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- board1 - No.702
レス
- 投稿者:カエルサル
- 1999年02月06日(土) 20時34分
>えー、ここで「南京問題」について詳細にやるのは好ましくありません。
その通りでした。ここですべきではないことをするとこでした。ただ、よけいついでに申し上げれば、私はN事件が実際どんな物か、皆目見当もつかず、それでK氏の説を鵜呑みにできないでいます。
>基本的にカエルサルさんも「小林よしのりと田中芳樹じゃ覚悟が違う」ってのはお解りいただけているようなので、喧嘩をしているつもりは私にもありませんでした。「今の田中芳樹と同列にされるのは嫌だな」と思っただけですので、あまり気になさらないで下さいね。
そうですね。T先生にも、責任感じて欲しいものです。
>今現在の田中芳樹ファンというか今書かれている作品のファンの人たちは銀河英雄伝説やそれ以前の作品て読んだことあるのかね?
俺は創竜伝しか読んだことはなかったのですが、ここの皆さんがかいてるのをみると、おもしろそうなので銀英伝数日前に購入しました。(勿論古本屋で(T_T))
かなりよみづらいのですが、3分の1ほど読みました。「をいをい」ッテところがかなりあるんですけど、じっくり読んでいこうと思います。
>TRPG
スレイヤーズのTRPGやろうとしたんですけど、ややこしいのと、だれも同志がいないのでやめました・・・・
>あ◯ほ◯さとる
実はファンです(爆
まあ、読みやすいというか、さらさらというかですけど、結構精巧につくられて流行ってるだけはあるとかおもってるんですけど。
少なくてもエンターテイメントとして「創竜伝」よりは上です。読むと後味がわるくなって、中身があれじゃねえ。。。
いっそ濡れ場をだせば凄くおもしろうかもしれません(爆
って、くだらねえこと書いて、申し訳ありませんでしたっ
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- board1 - No.703
銀英伝読まない人々
- 投稿者:退谷屋 張網
- 1999年02月07日(日) 04時04分
俺も銀英伝を友人数人に薦めたことがあります。結果は全滅。最初の13ページ(歴史説明の部分)でほとんどの人が挫折し、なんとか読み終えた人も2巻を借りたいとは言いませんでした。
そして最近友人の2,3人が銀英伝にはまったというので話をすると、どうにも話が通じない。外伝になるともっとかみ合わない。そう、彼らはアニメの方の銀英伝にはまっていたのです。アニメは小説のセリフをそのまま長々使用するほど原作に忠実なのですが、それでも過度の比喩的表現や人物の思考などが抜けてしまうのであまり好きになれません。しかし、やはり小説よりアニメの方が入りやすいようです。俺的には原作を読んでからアニメを見て欲しいのですが・・・。
あ〇ほりさ〇るの小説は10年くらい前に「ビースト三獣士」という読むとすぐに買ったことを後悔するモノのせいでながらくトラウマになっておりましたが、年月が経ち、すこしはましになっただろうと「爆れつハンター」なるモノを読んでみると、よけいひどくなっておりました。彼のアニメはまだ見れるものなのにどうして小説を書かせるとああも酷くなるのでしょうか。
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- board1 - No.705
リンク更新のお知らせ
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年02月07日(日) 08時54分
宣和堂さんからリンクの許可をいただいたので、リンク集に追加しました。
あと、既存の紹介文もちょっとばかり加筆訂正しています。
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- board1 - No.706
小林よしのり他
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年02月07日(日) 12時40分
>考えてみるまでもなく、小林よしのり氏を何かと引き合いに出す張本人は私ですね。
これについては私もそうですので一言
>不沈戦艦さんも言われるとおり、小林氏の中国批判は妥当なところも多いのですが、日本の神格化とペアになるのが問題かと。日本だって褒められた事ばかりしているわけではないし、
>日本良い国、中国悪い国、と短絡する読者も多いのではないかと危惧します。
一応、小林氏は「日本=絶対善」といった類の発言はしてないはずです。(「もっと再評価しよう」とは言ってますが。)
その一方、やたらと中国の悪をあげつらっているのはたしかにそうで、田中作品同様に表面だけで煽られて浅薄な認識を持つ人も少なからずいることでしょう。
>ただ、「今でも食ってる」とは言ってませんけど、K氏「戦争論」で「支那人は伝統的に人肉を食う=その感覚で日本軍の残虐行為をでっち上げ、通州事件で残虐性を発揮した」という旨のことをかいていますが、信者の方が「人肉食い」の事実だけで中国人を民族的に「野蛮」扱いした書き込みをしておられたのを、差別的と思ったのです。ちょうど「日本人は朝鮮通信使が記述しているように伝統的に性が乱れてる=その感覚で従軍慰安婦をした」という韓国人文化人とそれに追従して「日本人は倭色文化のセックス狂い」といってる韓国人の様な感じがしたのです。韓国人を「犬食い」とかかいてるのも同様。犬食いの事実から「野蛮」的なみかたをするのは「japは鯨を食う。野蛮だ。捕鯨禁止せよ。」とかいってる欧米人と同列なきめつけでしょう。
これは鋭い指摘ですね。知らず知らずの内に日本人が被っている理不尽な決め付けと同種の行為に走ってしまう恐れがあるわけですね。
他人の醜い行為の真似はしたくないものです。
>>暴走するファン
> 困ったもんです。もう少し利口になってもらいたいですね。小林よしのりも、少しはたしなめるようにした方がいいでしょう。
私はナショナリズムとウルトラナショナリズム(創竜伝の悪役みたく、日本人は世界一優秀な民族で、野蛮な中国人・韓国人を支配する使命を持つ、とかいったトンデモな思想)は明確に区別されるべきだと思っていますが、それがついてないのが一部の小林狂信者(戦前の軍部の一部、右翼もそうか)と田中芳樹ではないだろうか、という感じ。
いや、前者はともかく田中芳樹ともあろうものが、この区別ができていないとは考えられず(現に漢民族のナショナリズムは称揚している)、やはり全て分かった上でわざと両者を同一視した論を言い立て、中学生位の若い読者に固定観念を注入しようとしているとしか思えませんね(怒)。
>田中ファンのサイト
私の知る限りではそんなに異常な人は見たことありませんが。
純粋に作品自体を楽しんでる人の方が圧倒的に多いと思います。
創竜伝系のサイトでも、「続さんステキ!」という類の書き込みが大半だし(^^)。
>銀英伝を読まない
う~ん、銀英伝を読まずして田中論をぶつ、って一体・・・。
「やっぱりガンダムはGだよな。」とか言ってる最近の若いモンと同じでオジサンの理解の範疇を超えてるでゴザル。
オジサンついでにもう一言。
先日発売されたPSの「宇宙戦艦ヤマト」は良い感じです。
白兵戦はうざったいけど、対艦戦が燃える!
but!!
ヤマトは下面に武装が無いので常に敵艦より下に占位してないと攻撃できん!!!(爆)。
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- board1 - No.709
卒業勧告
- 投稿者:B
- 1999年02月08日(月) 03時25分
田中芳樹の作風に「全共闘」的なスパイスがきいているのは確かだと思います。
ただ、自分の理論や価値観を相対化できないなどとはさすがに考えにくいのではないでしょうか?
誰でも"立場"というものを持てば必然的にどこか視点に"偏り"が生じます。
このことから逃れられる自我はない訳で、問題はそれを「絶対化」したり「正当化」してしまって他人との間で比較考量したり客観化したりできなくなることでしょう。
恐らく田中芳樹は"自己の相対化"ができているはずです。
なぜなら、彼の政治批評や意見や引用はちょっと露骨すぎるくらいにあからさまで単純化されているからです。
創竜伝の何巻かの後書き座談会で、「いかに登場する政治家などを卑小に描くかが作者の苦労のしどころだ」みたいな言葉がありますが、これが彼の本音だと思います。
本当に読者に対して思想的な影響力をおよぼしたいと意図して書かれているのならば、これほど「わかりやすく」は書かないでしょう(笑)。
村上龍の作品みたいに読めば読むほどズブズブと深みにはまっていって人間存在の不条理さなんかに苦しんだり悩んだりしてブルーになる作品もあれば、勧善懲悪でわかりやすいおとぎ話的な(読む前から100%安心して読める)生臭い犯罪やらレイプやら中絶やら児童虐待やらが出てこない作品・ハッピーエンド確実な作品もジャンルとして存在意義があります。
というか、そういう作品こそが俗に言う"王道"なわけで、そうでない作品は所詮はマイナーにしかなれません。
※むろんそういった作品は作品で存在意義は立派にありますが。
読者の望む作品を作り出すのが作家の仕事なのですから、田中芳樹はその義務(?)を立派に果たしています。
その証拠に彼の作品はほとんどがベストセラーです。
ここにいる方々が田中芳樹に対して違和感をもつようになったのは、「読者としての自分」が変わった(=大人になった)からでしょう。
彼の作品は中高生ぐらいの子たちが読んで適当なものです。
大人になってみれば『ノンタン』や『アンパンマン』はアラやからくりが観えてしまってつまらなくなるのは当たり前です(というか、そうなれないのならばモラトリアムやってるんであって困ります、社会全体としてみれば。個人的にはかまいませんが)。
大人になってまで"おとぎ話"を読もうとするから無理がでてきているんであって、早く卒業するべきである、というだけのことでしょう。
ちなみに、最近の創竜伝のパワーが著しくダウンしてきているのは事実ですが、それも当然のことです。
なぜならこの作品は本来は第一巻のみで完結するはずだったのですから・・・。
それを無理矢理出版社からの要請で続けようとした時点で破綻が生じるのはもう覚悟の上だったハズです。
初めから全構想を練って作り上げた『銀河英雄伝説』とは話がまったく異なります。
最新巻なんかは終わり頃の『ドラゴンボール』や『幽遊白書』などと同じような感じじゃないでしょうか。
作者本人は書きたくないのに、出版社からの突き上げにあってやむを得なく書いている・・・。
だから苦肉の策で、夢でみたネタなんかで書かざるを得ず(別にそのこと自体を否定するわけではありませんが。ただ、あまり充実性が感じられるシナリオづくりではないですよね)、設定なども似て非なる異世界である、みたいにしなければならなかったのでしょう。
むしろ田中芳樹としては『魔天楼』なんかのシリーズの方に意欲を感じている気がします。
未完でシリーズを終えてしまうのは確かに攻められるべきことかもしれませんが、逆に私としては無理に続編を書いて前の作品群を台無しにするよりも、そこで止めておく方がベターだと思うのですが。
最後に、作品の主人公が作者の分身であることは当たり前です。
いくつかの作品でその主人公に中学生の女の子がそばにいることは、作者の自我の偏りの反映かもしれませんが、そんなことにケチをつけはじめたらあらゆる作品はみな妄想の産物なのですから困ってしまいます。
※というよりも、大人が読むことを前提にして書かれている訳ではないので、むしろ少年・少女が登場する方が自然なはずです。
ただ、導く存在が子供でも困るので青年や中年・壮年の男性という読者が納得しやすい・入り込みやすいキャラにしているだけ、というのが実際のところでしょう。
どちらも幻想で、それを共同化して楽しんだり知識・イメージ.etcを受け取ったり考える元にしたりすればいいのであって、それは小説に限らず大前提です。
このことを嘲笑するのは"ためにする批判"でしかありませんし、無意味です。
きちんと読者が相対化できるようなレベルで書かれているのですから、それは逆に無意識的に
「俗に言われている正義みたいなものは実は一面的なのではないか?」
と気づかせる側面の方が強いでしょう。
物語は物語です。
そして、田中芳樹の書く物語は"おとぎ話"です。
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- board1 - No.710
Re:卒業勧告
- 投稿者:甘藍
- 1999年02月08日(月) 10時42分
Bさんの意見に、ちょっと納得が行かなかったので、言葉足らずは自覚していますが反論など。
私は田中芳樹が価値観を相対化出来ているか否かについて、明言するほどの情報は集めておりません。しかし
>本当に読者に対して思想的な影響力をおよぼしたいと意図して書かれているのならば、これほど「わかりやすく」は書かないでしょう(笑)。
これはその判断材料にならないと思います。
プロパガンダ・広告の類はその手法として少なからず単純化を使ってきたのではないでしょうか。
>村上龍の作品みたいに読めば読むほどズブズブと深みにはまっていって人間存在の不条理さなんかに苦しんだり悩んだりしてブルーになる作品もあれば、勧善懲悪でわかりやすいおとぎ話的な(読む前から100%安心して読める)生臭い犯罪やらレイプやら中絶やら児童虐待やらが出てこない作品・ハッピーエンド確実な作品もジャンルとして存在意義があります。
・・・これは田中作品を後者にあたるものだとおっしゃっているように読めるのですが、わたしの邪推でしょうか。でないとしたら、暴力と性的偏見(我ながら拘ってるな~(^^;))と人間存在の不条理さと醜悪さにみちた某田中作品はどうなるんでしょう。
>逆に無意識的に「俗に言われている正義みたいなものは実は一面的なのではないか?」
と気づかせる側面の方が強いでしょう。
これは人によりけりですから、そういう面もあるかもしれない、とは思います。
でもその程度のことに気付くのに、あんな不愉快なものを読むのはなんだかなぁ~
・・・っと、私情になってきましたのでこの辺で帰ります。
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- board1 - No.711
「卒業」はしました
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年02月08日(月) 11時25分
>ここにいる方々が田中芳樹に対して違和感をもつようになったのは、「読者としての自分」が変わった(=大人になった)からでしょう。
というのは、確かに一理あると思います。しかし、その他の主張には首を傾けざるを得ないですね。
>恐らく田中芳樹は"自己の相対化"ができているはずです。
>なぜなら、彼の政治批評や意見や引用はちょっと露骨すぎるくらいにあからさまで単純化されているからです。
>創竜伝の何巻かの後書き座談会で、「いかに登場する政治家などを卑小に描くかが作者の苦労のしどころだ」みたいな言葉がありますが、これが彼の本音だと思います。
これは、おそらく7巻のあとがきだと思います。
『第七巻の原稿を書きあげた後、証券会社や銀行を中心に政財官界のスキャンダルが続出して、作者がぼやいていましたね。「どんなに小説家が頭のなかで悪事をこしらえても、現実の政財官界の連中にはとてもかなわない」って』
そういうわけで、「いかに登場する政治家などを卑小に描くかが作者の苦労のしどころだ」とは田中芳樹は全く言っていません。ついでに言えば、政治家というキャラクターを卑小に書くのは勝手ですが、現実を小説という立場から卑小化して書くこと(拙論「田中芳樹の認識」等参照)が、どうして自己の相対化とつながるのか、はっきりと言って理解できません。
しかも、笑止なことにさっきのあとがきは、こんなふうに続くんですよ。
『それはもう当然のことだな。ソ連でも政変があったし。小説が現実に追いつくのは大変だけど。(後略)』
このあとがきからも判るように、
>ちなみに、最近の創竜伝のパワーが著しくダウンしてきているのは事実ですが、それも当然のことです。
>なぜならこの作品は本来は第一巻のみで完結するはずだったのですから・・・。
>それを無理矢理出版社からの要請で続けようとした時点で破綻が生じるのはもう覚悟の上だったハズです。
>初めから全構想を練って作り上げた『銀河英雄伝説』とは話がまったく異なります。
>最新巻なんかは終わり頃の『ドラゴンボール』や『幽遊白書』などと同じような感じじゃないでしょうか。
>作者本人は書きたくないのに、出版社からの突き上げにあってやむを得なく書いている・・・。
にある、『ドラゴンボール』や『幽遊白書』の破綻と、創竜伝の破綻は全くの別物です。何故なら、前者は、長期連載の弊害である敵のインフレ状態が主で破綻しましたが、創竜伝ではそうではありませんね。私が批判している創竜伝の破綻は、本論3で書いたとおり、「小説が現実に追いつ」こうとする姿勢による破綻なのです。
そもそも、>作者本人は書きたくないのに、出版社からの突き上げにあってやむを得なく書いている・・・というのが、仮に本当だとしても、私は同情はしませんね。銀英伝一〇巻のあとがきで、「巻数は公約だ。信じて欲しい」と言った人ですから、むしろ圧力に屈して巻数を増やしたということのほうが問題だと思います(しかし、銀英伝が始め一巻完結という話は聞いたことがありますが、創竜伝がそうだという話は寡聞にして知らないのですが…)。
繰り返しますと、私が創竜伝の物語として破綻していると指摘するのは、何故物語の整合性をぶち壊してまで『小説が現実に追いつく』…要は社会評論をする…必要があるのか、ということなのです。
>彼の作品は中高生ぐらいの子たちが読んで適当なものです。
>
>大人になってみれば『ノンタン』や『アンパンマン』はアラやからくりが観えてしまってつまらなくなるのは当たり前です(というか、そうなれないのならばモラトリアムやってるんであって困ります、社会全体としてみれば。個人的にはかまいませんが)。
もし、私が「竜の化身の超能力者が世界を支配する組織と闘う、なんてガキっぽいな。くだらねぇ小説だ」という批判をしているのなら、御説ごもっともだと思います(私もいまさらファンタジア文庫読むのもツライし)。しかし、私が批判しているのは、そういう事じゃないんですよ。創竜伝のやり口は、少年向けだろうと、壮年向けだろうと、変わらずにくだらないんですよ。「銀英伝のころの誠実さと創竜伝の腐り果てた姿」と言う意味で、私は田中芳樹に違和感を感じるようになったのです。
>大人になってまで"おとぎ話"を読もうとするから無理がでてきているんであって、早く卒業するべきである、というだけのことでしょう。
といいますが、銀英伝は今読んでも充分面白いのですから。「王道」ってのは、こういうもののことじゃないですか。
>最後に、作品の主人公が作者の分身であることは当たり前です。
>いくつかの作品でその主人公に中学生の女の子がそばにいることは、作者の自我の偏りの反映かもしれませんが、そんなことにケチをつけはじめたらあらゆる作品はみな妄想の産物なのですから困ってしまいます。
>どちらも幻想で、それを共同化して楽しんだり知識・イメージ.etcを受け取ったり考える元にしたりすればいいのであって、それは小説に限らず大前提です。
>このことを嘲笑するのは"ためにする批判"でしかありませんし、無意味です。
これについては、過去に掲示板やメールで様々な方から忠告されています。私も、異論はありません。
これらの初期のコンテンツは、直そうと思えばいつでも直せましたし、レイアウトを変更したときなど、直す機会もありました。
それにも関わらず修正しなかったのは、散々得意げに開陳しておいて、いざとなったら都合の悪い部分を隠すという方法が、私にとって感覚的にイヤだったからです。もし、これが事実誤認や当方の認識不足などのような緊急を要す場合でしたら修正や補記(例えば盗泉における水経注の指摘のような)・謝罪をしますが、この件については私はそこまでする必要もないことだと思っています。
もちろん、「口汚くののしりやがって」と思われるのは自由ですし、私もそう思われても仕方がないと思っています。そして、指摘されたからと言って隠したりせず、それを甘んじて受けることが責任ではないかと、私個人は考えています。とにもかくにも、あのような形で発表してしまったことの責任はとらなくてはならないと思うのです。
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- board1 - No.712
B氏の意見、ちょっと変ですね
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年02月08日(月) 16時07分
B氏の意見、私も読みましたけど、同意できない点が多いですね。単純化された批評は「相対化」が出来ているということなのでしょうか?むしろプロパガンダとしてスローガンを掲げるとき、単純明快な方が、一般受けするし大衆煽動には効果的です。共産主義云々を言わなくても、ナチス・ドイツのやり口を見ても一目瞭然でしょう。当時のドイツ国民は、ヒトラーを熱狂的に支持した訳ですから。
「創竜伝は中学生程度向けの、アンパンマンのような勧善懲悪ものに過ぎない」
という主旨のことを述べておられるが、とてもそうは思えません。むしろ、作者が構築した創竜伝の世界を、自分自身である程度信じているのでは?と思えますね。荒巻義雄の「紺碧の艦隊」の中に出てくる「影の世界政府」なるものを、作者がある程度自分でも信じているよう(にしか思えないもので)なことに似ていませんか。また、B氏は
「田中芳樹は創竜伝など書きたくはないのだ。出版社に無理矢理書かされている」
という意味のことも言っておられますが、それにしては「無理に書かされている」のが創竜伝一本だけってのは妙です。アルスラーンはどうしたのでしょうか?タイタニアは?あれもこれも出せば売れること間違い無しだから、出版社は書いて欲しくてしょうがないと思いますよ。むしろ、田中芳樹と出版社の関係は、出版社が拝み倒して、ようやく書いて頂いている、という状態ではないでしょうが。普通の作家とは完全に力関係が逆転していると思います。出せば売れるのだから。そうでもなければ、ここまで書き散らして放ったらかしの作家など、とうの昔に干されていますよ。とすると、田中芳樹は自分の意思(出版社に強制的に書かされる力関係ではない)で、シリーズ物の中では創竜伝だけを書き続けている、ということになります。つまり創竜伝を書きたいんですよ、田中芳樹自身が。ところが、それを読んだ私などは「作者の理想とする世界と、現実の世界とのギャップに対する不満からの鬱憤晴らし」としか読み取れなくなり、読む気がしなくなって田中芳樹自体を見放してしまう、という反応になる訳です。「子供向けのおとぎ話からの卒業」でも何でもありません。創竜伝自体が、害毒を撒き散らしているから、嫌になる訳です。この点、B氏の、田中芳樹の現状に対する考察は完全に誤りだと思いました。
私としては、「個人的欲求不満の解消の為にやっている小説など、商業ベースではなく同人ででもやってくれ」と言いたいですね。管理人さんも同じでしょう。これを「子供向けおとぎ話」として評価せよ、と言われましてもね~。ドラゴンボールや幽遊白書とはかなり違うと思います。また、創竜伝を読んで
「俗に言われている正義みたいなものは実は一面的なのではないか?」
などと考える人はそんなにいないでしょう。普通の反応は、根っからの田中芳樹ファンで「その通り、政治家も官僚も大企業も腐っている!」と純粋真っ直ぐに同意するか、「何だこれ?無茶苦茶じゃないか。偏見だらけで読むに耐えん」と思うかのどっちかでしょう。私は後者でしたけど。銀英伝のように、「人それぞれの正義について」など、考えさせられるテーマのものではないと思いますよ。単純化した設定に相応しく、単純化した反応が普通ですから。B氏のような思考を持つ人は少数派だと思います。
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- board1 - No.713
お初なのです
- 投稿者:宣和堂
- 1999年02月08日(月) 18時09分
ええーなんか気恥ずかしいのですが、初めまして、宣和堂であります。中国史系の家頁で“田中芳樹 七つの大罪”なるコーナーを書いている者です。
まず最初に、管理人の石井様、ご丁寧なメール及び当頁へのリンク、ありがとうございます。
リンクの確認がてらこの家頁に寄らせていただいたところ、B様の書き込みを見て感じる所があったので書き込ませていただきます。
まず、『創竜伝』は田中芳樹(敬称略)が『北斗の拳』や『魁!男塾』(すいません、こういう性分です)のように、商業主義に毒された出版社に強要されて書かされているように意見されておられますが、これはいくら何でも無理があります。
彼に出版社に対する責任感が微塵でもあれば『銀英伝』の外伝も『灼熱の竜騎兵』も『タイタニア』も『アルスラーン戦記』も、とっくの昔に完結していなければなりません。
おまけに各作品のあとがきに書かれている、中国モノの「光武中興モノ」や「唐太宗立志伝的なモノ」も刊行されいなければなりません。
このように、他の仕事は逃げ出しているにもかかわらず、『創竜伝』のみ刊行していたというのは、穿った見方をすれば、K談社との繋がりを絶ちたくなかったから、と見ることもできます(3月にはk談社から念願のハードカバーで又、人の褌で商売するとの噂もあります)。
おまけに、『創竜伝』の9巻と10巻を読み直していただければ分かりますが、ココの間で、重大な方向転換が為されています。9巻の終わりで10世紀後半の宋遼国境に下り立った終君が曹彬の頭の上あたりを飛んで次巻に続いておきながら、10巻では、そんなことは無かったかのように、ただひたすらイギリスを薙ぎ倒す竜堂兄弟の描写だけで、宋遼国境戦は伏線すら登場しませんでした。犬の松永君の飼い主(二郎神君)の伏線も、引くだけ引いてお蔵入りです。一つ間をおいて11巻で触れるのかと思えば、外伝の名を借りた下らないSFを読まされました。自分は田中芳樹の政治認識には興味なかったのですっ飛ばして読んでます。主に中国史に関係あるところしか覚えていませんが、少なくとも、9巻までと10巻からは、明らかにプロット上の変更若しくは断続が見られます。しかも田中芳樹は、わざわざプロットを崩してまであえて自己満足の便所の落書きを、まるまる1冊、たぶん、出版社に強要されることなく書いてます。いくら自分がファンだととはいえ、この作家のプロ根性とやらを疑います。あんまり腹が立ったので、講談社に茄子付き嫌がらせ応援お手紙を送ろうかとも思いましたが、まだやってません。
お伽噺だとしても、作家としてこの態度、Bさんはどう受け取っておられるのでしょうか?
長くなりましたが、政治抜きにしても、『創竜伝』は中国風伝奇物語としてもソロソロ破綻しようとしています(最も整合性なんて端から求めていなかったけど…)。私の目から見ても、『創竜伝』は既に作者自身の手によって破壊されていると思います。
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- board1 - No.714
ちょっとツッコミ
- 投稿者:退谷屋 張網
- 1999年02月09日(火) 02時42分
>むしろ田中芳樹としては『魔天楼』なんかのシリーズの方に意欲を感じている気がします。
「創竜伝」をやめて「魔天楼」に力を入れるんですか?それってどっちもどっちだしなぁ。例えるなら「万引き」に飽きた人が「ひったくり」を始めるようなものでしょうか。
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- board1 - No.715
ちょっと反論
- 投稿者:カエルサル
- 1999年02月09日(火) 05時59分
ええ、皆さんのあとで書くことないんですけど、お伽噺とは、その時代ごとにかえられた政治プロパガンだそうで、その意味で創竜伝はお伽噺といえるでしょう。
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- board1 - No.716
緊急情報
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年02月09日(火) 12時17分
つらつらとファンサイトを見て歩いていたら驚くべき情報をキャッチしました。
何と!
「「アルスラーン戦記」10巻の原稿を3月までには上げたい」
と田中芳樹本人が宣言した、そうです。
いやー、てっきりもう彼の中では「なかったこと」になったと思ってたんですけど(^^;;)。
もしかしてこのサイトに発奮させられて、「守護天使が勤労意欲に目覚めた」のかな?
もっとも数年前に「「タイタニア」の続刊を執筆中」と発言した?前科がありますし、関係ないけど佐藤大輔も「「レッドサンブラッククロス」の8巻がの9月(H9年の(爆))に出ます。」などと発言したにも関わらず1年以上も音沙汰無し(いや、一応発刊予告は出たんだけどいつの間にやら立ち消えになった)というケースがあったりしたので、作家のこの種の発言は額面通りには受取れない、というのはありますが。
宣和堂さん、こんにちは
実を言いますとあなたの家頁を石井さんに紹介したのは私なんです(^^)。
>このように、他の仕事は逃げ出しているにもかかわらず、『創竜伝』のみ刊行していたというのは、穿った見方をすれば、K談社との繋がりを絶ちたくなかったから、と見ることもできます
実はこれは私も疑っています(笑)。
T間とかK川とか田中氏の中ではヒエラルキーの低そうな、脱却したいと思ってる出版社の本は書かなくても構わないけど、K談社には何としても顔つなぎをしておかねばネバ、なんて意識があるんでは、と勘ぐってしまいますね。
創竜伝は「書きたくて書いている」と言うよりは、「自分の意志で書いてるには違いないが、そういったしょうもない理由が先に立っている」から、ああいう投げやりな内容になっているんではないか、ってのはさすがに邪推し過ぎかな(笑)。
「魔天楼」シリーズについては読んでないので何とも言えません。
私もT間やK川はあまり好きじゃないけど、「幻影城」亡き後の田中氏が作家として1本立ちできるまでプロデュースしてくれたのはこの両社(特にT間)ですよね。
そこでの未完シリーズをほっぽり出して他所への顔つなぎばかりというのもちょっと義理を欠く姿勢のような。
まあ、芸能人でもスポーツ選手でも、ステップアップする為には世話になった人でも切り捨てたり踏み台にしていかなきゃならん時もあるので作家はそんなことをしてはイカン、とは一概に言えませんが。
それでも上記のアルスラーンの続きが本当に出れば
「これで今後数年分の義理は果たした」
なんて本人は勝手に考えるかもしれないけど(爆)。
>(しかし、銀英伝が始め一巻完結という話は聞いたことがありますが、創竜伝がそうだという話は寡聞にして知らないのですが…)。
創竜伝は銀英伝と同じパターンで、「最初の巻が売れれば続きを出す」という前提で刊行されました。(1巻の初版には“1”の数字が入っていない)
ですから、1巻だけでも一応話が完結するようにしてある訳です。
ただ、銀英伝についても、全体の構成をまとめたのは「2巻を書き上げた後」だったはずです。
「始めから全10巻で構成できていればキルヒアイスをあんなに早く殺さなかった」(田中芳樹・談)
もっとも全体のストーリーについて、銀英伝は始めからある程度の骨格があったのに対して創竜伝はあやふやだった(最後までは考えてなかった)、というのはあるかもしれません。
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- board1 - No.717
20000アクセスにて思うこと
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年02月09日(火) 15時34分
おかげさまで20000アクセス突破いたしました。
大体立ち上げてから3ヶ月ちょっとですが、そのときはここまで反響があるとは思っていませんでした。
さて、もし私が田中芳樹だったら、あるいは、田中芳樹ファンの立場から、このサイトを見たら、やっぱり不愉快でしょうね。
「20000アクセスだって言っても、俺(田中先生の)のネームバリューで人が集まってるんじゃないか!?」
はい、その通りです。
前に、別の掲示板で以上のような事を実際に言われましたが(「実は田中芳樹が好き」「ある種ファン」「田中芳樹の土俵の中で完結してる」etc…)、 私もそれらの意見はもっともなことだと思います。反論しようがないですね。
しかし、田中芳樹に対する批評が「実は田中芳樹が好き」「ある種ファン」「田中芳樹の土俵の中で完結してる」ということは、日本や政財官界やアメリカや中国指導者に対する田中芳樹の批評(?)にも、全く同じ答えが返ってくるのですね。
つまり、田中芳樹は「実は日本や歪んだ社会(批判する対象)が好き」なのだし、「日本や自民党政権のファン(肯定)」でもあり、「田中芳樹の批判対象の土俵の中で完結してる」わけですよ。
このへん、彼本人はどこまで自覚してるのかな、とふと思いました。