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- board1 - No.310
リンクについてのお問い合わせありがとうございます
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月03日(木) 08時48分
>山本さん
わざわざお問い合わせしていただき、ありがとうございます。
リンクしてくださって結構です。出来れば、そちら側のURLも教えて貰えるとありがたいです。
このページはリンクは自由ですが、やはりメールや掲示板でお知らせいただけるとうれしいです。
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- board1 - No.311
「ゴジラとヤマトと…」のその後
- 投稿者:tomb
- 1998年12月03日(木) 11時03分
ヤマトっていったら、第一作で地球に隕石の雨を降らして放射能まみれにしたデスラーがその後仲良くなってしまうってのも不思議でしたね。あの攻撃で相当の人が死んでいたはずだから、家族を殺されて恨みに思う人なんて幾らでもいそうなものなんですけど。
No. 303での小村損三郎さんの発言
>あ、「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」は知ってますよ。昔立ち読みした記憶があります。
>そこそこ面白かったけど、あの著者の田中芳樹的に尊大な姿勢が嫌いだったので買いませんでした。
そうですか、『ヤマト一隻でガミラスを滅ぼしておいて「愛し合う事だったんだ」はないでしょう。』あたりの批判はまさに「ゴジラとヤマトと…」のそれだったので投稿しました。
>今は何やってんだろう・・・。
著者の佐藤健志は、その後、批判内容をゴジラに限定特化した「さらば、愛しきゴジラ」を書いています。そこでゴジラあり方をどう捉えるか・どういう形で締めくくらねばならないか、等といった論を展開した後、当時公開されていた最後のゴジラ映画の向こうを張って、私家版「ゴジラの最終回」のプロットを上奏しています。
このプロットは、「ゴジラこそ核兵器の象徴であり、ゴジラを倒す事は我々自身が核を使う事の原罪を背負う内容になっていなければならない」ってな骨子で作られていました。僕の感想は、正直これならある程度のリアリティーを持ったまま、現代社会にゴジラを出現させられるかもしれないけど作品としてみればツマラナイよね、って所です。方法論から造ってしまった失敗作って所です。
その後、「さらば、愛しきゴジラ」の巻末の著者紹介の所で、「これでゴジラ・怪物を書ききった著者は、次は人間を書く予定で、エイズの取材の為にアメリカに渡ります」ってな事を書かれていました。
それ以降、彼の著作を僕は直接見掛けていません。しかし昨年の春頃、どこぞの雑誌でエヴァンゲリオンに対して同様の批判を書いて、ファンの心理を逆撫でにしたらしく、エヴァ系BOARDでファンが熱くなっているのを見掛けました。僕は「そういうのは書ききったって自分で言った筈なのに何故舞い戻ってくる?さては『ゴジラとヤマトと…』が売れた時に味わった美味しさが忘れられないな」等とちょっと嫌な思いをしました。
それから先は僕も知りません。
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- board1 - No.312
「ガンダムW」とは
- 投稿者:小村損三郎
- 1998年12月03日(木) 13時32分
不沈戦艦さん、こんにちは
>北村さんがガンダムWの話を出しておられますが、結局富野も西崎と同じですか。あんなに仲が悪かったのに。何でそうなるんだろ。
あ、「ガンダムW(ウイング、と読む)」はマーケット維持の為にメインスポンサーのバンダイ主導でシリーズ自体が路線変更された後の作品で、富野氏は製作に関わっていません。
設定・世界観も初代ガンダムとは全く関係無い、別世界の物語です。
捕捉しますと、「サンクキングダム自体は滅びたが、その理想は後に結実した」という展開で、最終回では「人類最後の戦闘」の後「地球圏統一国家」が成立し、「人類社会から戦争は根絶された。」という更にトンデモなラストになっています。
しかしこの番組、これらのお題目を真面目にテーマとして訴えようとしていたとはとても思えません。
この「ガンダムW」という作品の本質は「ギャグ」と「ケレン味」であり、
「イッちゃってるキャラクター達が破綻した行動と素ッ頓狂な会話を繰り広げ、視聴者はそれを端から見て笑いながら楽しむ」
というのが正しい姿だからです(爆)。
製作側も確信犯的にそれを狙っていたのは明らかです。北村さんお勧めのの10話位まで見ていただければこの作品のコンセプトが分かっていただけるでしょう(^^)。
「完全平和主義」「地球圏統一国家」という大仰な言葉は実はそのトンデモさを強調する為のものだったりして・・・。
tombさん、こんにちは
>その後、「さらば、愛しきゴジラ」の巻末の著者紹介の所で、「これでゴジラ・怪物を書ききった著者は、次は人間を書く予定で、エイズの取材の為にアメリカに渡ります」ってな事を書かれていました。
それ以降、彼の著作を僕は直接見掛けていません。しかし昨年の春頃、どこぞの雑誌でエヴァンゲリオンに対して同様の批判を書いて、ファンの心理を逆撫でにしたらしく、エヴァ系BOARDでファンが熱くなっているのを見掛けました。僕は「そういうのは書ききったって自分で言った筈なのに何故舞い戻ってくる?さては『ゴジラとヤマトと…』が売れた時に味わった美味しさが忘れられないな」等とちょっと嫌な思いをしました。
それから先は僕も知りません。
おお、そうだったんですか。これで安心して眠れます(笑)。
内容は面白い部分もあるんですが、どうもあの人の語り口は好きになれませんでした。
管理人さん、こんにちは
>凄く骨太の評論ですね。
ありがとうございます。
>自分では評論できるほどアニメは見ていないのですが、頷くことしきりです。
ただ、銀英伝関係の同人誌などを見ると、このアニメが与えた作品世界のイメージというのは強烈だなと思います(最近はコミックにそれが移っているけど、コミックもアニメの影響が強いですからね。メックリンガーとか、特に。ラインハルトは逆に髪が伸びましたが…)
横文字のOPテーマとか、そのスジの人を捉える演出はなかなかだったと思います。
今ではアニメから入った人の方が圧倒的に多いからでしょうね。たしかにそういう人から見ると又違った感じ方があると思います。
「私はアニメ版のココが好きだ~!」という人の意見も聞きたいと思います。
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- board1 - No.313
感情的なハナシ(論理もへったくれも無い私見)
- 投稿者:石井由助
- 1998年12月03日(木) 13時36分
>誰も指摘しないのでこの際はっきり言ってしまいますが、田中氏独特の歯の浮くような言い回しや唐突に挿入される独語等は、活字でこそ味がありますが、セリフで聞くと完全なギャグになってしまうんです(特にポプランとか)。声優さんも恥かしかったんじゃないかなー(笑)。
No. 303 小村損三郎さん
>キャラの言葉つかいも古典的に古い。はやりのファッションばかり追いかける若者を批判して「おっくれってるー」とかいうのは戦争にいかなければ非国民と言うのと同じとかほざいてるけど普通「ダッサー」とか言うんじゃないの?
No. 290 カエルサルさん
銀英伝は現実世界の未来という設定だが、事実上はほとんどパラレルワールドと言って差し支えがない。ゆえに、あの劇掛かっているとも言える独特なセリフ回しも、それほど違和感があるものではない(銀英伝などは結構宝塚っぽい要素があると思うのだが)。まあ、比較的現実世界に近い同盟では違和感がないでもないが(確かに、アニメでは戸田奈津子並の「意訳」を望む)、許容範囲だろう。
やはり、創竜伝の方が現実世界を舞台にしているだけに、このへんの違和感はある。まさに、カエルサルさんが指摘しているとおりである。
>ずれているのは田中氏の時代感覚そのものです。
どうでもいいのだが、消費物のライトノベルのくせに、センスだけは没落して活字の権威に頼った純文学のものだ。
三島賞の第一回作のいわゆる純文学「優雅で感傷的な日本野球」では、冒頭に猫が出てくる。その猫の名前が「三六五日のおかず百科」。ああ、犬に松永良彦って名前を付けて何かしゃれたことをしたつもりの田中芳樹とそっくりだなと思ったね。
つまんね~よなぁ。何か感動できるわけでもないし、笑うんだったら、ジャンプかマガジンでも読んでいた方がまだ少しは笑える。
創竜伝とか、GTOみたいにテレビドラマにしたらウケそう。いや、あまりに寒そうで。ジャニーズにやらせてみたいなぁ。
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- board1 - No.314
>「ガンダムW」とは
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月03日(木) 14時06分
>あ、「ガンダムW(ウイング、と読む)」はマーケット維持の為にメインスポンサーのバンダイ主導でシリーズ自体が路線変更された後の作品で、富野氏は製作に関わっていません。
>設定・世界観も初代ガンダムとは全く関係無い、別世界の物語です。
> 捕捉しますと、「サンクキングダム自体は滅びたが、その理想は後に結実した」という展開で、最終回では「人類最後の戦闘」の後「地球圏統一国家」が成立し、「人類社会から戦争は根絶された。」という更にトンデモなラストになっています。
>
>しかしこの番組、これらのお題目を真面目にテーマとして訴えようとしていたとはとても思えません。
>この「ガンダムW」という作品の本質は「ギャグ」と「ケレン味」であり、
>「イッちゃってるキャラクター達が破綻した行動と素ッ頓狂な会話を繰り広げ、視聴者はそれを端から見て笑いながら楽しむ」
>というのが正しい姿だからです(爆)。
>製作側も確信犯的にそれを狙っていたのは明らかです。北村さんお勧めのの10話位まで見ていただければこの作品のコンセプトが分かっていただけるでしょう(^^)。
でも、(オタクの)女の子には大人気ですよね~
あざといまでのキャラクターがいいのでしょうか? だとしたら、結構田中作品と被るかも。しかも、そういう人にとっては、田中氏の意に反して、作品の評論部分なんてどうでもいいのかも。
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- board1 - No.315
うむむ 追記
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月03日(木) 17時05分
>「イッちゃってるキャラクター達が破綻した行動と素ッ頓狂な会話を繰り広げ、視聴者はそれを端から見て笑いながら楽しむ」
>というのが正しい姿だからです(爆)。
よくみると、ここの部分って、まったくそのまま創竜伝に当てはまるんですよね。
これについては、前に別の場所でほつまさんが詳しく述べていて(やおい趣味の女性に人気のあるキャラクターのステロタイプは、「辛辣なセリフを吐く美青年」「危険な薫りのする美青年」という話について)、感心した覚えがあるのですが、あれをここでも書いて貰えませんか?もしくは、転載してよろしいですか?
掲示板で突然要求してしまってすみません。
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- board1 - No.316
ドラゴンクエスト
- 投稿者:カエルサル
- 1998年12月03日(木) 21時20分
アニメが話題になってますが、「ヤマト」は何とアメリカでも放送されたらしいです。ただし、映像だけをバラバラにカットし、英語の吹き替えをし、毎回敵が来て倒していくという「サザ◯さん」式の一話完結だそうで。単に日本アニメを馬鹿にしてるだけカモしんないけどアメリカには受け入れがたい政治評論が原因かもしんない。「ガンダムW」は最近再放送で見ておもしろかったけど政治評論みたいなのは気にならなかった。(気ずかなかった)イリーナ(だったっけ)様のために見た感じだったけど改めテ考えると「羅刹の家」並にオモシロイ(笑)。これらは笑って済ませるとして「創竜伝」はこうはいかない。あれを読むと恐怖と不安に駆られる。内容はギャグなのに。ここで注目するのは作品の政治批判がキャラクターの口からもでてるところだ。四兄弟はもちろん敵キャラの口からも「本音」としてでている。特に超人的な生命力と天才的な頭脳に教養を持ち合わせた(という設定の)神格化された四兄弟や冷酷非情の恐るべき敵キャラが言うとまるで真実のような現実感がある。それで本当のことのように思ってしまうわけだ。もちこれは小説の定型に当てはまるため、批判の対象にはできないがセリフに小説世界の世界観の説明や主人公の思考など、本来ファンタジー世界を補足するための、現実と非常に似せた(ッテ言うか現実世界を基本にしてる)文とで相互補完し、作中の陰謀説に現実味を創っている。前にも書いたけどよく考えてみたらドラゴンや妖怪や鳥のお姫様が、月に行ったり天界から仙人が来たりして、自衛隊やアメリカ軍をギッタンギッタンにしたりするスケールで「国家はばからしい、視野が狭い」みたいな内容の「政治評論」をする小説自体気が狂ってるとしか言いようがない。「紺碧」の「後世世界」の方がよっぽどか信じれる。「田中芳樹氏は「妄想世界」で幸せに暮らしてるんじゃあないか?」といっても過言ではないだろう。設定もいい加減で物理的にも無理があるし単に政治評論してハクをつけてるだけでイイカゲンな小説じゃあねーか。よって「創竜伝」にリアリティーは感じない方がいいカモ。ところで、始さんとかドラゴンになったあと弟とかに裸見られるのイヤダローな。同人誌でないかなそゆの。(下ネタでスンマセン(爆))。
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- board1 - No.317
レスです
- 投稿者:やぶにらみ
- 1998年12月04日(金) 01時38分
>もし完全平和主義の物語がいいってんだったら…全て滅びなければ本来はおかしいですな。
「完全」な平和主義、というのは確かに想像がつかないですね。「帝国主義的侵略をしない」とか「無闇に敵国の挑発に乗らない」「戦争は良くてせいぜい必要悪だと考える」「世界の警察ぶらない」といった姿勢なら、判りますが。
>『ガンダム』のアクション。
子供の頃はテーマ云々よりも、そちらの方が目当てでした(今もかな)。あれだけ面白いアクションを創れた人(過去形)が、あまり自虐的な発言をして欲しくないな、とは思います。
>キャラ目当て
で田中氏の本を読んでいるは多いのでしょう。それ自体が悪いとは思いませんが、『創竜伝』のキャラが歳を取らないのは、その辺を鑑みてのことでしょうし、やはり不都合は生じてきますね。
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- board1 - No.318
創竜伝1巻読みました
- 投稿者:闘うエンジニア
- 1998年12月04日(金) 04時06分
久しぶりに書き込みます.
創竜伝1巻,ようやく読み終えました.
しかしまあ,読んでいて嫌になる本なんて始めてでした.
各所に気に入らない点がありましたが,最も気に入らなかったのは
田中芳樹氏の武道に対する認識の甘さです.
(田中氏は軍事的な認識も甘いそうですがね)
私,武道家の一人として,合気道をやっておりますが,
あの武道を低く見ている態度にははっきり言って腹が立ちます.
小説中,田中氏は竜堂4兄弟との戦いにおいては”武道の精神的修行”は
全く役に立たないなどと言っておりますが,私に言わせれば,
「なに,訳の分からんことをいっとるんだ.馬鹿者」と言いたい気分です.
まあ,武道論を言い出したらきりがありませんから,結果だけを言うと,
私があの竜堂4兄弟と闘ったら,現段階において,1対1なら,まず私が勝つでしょう.
”武道における肉体-精神体系を馬鹿にするな!”って感じです.
しかしまあ,小説という物語を書くのに,あんな姿勢でいいんですかねえ.
他のどんな力を持ってしても,竜堂4兄弟の超能力には勝てないなんて...
私には物語として成立していること自体不思議でなりません.
普通,均衡する2つの勢力があって,その勢力のうち正しい方が勝つというのが
物語の原則ではないのでしょうか?
(まあ,こんなに単純ではないのはわかっておりますが,原則としてね)
何もしないのに,竜堂家の血を引いているから強いなんて,一体何なんでしょう?
田中氏には努力という概念は存在しないのでしょうか?
私は創竜伝を読んで,才能のない奴は才能のある人間には絶対勝てないと言っているようにも
聞こえます.
なぜ,あんな小説がうけるのでしょうか?
恐ろしい限りです.
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- board1 - No.320
Re>創竜伝1巻読みました
- 投稿者:小村損三郎
- 1998年12月04日(金) 14時27分
戦うエンジニアさん、こんにちは
>創竜伝1巻,ようやく読み終えました.
>しかしまあ,読んでいて嫌になる本なんて始めてでした.
この先もっと嫌になりますよ(^^;)。挫折しないように頑張って下さい。
>各所に気に入らない点がありましたが,最も気に入らなかったのは
田中芳樹氏の武道に対する認識の甘さです.
(田中氏は軍事的な認識も甘いそうですがね)
>私,武道家の一人として,合気道をやっておりますが,
>あの武道を低く見ている態度にははっきり言って腹が立ちます.
1巻には居合の達人が登場していたんでしたっけ。まあ、武道に限らず理系人間への偏見も相当なものです。
要するに自分の価値観や感性にそぐわないものは全て「くだらないもの」ということなんでしょう。ここまでご自分の主張と矛盾することを平然と書きちらせる厚顔ぶりは感動的ですらあります。
氏は中国の人名表記等について他人がいい加減なことを書くとねちねちと批判するのですが、そう言うご当人はというとアメリカの原子力空母に突拍子もない名前をつけて平然としています(笑)。
まあ、これはわざとでしょうが。
>小説中,田中氏は竜堂4兄弟との戦いにおいては”武道の精神的修行”は
全く役に立たないなどと言っておりますが,私に言わせれば,
「なに,訳の分からんことをいっとるんだ.馬鹿者」と言いたい気分です.
>まあ,武道論を言い出したらきりがありませんから,結果だけを言うと,
私があの竜堂4兄弟と闘ったら,現段階において,1対1なら,まず私が勝つでしょう.
”武道における肉体-精神体系を馬鹿にするな!”って感じです.
いや、あの、お怒りは重々ご尤もですが、何しろ彼らは「超能力者」で「竜の化身」ですからこればかりは致し方ないかと・・・。
後の巻ではたしか機関銃の弾も弾き返してますし(^^;)。
「ガンダム」に対して
「戦車や航空機がモビルスーツに敵わないなんてふざけるな!」
とおっしゃってるようなものだと思いますが・・・。
>なぜ,あんな小説がうけるのでしょうか?
>恐ろしい限りです.
「元気でかっこいい男の子を4人以上出せば読者にはウケます(by吉岡平)。」
お好みのタイプをどーぞ。という訳です。
あと、管理人さんの書いてらっしゃる通り「架空戦記の左翼版」という側面もあるかもしれません。現実には絶対に敵わない相手をフィクションの中でボコボコにやっつける、という。
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- board1 - No.321
アニメ・特撮における完全平和主義
- 投稿者:北村 賢志
- 1998年12月04日(金) 14時42分
不沈戦艦さんへ
>最後に、もし完全平和主義の物語がいい、ってんだったら、結局主人公も、舞台となる国土も国民も全て滅びなければ本来はおかしいですな。
そう言えばそんな話もありました。「新造人間キャシャーン」の「キャシャーン無用の町」です。
このエピソードではアンドロ軍団の侵攻に直面した町が「平和を守るため」降伏するが、その結果屈辱的な目に遭わされます。どんな目かと言いますと「家畜人ヤプー」を元ネタにしていると言えば分かるでしょう(ただ幸いにも相手がロボットなので・・・)。このときのブライキングボスの「平和とはこれほどまでに守らねばならないモノなのか」と言う嘲笑が印象的でした。
勿論、キャシャーンは市長の元を訪れ、戦う事を要求しますが市長は「平和を守る」為にキャシャーンに銃を突きつけて追い払います。
最後はお約束の大虐殺となり、そこでキャシャーンの手によってアンドロ軍団は撃退され、瀕死の市長が傍らのキャシャーンに「私は間違っていない。ただ君に銃を向けたことだけが気がかりだ」とだけ言い残して死ぬのがラストです。
「テッカマン」や「ガッチャマンF」等ハードな話も結構多かった昔のタツノコアニメの中でも、このエピソードは秀作だったと思います。
後、これ以外には「機動刑事ジバン」や「Xボンバー」にて、完全平和主義にすがっていた連中が「無道に対しては戦わねばならない」事に気付くエピソードが有りました。
>そういう意味で北村さんが言われる通り、ガンダムW(見ていませんが)はあんまりでしょう。その王女はあまりにも無責任ですよ。「腹を切って滅びた国と国民に詫びよ!」と言いたいところですね。
元々、彼女(名前はリリーナ)が完全平和主義を志したのは、物心つく前に滅びたサンクキングダムが完全平和主義だったと養父のいまわの際に聞かされたから、つまり最初から思っていたのではなく唐突に「顔も覚えていない両親の意志を継ごうとした」わけです。
しかもリリーナは「軍事力は廃止せねばならない」と言い切りながら「地球圏最強の軍事力」であるガンダムが、自分のために働くのは当たり前と考えているとしか思えない言動を繰り返し、その矛盾に気付かない無節操ぶり。
このアニメ史上類例を見ないほど性格・行動ともに破綻し、いかなる時も他人をこき使いつつ、自分は「完全平和主義」だけ繰り返して、責任を一切とらないヒロインを、当時の私は「ヨブ・トリューニヒト以上の保身の天才」と呼んでました(いくら組織に属していない個人行動のテロリストだからと言って、こんなのの為に命懸けで戦うガンダムのパイロット共も全員バカとしか言いようがない)。
>また、そんな輩を外交官に使う国も使う国ですが。
OVAによると彼女を任命したのは、彼女の養父の仇であり、何度もリリーナを殺そうと試み、一度はリリーナ自身がピストルを手に命を狙った相手でもあった(後、「核兵器で基地ごとガンダムを破壊しようとする」だの「コロニーへの無差別攻撃をタテに降伏を迫る」だのと好き放題やっていた)地球圏統一政府の代表レディアンだったようです。
ガンダムWにおける敵役の一人、本編が始まった時点で19才の女性、の真の目的も完全平和主義だったそうで、最終回にそれを聞いたリリーナが自分の養父を殺した理由も聞かずに許してしまうあたり、この作品の破綻ぶりが明らかです。
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- board1 - No.322
武道に携わるものの端くれとして思うこと
- 投稿者:石井由助
- 1998年12月04日(金) 15時23分
>創竜伝1巻,ようやく読み終えました.
>しかしまあ,読んでいて嫌になる本なんて始めてでした.
私も昔はこめかみに青筋浮かべて読んでいましたが、今では楽しく読んでいます。
真面目に読むから、腹が立つのです。所詮、これは何も知らない考えない人間が書いたトンデモ本だと割り切って読むと、これほど「楽しめる」本はありません。
>小説中,田中氏は竜堂4兄弟との戦いにおいては”武道の精神的修行”は
>全く役に立たない
あの小説に出てくる武道家はほぼ敵役ですからね。とはいっても、田中作品全体で武道に肯定的な評価がされていることはほとんど無いですけどね。多分、武道の封建的(というか、戦前的、反民主的)な雰囲気が嫌いなんじゃないですか。創竜伝には、武道を右翼(しかも、創竜伝だとイコールでサディスト)の温床と思っているフシもあります。もっとも、スケジュールからみてもわかるほどだらしのない田中氏が武道の厳しさに耐えられるか疑問ですけどね。
>まあ,武道論を言い出したらきりがありませんから,結果だけを言うと,
>私があの竜堂4兄弟と闘ったら,現段階において,1対1なら,まず私が勝つでしょう.
いやいや、残念ながらやっぱり無理でしょう(ネタだったらすみません)。でも全然恥じることはないですけどね。
小説のキャラクターの生き方に文句を付ける愚を承知で言うと、「こんな力は欲しくなかった」とほざく主人公達は笑止です。自分たちの好き勝手な行動や発言が、何によって保証されているか考えたことは無いのでしょうかね。
もし、彼らの望むように彼らに超人的な力がなかったら、と創造すると、私は楽しくてゾクゾクするのですよ(うーむ、我ながらまだまだ未熟だ)。
>何もしないのに,竜堂家の血を引いているから強いなんて,一体何なんでしょう?
>田中氏には努力という概念は存在しないのでしょうか?
>私は創竜伝を読んで,才能のない奴は才能のある人間には絶対勝てないと言っているようにも
>聞こえます.
そのくせ、こんなセリフを肯定的に言わせているんですよ。
「一部の神秘主義者たちは、自分たちのご先祖をおとしめるのがよほど好きなのね。人類が原始の段階から苦労して知識を獲得するというのは尊いことなのに。超古代からの英知を受けつぐだけで、自分たちの手で何も創造しないほうがえらいなんて、倒錯してるわよ」
知識ではこんなことを言わせているのに、武道(というか運動)においてはこの限りではないようですね。強い人間しか強くなれないのなら、武道には価値がない。弱い人間が努力して強くなれる体系だから尊いのに。
結局、何であの兄弟に腹が立つかというと、あの兄弟、自分で積み上げたものが何もないのですよ。祖父からそれなりの資産を受け継ぎ、地位を受け継ぎ、何よりも超人的な戦闘能力を何の努力もせずに受け継いでいる。愚かな小人とはいえ、鳥羽靖一郎のほうがよっぽと自分の地位を獲得したり維持するのに努力しているし(娘婿であるとしても、それを選択したのも含めて)、粗暴なボンボンである古田義国にしても、賞賛できない努力であるにしても、暴力による支配のために努力している。それを生まれついての能力でもって小馬鹿にする兄弟は、義国以上に世の中をナメたボンボンと言っても過言ではありますまい。
>特に超人的な生命力と天才的な頭脳に教養を持ち合わせた(という設定の)神格化された四兄弟や冷酷非情の恐るべき敵キャラが言うとまるで真実のような現実感がある。
あまりに揚げ足っぽいので本文では書かなかったんですが、竜堂兄弟って、敵キャラ並か、もしかするとそれよりも残酷なことをしているんですよね。
例えば、機動隊が過激派の顎の中に警棒を突っ込んで歯や顎を折るのをいかにもサディスト的だと批判しています。
さて、主人公達は、相手を無力化するのに、相手の膝を蹴り折ったりしています。多分、それを行った当の本人(=作者)はアバラを折るのと同じような感覚で折ったのでしょう。
格闘技やケンカの経験がある人なら判ると思いますが、関節への打撃は非常に危険です。特に、膝関節への攻撃は、ほぼ全ての空手流派が反則や禁じ手にしています。何故かというと、膝を折られると、一生足を引きずって生きていくことになるからです。現在では整形外科が発達したおかげで治る可能性もありますが、それでも五分五分。
顎を折られるなんていうのは、クセにはなるかも知れないですが、別に一生障害者として生きていくなんてことはありません。
「サディスト」の敵と、襲われても悪びれない竜堂兄弟、どっちが残酷でなのでしょう?
知らないって事は恐ろしいですね。武道や喧嘩で強くなった人は、その過程で痛みを学びます。膝を蹴られると危ないということも判ります。だから、膝への打撃を避けるのだし、もしも蹴る場合は相手が障害者にすることを意識して蹴ります。中には、マジモンのサディストがいて、相手を不具にすることを楽しみにして蹴る奴もいるかも知れませんが、それでも、そのことを認識して蹴っているだけ、無意識に蹴っている竜堂兄弟よりもまだマシだと思います。努力しないで手に入れた強さというのは、ちょっと前のバタフライナイフで弱さを隠した少年達に通じるアブなさがあると思うのは、私だけでしょうか。
以上の他にも、物語の「殺陣」としての演出なのだろうけど、無駄な反撃が多すぎますね。
例えば、さらわれた首相を助けに来た機動隊員などは職務なのだから、あんなに全員叩きのめす必要はないですよ。
喧嘩や武道の達人…すなわち、兵法を体得している人…なら、自分たちの超絶的な力を見せつけて(例えばコンクリートの柱をへし折るとか)、相手を威圧し、無益な戦いは避けますよ。でも、竜堂兄弟は避けられる戦い(しかも、絶対勝てることが判っている戦い)に敢えて首を突っ込み、そのくせ被害者面をしているようにしか見えません。
野生の獣だって、自分が生きるため以上の殺傷はしないものです。
ドラゴンっていうのは、凶獣ですか?
最後に私見(ナマイキ)ですけど、私は、武道というものは、勝つための技術ではなく、負けないための技術だと思っています(この両者、似ていて全く非なるものなので、考えてみると面白いですよ)。生き残るための技術だと言ってもいい。
生き残るためには、避けられる戦いは避ける。そのために、戦う技術を身につけるのだと思います。
竜堂兄弟なんて、あれだけの力を持っていれば、自宅や従姉妹を守る戦いのような守るべきもののための戦いは別にして、その他の戦いなどはいくらでも避けられるはずなのですがね。
作者は、それを敢えて避けず、叩きのめすことで鬱憤晴らしの快感を得ているのでしょうか? だとしたら、サディストはどちらです?
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- board1 - No.323
>No. 321(他愛ないこと)
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月04日(金) 15時57分
ガンダムWは、私もほとんど見ていませんが…
>彼女(名前はリリーナ)が完全平和主義を志したのは
このひと、たしかEDで犬踏みつけてませんでした?
>「ヨブ・トリューニヒト以上の保身の天才」と呼んでました
めちゃくちゃナイスなコピーです(^_^;)
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- board1 - No.324
創竜伝は作者が嫌う「先天的能力」「陰謀論」が根本だから
- 投稿者:新Q太郎
- 1998年12月04日(金) 18時50分
>あの小説に出てくる武道家はほぼ敵役ですからね。とは
>いっても、田中作品全体で武道に肯定的
>武道を右翼(しかも、創竜伝だとイコールでサディスト)
>の温床と思っているフシもあります。
私なんかとても武道家などと言えないですが、それでも一月前、いい大人のクセしてガタイのでかい中坊に交じり、ボロボロになりながら柔道の黒帯を取れた、って喜んでた人間から見ても、あの小説での武道の扱い方はアレですな。
ただ、あえて弁護に回るとすれば「強い武道家に勝った竜堂兄弟は、ものすごくスゴイんだ」と言うことを表現したいのかもしれないし、また現実の保守政治家に、武道の有段者(かなりの達人)が多いことも何がしか影響あるのでしょう(「柔道」金丸、竹下、山崎拓、「剣道」橋龍、宇野など)。だけどなぁ・・・創竜伝にもあったが「ポスターで子供を抱く独裁者が多い」のは「子供を抱くような奴が独裁者になり易いから」ではなく
「独裁者が、自分の本性を隠すためにプラスイメージの子供を利用したがるから」でしょう。武道と政治家の関係もこれと同じだと思うが・・・
よく佐高信が「(悪徳政治家)がよく引用・愛好するから司馬遼太郎や孔子はダメだ」というが、これも同じだ。
>しかしまあ,小説という物語を書くのに,あんな姿勢でいいんですかねえ.
>他のどんな力を持ってしても,竜堂4兄弟の超能力には勝てないなんて...
>私には物語として成立していること自体不思議でなりません.
小説として見てみると、ここまで「圧倒的な力」を持って敵をボコボコにするというのは新機軸だったのかもしれない(「ウルフガイ」との類似性はよく解らないが)。
「圧倒的な(先天的)超能力」が、「努力して鍛えた技」より、少年少女の心を捉えるのかなあ。このへんはジャンプ漫画の主人公なんかも関係した、大きな流れかも。
「先天性(前世の因縁)の、桁外れの超能力」「世界を背後から操る巨大組織」「社会隅々まで行き渡った陰謀」などが、ある種の傾向を与えかねない(いわゆるトンデモ)ことを、田中氏はかなり危惧していたことは間違いあるまい。その努力の跡はかなり感じるから。ただ、登場人物が如何に辛辣にオカルト的選民感覚やら陰謀論を非難しても、それが作品の根本を支えているから(笑)、どうしても(作品世界での)整合性の点で狂ってきちゃうんだよね。それが「月面の旗」にも表れたんでしょうね。