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- board1 - No.1065
つまらなくなった理由
- 投稿者:水野忠右衛門
- 1999年04月09日(金) 17時13分
はじめまして。三日ほど前にここをみつけまして、さっきまで過去ログ読んでいたところです。
私も最近の田中芳樹はつまらないと感じていました。
さて、No.1063 俺様ランチさん、
>>田中芳樹が左翼だから、と言うのは創竜伝のつまらなさの理由とは別物ではないか、と思います。
私も別の理由でつまらないと思います。
私の場合、その理由とは、「話が横道にそれすぎる」という事です。
銀英伝のように「主要登場人物だけでも数十人もいる天下国家の興亡を扱う長編大河小説」の場合、横道にそれる事で作品世界の幅と奥行きを広げ、面白さを増幅させる効果があると思います。
しかし、5~600の歴史小説(中国物)では、横道にそれるとストーリーが見えなくなり、単なる歴史書なんだか小説なんだかわからなくなってしまうという逆効果しか生まないと思います。現代物でも、政治・社会論評や歴史や軍事の蘊蓄なんぞはストーリーとほとんど関係がないんですから、読者にとってはストーリーを追っていくという思考を中断させる邪魔な記述でしかないと思います。
どなたかがおっしゃってましたが、やはり田中芳樹は架空歴史小説だけ書いてくれた方が、読者としてはありがたいという気がします。
最近は(大河)架空歴史小説を書いていないから、「最近の田中芳樹はつまらん」と思うだけで、小説作りの手法は昔から変わっていないように思えます。
事実、自転地球儀の2巻にあたる「カラトヴァ風雲録」が出たときは、近年にない傑作だと思いました。(但し1巻と切り離してという条件付きですが)
いかがでしょう>諸卿
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- board1 - No.1068
同感
- 投稿者:石井由助
- 1999年04月09日(金) 17時53分
水野さん、はじめまして。
>事実、自転地球儀の2巻にあたる「カラトヴァ風雲録」が出たときは、近年にない傑作だと思いました。(但し1巻と切り離してという条件付きですが)
> いかがでしょう>諸卿
私も意外とイケるなと思いました。全巻がことさらにアレだったせいもあるでしょうが。
もうシューサンもタムも二度と出てくるなと思ったのは私だけでしょうか。
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- board1 - No.1069
カラトヴァ同感です。
- 投稿者:俺様ランチ
- 1999年04月10日(土) 01時40分
1巻と全く別物だったので、本当に続刊なのか疑った。
読んだ時は確かに「なんだ、この形式もやろうと思えばまだまだちゃんとできるんじゃん」って思いました。
ところで、現代物の社会批評ですが、創竜伝なんかで批判がまだ「反権力」に向かっている内はいいんです。政治家像の矮小化が極端過ぎるとは思いますが、まあ権力にケンカを売る姿勢自体はそんな悪いもんじゃ無いと思うので。
ただ、自転地球儀とかだと教育論が比重重くなるでしょう。アレは結構ツライです。「大人や社会に抑圧される面もあるからいじめるんだ」とかの主張は、いくら擁護派の私でも「今時何子供に夢見てんだ。そりゃ違うだろ」って言いたくなります。
まあ教育論なんかはそれこそ人それぞれですから。私の考えと田中芳樹氏の考えが違うのはしょうがないことで。
ただ、管理人氏のおっしゃる通り、小林よしのりばりの「反対論者を極端にカッコ悪く書き、それを叩く」という方法は極端であればあるほど見ていてツライです。
思うに銀英伝のラングの描写のような「悪いように見える奴にも良いところはある」という書き方になっていないのが原因かと。あれほど銀英伝で「絶対正義は無い」と言っていた割に、現代物はほとんど、「絶対善の主人公と絶対悪の対決」になってますから。やはりその辺の描写の甘さも創竜伝を薄いと感じさせる原因ではないでしょうか。
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- board1 - No.1070
冗談だと思って軽く聞き流して下さい。
- 投稿者:もするさ
- 1999年04月10日(土) 13時20分
今晩は。みなさん。私はもするさと申します。コラム、面白いですねぇ。「創竜伝」は、私の姉が借りてきた物を呼んだだけなんですが、はなからつまらへんなぁ・・・と思って最初の数巻(しかも飛ばし読み)で挫折(っつ~か敬遠)していたんですが、あそこまでとんでもない物やったとは思うと、基本的なことは知っているだけにむっちゃ笑えました。
と言うか私が男というのもあるのかもしらんけどあの「飛ばし読みですらストレスの溜まる小説」を愉快にこき下ろしてくれた貴方には敬意を表したいです。「創竜伝」は生まれて初めて読んで(莫大な)ストレスを感じた小説でもあり、つまらないとは言っても突っ込む気力も消えてしまい、田中芳樹の本を立ち読みすることすらあれが出てからやめてしまうほど負のいみでもするさ的に偉大すぎる作品です。あぁ、あんな駄文書くんやったら「アルスラーン」はよ終わらせてくれ。姉貴もまっとるで~と叫びたい気分になります。
とまぁ、感想はここまでにして・・・多分これ一回こっきりでここに書き込むのやめにするつもり何で、冗談に入ります。
あの「創竜伝」次は台湾かフィンランド辺り敵にするとちゃうんやろか?等と思ったりもします。国内だけでは飽きたらずに「敵の協力者もまた敵。日本に友好的など以ての外(両方とも親日的な国で有名。)」っつ~事で台湾人やフィンランド人、そして日台友好人士を悪役として殺しまくる展開になったら大爆笑だよね。
この2国のうち、どちらかを悪役ないし「悪の帝国」とした娯楽小説がこの10年の内に日本人の手によって書かれるだろうというのは(冗談半分とは言え)、私の持論で、今は「あの商魂たくましき田中芳樹のことだからその手の先鞭をつけるんちゃう?」と考えてます。でも「冗談」を連発していると言う事からもおわかりでしょうが、こいつは通りすがりの戯れ言なんで聞き流して下さい。(あと田中芳樹が「つるし上げそうなもの」としてはハイエーク主義者があるかな?全共闘が彼の本質だとすればF・ハイエークが唱えたような自由主義は「敵」であり「究極の絶対悪」であろうから)
*実際の所、私はそう言う小説が刊行されることを望んではいませんが
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- board1 - No.1071
敵役の矮小化他
- 投稿者:水野忠右衛門
- 1999年04月10日(土) 15時01分
No.1069 俺様ランチさん、ども。
>> ところで、現代物の社会批評ですが、創竜伝なんかで批判がまだ「反権力」に向かっている内はいいんです。政治家像の矮小化が極端過
>>ぎるとは思いますが、まあ権力にケンカを売る姿勢自体はそんな悪いもんじゃ無いと思うので。
あれだけ敵を矮小化してしまうと、悪役としての魅力が減ってしまうという弊害もあると思うのですが。権力にケンカを売るという構図にするなら、権力者を強大な存在にした方が面白いと思います。創竜伝の描写では、弱い者いじめをしている権力者を、権力者以上の能力を持った者(=竜堂兄弟)がいじめてるという構図にしか見えません。
自転地球儀の1巻については、教育論うんぬんより、単純につまらないので論評する気にもなりません。他の作品でさんざん似たような登場人物の設定してるのに、まだやるかという感じですね。
あと、小林よしのりですが、絵が気に入らないので見てません。
No.1068 管理人さん
>>もうシューサンもタムも二度と出てくるなと思ったのは私だけでしょうか。
多分あれも続きは出ないでしょう(!)から、「カラトヴァ風雲録」は独立した小説だと思えばいいんじゃないでしょうか。最初と最後の部分だけ目をつむって。
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- board1 - No.1072
創竜伝を読みました。
- 投稿者:satoko
- 1999年04月10日(土) 15時45分
こんにちわ。創竜伝を読みました。といっても2巻までですが・・・、おもしろいです、なかなか。
とりあえず何で今まで創竜伝読まなかったかという事を書いておくと、本の帯見ただけで「超能力持った美少年4人が悪役国家権力に立ち向かうファンタジー小説で大学生が読むようなもんじゃないだろう。」とおおよそ判断したからです。期待は裏切ってませんでした。(笑)
管理人の石井さんがあれほど、勉強なさってるので批判者側の意見は納得できたので、ただたんに「創竜伝」が好きな私の中2(いや、進級したから3年か)のいとこに電話しました。そこまでしなくてもいいかと思いましたが、意外に面白いはなしになり、発想を転換させてくれたので小話程度に聞いてください。
彼女に電話して、26分も「終クン」について聞かされ、ずいぶん彼について詳しくなった所で聞きました。
私「で、創竜伝をおかしい、左翼思想だって言ってる人がいてね。」
いとこ「左翼って何?」
私「・・・右翼の反対だよ。」
いとこ「右翼は人がたまの休暇に昼寝してんのに変な街宣車で騒音撒き散らす人でしょ。左翼は?」
私「・・・人がのんびり学食で飯食ってんのに、ヘルメットかぶってなんで学費上げに反対しないんですか!とか怒鳴ってくる人たちだよ・・・。」
いとこ「へー、でも終クンはそんなことしないよ。怒鳴ったり、すねたりよくするけど。」
この会話でわかってもらえるとは思わないのですが、従妹にとって「創竜伝」は「終クン」の話であり、「銀英伝」は「ミッターマイヤー」のはなしなんです。従妹にはもうちょっと他の面にも目をむけてほしい所ですが(笑)娯楽小説として田中作品が好きな人はこの程度(いや、もう少し深いだろうけど)のとらえ方でもいいのではないでしょうか。もちろんここのように、なかなか興味深い批判文をのしているとこを見ていろいろ考えるのも面白い事だし、こういう事が好きな人はここで、意見などをぶつけたり、それでも田中作品が好きなんだーと再確認するのもよいと思います。ですが、ファンに対して「批判を甘んじて受け入れるべし。」というのは違うと思います。(石井さんごめんなさい。私がよく行く田中関連のHPでそういう風潮が最近あったので、これは私なりのそれに対するアンチテーゼです。)ミーハーで田中作品が好きな人や、嫌な言葉ですが「田中信者」といわれる批判を受け入れれないという人が、批判を聞ける人に比べて狭量とは思いません。これは娯楽ものですから、好きなものは好きでわざわざ好きなものの事で不愉快になる必要はないと思うのです。もちろん世の中の事には広い視野を持つべきでしょうけど。あくまで趣味の一つという人に押し付けるものとは違います。
ちょっと話がそれちゃったんですが、愛読者の多くはあの設定に対して、柔軟に作品上の設定、架空の話だと理解してると思います。あれを読んで「おお、そうか。権力に立ち向かわなければ!」と思う人はなかなかいないと思います。従妹はせりふを覚えきるほど読み込んでますが彼女の将来の夢は左翼の運動家ではなく、ソフトボールのオリンピック代表になる事です。石井さんが政治人類学の見地からの意見をくださっていたので、それに対する答えなのですが、影響力を大きく与えるという意味で物語りは有効であるというのは歴史を見ればわかるというのは、私も賛成です。ですが、それは教育が今ほど発達してなかった時代であるとも感じるのです。現代の読者がそれに影響を受けるほど浅はかではないと思うのは甘いでしょうか?
「現代の思想家が漫画や小説以上の影響力を持たない。」という石井さんの発言を見て、あなた自身が気がついているのではないでしょうか。石井さんの鋭い洞察力と思考力を使って批判するべきは、田中芳樹氏や小林よしのり(はしてないのか?)氏ではなく、大衆娯楽である漫画や小説程度に負けてしまう、思想家に向けられるべきだと。
創竜伝なんで面白いと感じたかは簡単に言えば「単純」だから理解し易いのです。悪役と正義の味方がはっきりしてて、アニメチックで気楽に読めました。こんな、大衆受けするのも(深く考えなくていいという意味で)それはそれでいいんじゃないかと。以上あいかわらず、まずい文で申し訳ありません。長くなるので(それを書くつもりだったのに)メインページでの感じた事は次にします。ほんとにあつかましい、意見すいませんでした。
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- board1 - No.1073
「運命」遂に登場
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年04月10日(土) 17時23分
かねてから噂のあった幸田露伴(そういえばこの人も「帝都物語」ではトンデモな活躍をさせられていたなあ(^^;;))の「運命」の現代語訳版?を書店で発見しました。
(でもなぜかやっぱり田中芳樹の名前の方がデカイ(笑)。)
装丁とか字のデカさ、総ルビ等を見ると、一応子供向けらしいんですが、文体はあまりそうなっていないような・・・。
>>事実、自転地球儀の2巻にあたる「カラトヴァ風雲録」が出たときは、近年にない傑作だと思いました。(但し1巻と切り離してという条件付きですが)
>> いかがでしょう>諸卿
> 私も意外とイケるなと思いました。全巻がことさらにアレだったせいもあるでしょうが。
> もうシューサンもタムも二度と出てくるなと思ったのは私だけでしょうか。
う・・・、読んでいない。
異世界物(スペオペ&ファンタジー)と中国物は大体揃えてるんですが、現代物は創竜伝以外読んでないんです。
>管理人さんへ
遅ればせながら、30000HITおめでとうございます。
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- board1 - No.1074
興味深く拝見させていただきました。
- 投稿者:バグダッシュ
- 1999年04月10日(土) 20時36分
チャットの友人に聞いて、初めてこのページを読ませていただきました。
正直、主催者様以下、参加者の皆様の知識には驚きでした。私は銀英伝ファンですので、何か反論してやろうと思って来たわけですが、メインページを読んでいくうちに、最初の勢いが無くなってきました。ただしそれは、正論に説得されたからではなく、自分に対抗するだけの知識量がないからです。もっとも、一つの本に対するいろいろな読み方を認めている自分ですから、反論という表現自体は誤りなのですが。
ですから、以下に書き込む文は、私の読み方から見た、メインページの文に対する意見と思って頂ければ幸いです。
1.創竜伝批判についておもったこと
この作品自体、私は2巻で挫折しました。理由は簡単です。面白いと感じなかったからです。ですから、シリーズ全体にわたる批判について、私は何も言うことはありません。ただ、主催者様の文を拝見したうえでの、私なりの意見を言わせていただきます。
主催者様の文章は、歴史や文学、社会情勢など、非常に多岐に渡る知識に裏付けされた、批判文の見本のような物だと、素直に感服致しました。しかし、主催者様の意見に納得した上で、私の意見を申します。それは、フィクションへの批判にノンフィクションを持ち込むのはどうだろうかということです。
極めて私的な意見となってしまうのですが、私は「小説の中の世界は、全て作者の世界観の上に成り立っている」と解釈しています。ですから、極めて実際の社会を反映させた世界が書かれている小説に、現実の社会情勢から見て矛盾を感じる表記がされていたとしても、それはその世界ではそうなんだと思うのです。もっとも、儒教など、実際のものを引用した箇所のミスは何も言うことはありませんが。
2.作者の主義、主張、影響力について
右、左の主義や、出版物の持つ影響力について、なるほどなあと思いました。特に、教科書の選定云々のくだりは、非常に興味深いものでした。しかしながら、その影響力に関しては、いささか疑問を感じずにはおれませんでした。小説が、それほどまでに人の思考に影響を及ぼすのでしょうか?少なくとも私は、そこまで洗脳されていないと思っています。実際、批判で述べられておりますように、田中芳樹氏の書く政治家は、皆似たような悪役だと思います。しかし、だから現実の政治家も皆そうなんだとは、私は思いません。(もっとも、それに近い感想を持ってはいますが、それは小説の影響とは無縁です)
このような意見は、小説だからと思ってしまう私にのみ、適応される考えなのでしょうか?
3.その他、思ったことについて
書籍形態を変えた販売方法については、私も同感です。特に、魔天楼の時は私も少しばかり憤慨しました。文庫で書き下ろしたものを、短篇を加筆してノベルズに直すなんて。
「ですから、買ってません。」
何が言いたいのかといいますと、いくらファンだからといっても、買わないものは買わないということです。確かに、創竜伝のような例もあるとは思いますが、すべてのファンがそうではないですよね。小説は本屋さんで売っています。当たり前だと言われそうですが、でもこれは、前述の1、2とも関連している意見なので言わせてください。
つまり、小説は教科書ではないということを言いたいのです。では、教科書と小説の違いは何でしょうか。いろいろあると思いますが、その一つに、小説は本屋さんで買う本である。教科書は学校から指定される本である、ということです。
つまり、小説は客が選んで、自分の好きなものを買えばいいのです。
面白くなければ、買わなければいいだけですから、これはこうだから間違っている!というような意見は、参考にしたければすればいいし、無視するならそれでいいと思います。おそかれはやかれ、そのようなものを生産し続ければ、誰も買わなくなると思いますから、それでも買いたい人だけ、あくまで自分の責任で購入すれば、と思います。
また、田中芳樹氏の小説では主人公と行動するサブキャラに中学生前後の女の子が多いが・・・という話ですが、あのような表現は、ある意味悪意を感じました。表現の自由と言われてしまえばそれまでなのですが、多くの人の目に触れる場ですから、もう少し別の表現はなかったのでしょうか。
蛇足ですが、それについて私の回答(のようなもの)を述べさせていただきます。
私は趣味の範囲ですが、小説を書いています。その観点からの意見ですが、「それくらいの年代の女性が、キャラを動かす上でおそらく一番、冒険的な行動、思考をさせても違和感がない」からです。リアリティーを求める方なら、ある程度は納得して頂けませんか?もっとも、田中芳樹氏がそう思っているかは知りませんが、これに関する文に少しばかり反感を抱いたので、私なりの見解を示しました。
長く稚拙な文章を書き込んでしまい、たいへんお恥ずかしく思います。私が思ったことが正しく伝わるか不安ですが、曲解も自己の責任と思うので、仕方ありません。
最後になりましたが、私は決して、批判的な意見を認めないわけではありません。むしろ、いろいろな意見が出ることが正しいと思います。ですから、今回の私の文も、意見の一つと捉えて頂ければ幸いです。
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- board1 - No.1075
フィクションに対する批判等
- 投稿者:水野忠右衛門
- 1999年04月11日(日) 02時13分
No.1074バグダッシュさん、こんにちは。
>>フィクションへの批判にノンフィクションを持ち込むのはどうだろうかということです。
「フィクションにノンフィクションを持ち込んでいるのは田中芳樹だ」
その結果として、
1.小説がつまらなくなる
2.著者自身の言動不一致
3.(2の結果)画一的な価値観の押しつけ
がある。
というのが管理人さんの主張だと思うのですが。
たしかに、批判されているのは、主に2や3の部分についてが多いように思いますが、その前提として、フィクションとノンフィクションの境界線をあいまいにしている田中芳樹の創作態度が批判されていたはずです。
私は1を一番問題視したいのですが……。
>>少なくとも私は、そこまで洗脳されていないと思っています。
少なくとも私は、かなり洗脳されていました。
読んだのが十代後半から二十代前半にかけての時期だったのですが、ろくに社会の事を知らない純情な若者(笑)にとっては影響力大だと思います。
もちろん、影響を受けない人も沢山いるとは思いますが、今もたまにニュースになる、マルチ商法や霊感商法にひっかかる人も沢山います。こういうのにひっかかりやすい人は、田中芳樹にもひっかかりやすいと思います。
(全然関係ないが、「To Heart」はやはりマルチ商法なんだろうか(爆))
余談ですが、なぜ小説やテレビに影響されるのか、というのは、私は日本ではメディア・リテラシの教育が行われていないからだと思っています。
メディア・リテラシとは、文章、映像、音声など、様々なメディアに関して「その力と弱点を理解し、歪みと優先事項、役割と効果、芸術的技法と策略、等を含む理解」を教育することです。(リベルタ出版「メディア・リテラシー -マスメディアを読み解く-」参照)
簡単にいうと、「騙されないように賢くなれ」という教育の事です。
No.1073 小村損三郎さん
「カラトヴァ風雲録」は、異世界ファンタジーです。
王子の学友として育った主人公が、その王子を殺害して他国へ出奔し、王子の名を騙って立身出世を企むという話です。
1巻の「地球儀の秘密」を読まなくても楽しめると思います。
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- board1 - No.1076
No.1075水野忠右衛門様、こんにちは。
- 投稿者:バグダッシュ
- 1999年04月11日(日) 03時32分
早速のご意見、ありがとうございます。水野様のご指摘、納得致しました。なるほど、たしかに中途半端な境界線という意味で考えれば、その通りかも知れません。私がただ、作品に書かれている政治風景に、現実の社会をまったく重ね併せて見られなかっただけなのかも知れませんね。私は高校生のころに読んだのですが、はなから小説だという冷めた目で(笑)読んでいただけかも。
作品がつまらなくなるという問題点においては、私も問題だと思います。しかし、作者の作品執筆の姿勢もたしかに問題視する対象になるとは思うのですが、私はそれ以上に、そういったいわゆる「つまらない作品」を、自然淘汰することができない、一部熱狂的ファンの盲目的な購入姿勢の方こそ、問題視されなければならない点だと思うのですが、いかがでしょうか?先に書かせていただきましたように、本は書店で購入するものですから、選ぶ権利は読者側にあります。もちろん、作者の執筆姿勢はその人の良心論的なことになりますが、結果発売された本をベストセラーにするのは、購入者です。その作者がおもしろくない、納得いかないと思えば、以後買わなければいいように思うのですが。
正直言って、私は熱狂的なファンではありません。お気に入りのキャラについて延々とそのすばらしさを語るような信仰的な感覚は私には理解できないのです。同時に、小説の内容に関して、あまり深読みしないので、理論的な矛盾に気がつかない方が多いです。ただ、読後おもしろかったと思えればそれでいいという人間です。
ですから、本来このような場所に意見を書き込むべきではないと思います。作品の隅々まで読み込む方からみれば、馬鹿な意見しか述べられないのだろうとも思います。そういった面で、失礼なことを書いてしまっていることもあると思いますので、非礼はお詫びします。
しかしながら、こういった読み方、考え方の読者もいるということだけ、理解して頂ければ幸いです。
繰り返しになりますが、私は批判意見に否定的なわけでは決してありません。むしろ肯定的であると思います。ですから、これからもいろいろな意見が極めて紳士的な形で、討論されていくことを期待します。
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- board1 - No.1077
私の創竜伝考察12
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年04月11日(日) 09時09分
久しぶりに「私の創竜伝考察」を再開します。今回の批評対象である創竜伝5は外伝という設定になっていますが、だからといって社会評論がなくなるわけではないんですよね~(^^;)。結局、いつもとやっている事は同じだったりします。しかも最後の方はストーリーも訳わからなくなっているし。
それでは久々に批評を開始しますか。
創竜伝5 「蜃気楼都市」
1990年1月5日 初版発行
P50下段
<「しかしまあ平和といえば平和なもんだよなあ、この国は。何がおこっても体制がひっくりかえるでもなし、中央でも地方でも悪が栄えるばかりだもんな」
食べ放題のバイキング・レストランにつれていってもらう約束をして、機嫌をなおした三男坊が、いやに社会派的な意見をのべた。>
「何がおこっても体制がひっくりかえるでもなし、中央でも地方でも悪が栄えるばかりだもんな」などと一方的な決め付けを放言している竜堂終君の発言を、「いやに社会派的な意見」と断定している田中芳樹の感性は大したものです。私には「どこかの過激派のアジテーション」にしか聞こえないのですが。体制がひっくりかえることのどこが「社会派的」であるのか、ぜひともその考えをうかがいたいものです。
そしてこれが、次の「社会評論のようなもの」へとつながるわけです。
P50下段~P51下段
<もう何年も過去のことになるが、一九八九年の世界の変化は劇的だった。六月四日未明には中国の首都北京で自由化を求める学生や市民に軍が発砲し、一〇〇〇人単位の死者を出した。このとき、学生の最高指導者たちが、いちはやく国外への脱出を果たしたため、事件の背後に外国勢力が存在しているのではないかと疑う声もあったが、いずれにせよ非武装の市民を軍隊を使って虐殺するような権力体制が実在することを、世界の人々は思い知らされたのだ。そして一一月九日にはドイツの旧首都ベルリンの首都を東西に分離していた長大な壁の撤去が開始され、中央ヨーロッパ諸国が一発の銃弾もなしに解放された。このふたつの大事件を縫うように、いくつもの小事件が連続し、一党独裁の左翼全体主義は世界史の流れのなかでついに敗退した。第二次大戦以来の世界構造が崩壊し、人類はあらたな未知の時代に突入したようであった。これを「スパイ作家失業時代」と呼ぶ人もいる。
日本でも年号が変わり、二度も首相が交替し、第2次対戦後の文化をになった代表的な人たちが多く亡くなった。あたらしい時代が来る、と思われたのだが、利権をあさるだけの政治と排他的な社会はいっこうに変化しなかった。世界中の富を一手にかき集め、資本も労働力も貿易市場も開放せず、自分たちだけの「黄金の国」にたてこもり、混乱と変革をつづける世界のなかでこの国だけが別天地でいられるつもりのようだった。政権交替の可能性も遠のき、政界・官界・財界の三者が利権という汚れた接着剤で結ばれあった権力体制は、自浄能力をとうに失ったまま、際限のない泥沼のなかを不確定の未来へと転げつづけている。>
まず、これは書いた時期に問題があります。この文章は「もう何年も過去のことになるが、一九八九年の世界の変化は劇的だった」と、あたかも何年も経った後に論評しているかのようですが、この本の初版発行は上にも書いたとおり1990年1月5日です。つまりこの評論は1989年中に書かれたものなのです。
それなのに「あたらしい時代が来る、と思われたのだが、利権をあさるだけの政治と排他的な社会はいっこうに変化しなかった」とまるで未来でも見てきたかのような書きぶりです。この時点で、これは「偏向した社会評論」とさえ呼べるものではなく「予言」の類にでも属するものになりさがってしまいます。
ではこの「予言」、果たして当たったのか? 答えは完全に「否」です。特に「政権交替の可能性も遠のき」は完全に間違っています。1993年の「政権交替」は一体何だったのか、と問われたら、田中芳樹はどう答えるつもりなのでしょうか。まさか「あれは政権交替ではない」と言い張るつもりじゃないでしょうね。
「政界・官界・財界の三者が利権という汚れた接着剤で結ばれあった権力体制」って、一体どう見たら日本の「権力体制」がそのように見えるというのでしょうか。この三者、結構意見の対立もありますし、「利権という汚れた接着剤で結ばれ」ているほど、結束は強くないと思いますが。
そして「自浄能力をとうに失ったまま、際限のない泥沼のなかを不確定の未来へと転げつづけている」というのもふざけた結論ですね。「予言」にしても、ここまでいいかげんなシロモノを私は見たことがありません。この「予言」が当たらなかったのは、田中芳樹を除く全ての日本人にとって幸福な事でしたね。
最後に田中さん、申し訳ありませんがいつ日本の「権力体制」が「自浄能力」を失ったのか、その時期を説明していただけないでしょうか? 私の小説の読み方が悪いためか、どうしてもそれが書いてある所を見つける事ができませんので(^_^;)。
P56上段~P57上段
<「企業の労働分配率という言葉があるんだ」
始がそう語り始めた。それは国家レベルでいえば、国民総所得における総賃金の比率なのだが、特定の業種や企業で見る場合、人件費と福利厚生費が付加価値額のなかで占める比率をいう。
「つまり労働分配率が高いほど社員の給料が高く、待遇がよいと、そう解釈していいわけですね」
「ま、そういうことだ」
「日本は諸外国に比べて低いんでしょう」
「あきれるほど低いね」
株式を公開している大手の製造業会社の労働分配率は日本が49パーセント台、アメリカは60パーセント前後、西ドイツは65パーセント、フランス70パーセント弱ということになっている。つまり日本の大企業は、欧米よりずっと社員の苦労に報いること薄いわけだ。豪華な社宅をつくったり、温泉に社内旅行したりしているが所詮はごまかしである。給料が安いうえに労働時間が長い。おまけに物価の高さが加わる。日本のサラリーマンは楽ではなく、彼らの忍耐の上に企業だけが脂ぎり、肥えふくれていく。>
これまた一般人にとって非常に分かりにくい例を持ち出してきましたね。労働分配率については、もっと経済に詳しい方に後日詳細に説明していただく事にして、とりあえず私の考えられる範囲で、この論法のおかしさを指摘しておきましょう。(もっと詳しく知っている方の投稿をお待ちしております)
まず、この説明にもあるように、労働分配率というのは「特定の業種や企業で見る場合、人件費と福利厚生費が付加価値額のなかで占める比率」の事ですよね。つまり労働分配率のなかには、人件費だけでなく福利厚生費というのも入っているわけです。だから竜堂続氏の
「つまり労働分配率が高いほど社員の給料が高く、待遇がよいと、そう解釈していいわけですね」
といきなりそこに繋がるのは少しおかしいのではないか、と素人なりに考えた次第です。もしアメリカなどでこれが大きいのであれば、日本の労働分配率が少ないというのも理解できると思うのですが。
それとこの比率は、給料の額が金持ちに偏っているという事実を無視して論じてはいないでしょうか? 日本の給料は平社員から社長までの給料格差があまりないと聞いています(日本は10~15倍、それに対してアメリカは最低300倍以上)。アメリカでは、年収50~100億クラスの人間が、少なくとも日本よりはたくさんいますからね。だからその分、一般労働者の給料は少なくなるわけで、欧米諸国の大多数の労働者達が日本に比べてそれほど楽をしているとも思えないのですが……。
後もうひとつ言えば、日本の企業は労働者の給料の源泉徴収をして税金(所得税)を支払っています。源泉徴収で差し引かれた給料の金額が、このパーセンテージに表されているのかもしれません。欧米諸国で給料の源泉徴収はやっていないでしょうから、日本の労働分配率が低いのもこれが原因かもしれません。
田中芳樹よ、社会評論を展開する時の最低必要条件として、「なぜそうなったのか」という検証がいると私は何回も主張しています。自分に都合の良い部分だけを引用して読者に反日を植え付ける行為は止めていただきたい、と言っておきます。
P57下段~P58上段
<「ディーン・R・クーンツというアメリカの有名な作家がいるでしょう」
「知ってる」
「その人が作品のなかで、こんなことをいってますよ。政治家とは、他人を支配する権力を求めて悪党がよく選ぶ職業だ、とね」
「やれやれ、日本もアメリカも似たりよったりか」
「アメリカのほうがまだましでしょう」
アメリカの場合、大統領や閣僚はその在職中に株や商品の投機をおこなうことが法律で禁じられている。日本のほうは、首相自らが公然と投機をおこない、株価を操作して大金を稼ぎまくるような国だ。政治家が地位と権力を利用して私腹を肥やすことが産業化しているという、たいへんな国である。一年間に20兆円以上の巨額の資金が公共事業に投資されるのはよいとして、その三パーセントがリベートや政治献金として、国家レベル、都道府県レベル、市町村レベルの政治家にばらまかれるのはジャーナリズムで報じられるとおりである。政治家が権力をにぎり、あるいはそれに寄生することで富をえることができるのは、日本の他には、ひと時代前の共産主義国ぐらいのものだろう。いわゆる西側先進国でこんな国は他にはない。「日本は世界でただひとつ成功した共産主義国だ」と皮肉られるのも当然だ。>
それではこの方法によって得られる、政治家一人当たりの「リベートや政治献金」の額を計算してみましょう(^_^)。市町村レベルまでの政治家の人数を20000人とし(市町村レベルまでとなるとこれぐらいはいるでしょうから)、全ての政治家に平等に分配されると仮定します。
まず、20兆円の公共事業の額の三パーセントですから約6000億円です。
次にこれを、全ての政治家に公平に分配すると
600,000,000,000÷20,000=30,000,000
約3000万円になります。もちろん実際には政治家によってばらつきがあるのでしょうが、それでも1人当たり1億以上はさすがに無理があります。
たったこれだけの金額でどうやって「政治家が権力をにぎり、あるいはそれに寄生することで富をえることができる」と考えているのか理解に苦しみますね。こんなわずかな金額では、1回選挙運動をすればきれいに消し飛びます。田中芳樹は、政治家が選挙にどれだけ金を使うのか知っているのでしょうか。私はよく知りませんが、なんやかやで最低1000~4000万ぐらい使うでしょうね。はましてや当時は中選挙区制だったのですから、選挙に当選するにはかなりの金が必要だったはずです。そして、どれほど金を投資しても、選挙で当選しなければ、それまでに投資した全ての金額が無に帰します。それではたまらないので、さらに金をつぎ込む。これで何人の候補者が「落選」の悪夢を味わったことか(T_T)。少なくとも共産主義国よりも公正な選挙をやっている日本を指して「政治家が地位と権力を利用して私腹を肥やすことが産業化しているという、たいへんな国」などと、よく言えたものです。
さらに「日本は世界でただひとつ成功した共産主義国だ」と皮肉られているのは事実ですが(だれから、という記述がここでは抜けていますが、多分外国でしょう)、それは日本の貧富の差が少なく、累進課税による苛烈な税制があるにもかかわらず、ここまで経済発展してきた事実を皮肉ったものであって、間違っても「政治家が権力をにぎり、あるいはそれに寄生することで富をえることができる」からではありません。こんなめちゃくちゃな解釈をするのは田中芳樹の勝手ですが、それを何百万部も売れている小説で披露するのはやめてください。
P77下段~P78上段
<日本で冤罪事件がおこるたびに指摘されるのが、警察の証拠品保管のいいかげんさである。ひとひとりを死刑にする証拠品が、警察で「紛失」した例はいくつもあり、しかも誰ひとり責任をとったことがない。警察の信頼を落とすのは警察自身であって他の何者でもないのだ。>
いつもの事ですが、「ひとひとりを死刑にする証拠品が、警察で「紛失」した例はいくつもあり」と言いながら、ひとつも例を挙げていませんね(^_^)。田中さん、頼みますから例を2,3ほど挙げてください。そうしないと、これが本当かどうかさえ全く分かりませんから。
P83下段~P84下段
<権力者の権力乱用と公私混同は、かつての社会主義国では珍しくもない。だが、現在の日本と比較するなら、社会体制からいっても一九二〇年代のアメリカ合衆国の方がよいだろう。ハーディング、クーリッジというふたりの大統領のもとで政治は腐敗し、汚職や公金横領など、深刻な政治的スキャンダルが続出した。
ハーディング大統領が無為のはてに急死したときは毒殺説まで流れた。それでも経済は発展し、アメリカは世界一の金持ち国となり、国民は政権を支持しつづけた。たまに政治の腐敗を批判するジャーナリズムが出現しても、
「政治の不正や腐敗を追及するのは、政府の信用を失墜させることであり、反国家的な行為である。そんなことを許してはならん」
そう主張して、ジャーナリズムを攻撃するもののほうが多かった。
こうして一九二〇年代のアメリカ合衆国は、政治の腐敗と社会の矛盾とをかかえこんだまま空前の繁栄の道をフルスピードで驀進し、世界の富を一手にかかえこみ、黄金と栄光に酔いしれた。そして一九二九年、繁栄は急停止した。「大恐慌」が始まり、株価は暴落し、企業はつぶれ、失業者が街にあふれ、市民は貧困と窮乏の底にたたきこまれた。つい先日までの黄金と栄光が、暴風と共に過去へと運び去られてしまったのだ。
歴史はくりかえすだろうか。アメリカではなくべつの国で。
日本は民主主義国家である。国民の意思が戦車や機銃によって圧殺されることはない。無能で腐敗した不公正な政府は、武器によって国民に押しつけられるのではなく、国民の多数派が自分の意思によって選ぶのである。改革前の社会主義国では、国民が選ばなかった権力者が不正を働いたのだが、日本で権力者が不正を働くのは、国民多数派の支持を受けてのことである。>
私は1920年代当時のアメリカについてはあまり詳しくないのですが、いくら当時のアメリカ人が政府に好意的だからといっても、不正を追及するジャーナリズムを「攻撃」するほど愚かではないと思いますが。さらにいえば、好況をもたらしてくれる政治が国民に支持されるのは当然でしょう? それのどこがいけないのですか?
それと一昔前の進歩的文化人のお歴々が主張していた「世界恐慌必然論」を平気で主張しているあたりは「おいおい」とツッコミたくなりますね。1929年の世界恐慌の直接的なきっかけは、「ホーリー・スムート法」という法律案が、アメリカ上院議会に提出された事にあります。この法律は、アメリカが輸入している何十品目かに40~800パーセントの超高率関税をかけることによって自国の産業を守り、アメリカを自由貿易体制から脱退させるもので、これが提出されただけでウォール街の株価が一気に急落したのが恐慌の始まりなのです。したがって世界恐慌はアメリカの「政治の腐敗と社会の矛盾」が引き起こした必然的なものではなく、アメリカの経済政策の失敗だというのは定説になっています。
そのうえ、この法律案は翌1930年には何とアメリカ議会で可決され、成立してしまいました。そのために他の国も報復関税をかけ、それが本当の世界恐慌へと発展していったわけです。そしてこの世界恐慌によって、アメリカだけでなく世界全ての国が深刻なダメージを受け、第二次大戦の遠因となったのです。しかしこの社会評論を読んでいると、まるでアメリカだけが大ダメージを受けたと解釈できるのは気のせいでしょうか?
皮肉な事に、日本のバブル崩壊もまた、1990年に当時の大蔵省銀行局長が独断で発した「総量規制」という、ただ一片の「通達」によって地価が大幅に下落したことによって始まったのです。これもまた、統制経済を無理に銀行に押しつけたことが日本を谷底に突き落とすような不況にしたわけで、やはり日本の「政治の腐敗と社会の矛盾」が引き起こした必然的なものではありません。田中芳樹とは全く違う意味でまさしく「歴史はくりかえす」ということになるでしょうね。
それと最後の「日本で権力者が不正を働くのは、国民多数派の支持を受けてのことである」という「名言」は、よほど自分の「国民少数派」的な考えが正しいと確信してなければ言う事はできないでしょうね。どうせ「自分の主張と同じ考えでない大多数の連中が不正な権力者をのさばらせているのだ」とでも考えているのでしょう。田中芳樹のような考えが、国民の大多数の意見だったら、とっくに日本は崩壊していますよ。「国民多数派」の有権者は、少なくとも田中芳樹よりはずっと賢明だと思います。
P85上段~下段
<建設省と郵政省といえば利権の巣窟であり、いくらでも汚れた金や表面だけは綺麗な資金を手にいれることができる。ダミーとなる会社に、原野や山林や沼地を安く買わせ、そこに新幹線や高速道路を通させて高く売りつけるのだ。土地を売買するだけでなく、道路の建設工事も、息のかかった建設会社にさせて、巨額のリベートを受けとる。工事に使うセメントも、関連企業のものを使う。海岸の埋立工事などのときに、ある特定の型をした消波ブロックだけを使うよう法律で定めれば、その型の消波ブロックを独占製造している会社が大もうけする。そしてその会社は、法律を定めてくれた政治家に、政治献金という名の賄賂を贈る。この国では、政治は金もうけの商売であり、その証拠に、引退する政治家は息子を後継者にして利権を相続させるのだ。>
よくここまで悪意に満ちた記述ができるものです。まるで銀英伝のルドルフや救国軍事会議のお歴々が主張しそうなセリフですね。ここは最後の方だけ少し指摘を。
「この国では、政治は金もうけの商売であり、その証拠に、引退する政治家は息子を後継者にして利権を相続させるのだ」
確かに政治家が息子に世襲させるのは私も少しおかしいのではないかと思いますが、「政治は金もうけの商売」とそこまで日本の政治を貶める事もないでしょうに。4巻で『「政治家は清廉でありさえすればいい」という考えも、いささか危険である』と言った人の発言とは到底思えません。結局田中芳樹は、日本の政治に対してはいくらでも「清廉でありさえすればいい」と主張しているのですものね(T_T)。
P85下段~P86上段
<国民を喰いものにして血と脂で肥え太っているのは政治業者ばかりではない。日本の大企業がいかに国内の消費者をばかにし、反社会的な手段で暴利をむさぼっているか。アメリカ合衆国政府の調査によると、日本製のカメラレンズがニューヨークでは東京の半額以下で買えるという。その一事だけでも明らかである。
一九八六年からの三年間に、日本の法人所得、つまり企業利益は五九・三パーセントも伸びた。一方、サラリーマンの給与上昇率は一三・七パーセントにすぎない。差額はことごとく企業の懐にはいり、企業はありあまる資金で土地と株を買いしめ、その値段を吊りあげた。こうして日本の地価総額はアメリカの100倍を越し、株価総額はヨーロッパ共同体諸国全体のそれを凌駕することになった。それでもなお資金はありあまり、日本企業は外国で土地を、ビルを、そして会社を買いあさる。そして、あたかも金もうけの巧みさがすぐれた人格の証であるかのごとく、「欧米人はもっと働け、日本人を見習え」などとお説教する。これで好かれたら不思議である。古今東西、社会性や協調性を欠くうえにお説教好きの成金が、他人に好かれた例しはない。>
「社会性や協調性を欠くうえにお説教好きの成金」って、田中芳樹よ、あなたのことではないのですか? まず、「社会性や協調性を欠く」遅筆と「お説教好き」なうえに偏向している社会評論を何とかしてほしいものなのですが。
「日本製のカメラレンズがニューヨークでは東京の半額以下で買える」というのは、日本の大企業が「国内の消費者をばかにし、反社会的な手段で暴利をむさぼっている」からではなく、そうしないとアメリカで自国の商品が売れないからなのでは? それに「日本製」の商品をアメリカで製造しているならば、日本に比べて物価が安い分コストも安くつくので値段も安くなるということもあるでしょう。「日本製」の物が日本で造られているとは限らないのですよ。
それに「企業利益は五九・三パーセントも伸びた」からといって、何でサラリーマンの給料まで五九・三パーセントも伸ばさなくてはならないのでしょうか。そんなことをしたら企業の利益が赤字決算になってしまうではありませんか。「差額はことごとく企業の懐にはいり」ってそれは当たり前ではないですか。どぶに捨てるわけではあるまいし。企業は成長しなくてはならないし、そのためには資金の備蓄が必要ですし、投資も不可欠です。さらに日本の法人税率は世界最高水準(約46パーセント)です。いくら企業利益をあげても、その分支払わなくてはならない法人税も重くなりますから、全ての企業利益を「サラリーマン」に還元するなどできるわけがありません。日本の企業にもそれなりの事情があるという事を、少しは理解してくださいよ、田中さん。
P86上段~下段
<そのように歪んだ醜怪な経済界をささえる日本のサラリーマンは、賃金が世界一高いといわれている。嘘である。それは残業や休日出勤などで労働時間が欧米よりはるかに多いからであり、一時間ごとの給与を比べれば、たちまち世界一から転落する。さらに、購買力平価、つまり同じ金額でどのような商品が買えるかを比較すると、世界で二〇位以下になってしまう。物価が異常に高いからである。日本とアメリカ、両国政府の共同調査によれば、東京の物価はニューヨークの物価より40パーセントも高い。それは土地や住宅の価格を除いてのことである。普通のサラリーマンが一生勤勉に働いて、自分の住む家を買うこともできないような社会がまともな社会といえるかどうか、考えてみるのもたまにはよいかもしれない。>
少なくとも、これほど反日的な社会評論を書いている田中芳樹が日本から逃げ出さないのだから、日本もかなり住みやすい社会なのでしょうね(^_^)。
それにしてもここの社会評論の論理のめちゃくちゃな事。「日本のサラリーマンは、賃金が世界一高いといわれている」のを否定するために、「一時間ごとの給与を比べ」てどうするのでしょうか。この「賃金が世界一高い」というのにつられて、一年間に一体どれだけの密入国者が日本に入ってきているのか、田中芳樹は知らないのではないでしょうか。
あと、購買力平価というものもずいぶんと分かりにくいものです。以前、中国の購買力平価が日本よりも上と聞いた事があるのですが、それだと中国が日本以上の経済大国になっていても不思議ではないのに、全然そうなっていないんですよね~(^_^)。この購買力平価について詳しく知っている人はいませんか?
う~ん、以外に5巻も社会評論が多いですね(というか長すぎ)。今回はこの辺でお開きとしておきましょうか。次で5巻の批評終わるのかな~?
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- board1 - No.1078
RE1070
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年04月11日(日) 09時11分
もするささん、始めまして。面白いので私も少し冗談に付き合いましょう。
<あの「創竜伝」次は台湾かフィンランド辺り敵にするとちゃうんやろか?等と思ったりもします。国内だけでは飽きたらずに「敵の協力者もまた敵。日本に友好的など以ての外(両方とも親日的な国で有名。)」っつ~事で台湾人やフィンランド人、そして日台友好人士を悪役として殺しまくる展開になったら大爆笑だよね。>
フィンランドはともかく、台湾はありえそうですね~(^^;)。4人姉妹の傘下の台湾企業が悪役で、それが東南アジア諸国に大きな影響力をもつ、とかいう設定で。で、それに対抗する華僑グループがまた正義の味方のように書かれ、竜堂兄弟が「悪の台湾企業」を叩き潰す……。う~ん、マジでありえそうで怖い(^^;)。親日国家って以外と多いんですよね。インドネシア・マレーシアなどもそうだし、スリランカもそうです。トルコも確か親日でしたものね。
<。(あと田中芳樹が「つるし上げそうなもの」としてはハイエーク主義者があるかな?全共闘が彼の本質だとすればF・ハイエークが唱えたような自由主義は「敵」であり「究極の絶対悪」であろうから)>
だとすると渡部昇一氏あたりをモデルにした悪役が次の巻で登場しそうですね。そしてその紹介で、
『この男は、自分がいかに右翼的で政府擁護な発言をしているかを自覚もせずに、「私の番組がつぶされたのは左翼の陰謀だ!!」などと主張している超タカ派な政府の御用評論家である』とか書かれたりして(^^;)。
……本当に冗談なら笑っていられるのですけど、なんか本当にやりそうだな~。