏も同じだと思います。Zeroさんが「給油シーンのない自動車小説・漫画があったとしても、それはその世界で給油をする必要がない事を意味しない」と言うことを仰っていましたが、それは「自動車は給油をしなきゃ動かない」と言う常識を作者も読者も持っているからですね。
ですから、小説を読んでいて特に明記されていない事柄に関しては、作者と読者の共通に持っている「常識」で説明がつくことが大半です。銀英伝の場合、現在の常識で説明がつかないので、ちゃんと説明が書かれている事柄としては超光速航行・通信の存在、世界背景としての帝国と同盟の存在と、そこに至る歴史などが挙げられます。
一方で、質量保存の法則が打ち破られたと言う記述はありませんから、「私たちの知る常識としての質量保存則の存在」は、銀英伝世界においても健在だと考えます。
もちろん、冒険風ライダーさんも膨大な作中の記述を拾い出して「無限の自給は成り立つ」と判断されたのでしょうが、私には暗黙の了解としての質量保存則を打ち破る証拠としては弱く見えたのです。>
正直、そんな曖昧な定義に基づいた「私たちの知る常識」などを使って作品擁護論を展開していたとは思いませんでしたよ。道理で作中の記述や作品設定と著しくかけ離れた作品擁護論モドキが展開されていたはずですね。
そもそも、この「私たちの知る常識」なるものは一体どうやって定義するのでしょうか? 一口に「常識」と言ってもたくさんありますし、対象によって適用される「常識」が全く異なる場合もあります。せっかくですから燃費の例で見てみると、「自動車は給油をしなきゃ動かない」という「常識」は確かに存在するわけですが、その一方では「原子力空母は何年も無補給で稼動することができる」も存在します。「燃費」と言う観点から見ると、この2つは全く相反する「常識」ですが、この場合、どちらの「常識」を使用するかは使用者の主観的な価値観や判断によって左右されることになってしまい、使用者にとって都合の良い内容の「常識」のみが恣意的に使われてしまう恐れがあります。
また「自動車は給油をしなきゃ動かない」という「常識」自体、決して永久不変的なものではなく、燃料無補給で稼動する自動車というものが将来出現して「常識」が覆されるかもしれません。このように、「常識」とはたくさん存在し、かつ常に動き続けるものであるということをまず考えなくてはなりません。何しろ、はねだみずきさんの論法に従えば、「常識」を立証するのに作中の記述は必要ないのですから、どこからでも「常識」を持ってくることができるわけで、下手をすればそれによって作品そのものが捻じ曲げられてしまう危険性もないとは言い切れないでしょう。実際、はねだみずきさんの主張は銀英伝の作品設定に基づかない内容が非常に多かったように私には見えました。
さらに、田中芳樹は古今東西のSF作品に色々と精通しているようですし、銀英伝も「スタートレック」「宇宙戦艦ヤマト」「スターウォーズ」などといった「SF作品の常識」や設定をベースにして作品設定が構築されているようなので、銀英伝で特に記載されていない事柄が必ずしも「作者と読者の共通に持っている常識」で解決するとは限りませんし、仮に「私たちの知る常識」で説明できたとしても、「SF作品の常識」という全く別の「常識」でそれが覆されている可能性もありえます。実際、銀英伝世界にさも当たり前のように存在する「超光速通信」だの「3次元チェス」だの「立体TV(ソリビジョン)」だのといったものは、その詳細が作中でほとんど説明されていないにもかかわらず、実は「SF作品の常識」の中でしか存在し得ないシロモノなんですよね。銀英伝世界における要塞の自給自足システムも、これと全く同じ類のものだと私は思いましたよ。
以上のことから、作中に書かれていないことをもって、どこからともなく持ってきた「常識」を当てはめることは、作品論を語る際には不確実かつ極めて危険な行為であると考えます。作品を語る際には、やはり誰もが絶対的に理解できるほどに明確に定義されている作品設定および作中記述を基盤にした上で、それらの内容と矛盾をきたすことなく綺麗に合致する批判論なり擁護論なりを展開するべきでしょう。記述が存在しないからと言って、作品設定や作中記述と矛盾した「常識」を整合性も何も考えずに勝手に引っつけてしまっては、作品論としては本末転倒もはなはだしいではありませんか。