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- board1 - No.1229
補足というか
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年05月10日(月) 20時52分
何も小林氏が最初から思想家であり学者であり、評論家であったのなら参考文献を出すのは当然でありましょうし、田中氏が創竜伝においてそうしないのを批判するのはジャンルを超えたタブーを犯していることになりましょうが、しかし、よく考えてみてください。小林氏はもともとギャグ漫画家だったのですよ。そして路線変更した場合に彼はそのまま、ギャグ漫画家を騙って(本人は今でもギャグマン画家とおもっているかもしれないが)評論まがいのことをぶっ放すことだってできたのです。それをしなかった小林氏と比べると田中氏の創竜伝にはそんな執筆者としての真摯さの欠片も感じられないのです。わたしはこのことを何度もレスしてきたのですが、、、、、、
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- board1 - No.1230
この件に関してはほんとにこれで最後とします
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年05月10日(月) 21時49分
ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた場合、そこに流れる本質は源流をたどれば、ここの緒言および、本旨に太く確実にリンクしていると私は思うからこそ、おかしなほどこだわったのです。そしてこれを余禄とされると、じゃぁ、根源的に根っこにおいて繋がっている(私の主観です)このサイトの本旨とは何ぞや?と問いただしたくなったのです。わたしの勝手な思い込みかもしれませんが。
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- board1 - No.1231
万年野党なるシロモノ
- 投稿者:アッテンBONO
- 1999年05月11日(火) 09時54分
皆さんこんにちは。
最近の掲示板での論争のこともあり、改めて過去LOGやTOPページの石井さんの
文を読み返していて、ちょっと気になったところがありました。
6.「田中芳樹の認識」の中の、竜堂始の「俺は万年野党が好きだ。」という発言内容についてです。
本来であれば、小説の原文を引用すべきなのでしょうが、仕事で引っ越す際に
創竜伝は「持って行く価値のないもの」として実家に置いてきてしまったので、間接的な引用となってしまいました。
(ここを知って俄然再読意欲が湧いてきたので、持ってくりゃよかったと思ってます。さすがに中古でもあんな本を2冊同じ物を買う気にはなれませんし)
さて、本題に入りますが、「野党(精神)が好き」という考え方は理解できます。
意地悪な言い方をすれば、少数派であること、その他大勢とは違うという意識がプライドを刺激してくれるという面もあるでしょうし、
単に相手を攻撃するだけの表面野党であれば、(特に精神的に)これほど楽なポジションもないでしょうから。
しかし、本来野党というものは単に一般人への訴求力で負けている、もしくは政界でのパワーゲームの敗者というだけで、
結党理念や政策理念といった、一本通った筋とでも言うべきものを持っていると思います。
(それを失ったがゆえに消滅した、旧社会党のような例もありますが)
では、「万年野党」とは何ぞや?
今は野党であっても、いずれは与党となり自らの理念を実現すべく、現状の歪みを指摘・批判し、代替案を考え主張していくのが
野党のあるべき姿というものでしょう。(イギリスの影の内閣とか)
「万年野党」とは、要するに「与党=多数派=悪」「野党=少数派=善」という単純な価値観の下に、主張すべき理念もなく
ただ単に時流に乗っかって「反対反対」と喚くだけの逆風見鶏のようなものではないか?と思えます。
創竜伝の世界では、与党はその暗部のみを抽出精製したかのような描かれ方で矮小化してあり論外ですが、
現実社会での与党は、確かに政権党であるがゆえに付きまとう利権や汚職といった暗部はあるものの、政権を担い国の舵取りをするということは
相当の重責・激務ですし、政権党として国民の批判を浴びつつも国政を滞りなく運営していくことは精神的にも大変なことだと思います。
(だからといって、その見返りに多少の不正くらい目をつぶれ、という気はありません)
つまり、竜堂始のあの発言は、私にとっては「与党・多数派として批判される苦労も知らず、またその度胸もないくせに、ずっと批判するだけの立場に
とどまり続けたいとは、ガキ以下の考えだね」ということで、単なるエゴの発露にしか思えません。
(こんな時だけ、竜王だから人間の政治や未来に責任はないってのはナシね)
この長兄は、生徒の個性を大切にする教師の鏡のような描かれ方をしていましたが、あんな一面的な考え方しかできず(っていうのはとーちゃんのせいでしょうが)、
万年野党でいたいなんてことを臆面もなく言ってのける精神年齢の未熟さから察するに、実在したら減点方式の教師にしかなれない気がしますね。
キャラのセリフ一つを取って何を大袈裟な、と思われるかもしれません。しかし、キャラの主張=田中氏の思想そのままという訳ではないにせよ、
やはり主役の発言には作者の考えが色濃く反映されていると思います。特に創竜伝のような批評マガイの場合。
創竜伝を読むと、田中氏は前述の「少数派=善」思想、衆愚思想(日本限定っぽいですが)を強めているのかなという気がします。
(私にはむしろ左傾化よりもこちらの方が気になります。)
田中氏自身がそういう方向に傾倒するのは個人の勝手というものですが、それが創竜伝を通して一方的なイメージを読者に植え付けて「田中氏の負の子供達」
を世に輩出し、その子供達に偏った目で判断され、脳と精神に比べて分不相応に発達した口と語彙で攻撃されるのは勘弁してほしいところです。
個人の能力と今の世の中の価値観の多様性、社会の複雑さを比較して考えると、思想や価値観に終着点はないと思います。
また、田中氏が敬愛すべき人格者であるならばなおさら、少なくともあのヤン・ウェンリーの生みの親であるならば、田中氏個人の思想を石版に刻まれた十戒の如く
奉り盲信することは望んでいないと思うのですが。
今の田中氏の描く世界を星に例えると白色矮星(巨星の残骸)みたいなもんだと思います。
まだキャラの描写力とかはありますし、なかなかの引力を維持しており、スウィング・バイで遠くへ行ける可能性もある反面、その重力に囚われると
周りの像は歪み、かえって視野狭さくになる恐れがあるのではないでしょうか。
私としては、放出し尽くした感のある勤勉さと作品に対する誠実さをかき集めて、「タイタニア」と「七都市物語」の続きを書いてほしいんですが。
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- board1 - No.1232
戯れ言
- 投稿者:アッテンBONO
- 1999年05月11日(火) 09時55分
とまあ、下の書き込みであれだけ吠えたあとにアレですが、私自身それを実践しているかというとそうでもなく、
やはりいろいろなものに囚われて生きているんですね。
未だに抜け出せないのが日本の芸能界。思春期におニャン子クラブに衝撃を受け、以来芸能界に対する不信感を拭い切れないまま現在に至る。(笑)
10年以上もその呪縛から逃れられないということは、ひょっとして人生に与えた影響って銀英伝より上か?
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- board1 - No.1233
あれれ、銀英伝ネタなんだけどなぁ
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年05月11日(火) 15時41分
>細かいニュアンスまで覚えていないので間違っているかも知れませんが、ヤンが望んだのは正式な和平ではなく、パワーバランスによる実質的な和平だったのではないでしょうか。
同盟がイゼルローンを手に入れることは、抑止力になりますから、帝国の大規模侵攻を防げる意味で暫定的な平和は希望できるのではないでしょうか。
核抑止論の平和が偽りの平和であっても現実に小競り合い以上のことを起こさなかったように。
久々の書き込みで、せっかく銀英伝ネタを出したのに、管理人さんにしか相手にされないとは悲しひ(ぎゃははは)。論争はいいと思いますが、喧嘩は程々にね。私が言ってもあんまり説得力ないかも知れないけど。
さて、ヤンが望んだ「それほど長期でない平和」に関しては、確かにその通りでしょうね。冷戦状態でもいいから、ユリアンらが戦場に駆り出されない平和な時が欲しい、と言うことでしょう。ところが、仮にアムリッツァの愚行が行われず、皇帝が急死しなかったとした場合どうでしょうか?そこで同盟政府が和平提案をした場合は。私は先ず間違いなく、銀河帝国は和平案を受け入れないと思うんですよ。結局、今まで回廊の同盟側で行われていた戦いが、今度は帝国側で延々と繰り返されるだけじゃないかと思って。帝国軍は懲りずに何回もイゼルローン奪還作戦を実行し、同盟もそれにつき合っわざるを得ず、しかも強硬派を完全に押さえることもできないだろうから、ある程度帝国領への侵攻作戦を行わざるを得ない状況です。結局、攻守ところを換えるだけで、同じ事の繰り返しではないですかね?それでは、国力が劣る同盟のじり貧は必至でしょう。「銀河帝国が和平を受け入れる可能性はない」ということに、ヤンなら気づいてもいいと思うんですけど。「イゼルローンを獲れば、和平がなるかも知れない」という考えが、希望的観測でしかないということに。
しかも実際の銀英伝の歴史では、ラインハルトが独裁権を握る、という同盟にとっては最低最悪の展開になってしまいました。能力と野望を両方持っている恐るべき若者の危険性に、ヤンは気づかなかったんでしょうか?
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- board1 - No.1234
RE:ヤン和平論
- 投稿者:ゲオルグ
- 1999年05月11日(火) 16時04分
お久しぶりです。イデオロギー要素がない話題が久しぶりに出てますので(笑)、レスさせて下さい。
でヤンの和平論なのですが、ヤンは近い将来帝国内部で内戦が勃発する可能性が高いと看破していたようです。少なくとも門閥貴族派と実務官僚・軍人派の対立により帝国の安定が損なわれることは予想していたようで、イゼルローンの確保により帝国の組織的な侵攻が未然に防げるということを想定していたのではないかと。古典的なパワーゲームですね。
この場合、欧州大陸で争闘する列強をあしらい続けた英国のように同盟が帝国の内部対立に容喙し続ければ、同盟国内は平和となるでしょう。外交がよほど上手ければ、それこそ軍事介入すら行わずに帝国の混乱を持続・拡大することすら可能です。
おそらくヤンの構想していた和平案はそのような『汚い』ものだったのではないか? と思われます。特に2巻でヤンがユリアンに語った戦略構想から考えれば。
ただ、ヤンはラインハルトの行動を多少美化して考えていた節がありましたので、同盟との恒久的な並存など望んでいないラインハルトにその戦略を挫折させられていた可能性がありますが。(実際、『汚い』手段も躊躇なく行うラインハルトのために同盟はクーデターが発生しましたし)
# しかし銀英伝で最大級の疑問の一つは『ヴェスターラントの悲劇』の真相をヤンは看破していたのだろうか? ということですね。ヤンの戦略センスからしてある程度推察はついていそうなものなのですが、それにしては全く屈託がないし。皆さん、どう思われますか?
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- board1 - No.1235
「矛盾の人」オチ
- 投稿者:俺様ランチ
- 1999年05月11日(火) 16時53分
>しかし銀英伝で最大級の疑問の一つは『ヴェスターラントの悲劇』の真相をヤンは看破していたのだろうか? ということですね。ヤンの戦略センスからしてある程度推察はついていそうなものなのですが、それにしては全く屈託がないし。
たぶん田中芳樹が「ヤンがヴェスターラントを知っていたかどうか」設定するのを忘れた、てのが身も蓋もない真相じゃないでしょうか?
・・・ってんじゃ話が面白くならないので、ちゃんと考えてみます。私の結論としては、例えヴェスターラントの真相に気づいたとしても、ヤンはラインハルトを許してしまうと思います。
まず前提として、「ヤンがヴェスターラントの虐殺映像を見ている、或いは映像の存在を知っている」事が必要です。で、見ていたとして話を進めると、ゲオルグさんの言うとおり、ヤンはやはりヴェスターラントの虐殺へのラインハルトの傍観に気づいていたと考えるのが自然だと思います。ヴェスターラントの虐殺の映像をヤンが見て「門閥貴族ってのはやっぱり悪い奴だなあ」なんて感想を持つのは不自然ですから、キルヒアイスと同じように映像の存在から真相に気づくでしょう。
ところで、ヤンの言行不一致の最たるものはヴァーミリオンでの行動です。同盟が負けるのはイヤだし、その為に何をすればいいかわかってるのに、でもラインハルトの個性に惹かれて殺すのをやめてしまうし、その割には帝国の覇権を完全に認めるのもイヤなのでメルカッツを使って私兵集団を作らせたり。
その後のヤンの行動は「そんな苦労するんだったら初めからラインハルト殺しとけ!」ってツッコミを入れずにはいられない類のものです。しかも始末に負えないのは、ラインハルトを生かす事がその後の苦労に繋がる事を考慮に入れてやがる事です。結局、ヤンは個人的な好き嫌いでその後の死者を100万人単位で増やしていると言えるので「矛盾の人」で済ますには勝手すぎると言えば勝手です。多くの人が触れていますが、ヤンはやっぱり勝手な口ばっか野郎と言えましょう。
つまり私が言いたいのは「ヤンはなんだかんだ言いつつ結局ラインハルトのやる事は許してしまうんじゃないだろうか」って事です。民間人が戦争の犠牲になる事を最も嫌っていたヤンなので、もし田中芳樹が忘れてなければ、かなりの内面での葛藤ぶりが書かれたと思われますが、それでも「ローエングラム公の一代に冠絶する個性は・・・」ってな感じで許してしまうんじゃないでしょうか。やっぱりオチは「矛盾の人」になってしまいますが。
イヤな深読みをすると、「ヤンがヴェスターラントの真相を知ってもラインハルトを許すに至るまでの、説得力ある心理描写」が思いつかなくて田中芳樹が書かなかった、というのもアリだと思います。ヤンにはさんざん「民間人を守るのが軍隊」と言わせすぎたので。
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- board1 - No.1236
本論3へ
- 投稿者:俺様ランチ
- 1999年05月11日(火) 17時28分
本論3の「創竜伝世界の時間構成」への批判を初めて読んだ時に思ったんですが、そこを責めてしまうのはかわいそうだと思うんですよ。
私の好きなマンガに「沈黙の艦隊」があるんですが、これもソ連の崩壊で話が苦しくなっています。連載初期ではソ連原潜との戦闘が描かれるんですが、連載後半(作中ではわずか2ヶ月後)のサミット場面では何もなかったようにロシア大統領が出席しています。初期に出てきた「ソ連共産党書記長」もいつの間にか消えてしまい、全く別人がロシア大統領になっています。
ですが、それが「沈黙の艦隊」が「メチャクチャな時間構成」のマンガだとは思いませんし、作品の面白さを損なっているわけでもありません。敵役はそもそも米軍なので、ソ連が敵役として登場しなくなっても話に無理は生じていません。当時はソ連原潜艦隊もメインの敵役になる構想だったフシは感じられますが・・・。
つまり、ソ連崩壊の時期に現実世界とリンクした物語を作ってしまった人は、責めるよりもむしろ同情してあげるべきだと思うんですよ。「90年代後半」という時間設定をする上で「ソ連消滅後」という設定にするのも当時から考えれば無理な話です。
以前管理人さんは「私の創竜伝批評」へのレスで「インターネットの普及を作品に織り込むのは執筆当時では無理」というような意味の事を述べられていたと思います。それと同じ事がソ連崩壊にも言えないでしょうか?
ただし!元はと言えば田中芳樹が創竜伝を5年くらいで完結させていれば、ソ連崩壊による矛盾が生じる事も無かったので、遅筆とやる気の無さはいくら責めてもいいと思います。
ただやっぱり、「2015年になってもネオトーキョーなんてできてないじゃん!」と「アキラ」につっこんだり(そもそもこの作品では1984年に第三次世界大戦が起きてる)、「2001年に宇宙の旅なんて実用化されてねえよ!」って怒るの同様、(近でも遠でも)未来に設定したフィクションに現実の時間が迫るに連れ、話にウソが出てくるのはしょうがないと思うんですがいかがでしょうか?
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- board1 - No.1237
あの時点でそこまで予想していたか疑問
- 投稿者:Merkatz
- 1999年05月11日(火) 21時46分
>でヤンの和平論なのですが、ヤンは近い将来帝国内部で内戦が勃発する可能性が高いと看破していたようです。少なくとも門閥貴族派と
>実務官僚・軍人派の対立により帝国の安定が損なわれることは予想していたようで、イゼルローンの確保により帝国の組織的な侵攻が
>未然に防げるということを想定していたのではないかと。古典的なパワーゲームですね。
>この場合、欧州大陸で争闘する列強をあしらい続けた英国のように同盟が帝国の内部対立に容喙し続ければ、同盟国内は平和となる
>でしょう。外交がよほど上手ければ、それこそ軍事介入すら行わずに帝国の混乱を持続・拡大することすら可能です。
>おそらくヤンの構想していた和平案はそのような『汚い』ものだったのではないか? と思われます。特に2巻でヤンがユリアンに
>語った戦略構想から考えれば。
>ただ、ヤンはラインハルトの行動を多少美化して考えていた節がありましたので、同盟との恒久的な並存など望んでいないラインハ
>ルトにその戦略を挫折させられていた可能性がありますが。(実際、『汚い』手段も躊躇なく行うラインハルトのために同盟は
>クーデターが発生しましたし)
ヤンが帝国の内乱を予期したのは、ラインハルトが実権を握ってからではないでしょうか。
後継者が定まっておらず、一方で門閥貴族とリヒテンラーデ派の確執がある。そういう状況になったとき、はじめて内乱の予見ができたのでは?
イゼルローン攻略当時は、まだ皇帝も健在でしたし、内乱の種となるものがありませんから。
そうするとやはりヤンの考えていた「平和」とは、現体制が続くことを前提とするものであり、ラインハルトが権力を握ることは計算外だったのでしょう。
だいたいあの時点までのヤンとラインハルトの面識は「前線の戦闘におけるもの」です。
つまり互いの戦術的手腕を見せ合って、こいつはすごいぞと思っていたわけで、戦略眼がどの程度かなんて知りようがなかったわけです。
イゼルローン攻略当時のヤンのラインハルトに対する評価は「優秀な前線指揮官」の域を出ることはなかったのではないでしょうか。
勢力均衡によって平和を得るという着想は良いと思いますが、自国の政府の行動は計算に入ってなかったのでしょうか。
アムリッツァのような事態は、政府の腐敗ぶりから十分予想できたのではと思いますが。
>さて、ヤンが望んだ「それほど長期でない平和」に関しては、確かにその通りでしょうね。冷戦状態でもいいから、ユリアンらが戦場に駆り出
>されない平和な時が欲しい、と言うことでしょう。ところが、仮にアムリッツァの愚行が行われず、皇帝が急死しなかったとした場合どう
>でしょうか?そこで同盟政府が和平提案をした場合は。私は先ず間違いなく、銀河帝国は和平案を受け入れないと思うんですよ。
>結局、今まで回廊の同盟側で行われていた戦いが、今度は帝国側で延々と繰り返されるだけじゃないかと思って。帝国軍は
>懲りずに何回もイゼルローン奪還作戦を実行し、同盟もそれにつき合っわざるを得ず、しかも強硬派を完全に押さえること
>もできないだろうから、ある程度帝国領への侵攻作戦を行わざるを得ない状況です。結局、攻守ところを換えるだけで、
>同じ事の繰り返しではないですかね?それでは、国力が劣る同盟のじり貧は必至でしょう。「銀河帝国が和平を受け入れる
>可能性はない」ということに、ヤンなら気づいてもいいと思うんですけど。「イゼルローンを獲れば、和平がなるかも
>知れない」という考えが、希望的観測でしかないということに。
ヤンとしてはイゼルローンさえあれば、穴熊のようにこもって戦えば、少数の戦力でも帝国軍を退けることができると考えていたのではないでしょうか。
ただしその場合、こちらからは絶対に手を出さないというのが絶対条件ですけど。
政府強硬派から侵攻作戦が提案されたりしたら、この作戦は成り立たなくなってしまいますね。
帝国が和平案を飲む飲まないはどちらでも構わないのでは?
イゼルローンさえあれば国防は出来ますから。それこそヤン自身がやったように。
どちらにしても同盟政府が帝国領侵攻をしないというのが、ヤンの平和構想の要だと思われますので、その点でヤンの自国政府に対する洞察は甘いといえるでしょうね。
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- board1 - No.1238
ヤン構想
- 投稿者:ゲオルグ
- 1999年05月12日(水) 00時00分
>ヤンが帝国の内乱を予期したのは、ラインハルトが実権を握ってからではないでしょうか。
>後継者が定まっておらず、一方で門閥貴族とリヒテンラーデ派の確執がある。そういう状況になったとき、はじめて内乱の予見ができたのでは?
内乱の具体的内容が予測できたのは皇帝崩御後の官僚枢軸派の台頭後でしょう。しかし、歴史的な観点からすれば、この時点ですでに、銀河帝国の統治の箍が緩み、その内部での政治闘争が武力行使も辞さない過激なものになっていくこと自体は十分予測していたはずです。(ヤン自身がラインハルトという要素がなければ、帝国は有力貴族の群雄割拠状態に陥って崩壊していただろうと予測しています)
> そうするとやはりヤンの考えていた「平和」とは、現体制が続くことを前提とするものであり、ラインハルトが権力を握ることは計算外だったのでしょう。
そうでしょうね。ただラインハルトの権力掌握はリップシュタット戦役後ですので、この時点ではそれほど重視すべきものじゃないでしょう。
>アムリッツァのような事態は、政府の腐敗ぶりから十分予想できたのではと思いますが。
まさかあそこまでの規模で愚行を行うとは思わなかったんでしょうね。いくらなんでも軍を総動員して軍事的冒険に踏み切るとは思わなかったんでしょう。するとしてもせいぜいが三個艦隊程度の動員が常識的な限界でしょうから。
>どちらにしても同盟政府が帝国領侵攻をしないというのが、ヤンの平和構想の要だと思われますので、その点でヤンの自国政府に対する洞察は甘いといえるでしょうね。
帝国領侵攻そのものはヤンも否定していません。ただタイミングが悪すぎるということでしょう。適時適度の介入(同盟の体力を過度に消耗しない程度の)により帝国の混乱を助長し、出来れば同盟の影響力を帝国内部で増大させることにより、戦略的優位を確立するという戦略を構想しているくらいですし。
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- board1 - No.1239
ヴェスターラント事件
- 投稿者:ゲオルグ
- 1999年05月12日(水) 00時18分
俺様ランチさんの観測どおり、作者が失念していたか、あえて無視したというのが真相なのでしょうが、非常に惜しいテーマであったと思うのです。
例えば『ヴェスターラントを忘れるな』という趣旨で反ラインハルト宣伝が行えます。これを強調することによりラインハルト政権の政治的正当性にキズを与えることが可能ですし、物語上もいくつかの場面で重大な影響を与えそうです。
例えばヴァーミリオン会戦の終局においても、シェーンコップなどの強硬派は『無辜の民衆を政治的エゴのために犠牲にするような独裁者に同盟市民の命運を委ねて良いのか』といった趣旨でヤンの急所をつけただろうし、ロイエンタールの反逆も(ヤン一党への討伐による無益な戦没者などとも結び付けて)よりローエングラム体制の矛盾をつく形になったかもしれません。
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- board1 - No.1240
まとめレス
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年05月12日(水) 05時21分
>ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた場合、そこに流れる本質は源流をたどれば、ここの緒言および、本旨に太く確実にリンクしていると私は思うからこそ、おかしなほどこだわったのです。
>ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた
というのはちょっと小林よしのりを引き合いに出す趣旨が違うと思います。ジャンルを無視して自分の仕事に取り組む姿勢を比べるのであれば、野茂選手の野球に対する野球選手としての姿勢や黒沢監督の映画にかける映画監督としての姿勢を、田中氏の小説に対する作家としての姿勢と比べても良いわけですから(もちろんこの比較は「妥当」だと思いますが)。
しかし、ここで小林よしのり氏が引き合いに出されるのは、エンターテイメントの旗手が評論に手を出すという姿勢が共通するからであり、評論をする以上はその評論に対する姿勢の比較としてわかりやすいからです。
ですから、田中芳樹の職業に対する姿勢を問うための有力な検証として小林よしのりとの対比は有効ですが、検証は検証に過ぎず、本旨ではないのです。
>竜堂始の「俺は万年野党が好きだ。」という発言内容について
いわずもがなのことをあえて断らせてもらえば、これは私の「意訳」であり、いくらあの兄弟でもこのようなことを口走っているわけではありません。ただ、彼らの内容が「万年野党が好き」であることは自信を持って断言します。
>現実社会での与党は、確かに政権党であるがゆえに付きまとう利権や汚職といった暗部はあるものの、政権を担い国の舵取りをするということは
>相当の重責・激務ですし、政権党として国民の批判を浴びつつも国政を滞りなく運営していくことは精神的にも大変なことだと思います。
との事なんですが、彼らはまがりなりにも「竜王」なんですから、与党精神を持っていなくてはならないはずなんですよね。だいたい、竜王の部下に、彼らみたいな「野党精神」の持ち主が皆無で、与党である竜王に嬉々と従っている「(むしろダメな意味での)与党精神」の持ち主ばかり(としか思えない)のは少々ズルいと思います。
>本論3へ
あえて言わせてもらえば、私には「沈黙の艦隊」(歯医者の待ち合わせで読んだ程度のことしか知らないので、ここに書かれているとおりであるとすれば)も責められてしかるべきだと思います。
> 以前管理人さんは「私の創竜伝批評」へのレスで「インターネットの普及を作品に織り込むのは執筆当時では無理」というような意味の事を述べられていたと思います。それと同じ事がソ連崩壊にも言えないでしょうか?
これはちょっと違うと思うんですよ。私が「創竜伝一巻で、「二〇世紀の終わりを数年後にひかえた年」なのにソ連があるとは何事だ!」と噛んだのなら、このインターネットの批判は妥当だと思います。当時インターネットが一般に普及していなかったのと同様、一九八七年にソ連が無くなることは予測不可能でしたから。
でも、私の批判は違いますよね? むしろ、「一度作品世界でソ連の存在を設定したら、「二〇世紀の終わりを数年後にひかえた年」であってもソ連があることが作品としての整合性だ」と言っているのですから。これは「アキラ」や「2001年」の答えにもなっていると思います。
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- board1 - No.1241
RE1216
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年05月12日(水) 08時35分
ちょっと遅れましたけどレスを。
俺様ランチさん、秦檜に関しては「価値観の違い」ということで和解しましょう。私とあなたとで田中芳樹の主張の感じ方が違った、という事で。ただ、田中芳樹と反対の、秦檜弁護のような考え方もあるのだ、ということだけ理解してくれれば十分です。同意しろとは言いませんから。
ただ、これだけは言わせてもらいたい。
<おそらく「私の創竜伝批評」中では「謝罪外交の誤りを指摘→それを支持する田中芳樹の誤りを指摘→そんなダメ田中芳樹が書くダメ社会評論満載の創竜伝はダメ小説」と展開される事が予想されますが、それじゃあ絶対に一般にウケる田中芳樹批判はできないったらできないんですってば!>
↑私がいつこんな批評を展開するといいました? これはあなたの勝手な想像です。想像に基づいて勝手に人に「右翼」のレッテルを貼るのはやめていただけませんか? それに謝罪外交を論ずる事がそれほど「右翼的」なのですか? 私は「謝罪外交が田中芳樹と創竜伝に与えた影響」と「秦檜評価に見られるような、日本と中国に対する考え方の二重基準」という観点から謝罪外交について指摘しようと思っているのですけど。
あなたが私の主張が嫌いなのも、その主張に同意できないのもよく分かりますし、できるだけ理路整然と書くようにしていたとは言え、私が「右傾化」とみなされるような主張をしていた事は反省しなければならないと思いますけどね、あなたの私に対する態度ははっきり言って「全否定」に近いものがあります。人がやりがいを感じていることを、「この人は田中芳樹批判に名を借りた右のアジをやりたいだけなんじゃないか?」或いは「田中芳樹とは反対の立場での社会批判開陳を(田中芳樹がやってるように)やりたいんじゃないか?」とまで否定する事がそんなに楽しいのですか? 私もこのHPに話題を提供できれば良い、という考えがあって始めたシリーズなんですけど。あなたこそ、田中芳樹的なレッテル貼りが好きなのではありませんか? 私の考えが間違っているというのならば、私の投稿を引用し、どこがどう間違っているのかを具体的に指摘すればよろしいでしょう。それで実際に間違っていたと判断すれば謝罪しますよ。しかし、想像に基づいて非難され、しかも「あんたの投稿は右翼的だ」の一言で斬り捨てられては迷惑です。
<冒険風ライダーさんには「左批判をよりどころにしない田中芳樹批判」をしてくれる事を切に望みます。「左的考えへの批判」によるレスはしてくれなくて構わないです。が、そうでない意見、反論なら大歓迎です。>
私も「左的考えへの批判」はできるだけしないように考えていますし、これからもしないようにしますけど、できれば今までの私の投稿で「左的考えへの批判」というものをどこで展開していたかを教えていただければありがたいのですが。
1週間以上も論争したあげく、得られた結論が「互いに理解しあえない関係であった」というのも不毛な話ですけど、私の方はこれで論争を終わりにしたいと思います。これ以上続けても、対立意見が飛び出すだけで時間の無駄ですしね。お疲れ様でした、とだけ申し上げておきましょう。
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- board1 - No.1242
おくればせながらお礼申し上げます
- 投稿者:たまきち
- 1999年05月12日(水) 12時34分
なんだか最近この掲示板の雰囲気がこわくて書きこみができなかったのですが、
遅ればせながら何人かのかたにお礼を申し上げたいと思います。
小村損三郎さん、管理人さん、ドロ改さんへ
早々にお返事をいただきまして、ありがとうございました。
銀英伝を読むと言っておきながら、結局は「戦場の夜想曲」と「七都市物語」と
「マヴァアール年代記」を読みました。銀英伝は姉の勧めもあり最初に漫画版を
一冊よんでから1巻にとりかかりました。まだ小説のほうは2巻にはいったばかりです。
漫画で肩慣らしをしてから読んだ為か、最初のページの当たりは斜め読みに
近かったのですが結構すんなりと世界に入っていけました。現在のところ
むちゃくちゃおもしろいです。今まで何で読まなかったんだと後悔してます。
戦場の夜想曲は特に強い印象はなかったのですが、さっぱりとした読後感が
ありました。SFを読んだという気分になりました。
七都市物語は目からウロコとでも申しましょうか、宇宙船どころか飛行機すら飛べない
未来世界なんて、なんて素晴らしい発想なんだと感動しました。
以前、田中氏は女性キャラに魅力がない的な意見がありましたが、マヴァール年代記の
アンジェリナ姫は大好きになりました。はっきりとした性格で強いのに女性的でもあり
最後には幸せな結婚までして、同じ女としてうらやましい限りです。
とりあえず銀英伝を読み終わったら、次は紅塵を読むつもりです。
肝心の創竜伝がなかなか入手できません。
最初に熱狂的なファンたちに嫌気がさし、次にこのページを見たためか、
まだ完全な田中芳樹ファンにはなってませんが、だんだんとハマっていきそうです。
俺様ランチさんへ
生意気なことを書いたのに怒らずにお返事をくださいまして、ありがとうございました。「どんな矛盾も架空世界なんだから何でもありで当然」的な意見についてだけ
「そんな無理に正当化しようとしなくてもいいのでは」と思ったのであり、
それ以外については考えさせられることも多く興味深くご意見を拝見させて
もらってます。この場を盛り上げる為にも、これからも頑張ってください。
しかしこの掲示板を見ていてつくづく思い出だしたことがあります。
これは学生時代によく教授方から言われたのですが、「どんな人が見ても、
たとえ予備知識のない人であってもなるほどと納得するような論文を書け」
という言葉です。でも私もいまだに出来ません。書いた後に後悔してばかりです。
それとどうでもいいことなのですが、はむぞうはうちの姉でした。失礼しました。
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- board1 - No.1243
「創竜伝世界の時間構成」について
- 投稿者:水野忠右衛門
- 1999年05月12日(水) 15時04分
No.1236 俺様ランチさん
No.1240 管理人さん
矛盾するしない以前に、そういう記述が物語にとって必要か否かという方が問題だと思うのですが、いかがでしょう。
「沈黙の艦隊」では、ソ連書記長もロシア大統領も、物語を進める上で必要な人物だったのでしょう。その前提にたって、矛盾について批判したり擁護したりするのは意味があると思えます。(ちなみに私は管理人さんの意見に賛成です)
しかし、創竜伝で時間構成に矛盾が発生しているのは、ストーリーとは全く関係無いエピソードのせいだと思うのですが。
仮に、竜堂兄弟の心理描写の為にどうしても必要な記述であるなら、やはり整合性についての配慮はしてしかるべしと思いますが……私には、単に作者の心情吐露か原稿用紙の余白を埋めるためだけの記述にしか思えません。