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- board1 - No.1684
俺はもう死んでいる。
- 投稿者:Toy
- 1999年08月28日(土) 09時51分
下のU-MOMOさんが紹介してる
ホームページに行ったらInternet Explorerが
無限に開かれてしまうよ。
止めようがないと思ったので再起動しか
できませんでした。
2回試してみたから間違いないと思う。
告発サイトなんてうそうそ。
いやー、こういう人ははじめて見た。
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- board1 - No.1685
あっ
- 投稿者:Toy
- 1999年08月28日(土) 10時05分
3回目やってみて気がついた。
「死ね、っていうか死んでる、ぎゃは」
って書いてある。
暇な人やねぇ。
って3回試す俺も暇だけど。
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- board1 - No.1686
No.1683 削除通知
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年08月28日(土) 11時49分
No.1683の書き込みは第三者が危害を受ける可能性があるので削除しました。
まあ、多少コンピュータの知識があれば回避できるようなイタズラですので、興味のある方はメールをいただければログのコピーをお見せします。そもそも、URLからしても、よく見るとイタズラだとわかる素直なものですしね。
掲示板でご報告していただきありがとうございました>Toyさん
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- board1 - No.1687
イヤな会社
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年08月28日(土) 13時26分
> ちなみに同じく今月出てた銀英伝の解説本、面白くなかったです(苦笑)
唯一、「こんな会社なら就職したい!」「こんな会社には絶対就職したくない!」のコーナーは笑えましたけど。
「絶対就職したくない会社」のみ転載。
会長・・・総大主教
社長・・・ロボス
副社長・・・トリューニヒト
取締役・・・ネグロポンティ、シャフト、ド・ヴィリエ
営業部長・・・オフレッサー
人事部長・・・オリベイラ
経理部長・・・ドーソン
直属課長・・・ラング
同僚・・・フレーゲル、デグスビイ、ラインハルト、フォーク、オーベルシュタイン、クリスチアン、拷問係のおじさん
営業部長=オフレッサーがイヤすぎ(^^;;)。
ラインハルトは先輩ならまだしも後輩にいたら絶対イヤですね。
北村さんの本は私も買いました。まだ真珠湾のとこしか読んでませんが。なかなか面白そうです。
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- board1 - No.1688
○虚構戦記 ×虚空戦記
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年08月28日(土) 17時08分
間違えたようです。ちなみに今日は売っている本屋に行く暇無かったのでまだ買っていません。
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- board1 - No.1689
久しぶりの書き込み的レス
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年08月28日(土) 17時58分
>あちこち、読ませていただきました。確かにって内容ばかりですね。かなり、面白かったです。田中先生サイドからの反応とかってあるんですかぁ?
反応があればいいのですが、今のところありません。見ているかどうかも不明です。少なくとも、見ていればアルスラーンの件のような読者をナメきった態度はとらないと思うんですがねぇ。いや、無力さ故にナメられているのかも知れませんね。残念なことに、今の状況では、田中芳樹が危機感を感じる要因がないのでしょうね。
>営業部長=オフレッサーがイヤすぎ(^^;;)。
渉外の課長だったら、なおイヤ(^^;)
「あんたみたいな人はねぇ、将校じゃないの。孺子っちゅうの!」
それから、北村さん自著出版おめでとうございます。
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- board1 - No.1690
一つだけ聞かせてください
- 投稿者:satoko
- 1999年08月29日(日) 16時00分
管理人さんがちょっとこられなかったので、辞めてたのですが一つ聞かせてください。
前回管理人さんはおっしゃっていた「何だかんだいっても、田中芳樹はそれで儲けてるんでしょう。」らしき発言にはっきり言ってかなり抵抗を感じます。
あなたにとって小説家の小説とは金もうけの道具なんでしょうか?
いろいろ言いたい事はあるのですが、御返答を聞いてからにします。近藤さんのレス大変理解しやすかったのですが、やはりここを焦点に管理人さんが論を進めているように感じてならないので、敢えてもう一度書かせて頂きました。
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- board1 - No.1691
「絶対読みたくないノベルス」
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年08月29日(日) 16時04分
いまテキトーに考えた。
題名センス・・・・西村京太郎
伏線の張り方・・・志茂田景樹
科学考証・・・・・門田泰明
スケール・・・・・荒巻義雄
ホモっ気・・・・・栗本薫
改 行・・・・・夢枕獏
あとがき・・・・・平井和正
著者近影・・・・・真樹日佐夫
刊行ペース・・・・田中芳樹
すいません、イメージだけで実際読んでない人多数。各ファンの方は見逃してください。
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- board1 - No.1692
質問です。
- 投稿者:maske
- 1999年08月29日(日) 16時28分
書きこむのは久しぶりですが、ロムはしていました。
なんか1689の管理人さんのレスは
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的なもの、田中芳樹ならなんでもけなす、というような感情的な物を感じます。
もっと理論的に説得力のある物をお願いします。
また管理人さんの言う通り田中芳樹が最低な作家だとしたら、それでもなぜ田中芳樹の本はよく売れるのでしょうか?
読者に見る目がないからでしょうか?それだけでしょうか?
そのあたりの管理人さんの意見をお聞きしたいです。
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- board1 - No.1693
RE:『と』小説
- 投稿者:ゲオルグ
- 1999年08月29日(日) 16時49分
平井和正の言い訳爆発なあとがきも良いですが、荒巻先生もイカしてますよ。艦隊シリーズとか平気で全体の3分の1ある分量のあとがきつけてますから。
あと(笑)と(爆)がやたら出てくる栗本薫もなかなかのものですね。著者近影では門田泰明が一番ですが(笑)
あと、本文へのルビうちということで秋津透を推薦しときます。
では。
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- board1 - No.1694
私としては
- 投稿者:maske
- 1999年08月29日(日) 17時08分
例えば創竜伝ですが
成人した今となっては、作品の中の政治表論的な部分が非常にうざったく思えますが
これを最初に読んでいた中学生当時、ちょうど反抗期の時期の
親や世間(この場合の世間は学校などの非常に狭いもの)に対する鬱屈した気分が
この本を読むことでだいぶ解消されたように思えました。
私は、主に創竜伝を読んでいるのは中学・高校生ぐらいの年齢で、わりと優等生タイプで親や学校に反抗してみたいがそれが出来ない
(やってみたいが度胸がない、反抗する理由が見つからない等)人達が好んで読んでいたのではないかと思います。
これは私自身の体験と、高校・大学に上がってから創竜伝が好き、もしくは好きだった、と言う人達の話を聞いた上での考察です。
恐らく田中氏は創竜伝は中学・高校生あたりをターゲットとして書いているのではないでしょうか?
そのため、作品の中の政治家の描写が分かりやすくデフォルメされた、ステロタイプの物
(悪徳政治家、金のことしか考えていない)として書かれているのだと思います。
また、創竜伝が売れるのもそういった新規読者、これから中学・高校生になって行く人達が購入するためで、
幾度も再版されて行くのは漫画文庫と同じで、そういった新しい読者層のさらなる開拓
(同じ内容の本でも新しい装丁の方が売れやすい)をねらったものでしょう。
また、こういった商法はベストセラーになった本ならば、必ず一度はやることで、特に珍しくもないと思います。
(ハードカバーで売れた本を文庫で出してさらにヒットさせる。)
これが私の考えですがいかがでしょうか?
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- board1 - No.1695
RE.1690.1692.1694
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年08月29日(日) 18時19分
私が言いたかったことは、近藤さんがNo.1655で書かれた内容と被るのですが、
>あなたにとって小説家の小説とは金もうけの道具なんでしょうか?
に関しては、「小説家」ではなく、「現在の田中芳樹」にとっては、です。
まあ、厳密に言えば、ほぼすべての作家にとって小説がメシの種という側面があるのでしょうけど(プロなのだから)、同時に創作意欲の発露という側面も大きいですよね。要はこの両者の割合のバランスなんでしょうが、現在の(←ここ重要)田中芳樹は前者に偏りすぎている気がします。問題にしている読本の類は小説じゃないですし、版型の焼き直しともども、創作意欲はないですよね。
別に読本出すのも焼き直しも勝手なんですけど、プロとして本職で稼いでいるわけじゃないということだけは何か感じて欲しいですね。彼が創竜伝であげつらっている政治家じゃあないですが、もうすこしシュクシュクとしたってイイでしょう?
>また管理人さんの言う通り田中芳樹が最低な作家だとしたら、それでもなぜ田中芳樹の本はよく売れるのでしょうか?
実はこれが田中芳樹を語る上で難問のひとつであると私は思っています。
私の仮説では…
一つには、田中芳樹は『過去に於いては』優秀な作家であり、銀英伝が読者(特に思春期の少年少女が多い)の思想面やパラダイムにまで影響を与えうる作品であったことがあると思います。銀英伝を読んでいないファンも多いようですが、アルスラーンにも創竜伝にもこのような傾向はありますね。銀英伝ほど深くも洗練もされてはいませんが。
ついつい惰性で買ってしまう傾向の強いノベルスでは、このようなファーストインパクトがあると、だんだん駄作になっていっても、何となく買ってしまいますね。少なくとも私個人の経験では、そうです。
maskeさんの言われるように思春期の反抗気分というか、ある意味尾崎豊的な要素は私も感じていました。私も昔は創竜伝を読んでいたわけですが、要ははしかみたいなものですよね。ですが、はしかにかかるという「経験」は意義のあるものですが、はしか「そのもの」に意義があるわけではありません。創竜伝が青少年に読まれることは納得できても(どうせ他の同じような傾向のものにハマるだろうから)、創竜伝そのものに対して納得することは、私には無理です。
前にも言ったと思うのですが、私は版型の焼き直しや読本のすべてに反対するわけではありません。繰り返しますが、責めているのは、プロの作家が本業(新刊)をおろそかにして、焼き直しや読本でお茶を濁して恥じない、プロとしてあるまじき態度です。また、そのくせ、他のプロ(政治家とか)が本業をおろそかにしていることを批判している態度が不誠実で笑止だといっているのです。
作家が新刊出さないで読本や焼き直しで稼ぐのが許されるのなら、役人の天下りだってOKでしょうが。
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- board1 - No.1696
では、どこにあるものなのか示していただけないでしょうか?
- 投稿者:satoko
- 1999年08月30日(月) 02時41分
まず最初に「読本」は田中先生の管理下ではありません。それをもっての田中批判は省いていただきたいと思います。
で、新作を出すのが作家の本業ということに関してですが、ものをつくりだす仕事がそんなに定期にできるものではないということは、以前にも書いたと思いますし、その期間が長すぎるではないか、ということに関してもそんなものは個人差であるし、連続ものの続きはなかなかでないにしろ、細かいものはぽつぽつ出ているじゃありませんか。それが、管理人さんや他の方が気に入る気に入らないという理由で「怠慢だ!」というのはおかしいのでは?
他の方との話で申し訳ないのですが、上の話と関連していうなら「田中氏が最低の作家というなら何故その本が売れているのか」という答えに「不思議だ。」と書かれていたのにはっきり言って唖然としました。貴方は自分と感性が違う人がいると言うことを当然分かっていらっしゃいますよね?現在の田中作品私も必ずしも面白いとは思えませんが、別にそれを面白いと思って喜んで買う人が馬鹿だとか、変だとか思わないし、全ての人が惰性で買っているなんて間違っても思いません。作品を理解する能力の優劣の問題ではなく、感性が違うというだけの話じゃありませんか。こういうHPにいれば、周りの人もきっと最近の田中作品に文句があるんだろうとかんじてしまうのかもしれませんが、もう少しファンがどう感じているか、もっと広い範囲で聞いてから発言なさった方がいいのではないかと僭越ながら思わずにいられません。
で、前置きが長くなってしまったのですが本題にはいると、小説家の側面として「創作意欲の発露」ということをおっしゃっていたのですが、それはそれとして私はやはり「プロの小説家なんて読まれてなんぼ」と思います。収入云々が問題ではなく、普通その作品に自信があるから、「もっと多くの人に読んでもらいたい」という気持ちから再販とかになるのでは?(ちなみにもう一度言わせてもらいますが再販とかは出版社が決めることで、田中氏をこれで攻めるのもまたお門違いです)、実際田舎の方で古本屋なんかがない街の中学生や高校生がハードブックや古く高い方のノベルズ買うのがどんなに負担だと思います?再販で値段もおさえられて、若い子達が買いやすい表紙になっていれば、ありがたいことだとは思いませんか?(ちなみに私も銀河英雄伝説は高校時代に再販で安いノベルズ版を買って、おこづかいちょっと助かった)
過去の作品を愛して、それをより多くの人に読んでもらおうとすることがそんなに良くないことでしょうか?
もし「そんなのきれい事でなく金儲けのためにやってるとしか思えない。」とおっしゃるのであれば、インタビュー記事なりあとがきなりを示して実証していただけないでしょうか?お手数ですが、他の小説家をそういった意味で批判されている部分も示していただければ幸いです。それらをもってしての田中芳樹という人物を批判ししている、ということでないのであれば残念ながら、「結局は全部勝手にイメージづけた人に勝手におこっているだけじゃん。」という判断を私のみでなく田中ファンはすることになると考えます。
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- board1 - No.1697
ひとまず
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年08月30日(月) 04時17分
とりあえず時間が余り無いので、ひとまず簡潔にお伺い、お答えします。
>「田中氏が最低の作家というなら何故その本が売れているのか」という答えに「不思議だ。」と書かれていたのにはっきり言って唖然としました
どこでしょうか。私は出来るだけそういう発言をしないように心がけているつもりです。ですから、「難問」であるとは言いましたが、「不思議だ」とは一言もいっていません。もし、「難問」と「不思議」が同義だとおっしゃられるのであれば、よほど納得できる説明をしていただかない限り、論争は打ち切りたいと思います。あまりに強引な結び付けで議論にならないですから。
もし、私が不思議だといっているのであれば、その箇所を示していただければ訂正し、お詫びします。
>まず最初に「読本」は田中先生の管理下ではありません。それをもっての田中批判は省いていただきたいと思います。
どうしてでしょうか。田中芳樹の名前で売られ、田中芳樹の利益になるのですから、批判対象から外す理由はないと思いますが。
それから、何回も書いているとおり、私は読本や再版そのものを批判しているわけではないですよ。ですから、
>もし「そんなのきれい事でなく金儲けのためにやってるとしか思えない。」とおっしゃるのであれば、インタビュー記事なりあとがきなりを示して実証していただけないでしょうか?
田中芳樹は自分が述べてきた文脈から考えると、現在の自分の有様に恥じ入ってしかるべきなのに、恥じ入るどころか調子に乗ってはしゃいでいる姿が不誠実だ、といっているのです。自分の論理が自分に適用されないと言う、普遍性も説得力も何もないことの証明ですからね。
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- board1 - No.1698
長くなると誤解をまねくので(って結構長いけど)
- 投稿者:satoko
- 1999年08月30日(月) 15時08分
最初に「難問」と言う言葉を「不思議だ」と曲解してしまった事、おわびいたします。私の理解としては「理解しがたいので難問だ。」と認識していましたので、それが「不思議に思っている」と言う風に捉えてしまいました。本当に申し訳ありません。重ねてお詫び申し上げます。
本来、あの部分で聞きたかった事はその部分ではないのですが、おそらく他の田中サイドに立つ人がくれば、いずれ出る話だと思いますので御腹立ちであれば、あの部分は議論を止めて頂いてもいいです。
>読本
これに関しては、何度も言うようですが「小説家と出版社は違う」自分がどう思っていても、企業のやり方に普通は口を出せる物ではないと言う事を述べて質問に行かして頂きます。どうも長く書くと論点がぶれて、答えて頂きたい事からづれてしまうので再度質問さして頂きますと
「田中氏がこういった稼ぎ方をしている小説家をどこで非難しているのでしょう?」
文脈から判断するとかでは、私がもっている田中氏の著作やインタビューなどを読んでも、他の小説家の内容や思想に対しての意見などはたまにみかけますが、こういった金儲け方法をしている小説家を非難している部分を見つけられないのです。この場合政治家の批判に置き換えて考えてと言うのは根本が違いますし。
結局の所、管理人さんがおっしゃっている「再版が良くないと言ってるのではなく田中氏の態度の問題だ。」という事に私が歩み寄れないのは結局の所それが想像の域を越えてないからではないかと感じてしまう所なんです。ですので、その根拠となる物を示して頂きたいと思うのです。
先のレスがとりあえずと言う事でしたので、これから答えようとしていた事を再度聞いているような事がありましたら、ご容赦ください。
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- board1 - No.1699
まあ、とりあえずコレを読んでから…
- 投稿者:宣和堂
- 1999年08月30日(月) 15時41分
と、言うわけで宣和堂であります。
う~ん、なんだか、田中芳樹のハードカバーコンプレックスについては自分が早くから言ってきたことなのでナントモいわれのない責任感を感じて、つい書き込みます。
>satokoさま
えーっと、田中芳樹がハードカバーについて語ってる文章を読んでから発言なさった方がいいのでは…。
「『女将軍伝』が世に問うもの(『チャイナイリュージョン』中央公論社 収録)」
「中国のルパン、颯爽と登場(『楚留香 蝙蝠伝奇』下巻 小学館文庫 収録)」
ココで彼はハードカバーに対する熱い思いを語ってくれています。コレを読んでからじゃないと話にならないと思います。ファンなら最低コレぐらいよんどいてください。ちなみに自分は購入して手元に置いてます。ファンですから投資してます(半分以上はけなし代ですが…)。
また、再販については、管理人さまはどうかは知りませんが、自分は
ハードカバー→文庫
新書→文庫
と言う流れはsatokoさま仰るとおり、安価になって手に入れやすくなる点別に構わないと思います。
このパターンは、『銀英伝』や『マヴァール年代記』、『創竜伝』、『長江落日賦』、『紅塵』、『纐纈城奇譚』が相当します(あえて入れるなら『夏の魔術』や噂だけなら『タイタニヤ』もこのパターンです)。
が、最近は版型を変え出版社を変えてやってくるのは
新書→ハードカバー
文庫→新書
という逆行ですね。例を挙げると
ソフトカバー→新書→ハードカバーが『風よ、万里を翔けよ』(例外:『銀英伝』・『マヴァール年代記』の豪華本)
文庫→新書が『摩天楼』と『西風の戦記』ですね…。
どうでも良いんですが、まあ、『摩天楼』については特殊な事情があった旨『「田中芳樹」公式ガイドブック』等に書かれているのでいいのですが『風よ、万里を翔けよ』に関しては、以下のサイトで田中芳樹自身がハードカバー(初版はソフトカバーであってハードカバーではない)で出版したい旨、編集者に働きかけていたことが当の編集者によって語られています。
ttp://dcc.kyodoprinting.co.jp/nonburu/butaiura/novels/09/
別に出版社から話があって決まった話ではなく、田中芳樹が常々編集者に「出した出したい」と言っていて、うまく『ムーラン』に引っかかった形であったというのが真実です。
他の作家さんや他の小説に関しては知りませんが、こと『風よ、万里を翔けよ』については、まず、田中芳樹の働きかけがあって新書からハードカバーの逆行をしています。
読本に関しては“らいとすたっふ”が関わっているモノに関しては、全く無責任とも言えないのでは?ま、コレに関しては自分はどうでも良いです。笑わせてくれるので(あんまりにも不勉強なので大笑いできる)…。田中芳樹本で読めたのは七都市の時の『田中芳樹読本』と『銀英伝』の《我が征くは星の大海》のアニメが出たときのムック本だけですね。あとはクズ。
何か不明な点があったら、どうぞ。
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- board1 - No.1700
管理人様へ、もっと具体的にお願いします。
- 投稿者:maske
- 1999年08月30日(月) 17時10分
例えば宣和堂さんのように
「田中芳樹がこのような場所でこのように語った事に関して私はこう考えるに至った。」
というように。
過去ログを見てください、と言われるかもしれませんが、あの膨大な量のログを見るのは
けっこう大変なことですし、それがこの掲示板に馴染の方以外の人が参加しにくい理由にもなっていると思います。
また、本業をおろそかにして、とおっしゃいますが、ある程度人気があり、
また売り上げも安定している作家としては、発刊ペースは普通だと思います。
私はむしろ発刊ペースよりも、ひとつのシリーズが終わっていないのに次々と新しいシリーズを立ち上げていることのほうが問題だと思います。
それが結果として発刊ペースを遅らせ、作家自身の首をしめている事になるからです。
私としては管理人さんの意見は論理が飛躍しすぎていて納得できない物が多すぎます。
ぶっちゃけた話、私は相手の意見が納得できなくてもなぜ相手がこのような考えに至ったかが理解できれば別にそれでいいのです。
あと、まったく関係ないですが、過去ログを読みましたところ宣和堂さんは自分のHPをおもちだそうで
そのHPに大変興味がありますので、差し支えなければページのURLを教えて頂けないでしょうか?
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- board1 - No.1701
わかりやすいです^^
- 投稿者:satoko
- 1999年08月30日(月) 17時42分
宣和堂さんへ
とても具体的な例が出ていてわかりやすかったです。ハードブックの事は「チャイナイリュージョン」の方は読んでいるのですが、もう一方の方を読んでいないのであれなんですが、宣和堂さんの意見の逆の方から検証したいと思っているのですが、とりあえずこちらは管理人さんからのレスを読んでからもう一度書き込みたいと思っています。
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- board1 - No.1703
それでは
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年08月30日(月) 19時25分
宣和堂さんの家頁を孫引きにしようか考えていたのですが、それよりも直接見てもらった方がいいですよね。
宣和堂さんの家頁へは、当サイトのリンクから行くことが出来ますよ。
>文脈から判断するとかでは、私がもっている田中氏の著作やインタビューなどを読んでも、他の小説家の内容や思想に対しての意見などはたまにみかけますが、こういった金儲け方法をしている小説家を非難している部分を見つけられないのです。この場合政治家の批判に置き換えて考えてと言うのは根本が違いますし。
全然「根本が違」くないですよ。私が田中芳樹の不誠実さにおいて問うているのは小説家が金儲けをしているという枝葉の部分ではなく、職業倫理という、それこそ「根本」の部分だからです。
簡単にいくつか例を挙げましょう。
創竜伝5巻P85下段~P86上段
国民を喰いものにして血と脂で肥え太っているのは政治業者ばかりではない。日本の大企業がいかに国内の消費者をばかにし、反社会的な手段で暴利をむさぼっているか。
仮に田中芳樹のこの論理が正しいとしたら、出来の悪い読本の連発や手を変え品を変え版型を変えて同じ本を何度も出す会社だって消費者をバカにし、暴利をむさぼっていることになるでしょう。そして、(仮に結果的にだとしても)その片棒を担いでいるのは自分なのですよ。
P110上段
>汚れた金銭のおこぼれにあずかることを喜び、自分自身の人格と権利を嘲笑する有権者も、数おおくいる。
こういう事を書く以上は、少しは自分の現状を恥じてもらいたいと言っているわけです。
ついでに、実際に田中芳樹の言説を持って田中芳樹擁護の理論を見てみましょうか。
>まず最初に「読本」は田中先生の管理下ではありません。それをもっての田中批判は省いていただきたいと思います。
>ちなみにもう一度言わせてもらいますが再販とかは出版社が決めることで、田中氏をこれで攻めるのもまたお門違いです
創竜伝5巻P127上段~下段<br>
<もともと日本は個人の責任というものが厳格に追及されることのない社会であるようだ。第二次大戦の指導者から、いじめの主謀者に至るまで、みんなが決めたことに自分はしたがっただけで自分に責任はないと主張する。その結果、「みんなが平等に悪かった、みんなで反省しよう」といいだす者が出てきて、責任の所在は不明になり、まともな反省もおこなわれず、事態もさして変わらず、誰も罰せられずに終わってしまう。
「みんなが決めたことに自分はしたがっただけで自分に責任はない」という事にしたら、田中芳樹に失礼です。
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- board1 - No.1704
補論+余録
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年08月30日(月) 19時42分
職業倫理はプロ意識と言い換えた方が通りが良いかも知れないですね。
ところで、余談なんですが、
創竜伝5巻P86上段~下段
そのように歪んだ醜怪な経済界をささえる日本のサラリーマンは、賃金が世界一高いといわれている。嘘である。それは残業や休日出勤などで労働時間が欧米よりはるかに多いからであり、一時間ごとの給与を比べれば、たちまち世界一から転落する。さらに、購買力平価、つまり同じ金額でどのような商品が買えるかを比較すると、世界で二〇位以下になってしまう。物価が異常に高いからである。日本とアメリカ、両国政府の共同調査によれば、東京の物価はニューヨークの物価より40パーセントも高い。それは土地や住宅の価格を除いてのことである。普通のサラリーマンが一生勤勉に働いて、自分の住む家を買うこともできないような社会がまともな社会といえるかどうか、考えてみるのもたまにはよいかもしれない。
というのなら、読本や再版でサラリーマンの年収よりも稼ぐ作家がいる社会がまともな社会といえるかどうか、考えて欲しいですね。ちなみに私はそういう社会が必ずしも悪いとは思いませんが、田中芳樹の理屈では自らが絶対悪でしょう?
P86上段
古今東西、社会性や協調性を欠くうえにお説教好きの成金が、他人に好かれた例しはない。
自分の身につまされないのでしょうか。
創竜伝2巻P80下段~P81上段
>バランス感覚を失して、大金をかかえたまま一輪車にまたがり、他の人々を突きたおして走りまわっている。いずれ必ず転倒するだろうし、そうなったとき、誰も助けてくれないだろう。
そういう風に自分がならないようにね。
……イヤミ度高い(__;)
ちなみに冒険風ライダーさんの「私の創竜伝考察シリーズ」を参考に使わせてもらっています。感謝。
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- board1 - No.1705
検証!「薬師寺シリーズ」 パクリ編
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年08月31日(火) 01時02分
今回は「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」を「パクリ」「社会評論」「ストーリー描写」の3つのジャンルに分けて論評したいと思います。
最初に「パクリ」ですが、「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」は、よく言われるように「スレイヤーズ」と「GS美神 極楽大作戦」のパクリです。
ではどのあたりがパクリなのか? それを検証してみましょう。
まずは薬師寺涼子のキャラクター設定について。
彼女は「スレイヤーズ」のリナ・インバースや「GS美神」の美神令子の性格や特徴をそのまま持ってきたかのようなキャラクターで、しかも田中芳樹にしては非常に珍しく、「エリート出身」という設定が追加されています。一言で言えば「才色兼備の自己中心的なキャラクター」といったところでしょうか。創竜伝風に言えば「小早川奈津子を上品にして左傾化させたキャラクター」もしくは「竜堂続の女版」でしょうね。
実際、ストーリー中の彼女のセリフがそれを裏付けています。
「あらゆる怪事件の真相と犯人は、例外なくあたしの前にひざまずきますのよ!」(摩天楼 P13)
「あたしにさからう奴に人権などない!」(摩天楼 P35)
「思い知った? 正義はかならず勝つ。いえ、正義とはあたしが勝つことよ!」(摩天楼 P215)
次にストーリーの語り部でもあり、「薬師寺シリーズ」の事実上の主人公でもある泉田準一郎。
ことあるごとに「自分は不幸だ」と嘆きながら、ご主人様(笑)こと薬師寺涼子に対して忠勤に励むその姿は、明らかに「GS美神」の横島忠夫でしょう。性格は一番最初の記述に表れているように、田中芳樹自身の美化された(笑)性格が投影されているものと思われます。でもあの設定を完全には捨ててはいないようで、横島忠夫の性格を別のキャラクターに投影しています。
薬師寺涼子のライバル、室町由紀子。
この設定を見ただけで私がとっさに思い浮かんだのは「GS美神」の小笠原エミです。美神令子のライバルで、何かと対立していたキャラクターです。しかし「GS美神」本編では最近では忘れ去られたキャラクターとなってしまってます(笑)。私も名前思い出すのに苦労しました(^^;;)。
室町由紀子の性格はいたってまじめなキャラクターです。このシリーズの良識派代表といったところでしょうか。
その室町由紀子の部下、岸本明。
泉田準一郎で投影されなかった横島忠夫の性格設定が、このキャラクターに投影されています。オリジナルの笑いの部分だけを凝集してさらに醜悪にしたようなキャラクターであると言えばわかりやすいでしょうか。
最後にストーリー。
最初の方のストーリーを見た時は「ああ、刑事もので犯人を追う推理系のストーリーなのか」と考えたものですが、さすが田中芳樹、やってくれますね。ストーリーの途中から何やら得体の知れぬ妖怪が登場し、それを倒すストーリーにスライドしてしまいました(-_-;;)。正直な所、これこそが「ああ、パクリか」と考える決め手になってしまった(笑)。妖怪退治は「GS美神」と「スレイヤーズ」のお題目ですものね。
田中芳樹は週刊少年サンデー連載のマンガ「名探偵コナン」の愛読者であると聞いた事がありますから、そこから「極楽大作戦」の材料を取ってきたのでしょう。「スレイヤーズ」の方は確か創竜伝文庫本で神坂一と対談していたぐらいですからよく知っていたのでしょう。パクリの元はこのあたりからですね。
しかしただ「パクリ」と言うだけで「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」があそこまで悪し様に酷評されるとは思えません。ではなぜ「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」は「パクリゆえに駄作」と言われるのか?
それは社会評論とストーリー描写に問題があるからです。
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- board1 - No.1706
検証!「薬師寺シリーズ」 社会評論編
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年08月31日(火) 01時03分
「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」にも、「創竜伝」ほどではありませんが社会評論があります。特に第一作目である「摩天楼」に多いですね。
「創竜伝」と「薬師寺涼の怪奇事件簿シリーズ」のそれぞれの社会評論には
1.ストーリーの必然性もないのに書かれている。
2. 著しい偏向が目立つ。
3.それによってストーリー構成が崩壊もしくは矛盾している。
といった共通点がありますが、「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」の場合、特に3の要素が問題です。というのは、「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」には、下で指摘しているように「スレイヤーズ」や「極楽大作戦」の要素があちこちにありますが、これと社会評論とが本来相反するものであるために、ストーリー描写やキャラクター設定がおかしくなってしまうんですね。
「スレイヤーズ」ないしは「極楽大作戦」を少しでも知っている方は単純に考えてみてください。リナ・インバースや美神令子が創竜伝に見られるような「反権力・弱者救済」的な社会評論を大声で語っている様を(笑)。もうこれだけでストーリー矛盾としては充分すぎるほどでしょう。
「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」のヒロインこと薬師寺涼子はエリート出身という設定な上、「自己中心的な性格」というオマケつきです。このテのキャラクターはどちらかと言えば「自分こそが絶対権力」とでも言うような設定に必然的になってしまいます。リナ・インバースも美神令子もそういう設定ですよね。そういうキャラクターが「反権力・弱者救済」的なことをする時は、「あいつが気に入らない」という自己中心的な性格を発揮させて「権力対権力」という構図にするか、分かりにくいようにこっそりと人助けをするかのどちらかでないと、かなり設定がおかしくなってしまいます。すくなくとも「大声で反権力・弱者救済を唱えながら、自分たちがやっつけた『悪党』に対して『被害者の心情』をお説教する」など論外もいいところです。
ひとつ例を挙げてみましょうか。
摩天楼 P194~P195
<あるとき、涼子は何とかという文芸評論家と対談した。どんな凶悪な事件でもかならず加害者を正当化して、一部のマスコミから進歩派だの人権派だのと持ちあげられている男だ。この男は、上機嫌でこんなことをいった。
「ボクはたとえ、自分の妻や子がサリンで殺されても、犯人の人権は守りますよ、生命がけでね。それが知識人としてのつとめですから」
すると涼子は、あくびをひとつしてから応じた。
「つまりあなたは、自分の奥さんや子供さんには、サリンをまかれたりせず平和に生きる権利などない、とおっしゃるんですね。父親に見殺しにされる子供さんのご意見を、ぜひうかがいたいわ」
またあるとき、「男女同権、家庭の民主的運営」を主張する女性評論家と対談した。彼女の家では、サラリーマンである夫が、料理から洗濯、掃除、あとかたづけまで大半の家事をやってくれるという。これこそ民主的な家庭のあるべき姿だ、という評論家に涼子は答えた。
「ふうん、ダンナに経済力がないというだけの事実を、よくまあそんなに美化できますね。だいたい、家庭のありかたに一種類しかない、という考えのどこが民主的なんですか」
さらにあるとき、制服をつくりかえて髪を金髪に染め、鼻と唇にピアスをしたため卒業式に出席するのを禁じられた高校生に会ったときには、こういった。
「何でそんなに卒業式なんかに出たがるの? あんなに退屈でばかばかしくてくだらないものはないわよ。あたしなんか、高校でも大学でも卒業式になんか出なかったけど、あなた本気で校長の長たらしい挨拶とか聞きたかったわけ? バカじゃないの!」>
「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」の社会評論の内容自体は創竜伝ほどひどいものではありませんが、「語る」という事自体に問題があると言わざるをえませんね。なまじ「スレイヤーズ」と「極楽大作戦」の世界観を中途半端にパクっているから余計にストーリーとのずれが創竜伝以上に目立っているのではないでしょうか。
キャラクター造形については、田中芳樹自身も「アップフェルラント物語」のあとがきで次のように主張しているはずなんですけどね↓
アップフェルラント物語あとがき P261~P262
<さて、こういう形の物語を書いたのは私としては初めてのことで、試行錯誤の連続でしたが、「ふうん、こうなってしまうのか」と自分自身で納得してしまったのは、フリーダ・レンバッハ嬢のキャラクター造形に関してでした。当初、私は、この少女をあんまり「いい子」にはしないようにしようと思ったのですが、結果は読者がご存じのとおりです。これはもう、「悪漢によって幽閉される」という状況を設定してしまうと、ほとんど必然的にキャラクターが固定してしまうのでした。にくたらしい女の子だったら、男の子が生命がけで救い出そうとする意欲をそいでしまい、そもそも物語自体が成立しなくなります。なるほど、テーマがキャラクターを規定するというのはこのことなのかな、と思ったものでした。>
と、このように言っておきながら、薬師寺涼子のキャラクター設定と社会評論が相互矛盾を引き起こすことが読めないとは……。
創竜伝でも言える事なのですけど、なぜ田中芳樹は小説の中に社会評論を組み込むのでしょうね。それがストーリー構成と矛盾したりする可能性を少しは考えているのでしょうか。