初代掲示板過去ログ

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投稿ログ69 (No.1264 - No.1281)

board1 - No.1264

独り言

投稿者:石井由助
1999年05月19日(水) 18時30分

ちょっとわざとらしい独り言ですが、やっとメインマシンのモデムが復活しました。ここ三ヶ月近くリブレットでHP管理していたけど、つらかった…(;;)

 というわけで、近々過去ログを更新したいと思います。ザ・ベストは選ぶのにちょっと悩みますね。

 あと、つい最近気付いたのですけど、インデックスからリンク集へのリンクが消えているのは、単なる管理ミスで<;;;m(__)m>他意はありません。どうもすみませんでした。


P.S.
>新聞の公式サイトですら「トウ小平」と書いたりしているのに・・・

 これは、トウの字を入れると文字化けを起こすためだと思います。

board1 - No.1265

レス to 1240(管理人さん発言)

投稿者:仕立て屋
1999年05月19日(水) 22時16分

 十分にクールダウンしたのでレスします。

 レスの前にひとつ言っておきたいことがあります。一連の管理人さんから私へのレスを眺めていると、知ってか知らずかどうも細切れレス、つまり、発言の主旨を汲んだレスではなく、単文だけをとりあげてのレスが目に付きます。単文抽出による反論はたやすいですよ。前後関係を無視できますから。

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>>ジャンルは違えども作品に取り組む姿勢を見比べた
というのはちょっと小林よしのりを引き合いに出す趣旨が違うと思います。ジャンルを無視して自分の仕事に取り組む姿勢を比べるのであれば、野茂選手の野球に対する野球選手としての姿勢や黒沢監督の映画にかける映画監督としての姿勢を、田中氏の小説に対する作家としての姿勢と比べても良いわけですから(もちろんこの比較は「妥当」だと思いますが)。
 しかし、ここで小林よしのり氏が引き合いに出されるのは、エンターテイメントの旗手が評論に手を出すという姿勢が共通するからであり、評論をする以上はその評論に対する姿勢の比較としてわかりやすいからです。
 ですから、田中芳樹の職業に対する姿勢を問うための有力な検証として小林よしのりとの対比は有効ですが、検証は検証に過ぎず、本旨ではないのです。
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 あのね~、いつ私がジャンルを超えた比較を一般化しましたか?こういうレスのつけ方は自覚しておられるのならある意味納得できますが(私を馬鹿にしてるのかい?とは思います)、
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>しかし、ここで小林よしのり氏が引き合いに出されるのは、エンターテイメントの旗手が評論に手を出すという姿勢が共通するからであり、評論をする以上はその評論に対する姿勢の比較としてわかりやすいからです。
 ですから、田中芳樹の職業に対する姿勢を問うための有力な検証として小林よしのりとの対比は有効ですが,,,,
---------------------------------------
 これは私がおぼっちゃまくんの例を出したりしてさんざん主張してきたことそのものなのですけど。それをそのまま返されても答えようがないのですが、、、それともそれを汲み取られずにレスされているのでしたらおどろきです。ですから、管理人さんの主旨が
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>検証は検証に過ぎず、本旨ではないのです。----------------------------------------
の部分だと良心的に解釈することにします。が、これにしたところで、わたしがいつ、この”意義ある”検証を本旨だといいましたか?このサイトにおける緒言と緒言を具体化したコンテンツ8の主旨を補強する要素(検証材料<----確かに、'よく小林よしのりのことを聞かれるけれど'と最後におまけ的に述べられていますが、この小林よしのりの話は明らかに主旨の補強として用いられています、でなければ、持ち出す必要がありません)であるとは主張しておりますが。で、管理人さんが頻繁にお使いになるサイトの本旨のことなのですが、私はそれを先ほど申し上げたように緒言のことだと理解しておりましたが違いましたでしょうか?だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。ですから、管理人さんのsatokoさんへのレス
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>閑話休題。
 少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。
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 の部分に対してわたしが何故カチンときたかは分かっていただけると思います。つまり、自らの主張の補強的検証がsatokoさんの発言において'無意味”と言われているのに(論理構造上、コンテンツ8の主旨も危うくなる)、その検証自体は取り分けて意味がなくしいて言えば云々、とおっしゃられていることに”エラありやんけ、自分で使っといてそれがたいした意味はないってのはこりゃ、いかに?”と感じた次第です。これがもし、”田中氏のスタンスを批判するためにあえて小林よしのりを持ち出す必要はない”とおっしゃられたのでしたら、まだ、わたしも納得できたのですが(ですが、管理人さん自ら持ち出してらっしゃるのですから、おかしな話です)。しかし、これはニュアンスがまったく異なります。そもそも、自らの主張をわかりやすくするために比較対象を用いるのはよくあることですし、この場合、ちょうど掲示板で話題になった小林よしのりのスタンスとの比較を持ち出すのはごく自然な流れだと思われます、管理人さんもそう思ったのではありませんか?また、管理人さんのおっしゃるサイトの本旨なるものが主に緒言における内容であるのなら、コンテンツ8の主旨はかなりの部分その本旨に重なるとおもわれますが、どうでしょうか?わたしが何故、あれほど、satokoさんや管理人さんにこの部分で噛み付いたのかは以上の理由からです。管理人さんの概ねおっしゃりたいことはわかりますが、ここが文字情報のみの世界であり、また、それのみが相手の主張を汲み取るヨスガであるとするならば、主張、スタンスに論理矛盾を感じざるを得ません。それとも、管理人さんのおっしゃる本旨が私の理解している本旨とは違うところにあるのでしたら、わたしの見当違いということでご容赦ください。その場合、管理人さんの本旨なるものをご説明ください。でないと当サイトにおいて如何なる立場で発言してよいものか、私、迷ってしまうもので。
 あと、どうでもよいことですが、小林よしのりとの比較の件を私が先に言い出し、本旨だと私が主張しているように受け取られているようですが、少なくとも、先に触れてるのは私よりも管理人さんのほうが先なのですし、わたしは、その比較がこのサイトの主旨の補強に十分機能していると感じられるから、こだわってることだけ付け加えておきます(私が頻繁に言い出しっぺは私じゃないと繰り返していたのは、心のどこかで、別に俺が最初に小林よしのりとの比較を思いついたわけではないのに、なんで、こんなにくってかかってるんやろ?という気持ちがあったものですから。satokoさん、そういうことですのであしからず)。
 なんか、ケンカ売っちゃってるなぁ、俺。酔っ払いのクダまきのようになっちゃいましたね。常日頃、サイトの運営おつかれさまです。大変だとは存じますが、これからもよろしくお願いします。

board1 - No.1266

補足

投稿者:仕立て屋
1999年05月19日(水) 22時54分

 コンテンツ8の補強的検証で管理人さんが採用された小林よしのりと田中氏のスタンス比較がもし、否定されるとしたら、
 比較=間違いもしくは無意味--->フィクションにノンフィクションを織り交ぜた評論まがいの小説が肯定されかねない--->田中芳樹が創竜伝において評論まがいをかましてもそれはそれであり
 ってなことになるのはわざわざ指摘しなくともおわかりでしょう(管理人さんがそんなことは意図していないのはこんなサイトを立ち上げられてることから十分推定されますが、文字情報からはそうは取れません)

board1 - No.1267

新Q太郎さんへレス

投稿者:小村損三郎
1999年05月20日(木) 14時31分

>しかし、ここが面白いのだが、エゴと利益まみれの「悪」が歴史の中でまったく別の効果をもたらすことも多いわけだ。
>例えばありとあらゆる謀略によって豊臣家を滅ぼした、徳川家康の対大阪政策があったからこそ、三百年間(同時代のどこと比較しても)一般庶民が安定・安楽に暮らせた「江戸文明」が成立した。
>そしてその江戸体制が近代国家に、大規模な内戦抜きで生まれ変わったのは徳川慶喜が、忠義の旗本たちを見捨てて船でこっそりと大阪城を脱出する(しかも小姓の振りまでして見張りを欺いた)という、どっかの貴族連合みたいな卑怯なことをしたからでしょう。

>こういう善と悪とのわずかな差――というよりそのまま表裏一体となる不思議なダイナミズム――を作品なり評論なりに組み込むと、それはすごく厚みを増したものになる。少なくとも私はそちらの方を好む。
>とは云え、これは並みの作家には中々リスクが大きいのも事実。私が知る限りでは、卑怯な人間の振る舞いが歴史を進ませることを描いて成功したのは
>司馬の「最後の将軍」(文春文庫)
>フーシェをモデルにした漫画「静粛に、天才只今勉強中!」(潮出版)
>塩野七生のローマ教皇伝「神の代理人」(中央公論社)

>ぐらいではないかと思う。

非常に面白い論ですね。
歴史というものの面白さと不条理さの本質は正にこれだと思います。
こういう見方をすると、銀英伝でさえ真の
“架空歴史小説”には成り得ていないと言えますものね。
「歴史は時としてそれにふさわしくない人物に鍵を預けることがある」
とは司馬さんが『関ヶ原』で書いたんだったかな。(ひょっとしたら早坂暁脚本のドラマ版の方だったかもしれん)

ところで徳川慶喜についてなんですが、やはり『会津士魂』を始めとする一連の早乙女貢作品も外せませんね。
この人の歴史観も田中芳樹とはまた違った意味でアレだし(笑)・・・。
薩長は言うに及ばず、幕府側の人でも会津に不利な働きをした人は悉く人格低劣な卑怯者にされているという(^^;;)。
勝海舟なんて
「所詮武士ではなかった。金で武士の身分を買った者の子孫だったのである。」
だもんなー(汗)。

片や昨年の大河ドラマ『徳川慶喜』(←駄作。田向正健に長編を書かすのはもうヤメロ)では
「余が頼むに足らぬ卑怯者と見れば多くの者が戦うのは馬鹿らしいと思うであろう。」(by本木)
とか言ってエエカッコさせてたし。

>とは云え、これは並みの作家には中々リスクが大きいのも事実。

てのは本当ですなー。

>ところで皆さんは、「秦檜」とか「岳飛」とかいちいち新語登録してるんですか?

私は冒険風ライダーさんが書かれたのをコピー&ペーストしてます(爆死)。
「檜」の字を捜すのは初めから放棄してるので・・・(^^;;)

board1 - No.1268

久々の投稿

投稿者:冒険風ライダー
1999年05月20日(木) 16時42分

新Q太郎さんの投稿、なかなか面白いものがありました。
正直言って、私の秦檜弁護論よりもずっと説得力があるな~。

<「クシャナが掲げる巨神兵復活、腐海撲滅…という案に対するアンチテーゼに、宮崎駿は説得力を持たせられなかった。だから、彼は(必要もないのに)クシャナに長を殺させ、『人を殺すのはよくない』という最低のレベルでナウシカや村人の抵抗を理由付けしたのだ」(「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」要約)と論じている。
そういう点が似ている気がするのだ。もっとも田中氏の作品にはこの点、紅塵とは比較にならないほどひどいものがあるが(笑)。>


 創竜伝の「染血の夢」に対するアンチテーゼが、竜堂兄弟の「安っぽいヒューマニズム」でしかないというのは、私もいやでしたね。あれのおかげで、私はヒューマニズムが嫌いになってしまいました(^^;)。あんなのでは四人姉妹の方を応援したくなってしまいますよ。

<ところで皆さんは、「秦檜」とか「岳飛」とかいちいち新語登録してるんですか?
私は漢字探すのにあきらめて、文章で固有名詞を避けることも多いのですが(笑)。
新聞の公式サイトですら「トウ小平」と書いたりしているのに・・・>


 私は新語登録しました。岳飛は最初から入っていましたけど、秦檜の「檜」は自力で探しましたね。結構使うかな、と思いましたし。
 トウ小平のトウについては、私も以前の投稿で文字化けしてしまった事がありました。こっちのパソコンではちゃんと登録されているのに~(T_T)。


Merkatzさん、創竜伝は一応11巻まで出ています。これも外伝という設定です。
仙界だの天界だのといった設定も、様々な点で矛盾だらけですので、いずれそのあたりをついた批評を展開しようと思っています。

それとリクエストがあったようですので(笑)、ちょっとその読売新聞の「田中芳樹の推薦の言葉」の批評をやってみましょうか。

<歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。文化や芸術に無関心な財界人が「曹操タイプ」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、陳先生の作品群が多くの読者によって熱く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>

 相変わらず自分勝手な主張をしていますね~。田中芳樹の怒りは理解できないでもないですけど、その怒りを読者や一般人に向けるのはスジ違いでしょう。田中芳樹と違う考えを持っているからといって、何でここまで罵られねばならないのでしょう。そんなに「三国志以外の中国もの」に目を向けさせたいのならば、自分が「中国もの」を書けばよいだけの話ではありませんか。別の視点で見てみれば、田中芳樹を始めとする少数以外は誰も見向きもしていない分野なのですから、自分が独占管理できるではありませんか。それでベストセラー小説が書けないというのならば、他人を罵るよりも先に自分のいたらなさを反省すべきではないのですか。田中芳樹には「自省」というものがないんですかね。
 自分でできないのであれば、自分の代わりにやってくれる有望な若手作家でも発掘したら良いでしょう。あなただって金持ちなんですし(長者番付作家部門17位なんですから、少なくとも一般人よりは金持ちでしょう)、中国ものをもっと拡大したいという野心ももっていらっしゃるのならば、当然自分が率先してやるべきでしょう。あれほど「文化の育成に無関心」などと批判されている日本の現状から考えると、他人を期待しても無駄のようですからね。
 もっとも私としては、「そんな事よりも既存のシリーズもの(創竜伝・クランは除く)を早く終わらせろ」と言いたいところなのですけど。

で、下が文章改変です↓
<歴史や人物をダシにして現代人に政治・社会問題の暗部をでっちあげてお説教するような「創竜伝の社会評論」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。政治や経済・社会問題の実情に全く無関心な、うわべだけの社会評論を展開している田中芳樹が「小説家」と自称するような風潮にもうんざりだ。私だけがそうではないということは、「田中芳樹を撃つ」のHPサイトが多くの田中芳樹読者によって厚く支持されていることで明らかだろう。近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>

う~ん、こんなんで良いんだろうか?

 ところで「私の創竜伝考察シリーズ」は、ちょっと多忙&それにともなう体調不良のため、スタンスの改善も兼ねてしばらくお休みさせていただきます。暇ができる6月には再開したいものですけど。
 新シリーズも少しお待ちください。

PS.
小村さん、
<私は冒険風ライダーさんが書かれたのをコピー&ペーストしてます(爆死)。>
あらら、使われていたのね~(笑)。

board1 - No.1269

陳舜臣氏について

投稿者:Yasushi-Ta
1999年05月20日(木) 17時18分

拝啓  突然メールを差し上げるご無礼、何卒お許し下さい。
陳舜臣氏について伺いたいことがあるのです。わたしは30代のサラリーマンです
が、父が陳舜臣氏
の小説が好きで、「阿片戦争」などいくつか読んでいたようでした。わたしも少し読
んでみたのですが、
どちらかというと、あまりなじめなかったというのが正直なところです。陳舜臣氏に
ついて発言する人は、
作家の田中芳樹氏をはじめ、陳舜臣氏をたたえる人ばかりなのに違和感を感じたわた
しは、
誰かに聞いてみたくなったのです。

たとえば陳舜臣氏のシルクロードについてのエッセイを読んでみると、ウイグル族が
「開放」前はいかに
悲惨な暮らしを送っていたか、「開放」されていかに感謝しているか、というような
ことが書いてあります。
しかし、近年のウイグル族の反体制運動は、もはや隠しようもないくらいになってき
ています。
またわたしは、ダライラマのチベット関係の著作も読んだことがあるのですが、陳舜
臣氏はこういうテーマ
は扱わないようです。どうやら、中国政府のご機嫌を損ねるようなテーマは扱わない
ようなのですが、
こういう点を指摘する人が誰もおらず、賛美する人しかいない、というのが日本の知
的風土の貧しさでは
ないでしょうか。アメリカなら必ず誰か、異議を唱える人が出てきます。

陳舜臣氏は中国本土では、愛国的華僑作家として紹介されているとのことです。こう
いう作家であることを、
今後ともわたしは認識しながら読んでいこうと思っています。私見についてのご意見
・ご批判等伺えれば
幸いです。
                  敬具

board1 - No.1271

陳舜臣への推薦文

投稿者:水野忠右衛門
1999年05月21日(金) 15時19分

No.1268 冒険風ライダーさん、こんにちは。

>><歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。文
 <以下略>


 私もこの推薦文を読みました。感想です。

「歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教」する傾向は、どの国でも昔から行われている事だと思うのですが……。特に中国の古典は、昔から日本では「教科書」として利用されていましたし。
 だいいち、古典や小説をどう読むかというのは、読者の権利であり、他人がとやかく言うものではないのでは? 「ビジネス教訓書」として読もうが「血沸き肉踊る冒険小説」として読もうが読者の勝手でしょう。他人の読書感想文を批判することが推薦文としてふさわしいんだろうかという気がします。
 陳舜臣を誉めるのに、他者をおとしめて相対的に陳舜臣の地位を向上させようとしているのでしょうか。かえって陳舜臣が安っぽくなるだけだと思うのですが……。推薦文なら、陳舜臣のどこばすばらしいのかを説いたほうがいいんじゃないの?
 だいたい「文化や芸術に無関心な財界人」などと人を小馬鹿にしたような表現は、反感を買うだけでしょうに。推薦文を書くときも創竜伝のノリなんですかね。


 ところで冒険風ライダーさん、

>>自分でできないのであれば、自分の代わりにやってくれる有望な若手作家でも発掘したら良いでしょう。

 これはやってるんじゃないですか? 中国物を書く若手作家の本にはよく推薦文が載ってますし、井上裕美子なんかは田中芳樹の関係者(?)でしょう。七都市物語の地図作りに関わっているそうですし。(七都市物語のあとがきにあります)


>>もっとも私としては、「そんな事よりも既存のシリーズもの(創竜伝・クランは除く)を早く終わらせろ」と言いたいところなのですけど。

 これには完全に同意します。

board1 - No.1272

レス遅延のお詫び

投稿者:本ページ管理人
1999年05月21日(金) 19時56分

 現在多忙中のため、仕立て屋さんをはじめとする方々へのレスが遅れています。
 掲示板やメールでの質問へのお答えやページの更新は近々行えると思いますが、少々お待ちください。
 申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

board1 - No.1273

はじめまして

投稿者:鳳杏樹
1999年05月21日(金) 19時57分

はじめまして。やっと過去ログを読み終えまし
た。田中芳樹の作品、特に創竜伝に対しての皆さんの厳しいご意見に新鮮な気持ちでいます。

私は小6の時に銀英伝を読み始め、以来、
アルスラーン戦記、創竜伝、
マヴァール年代記、「夏の魔術」シリーズ、
タイタニアなどなど、「田中芳樹作品」を
見つける毎に読んできました。「隋唐演義」
も読破しました。いまだに筋金入りの田中芳樹
ファンです。

銀英伝と比較すると、確かに創竜伝の
政治批評めいた描写の多さ、ストーリーの展開
など、「なんだかなあ」と言いたくなることは
多いです。新刊を今か今かと待ちわびる身とし
ても、それは感じます。

しかし私にとって創竜伝は文句抜きに面白く
読める作品でもあります。こういう読み方が
良くないのかもしれませんが、それこそ深く考えずに、ひたすらストーリーを追って楽しんでいるわけです。
いつも「考える読書」を要求される身には、(文学部の学生でして)あれくらい荒唐無稽
な話はいい息抜きになるわけです。あの政治
批評めいた部分も「よた話」だと思えば
気になりません。

しかし、以前の書き込みに「元気でかっこいい
男の子を4人以上だせば読者には受けますよ」
というのがありましたよね。さらに「辛辣な
セリフを吐く美青年」とか「危険な香りのする
美青年」のこととか。
これにはまったく反論できません。(^^;)
みごとに田中氏の策に引っかかってるようです
が、私が楽しみで小説を読む時には、会話の
テンポとキャラクターを重視して読むものを
選んでますので。そもそも創竜伝を読み始めたきっかけが「毒舌家の美青年」が出てくる
ことを知ったからですし。

だから、私が田中氏に大声で言いたいことは
ただ一つ、「シリーズの続きを書いて下さい」
ということだけです。あの遅筆だけはどうにかして頂きたいと思います。

board1 - No.1274

あ~やめやめ~~正直言うと

投稿者:仕立て屋
1999年05月21日(金) 20時05分

 管理人さん、このあたりで矛先をおさめます、スマン。
 ちょっと言葉遊びが過ぎたようです。戦術にこだわりすぎて、論点が当初の戦略目的からかなりずれてしまいました。ぶっちゃけた話、コンテンツ8において最後の小林よしのりとの対比部分がそれに占める分構成上の効果と重要度と比べて、管理人さんのsatokoさんに対するレス1214での発言がかなり不用意な気がしたもので、野良犬のごとく噛み付いた次第です(これが、概ね筋を通されているが、ある意味、姿勢として矛盾を感じました所以です)。管理人さんの管理人として公正な立場を考えての発言だと存じておりますが、正直なところなんだか”ちょっと、カッコつけてんちゃうの?はっきり言やいいのにぃ”ってな感じを受けましたもので、、、、自分から議論吹っかけといて申し訳ありませんが、このへんで引っ込めます。
 ただ、最後に言わせていただくと、管理人さんのレス1240は、ちょっと、私の主張を捻じ曲げ過ぎでは?

board1 - No.1275

ちょっとだけ。

投稿者:satoko
1999年05月23日(日) 16時48分

仕立て屋さんへ
いいだしっぺについての隠された意味に思わず吹き出したんですが、こたえる必要がないとわかってますが、とりあえず一言だけ。

管理人さんがあのレスで「取りたてて意味がない」とおっしゃったのは当然だと思うんですよ。なぜなら、私自身あそこを使う時に「そんなに8の本旨と関係ないから揚げ足取り易い。」(管理人さんごめんなさい)と感じた部分でしたから。補足説明というものは確かに理解させるのに役立ちますが、その他の部分を読めば完全に主張されたいことが理解できますし、あの部分がなくても成り立つという意味で特に取りたてて意味ないという事なのでは?

後、あんまり関係ないですけど「はっきりいってやればいいのに。」みたいな事を感じたと管理人さんに意見してるようですが、そんなに田中ファンを叩き潰したいのでしょうか?管理人さんやその他の方が理性的にレスや意見してくれてるので田中ファンはあきれたり、関わらないようにしようとせずにいるのを知っていただきたいです。もちろんここが、田中氏の悪口言うだけの所と認識なさってるのでしたら別ですが、とりあえず、偏りを無くすため管理人さんはファンのがわの意見も聞きたいとおっしゃってるようですので、あまりそのようには言わない方がいいのでは。下世話な事ですいません。すくなくとも私は負けず嫌いで、あなたにこう書いてますが、本音はもう関わりたくないといったものになってます。

雑文で失礼しました。

board1 - No.1276

続けてお返事遅延のお知らせ

投稿者:本ページ管理人
1999年05月24日(月) 04時37分

 現在私事ながら多忙で、まだしばらくお返事できないと思います。
 仕立て屋さんなど私に質問をされている方にはお返事をしたいと思いますので、今しばらくお待ちください。
 申し訳ありません。

board1 - No.1277

アルスラーン戦記って今どうなってます?

投稿者:アイオロス
1999年05月24日(月) 17時17分

はじめまして。
銀河英雄伝説で田中芳樹さんの作品に出会って8年になります。
アルスラーン戦記の新作を最後に見たのは92年夏頃なんですが、それ以後の情報を教えていただければ幸いです。
ここ3年ほど田中芳樹ワールドと疎遠になっていましたが、読み返したくなってきました。
では。

board1 - No.1278

いろいろな続き物

投稿者:水野忠右衛門
1999年05月25日(火) 14時48分

No.1277 アイオロスさん、こんにちは。

アルスラーン戦記「旌旗流転」の続刊は、まだ出ていません。

タイタニア3旋風篇は1991年5月に出ましたが、これもまだ続刊が出ていません。
灼熱の竜騎兵はpart3の「太陽系の風」が1993年10月に出ましたが、これもまだ続刊が出ていません。
自転地球儀シリーズの第2巻にあたる「カラトヴァ風雲録」は、1995年6月に出ましたが、これもまだ続刊が出ていません。
その他、銀英伝外伝はもう忘れ去られたようですし、七都市物語も半端なところで中断したまま。

しかし、創竜伝は、1年半に1冊、薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズは2年に1冊のペースで新刊が出ています。なぜか講談社のシリーズだけが順調に出ているのはどういう事なんでしょうね。不思議だ。

board1 - No.1279

続き物もうすぐみたいですよ。

投稿者:satoko
1999年05月25日(火) 15時15分

アルスラーン戦記は現在執筆中で、そろそろ出るそうです。

ちなみに銀河英雄伝説の外伝は「銀河英雄伝説読本」の中にある短編4編と「黄金の翼」で2冊分のため、田中氏が公言なさってた6巻分既に出てるので、これ以上でないに過ぎません。

田中氏大好きな中国小説は(結構売れてるはずですが)ほとんど、講談社ではないんですね~。不思議な解釈ですね~。

board1 - No.1280

最近の田中芳樹に思うこと

投稿者:俺様ランチ
1999年05月25日(火) 16時00分

 アルスラーンが出るらしいとは聞いていますが、実際に書店で目にするまでは正直信用できないですよね。出す出す言ってたタイタニアの続きが出なかった過去もありますし。約10年のブランクが入った事で、全巻通し読みした時に9巻と10巻の繋がりや文体に違和感が出るのが怖いです。

 講談社べったりと言われている田中芳樹ですが、satokoさんのおっしゃる通り、確かに講談社からは歴史物は出てないですね。まだそこまで講談社は臣従してないって事なんでしょうか。

 結局、創竜伝とか薬師寺とかの現代物ばっか出るってのは、田中芳樹がフツーのグチっぽい親父化したって事でしょうか?
 銀英伝の時にはかなり冷めた目でものを見ていた気がするのに、40過ぎると社会にいろいろ文句を言いたくなってくる上に、彼には文句を発表する手段が有るんですから。そりゃ使いたくなるわな。一般人じゃ自分の言いたい事なんてHP作ってタダでやるのがせいぜいなのに、彼はそれで金稼げるんだから。

 中国史の発掘については、遅筆の彼にとっては推薦文を書いたりするのが精一杯の方法なんでしょう。ただ私は「田中芳樹推薦」の小説読んだ事無いんですけどね。
 まあ彼の史観が間違ってれば、その内それを糺す内容の小説を誰かが書くでしょうし、それまでは彼の天下でも仕方無いでしょうな。
 ただ実際には、宮城谷昌光は史記ものしか書かないし、陳舜臣は田中芳樹の師匠格ですし、井上裕美子や狩野あざみはいわゆる「田中人脈」ですから、彼の史観を真っ向から否定するような小説を書く日本人はしばらく出ないんじゃないですか。
 「三国志オンリー批判」や「ビジネス書史観ナンセンス」については確かに「大きなお世話だ」とか色々文句をつけられています。が、それにしても他の作家が情けない、ってのも確かにあるんじゃないか、と。
 彼の三国志流行りへの批判って、好意的に解釈すれば「敵がいなくてつまんない」って事じゃないですかね。自分の中国小説に穴や取材不足がある事を自覚していながらも、他の作家にそれを指摘するだけの知識がないので無敵状態。そういうのは田中芳樹にとっても本意ではないのではないか、と。

 最近歴史系のサイトを検索してみたら、和訳の出ていない正史を翻訳していたりするところがあるわ、どこで調べたのかすげーマイナーな人物知ってるわ、別に田中芳樹だけがマイナー時代を好きなわけじゃないなんて当たり前の事を確認したりしました。

 田中芳樹流に「歴史小説の使命は人物について斬新な虚像を作ること」と言うなら、やっぱり他のプロの作家にもいろんな時代を開拓してほしいです。

 三国志はちくまの正史と岩波の演義完訳と吉川英治と横山光輝のマンガがあれば十分だし。
 史記も和訳出てるから、宮城谷昌光に布教してもらわなくても結構平気だし。

 やっぱり宮城谷昌光と田中芳樹が同じ時代を書いてカチ合ったら面白いと思うんだけどなあ。

board1 - No.1281

よしりん・よしきん問題のこちらからの総括

投稿者:本ページ管理人
1999年05月25日(火) 18時14分

 まず、最初に個人的な都合からお返事が遅れてしまったことをお詫びします。
 また、すでに仕立て屋さんが矛先をおさめていることを宣告しているのに、結果として後出しジャンケンのような形になってしまったこともお詫びしたいと思います。




>田中氏の作品に対する取り組み姿勢とそれが軽んじられた場合にその作品がどのような果実として結実してしまうのか、そしてそれを良しとするファンに楔を僅かでも打ち込められたら、ということではなかったでしょうか?そしてここは掲示板におけるさまざまな方々の意見の積み重ねによって成り立っているのではないでしょうか。そんな集まりに依っているこの場において、ましてや、田中氏の姿勢を比較するのに引き合いに出された小林氏のくだんの話題を”余禄”と捉えてらっしゃるのを拝見いたしますと、それではいったいその本旨というのは一体何であり何によって成り立っているのかと疑問を感じざるを得ません。 わたしが野犬のごとく噛み付いたのもここだけは譲れないと思ったためです。要素をないがしろにした本質ってのに如何ほどの価値があるのでしょうか?
>つまり、自らの主張の補強的検証がsatokoさんの発言において'無意味”と言われているのに(論理構造上、コンテンツ8の主旨も危うくなる)、その検証自体は取り分けて意味がなくしいて言えば云々、とおっしゃられていることに”エラありやんけ、自分で使っといてそれがたいした意味はないってのはこりゃ、いかに?”と感じた次第です。
>わたしがいつ、この”意義ある”検証を本旨だといいましたか?このサイトにおける緒言と緒言を具体化したコンテンツ8の主旨を補強する要素(検証材料<----確かに、'よく小林よしのりのことを聞かれるけれど'と最後におまけ的に述べられていますが、この小林よしのりの話は明らかに主旨の補強として用いられています、でなければ、持ち出す必要がありません)であるとは主張しておりますが。で、管理人さんが頻繁にお使いになるサイトの本旨のことなのですが、私はそれを先ほど申し上げたように緒言のことだと理解しておりましたが違いましたでしょうか?だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。


 では、もしコンテンツ8に小林氏との対比がなかったら、このコンテンツやこのサイトの説得力はなくなりますか?
 極論ですけど小林氏がこの世に存在しなかったとしたら田中芳樹の評論とフィクションの混同という卑怯な方法を批判できませんか? そうではありませんよね。小林よしのりが居てもいなくても田中芳樹のやり口はルール違反の卑怯なやり方であり、批判されてしかるべきなのです。小林よしのりを引き合いに出したのはそれをわかりやすく提示できる具体的な例であるからにすぎません。
>要素をないがしろにした本質ってのに如何ほどの価値があるのでしょうか?
 とのことですが、この程度の要素をないがしろにした程度で価値が失われる本質というものは、しょせんその程度の価値しかないと私は思います。その意味でこの比較(という要素)には「とりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いません」。
 ということですので、
「だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。」について私は「全くわかりません」と答えます。


>あのね~、いつ私がジャンルを超えた比較を一般化しましたか?こういうレスのつけ方は自覚しておられるのならある意味納得できますが(私を馬鹿にしてるのかい?とは思います)、
>ただ、最後に言わせていただくと、管理人さんのレス1240は、ちょっと、私の主張を捻じ曲げ過ぎでは?

 まあ、確かにレスとしては的外れな上に舌足らずであると思います。自分でもそうとう論点・趣旨がゆるかったと反省しているのでお気を悪くされたら謝ります。ですが(自覚というほどではないが)、あえていちいちこのようなことを書きたくなる下地はありまして、(ただしヒネくれてますので直接の答えとしては支離滅裂だと思います)


「 何も小林氏が最初から思想家であり学者であり、評論家であったのなら参考文献を出すのは当然でありましょうし、田中氏が創竜伝においてそうしないのを批判するのはジャンルを超えたタブーを犯していることになりましょう」

 という部分が引っかかったんですよ。極論、もしも小林氏が学者だったとしたら田中芳樹のイレギュラーフィクション評論を批判できないように書いておられますけど、私には仕立て屋さんのそういうこだわり方が理解できなかったので。
 別に私は比較対象がよしりんでなく西部邁でも網野善彦でもドストエフスキーでも、「学者・小林よしのり」だとしてもいいんですよ。それでも田中芳樹のイレギュラーフィクション評論に対する姿勢は批判できますから(田中芳樹がフィクションという自分のフィールドを踏み出した以上は当然のこと)。
 確かに小林よしのりとの比較はともにエンターテイナーとしての側面を持っているからわかりやすいし、この比較でなければできない指摘もできます(おぼっちゃまくんとゴー宣に対するよしりんのスタンスが違うけど創竜伝はそうではないとか)。ですが、小林よしのりを引き合いに出さなければ批判できない部分というのは、引き合いが評論家や学者であったとしても批判できる部分を差し引いた部分であり、だからこそ余技であると思うわけです。


>これがもし、”田中氏のスタンスを批判するためにあえて小林よしのりを持ち出す必要はない”とおっしゃられたのでしたら、まだ、わたしも納得できたのですが(ですが、管理人さん自ら持ち出してらっしゃるのですから、おかしな話です)

 ずっとこういってきたつもりなのですが、伝わってなかったようですね。言葉足らずですみません。でも例に挙げたから「そんなこというのはおかしな話」というのがよくわからんのですよ。「必要じゃないけどあったほうがいいもの」だってあると思いますので。


>また、管理人さんのおっしゃるサイトの本旨なるものが主に緒言における内容であるのなら、コンテンツ8の主旨はかなりの部分その本旨に重なる

 私がゴー宣を「横紙破り」だけど創竜伝はそうではないと評していることですか?
 えーと、喩え話ですけど、エンターテイメントを空手、評論をボクシングに例えるとします。
 空手家よしりんは、ボクシングのルールを守ってはいますが、空手のスタイルで戦い、それなりの効果をあげています。私はそれを見てこう思います「ボクシングの戦い方としては横紙破りだけど、ルールに違反してないし、すごいな。」
 空手家むらかみは、ボクシングのリングにあがるのに、空手を捨て、あえてボクシングスタイルで戦うことを決意しました。私はそれを見てこう思います「潔い態度だな。空手にもボクシングにも愛着と責任がなければできないことだ」
 空手家よしきんは、ボクシングのリングでローキックを連発していきがっています。私はそれを見てこう思うでしょう。「卑怯だ。コイツなにか勘違いしている。ボクシングやるつもりならさっさとボクサーに転向しろよ」
 ちなみにさっきの話だと西部邁や網野善彦は生粋のボクサーですから、空手家よしりんを比較に出さなくても同じようによしきんのインチキボクシングの批判は可能です。
 余談でした。

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