初代掲示板過去ログ

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投稿ログ48 (No.987 - No.999)

board1 - No.987

石橋湛山(と、高坂正尭)

投稿者:新Q太郎
1999年03月29日(月) 19時33分

**********************
>第2次世界大戦後、私立大学出身で首相となった人に、石橋湛山がいる…
>石橋湛山がこのように述べたのは、植民地支配が悪いと考えたからではありません。石橋湛山が経済的な計算…

 これは知りませんでした。てっきり、「どうせ社会党の数少ない首相だからだろ」と思ってました。
***********************

ええと、湛山は社会党ではないんです。社会党の石橋は「非武装中立」のバッタもんですから(笑)。湛山は自由党→保守合同で自民党です。
ttp://www.yk.rim.or.jp/~o-tajima/jimin/retsuden.html#ISIBASI

それで、その「小日本主義」や植民地放棄論、剛直な気質と経歴が、今の(純粋)左翼全滅時代の敗残兵(土井たか子や佐高信、そして田中芳樹1)に最後の守り本尊扱いされているところはありますね。

とはいえ、湛山が本当に純粋な経済論だけで植民地放棄論を唱えたかというとそうとは言い切れません。多分大正・昭和前期の比較的自由な時代でもストレートに「朝鮮台湾を独立させよ」というのは反国家的発言とされるおそれがあったので、「計算すると、領有は損じゃないか」というのを隠れ蓑にギリギリの論陣を張っていたという節があります。
また、経済論だとしても当時の被植民者のナショナリズム・そして解放時の(同じく植民地を持つ欧米への)道徳的優位性をその計算にいれていたのですから、彼の反植民地には道徳的判断もあった、と捉えるのがよる自然だとは思います。
彼が朝鮮の『三・一独立運動』を論じた文章などを読んでも(ttp://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/3/0070050.html)そう思えます。ちなみに私はこれを読んで、「これ、後から状況みて書き換えたんじゃねえか?本○勝○みたいに」と失礼にも思ってしまったほど、優れた予測と洞察に満ちています。ほとんどヤン・ウェンリー。

さらにしかしながら、「彼が首相の座に留まれば・・」というのはケネディがそうであるように多分に幻想の世界。
前述した、湛山を持ち上げる左翼敗残兵の佐高氏が名著「宰相吉田茂」を書いた政治学者・故高坂正尭氏と対談し、この石橋湛山について痛烈に皮肉られたことがあります(佐高「日本への毒薬」)。
高坂「(石橋は首相はほとんどやってへんで病気になっちゃったから、評価の対象ではないと言うことにしとるんですよ。彼には彼なりの欠点があったに違いないんで、長くやってれば、どっかで失敗したに違いないんですね。(略)ほんとに実力を試せなかったもんでね。だからかえってイメージが残っちゃったんですよ。(略)”巨悪石橋”なんて言われたかもしらん。」

この後、ちゃんと石橋のどこを評価すべきかについても高坂氏は冷静に論を進めているが。それにしても高坂氏はこの対談で、合気道の名人の如、佐高の議論を次から次へと(言葉は優しいのだが)一言ふたことであやし、自爆させ、切り捨てている。ぜひ一読頂きたい。(歴史の知識をもとに現在社会を解剖するというのには、これくらいの知識と常識が必要だということですぞ田中センセ。ところで故高坂先生には、大ファンの阪神を野村が建て直す(?)のをみて欲しかったですな。)

余談が過ぎてしまいましたが、石橋湛山という人物もなかなか調べるに値する興味深い人です。この人物に興味をもったのが田中氏の例の一文なのだから、そこは彼に感謝せねば。

・・・最後に湛山のこんなエピソードを。

終戦の詔勅が下り、国民が打ちひしがれて明日への不安と食べ物の不足に悩んでいる時、ひとり湛山は(植民地と軍備という重しの取れた)日本の発展をすでに予測し、自分尾新聞の社説に「新生日本の未来は実に洋々たり」と書きました。
それを読んだ友人(日経新聞の幹部)は「ああ、かわいそうに!せっかく平和が来たのに、彼は敗戦のショックで気が狂った」と嘆いた、といいます。
戦時中軍部の圧迫に負けず湛山と交際していたほど、彼を尊敬した知識人でさえ、その未来予測にはついていけなかった、というおはなしです。

ちなみに私がこれを知ったのは谷沢永一の本。湛山は彼も評価している人なわけで、なかなか一筋縄ではいきません。

board1 - No.988

醜悪

投稿者:新Q太郎
1999年03月29日(月) 19時45分

「そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ」
-----------------------

そう、あんまり下らないので忘れていたが、この一文こそ全創竜伝中でも一、二を争う醜悪な部分である。冗談抜きにへどの出るような文章。

では田中先生
「毛沢東の評価は今後50年しないと決められない」を文化大革命の被害者に、

「公安は不要、刑事警察が犯罪後にその犯罪を裁けば十分」
をサリン事件の被害者および、上一色村住民に、

「フランス革命やロシア革命は民衆の中から出てきたもの」
をヴァンデで溺死刑に処せられた人やチェ・カーにひとまとめで銃殺された被害者に

面と向かって言ってくださることをお願いもうしあげます。実際の被害者は、議論の正否やリクツを超えた感情によって悲しみ、怒っているのだろうし、それが当然かつ自然だ、ということだ。。

ああ、しかし写すだけでこういう文章はいやになる。

board1 - No.989

そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ

投稿者:本ページ管理人
1999年03月29日(月) 20時36分

ならば、
「降りかかる火の粉は実力で払いのける」「襲ってくる権力者が悪いのだ」
「ガンジーの非暴力主義は偉大だが俺達は偉大じゃないから構わない」
 そういう論理で、ドラゴンに殺された自衛隊やアメリカ軍の、フェアリーランドの混乱に巻き込まれ都庁の紅竜王の炎に巻き込まれた人々の、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ。

 しかも、殺されたあげくに「日本人は何でもイベントにしてしまう。奴隷の殺し合いに興じていたローマのクソ貴族と一緒。滅んでも構わない」などと評されようものなら、遺族にとってこれ以上の侮辱はないですね。

 あえて現実と小説を混同させてみました。田中氏のあの記述は、竜堂兄弟自体に対するカウンターパンチになるというハナシ。
 不愉快な話題を蒸し返して済みません>新Q太郎さん。


>ええと、湛山は社会党ではないんです。社会党の石橋は「非武装中立」のバッタもんですから(笑)

なにいいいい(笑)
ややこしいなあ、もう。
恥の上塗りでしたね。

board1 - No.990

いち「銀英伝」ファンの感想 2

投稿者:Merkatz
1999年03月30日(火) 07時54分

「創竜伝」1巻は面白かったので、ひょっとしたら
これは結構いけるんじゃあないか、
いろいろ批判されているが、そこを無視さえすれば楽しめるんじゃあないか、
と期待したのが馬鹿だった。
1巻と2巻は別物といっていいくらい変わっていた。

社会評論が急に量を増し、その内容がいちいち不快で、小説部分の面白さを
削ぐこと甚だしい。
おまけにその小説部分もかなり不出来きでいまいちである。
とにかく無茶苦茶である。
船津老人亡き後、権力亡者が襲い掛かるというのはまあ良いにしても、
竜堂兄弟のやり方が気に入らない。
えげつないほど相手を叩きのめすだけでは飽き足らず、
東京の名所を破壊し、一般人を巻き込み、
自分たちの責任じゃあない、相手が悪いんだだと!?

いきなり2巻めで破綻するか。こんなものエンターテイメントであるものか。
正直言ってもう続きは結構なのだが、
何やら3巻は史上最悪らしいので、興味がある。
まったくここで話題になっているから読んでみたいと興味も湧くが、
そうでなければ誰が読むものか!こんな駄文。

こんなものが人気があって飛ぶように売れるなんて、あかほりさとるの作品が
売れることと同じくらいの謎だ。

board1 - No.991

あぶない自衛官

投稿者:アッテンBONO
1999年03月30日(火) 09時35分

創竜伝の登場人物に限らず、TVドラマ等でも
「型破りで破天荒で組織には疎まれているが、正しいと信じたことは規律に反しても貫徹する」
警察官や自衛官がヒーロー視される傾向にあると思うのですが、これについても少々疑問符がつきます。

確かに、警察や自衛隊は物理的な力を背景にし、時に『個人の権利』と衝突し、
権力の発動を伴ってこれらを『抑圧』することもあり、国家権力の強制的なイメージを惹起させます。
それゆえ、「恐い」「無愛想だ」「融通がきかず、型通りの仕事しかしない」
といった見方をされがちで、特に組織自体は民衆の敵として捉えられることが往々にしてあるためか、
「もっとこうあってほしい」という希望も込めて、
あのような一見親しみやすそうなキャラクターが受けるのかもしれません。
(『』で閉じた語句は、人権過保護団体が言うそれだと思って下さい)

しかし、物理的強制力を伴う職種であるがゆえに、個々の職員が自分の信ずる「正義」に基づいて
恣意的に行動することがいかに危険であるか、考えているんでしょうか。
制服姿の警官が硬直的な役人の象徴のように描かれ、私服の刑事が「人道的見地」から
あえて服務違反を犯して結果的に事件を収拾する、といったシナリオにあふれるTVや、
良心的な職員はすべて非主流か反乱分子扱いの創竜伝を見ていると、
そう思わずにはいられません。
(皆そんなこと承知の上で、虚構として割り切って楽しんでいる、と言われればそれまでですが)

田中氏などは創竜伝で「今の日本国民は自分の見たいものだけしか見ようとしない」
というようなことを言っていたと思いますが、そりゃ創竜伝を書いているときのアンタや、
主観的結論から演繹的に客観的「証拠」を推測・翻訳しようとする一部マスコミのことだろ、
と突っ込みたくなります。

board1 - No.992

原発と少し

投稿者:ドロ改
1999年03月30日(火) 09時39分

>冒険風ライダー様

一応アメリカのスリーマイル島では、日本の使っているのと同系統の原発がメルトダウンをやらかしたはずですが?今手元に資料が無いので、詳しい方レスお願いします。寸前で止まったんでしたっけ?確かECCSを(怖くて)使えなかったはずなんですが。
それと、原発批判は本来見た目派手な爆発事故などではなく、「処理方法の無い」核廃棄物の問題から行われるべきであるのに、そちらはせいぜい添え物と化しているのは、トンでもない欠陥だと思います。
それと、ラジオ等で流れる「資源の無い日本で原子力発電は必要・安全です」と言うふざけた広告(に金をかけること)は、いくらでも批判されるべきでしょう。日本はもと(プルトンもウランも)も方法(圧縮技術)も輸入に頼っているのですから。

すいません。この話題は、かなり個人的に入れこむところなので。

ところで、自衛隊の原発警備は「警備行動」の範疇の代表例、とこの前の事件の時東京新聞が書いてましたけど、違うんですか?

>スラブ人3400万虐殺

恐らくその数字は、一般的な戦争犠牲者(空襲等)を含んだものだと思います。そう考えれば、ソ連だけで軽く1千万単位の死者が出てるので、驚くにはあたらないでしょう。実際、ナチスの占領政策から考えて、どこまでが「虐殺」の犠牲者かは曖昧にならざるを得ませんし。不用意に作品中で使った事は、反論を受けて当然でしょうが。(議論になれば、ですが)
ちなみに、ソ連は確かに怪しいですね。あの国は、ポーランド占領時にソポ戦争(これ自体は西側にバックアップされたポーランドの、露骨な領土拡張戦争)の復讐に所謂「カチンの森事件」でポーランドの将校捕虜を大量虐殺した挙句、ばれた後でドイツに責任を押し付け様として論破されたりしてますから。ただ、2次大戦中ソ連よりドイツの方がより長く東欧を占拠していたので、確率的にはドイツ犯人の可能性が上でしょう。

board1 - No.994

”ム-ラン”へ田中大先生が寄せたコラムより

投稿者:仕立て屋
1999年03月30日(火) 12時43分

 ジブリの次回作”となりの山田君”の情報を探そうと思って(何でやねん)InfoSeekで探していたところたまたまあるHPで見つけたので転載します。


「(中略)ムーラン=花木蘭の存在が、ディズニー・アニメを通じて全世界の何億人という人に知られるのは、
喜ばしいことだ。と同時に、これほど魅力的な東洋の素材を、みすみすディズニーに奪われてしまった日本のア
ニメ界に対して、
”しっかりしろよ”といいたくなってしまう」

 これはディズニー映画”ムーラン”の映画用パンフレットのコラムの中で田中大先生が宣ってらしゃるものらしいです(未確認ですんません)。


 このHPの文脈では,いままで好きになれなかったディズニーアニメのなかで久しぶりによくできた内容であった云々,,という流れで抜粋されているのですが(HPの管理人さんも田中大先生の意見に賛成されてます),田中芳樹を撃つで穿った見方をする癖がついてしまった(スマン)わたしの目には看過できず,みなさんにご報告せねばという使命感にかられた次第です。


 しっかし,田中先生,相変わらずの傲慢ぶりと価値観の押しつけをかましてくれちゃってますねぇ。だいたい,日本人の趣向としてムーランみたいな世界観が一般受けするはずもなく,だから,作る側からしてもペイできない作品にお金をだせるはずもありません。その証拠に最近のディズニーアニメは日本で惨敗ですよね(アメリカ人に受ける内容と日本人に受ける内容が異なるという意味で)。それなのに田中先生ご趣味の中国ものを日本のアニメ製作会社が取り上げなかったことに対して”しっかりしろよ”とは彼の増長ぶりと価値観の押しつけには閉口されます。ご自分の作品の中でそのような押しつけをもっとも嫌悪されているはずの田中先生自らの口からかようなことばが発せられるとは,まったく恥知らずなとしかいいようがありません。彼の忌避の基準は自分に対しては適用外なのでしょうか? この田中先生の言い方って以前,この掲示板でも話題になった 封神演義や飛岳だっけ?(よく知らないんでスマン)での彼の言いように通ずるものがあります。

 それにつけても”ムーラン"にまで田中先生が稿を寄せるようになったんですねぇ。田中大先生の中国通も一般的に浸透したってことですか? くわばらくわばら。

board1 - No.995

反論!銀英伝アニメ論

投稿者:Merkatz
1999年03月30日(火) 13時14分

ここにいらっしゃる皆さんは、「銀英伝」のアニメを見ていらっしゃるのでしょうか。過去ログに小村損三郎さんの「銀英伝」アニメの批評があったのですが、アニメファンとして反論しておきたいと思い、ここに書く次第です。

>どうもアニメ評のHP等を見ると甘い評価が多い様なんですが、みんな原作の人気と思い入れに幻惑されてる
>んじゃないかなー、なんて。
>私のあのアニメ版に対する評価は「限りなく低い」です。(最低でもないけど)

原作ファンが惑わされているというのは、そうかもしれませんが、私のようなアニメで「銀英伝」を初めて知ったというような人間には当てはまらないでしょう。ですから割合客観的に見れると思います。

>何と言っても一番酷いのは脚本です。
>セリフは原作の完全な丸写し。ひどい時には延々と数十秒に渡って続くナレーション(これまた原作の丸写し)。
>誰も指摘しないのでこの際はっきり言ってしまいますが、田中氏独特の歯の浮くような言い回しや唐突に挿入
>される独語等は、活字でこそ味がありますが、セリフで聞くと完全なギャグになってしまうんです(特にポプ
>ランとか)。声優さんも恥かしかったんじゃないかなー(笑)。
>そして、丸写しの結果として橋田寿賀子もビックリの異様な長ゼリフ。これも活字での効果と映像表現の違い
>を全く無視した(単に気づいていないだけか?)挙句に陥った事態ですね。加えて登場人物が揃いも揃って饒
>舌なので聞いていてうんざりしてしまいます。

私が「銀英伝」を見たとき、面白いと思いこそすれセリフが長ったらしいとは思いませんでした。その後、原作を読んで「ああ、忠実に作ってあるんだな」とは思いましたが。
活字と映像で効果が違う、というのはもっともですがこの場合、下手にいじると「銀英伝」独特の雰囲気が壊れてしまったのではと思います。
私はアニメ、原作という順番で見たので特にそう思います。スタッフの人たちは、わざとこのようにしたのではと思われます。

>そして同様に全く芸の無い演出。
>例えば原作では2巻にあたる辺りだったと思いますが、ヤンがユリアンに戦術の講義をするシーン(「A・B
>同時に蜂起した敵を時間差をつけて撃つ」とか言うくだり)なんかはひたすらセリフのみでの説明で、画面上
>のキャラは口をパクパクさせてるだけ。それが延々続くんです。
>艦隊戦のシーンではスクリーン上で部隊の動きを説明したりしてますが、例えば上のようなシーンでも画面上
>にそういうイメージ表示をして視聴者に解り易くする、といった手法を取っても良かったのでは?

指摘なされるとおりいくら原作に忠実にといっても、このくらいは映像のメリットを生かして欲しかった。
メックリンガーが「一頭の獅子に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の獅子の群れを駆逐する」としゃべるところで、
「うわあ、これ原作知ってる人はわかるけど、そうでない人は大変だぞ」と思ったものです。
しかし全く芸が無いというのは賛成しかねる。
非常に細かいことと感じられるかもしれないが、私が感心した点を挙げてみましょう。

1.クーデターを起こしたグリーンヒル大将の心情描写

原作では全く語られることがなかった点です。設定として「軍の良識派」ということになっているので、良識派の彼がクーデターを起こすぐらい思い詰めていたということでしょうか。
アニメではここにワンシーンを挟むことで、
原作の雰囲気を壊すことなくグリーンヒル大将の心情を描いています。

クーデター後、雨の降りしきる墓地に彼は一人たたずんで、目前の墓石に語り掛けます。
「フレデリカに許しを請おうとは思わん。政治の腐敗は誰かが正さねばならんのだ。その意味で我々は間違ったことはしていない。だが、若い連中は性急でな。もし私が立たねば誰が彼らを押さえられるだろうか。こうするより他に手段はなかったのだ。こうするよりな。あの子はわかってはくれんかな。母さん・・・」

これある故に、グリーンヒル大将の悲劇が際立ち、原作以上の感動を与えてくれます。
ここはまさに「演出」の勝利です。
他にグリーンヒル大将がらみで大変細かいことですが、バグダッシュがヤンに協力して政治宣伝を行なった後の、グリーンヒル大将とリンチのやり取りもかなり手が加えられています。
ここも私はアニメの方がしっくり来ると感じたのですが。暇な方は2巻184~185、191ページと24話を見比べてみてください。

2.カストロプ動乱

これは大胆にもアレンジしています。
原作では軽く語られるだけでしたが、アニメは1本の話にまとめています。
ベルゲンクリューンとビューロー、そしてキルヒアイスとのやり取り、キルヒアイスの軍事的手腕の見せかたなど、かなり面白い。
1巻141~144ページと5話です。お暇な方はどうぞ。

3.ウルヴァシー事件の報告を受けた後のロイエンタール

ここもかなり手が入っています。ナレーション部分をあえてしゃべらせたり、逆にセリフをナレーションにしたりしています。例えば「無実である身が、なぜ、必死に、かつ卑屈に、弁解せねばならないのか。ばかばかしい」という部分は原作ではナレーションですが、ロイエンタールのセリフにしてしまうことで、大変迫力が増しています。
また、ベルゲングリューンとのやり取りの間にロイエンタールの回想が挟まれているのが、アニメではベルゲングリューンを下がらせた後回想を始めるという構成になっています。とどめに不敵に笑うロイエンタールというシーンを付け足していて、非常に印象深いものとなっています。
9巻124~130ページと93話です。ここは必見です。

他にも挙げればきりがないのですが、割合手が入っていて、決して小村損三郎さんが言われるような「全く芸の無い演出」では断じてありません。
そしてその細かい演出は、原作の雰囲気を壊すことなく、それでいてより一層「銀英伝」世界を味わい深いものにしています。

>作画と背景美術も平板で薄っぺらく、画面に奥行きが感じられませんね。

たしかに第1・2期の作画、特に第2期はむごいの一言。
もっともこれはアニメ界全体に重大な出来事があって、そのために乱れたもので情状の余地有りですが。
その反省からか、第3・4期は稀に見るハイクオリティーとなっています。
ですから「銀英伝」の作画すべてが駄目かのようにいうのは間違いです。

小村損三郎さんの批評は、確かにうなずける点もありますが、「限りなく低い」というのはあまりに底の浅い見方だと私は思うのです。
「原作の人気と思い入れに幻惑されてる」のは小村損三郎さんの方ではないかと思えます。
「結局アニメに向いてない作品だったんだ。」との思い込みのもとでアニメを見ているのではありませんか?
私は10話あたりまでアニメで見た後、いっきに原作を読破して、その後もアニメを見続けました。アニメで面白さを知り、原作を読んで元の面白さを知った後も、なおアニメも面白く感じました。
それはとりもなおさず、「銀英伝」アニメの出来の良さによるものではないでしょうか。
もし小村損三郎さんの批評が正しいのなら、なぜアニメから「銀英伝」に入ってくる人が絶えないのでしょうか。
出来の悪い原作ものアニメが、原作の面白さを伝えることが出来るでしょうか?
映像表現としていくらかの欠点があるのは認めますが、そのこと自体は「銀英伝」アニメの面白さを損なうものではありません。
原作ものアニメとして「銀英伝」は間違いなく成功の部類に入るものだと私は思います。

board1 - No.996

石橋湛山その他

投稿者:小村損三郎
1999年03月30日(火) 13時41分

>余談が過ぎてしまいましたが、石橋湛山という人物もなかなか調べるに値する興味深い人です。
>この人物に興味をもったのが田中氏の例の一文なのだから、そこは彼に感謝せねば。

私が石橋湛山を知ったのは「帝都物語」(笑)。
この小説では石橋が病気になったのは、加藤保憲に蠱毒を盛られた為、ということになってます(^^;;)。

また、この人がすっぱり辞めたのは、戦前、暴漢に襲われて負傷した浜口雄幸首相が議会に出てこれないのに辞任しないのを批判した手前、自分の時も恋々と居座る訳にいかなかったから、らしい。(勿論これはこれで非常に立派な態度であるが)

>「そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ」
>実際の被害者は、議論の正否やリクツを超えた感情によって悲しみ、怒っているのだろうし、それが当然かつ自然だ、ということだ。

以前、「ウルトラマンやマジンガーに踏み潰されたビルの中の人のことまで思いやってたらこれらの作品は見れない」なんてことを書きましたけど、コレを正面からやっちゃったのが「ガメラ3」。(渋谷破壊シーンは必見!)
劇中の「ザ・ワイド」で、「2」に登場した川津祐介演じる学者がガメラを弁護するようなことを言って、コメンテーターの小沢遼子(本人役(笑))にツッコまれるシーンがあります。
観客には川津のセリフは全く正論に聞こえますが、犠牲者の遺族が聞いたらたしかに怒髪天を突くような言い草でしょう。劇中世界では、間違いなくあの後局に抗議の電話が殺到したと思われます。
ことほど左様に被害者や遺族の感情というものは、事の理非や事実認定などというものとは関係無く根源的に湧き上がるもので、それは全くもって無理も無いことだし、誰にも批判や否定できるものではありません。
それだけに、無関係な人間が自説の補強材料や反論封殺に利用する姿勢には反吐が出るような嫌悪を覚えます。(小林よしのりが薬害エイズ運動に違和感を感じるようになったのはこれも一因な訳で)
これは何も田中芳樹や左翼に限ったことではなく、少年法論議や死刑廃止論議等に於いては右派にも同種の論調が見られます。
(しっかし、国内の刑事事件の話になると、左右共に、まるで申し合わせたようにコロッと主張を入れ替えてしまう様はホントに笑えますなあ。)

余談ですが、創竜伝の別の箇所で
“「後からだったら何とでも言える」「その場に居もしなかった奴に何が分る」という人がいるが、始は果たしてそうだろうか、と思う。後になって冷静な目で見てこそ真実が分ることもあるのではないか”
というような部分があったと思います(手元に本が無いので、記憶だけに基づいた不正確な引用です。誰か訂正頼む)が、正直
>「そういう論理で、死者の遺族を納得させることができるかどうか、やってみるといいのだ」
なんて主張と同一人物の言葉とはとても信じられません。
一体田中氏は本気でこの件を書いたんでしょうか。
それまでの自分の主張(しかもそれでもって他者を罵倒している)とここまで根本的に相反したことを堂々と書きちらせる神経には、この人はまともな羞恥心を持ち合わせているのだろうか、とすら思いましたね。

>ところで故高坂先生には、大ファンの阪神を野村が建て直す(?)のをみて欲しかったですな。

野村監督の正体&「野村一族の野望」については下の「プロ野球噂の真相」(笑)を参照のこと。
ttp://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/tigers/yakyuindex.htm

>ガサラキ
別の場所でも書きましたが、個々の回のクオリティは高かったもののシリーズ通して見たときに明らかに構成が破綻してたと思います。
打切られたのなら納得の余地もありますが、当初から2クール予定だった作品にしては欲張ってあれもこれも盛り込みすぎたのでしょう。(ただ、そこが魅力だったことも事実。やはりこの作品は1年欲しかった)
でも、まあ野心作でもあったと思いますよ。20年前、いや10年前でも絶対不可能だったろうと思わせるパトリオティズムアニメ(^^;;)だし。

>そもそも物語というのはその終わらせ方がもっとも難しいっていいますよね?
>話の序盤なんかはちょっとでも想像力があればおもしろい話は書けるものです(評価できるかどうかは別として)。
>問題はその広がった物語をいかに視聴者(読者)の納得のいく(カタルシスを与える)終わらせ方ができるかどうかです。
>それがその作家の評価につながるものと私は常々思っております。

西田先生も「戦いは始めるより終わらせる方が難しい」とおっしゃてますが、物語作りもやはりそういう部分があるでしょう。
田中芳樹のシリーズ中断の理由も、創作意欲云々もさることながら幕の引き方に悩んだ末、ってのもあるかもしれませんね。銀英伝以外のシリーズものでは唯一の完結作である「マヴァール年代記」のラストがお世辞にも傑作とは言いかねるものだったから尚更です。
(「タイタニア」や「灼熱の竜騎兵」はあと1巻位で終わっちゃいそうな感じではあるんだけど。)

>私的には序盤から中盤とそれ以降の緊張感に比べると終盤の内容についてはそれほど評価はしていません(異論はあるでしょうが)。

実質的な主人公がいなくなってしまったのですから、どうしても盛り上がりには欠けてきます。色々と工夫してはいるんですがね。当初の構想ではヤンは7巻で死ぬ予定だったそうですが、これは延ばして正解だったでしょう。ラストも、まあ落ち着く所に落ち着いた、という感じだったと思います。

board1 - No.997

おっとっと・・・

投稿者:小村損三郎
1999年03月30日(火) 13時50分

下の文を書いてる間に大分前に書いた銀英伝のアニメ評にMerkatz さんから手厳しい反論が(^^;;)。
成程、色々な見方がありますね。
で、申訳ないんですが長文を書いた後でげっそりしてるのでレスは明日以降、ということでご了承お願ひします。m(__)m

>ムーラン
>それにつけても”ムーラン"にまで田中先生が稿を寄せるようになったんですねぇ。田中大先生の中国通も一般的に浸透したってことですか? くわばらくわばら。

ムーランと同じネタで以前に書いてるからだと思います。
氏の初の中国物長編の「風よ万里を翔けよ」という作品です。

board1 - No.998

私の創竜伝考察10

投稿者:冒険風ライダー
1999年03月30日(火) 14時50分

 いよいよ「私の創竜伝考察シリーズ」も10回目を数える事になりました。しかしいまだに4巻あたりをうろついているとは‥‥(^^;)。2巻でだいぶてこずりましたからね~。だいたいこのシリーズは、全巻すべての批評が終わるまで20~30の間ぐらいで展開されると思います。これからもよろしくお願い致します。
 それでは、前回の続きから始めましょう。

P47下段
<日本の神話は、「古事記」や「日本書紀」で、よいにつけ悪いにつけ整理されてしまったが、中国の神話は、かなり無秩序で異説並列のままになっている。「史記」以降、歴代の王朝は史官を置いて、熱心に歴史資料を保存したが、残念なことに、神話や伝説への関心は薄かった。>

 そりゃ当たり前です。中国にとって歴史とは、単に現体制を正当化するために存在するシロモノでしかないのですから。だから常に前体制を徹底的にこき下ろしていますし、必要とあらばいつでも歴史書を改訂するでしょうね。そのために中国の歴史というものには、そもそも神話が入る余地がないのです。国造りの神話など現体制擁護にとっては無益どころか不利なものでしかありませんから。

P51上段~下段
<警察の「ご協力をお願いいたします」は、「協力しろ、さもないと」という意味である。先進国首脳会議のとき、検問への協力を拒否した人の運転免許証をとりあげ、「非国民!」と書きつけた例もある。女子高校生の通学カバンをあけ、自転車のトランクをあけさせ、捜査令状もなしに市民の部屋に踏みこんで押入れを開く。抗議や苦情はすべて「調べたがそんな事実はなかった」ですませてしまうのだ。>

 またまた警察いじめが始まりましたか~。いつものことながら特殊なケースをあげつらって全体がこうであると読者に印象付けようとしていますね。だいたい田中芳樹は警察に何か恨みでもあるのでしょうか。自分の部屋でHビデオでも見ている最中に警察に踏み込まれたとか(^^;)。まあこれはたちの悪いジョークですが。
 ところで、この警察と竜堂始とのやりとりがまた笑えます。さっそく引用してみましょう。

P51下段~P52上段
<いやな目つきだ、と始は思った。ナチス・ドイツのゲシュタポとか、ソ連のスターリン時代のGPUとか、権力機構の下っ端にいるサディストは、みんなこういう目つきをしている。自分が権力の側にいて、絶対安全な場所で、けっしてさからえない相手を痛めつけるようなことをしていると、人間はこういう目つきになるのだ。
「家宅捜索する」
「捜査令状は?」
「生意気言うな!」
 ひと声吠えてから、薄く笑った。
「きさま、TVの刑事ドラマをみたことがないのか。悪党の家を捜索するのに、令状なんかいらねえんだ」>


 日本の公安警察もゲシュタポやGPUなどと並べられるとは、いやはや出世したものですね。こんな非現実的な警察官がいたら、ぜひお目にかかりたいものですが。それになんですか、「きさま、TVの刑事ドラマをみたことがないのか。悪党の家を捜索するのに、令状なんかいらねえんだ」というセリフは。今時TVの刑事ドラマでも、令状ぐらいもって犯人役の人の家を家宅捜査しますよ。どうもここの記述は、警察に対する悪のイメージを読者に植え付けようとしているのではないかと疑ってしまいますね。

P54下段~P55上段
<「この非国民が!」
「非国民ですか。いい言葉ですね。あなたたちに愛国者と呼ばれるほど、悪いことをしたおぼえはありませんよ」
 続の声は氷片をちりばめたようであった。
「第二次大戦のとき、日本の愛国者とやらがどんなことをしたか、アジア諸国の人たちに尋いてみるんですね。やったほうはつごうよく忘れても、やられた人たちは忘れていませんから」>


 どうせここの「アジア諸国の人たち」というのは、中国と朝鮮両国、それに華僑連中のことでしょう。こんな連中が何をいうかなど聞く前からわかっているようなものです。インドネシアやマレーシアなどの東南アジア諸国は親日国家で有名な国で、インドネシア人やマレーシア人は第2次大戦の時の日本の「侵略」に感謝しているのですよ。彼らが、「日本はわれわれの独立のためによく戦ってくれた」といった場合、竜堂続氏はどんな顔をするのでしょうか。実際、藤岡信勝氏の論文でよくそういう主張を聞きますし。

P56下段
<「国を愛するというのは、それはそれで立派な生きかたではあるが、たくさんある価値観のひとつであるにすぎない。他人にそれを押しつけてよいはずがない。まして、お前らがやっているのは、愛国という神聖不可侵の凶器を振りかざして、他人を支配し、薄ぎたない権力欲を満足させようと、ただそれだけのことだ。『民族の誇りをとりもどそう。祖国を愛しよう。伝統文化を守ろう』と一九三三年に叫んだのは、ナチス・ドイツのゲッペルス宣伝大臣だった。いま日本の文部省が、まったく同じことをいってるな。一〇年後の日本がどうなっているか楽しみだよ」>

 今年は創竜伝4が出てからちょうど10年です。ますます左翼勢力が我が物顔でのさばり、「国を愛する」という概念などいくら文部省が絶叫してもほとんど浸透しません(T_T)。始さん、日本はこうなりましたよ~。あなたの心配は杞憂どころか全く的外れだったと申し上げておきましょう。
 さて、いつもの文章改編を展開しますか。
「日本に安住していながら日本を罵倒し、その存在自体を否定するというのは、どう考えても愚劣な生きかたであるし、たくさんある価値観のなかでも最低の部類に属するだろう。他人にそれを教育や運動という手段で押しつけてよいはずがない。まして、お前ら左翼連中がやっているのは、戦後民主主義という神聖不可侵の凶器を振りかざして、他人を支配し、薄ぎたない運動継続欲を満足させようと、ただそれだけのことだ。『民族の誇りを消滅させよう。祖国を罵倒しよう。伝統文化を破壊しよう。』と戦後一貫して叫んだのは、日本共産党と朝日新聞、そして日教組だった。いま日本の田中芳樹が、誰もまともに聞いていないのにまったく同じことをいってるな。一〇年後の日本がどうなっているか楽しみだよ」

P75上段~下段
<ドクター・クランショーは、軍事科学者にしばしばみられるタイプの男だった。「高知能の犬」という類である。知能指数は高く、発明や計算の才はあるが、社会的な問題意識が完全に欠落し、相対的な視点というものを持たず、命令や規則に対して一ミリグラムの疑問も持とうとしない。日本国の文部省などにとっては理想的な人物だろう。>

 いつ日本の文部省が「高知能の犬」という類の人間を理想に掲げたのでしょうか。私は聞いた事がありませんが。こんな所にまでさりげなく反日文章を混ぜておくあたり、田中芳樹の反日感情は相当偏執的なものがありますね。

P81下段~P82上段
<日本国の警察は、何ひとつ法的根拠がないのに、「ビルの屋上に登るな、窓をあけるな、カーテンをしめろ、自家用車に乗るな、トランクをあけて見せろ、自粛して店をあけるな」と脅迫がましく市民に命令してまわる、まことに民主的な組織である。その命令に逆らっても、射殺されるようなことはなく、せいぜい「非国民」呼ばわりされて、警棒で殴られたり、店の営業許可を取り消されたり、「あいつは過激派のシンパだ」という根も葉もない噂を流されてアパートを追い出されたり、アルバイト先を免職になったりするぐらいですむ。ソ連の国家保安委員会などと比べて、何と寛大で穏健な組織であろう。批判したり悪口をいったりしたら、天罰があたるにちがいないとは、水地真彦が辛辣に評するところであった。
 むろん日本の警察にも、いくつもの顔があるわけで、一九八八年末に長崎市長が昭和天皇の戦争責任について言及し、悪質な脅迫を受けたときに、市長を警護した警官がいった一言、「私たちは市長を守っているのではない、民主主義を守っているのだ」は、まことに賞賛すべき発言であった。要するに、何といっても警察というものは、大きな使命と権力を持っているもので、近代民主社会のガードマンとして、どのように自覚を持つかがたいせつなのであろう。>


 田中芳樹は、なぜ何の根拠もないのにこれほどまでに警察をののしるのでしょうか。しかも今度は公安だけでなく警察全部をひっくるめて叩いていますね。ソ連の国家保安委員会などと日本の警察を同列に並べるなといいたいですね。後半部分で「日本の警察にも、いくつもの顔があるわけで」なんていっているのは単に批判をかわすためだけでしょう。
 それとここに書かれている長崎市長(確か本島等っていいましたっけ?)とやらは、以前にも「広島・長崎の原爆投下は当然の報いだ」などと発言して長崎市民の反発を買っていましたっけ。左翼発言をするものをかばうというあたりは朝日新聞と同じですね。

P105上段
<田母沢は、ぬめぬめとした色合いの舌で、唇をなめまわした。この男と、この男の権勢を受けいれてきた日本社会に、レディLは、あらためて深刻な嫌悪を感じた。日本人は加害者でありながら被害者にむかって、「すんだことをいつまでもガタガタいうな」と言ってのけることができる民族なのだ。>

 またレディLのやつあたり日本人論が始まった~。このレディLは何か不愉快な事があるとすぐ日本の社会のせいにしてしまうようですね。ほんとに困ったものです。
 「日本人は加害者でありながら被害者にむかって、「すんだことをいつまでもガタガタいうな」と言ってのけることができる民族」って、いつものことながらいったい日本のどこを見てそんな結論に達したのでしょうか。そりゃ訴訟乱発社会であるアメリカに比べれば和解なども多いでしょうけど、そんな主張をした人など私は全く見た事がありません。朝日なんていつまでもとっくの昔に清算されている過去の戦争責任を追及しつづけていますし、アホな事に日本政府もこれに乗ってしまうんですよね~。この問題に関して「すんだことをいつまでもガタガタいうな」と言えるくらいの気概がほしいものですが。

P109下段~P110上段
<つねに加害者としての立場にあった田母沢は、自分が被害者となることなど、想像もしなかった。そんな事が想像できる人間なら、他国を武力で侵略したり、他国人を生体実験にかけたり、そもそもできるはずがなかった。力に驕り、他国を踏みつけ踏みにじり、平然として反省の色も見せない、ゆがんだ一部の近代日本人の意識が、この男の醜態に集約されているようだった。>

 「力に驕り、他国を踏みつけ踏みにじり、平然として反省の色も見せない、ゆがんだ一部の近代日本人の意識」とはこれまたズバッときましたね~。いちおう弁明のために「一部」と書いたあたりに田中芳樹の保身を感じますが。まるで日本人すべてがろくでなしに聞こえてきますね。近代日本人とは、それほどまでに罵倒されるべきものなのでしょうか。少なくとも「平然として反省の色も見せない」日本人は限りなく皆無に近いと断言できますが。

 あ~、眠いし長い。今回はここまでにしましょう。次で一気に4巻の批評を終わらせたいと思います。

PS.ところで管理人さん、いよいよレスが1000件に達しますね。おめでとうございます。

board1 - No.999

石橋湛山

投稿者:不沈戦艦
1999年03月30日(火) 14時53分

 えーとですね、湛山が「植民地なんか持っても何の得にもならない。」という考えだったのは事実です。実際、朝鮮総督府は、毎年本土から予算を獲得して(朝鮮経営がインフラ投資ばかりで儲からなかったから)いましたし。台湾は利益を上げていましたけどね。満州も赤字だったですし。実は、2次大戦前でも、すでに植民地は持って引き合うものではなかったんですよ。民族意識も高まりましたしね。湛山はそのことを正確に認識していたのだと思います。だから敗戦時に、「これで日本には輝かしい未来が」と考えるようになったんでしょう。重荷でしかない、植民地を敗戦という強制によって切り捨てることが出来た訳ですから。日本は、「植民地を獲得することが、国を豊かにする唯一の手段である」という幻想から逃れることが出来た訳です。却って、植民地の維持に拘ったイギリスなどは没落しましたよね。しかもその試みはほとんど失敗しましたし。今のイギリスの興隆は、サッチャー政権以後の話です。却って、田中芳樹あたりは、「植民地を持っても得にはならない。大損だ」って解っているんだかどうか、疑問に思います。


 これらの意味で、私は湛山を評価しますね。これは余談ですが、昔いた会社の初代社長でしたし(わははは)。

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