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- board1 - No.574
ほーしんえんぎ
- 投稿者:荒井きらら☆
- 1999年01月13日(水) 20時19分
はじめまして。いつも楽しみに見ていますが、只今マイブーム中の「封神演義」に
ついて話題が出ていたので書込みします。
安能版「封神演義」についての説明は↓こちらのページが詳しいかと思います。
ttp://village.infoweb.ne.jp/~ent/comic/housin/ano.htm
私も藤崎竜氏のマンガ版と安能版しか読んでないので、原典とどれほど違うのか
詳しい事は判らないのですが、どうやら安能版は翻案とか「超訳」と呼んでよい
レベルの作品のようですね。
原典ファンからは「あれは違う~」と言われてしまうものかもしれないと(汗)。
でも誤訳はともかく、翻案自体は、それが悪いとは私はあんまり思ってないです。
私自身は安能版は、藤崎竜氏のマンガ版と同じレベル(笑)で受け止めております。
あれは現代的に面白くなるように翻案された、私家版「封神演義」ですと。
中国文学に詳しい友人に聞いたところ、「封神演義」というのは元々は、文字が
読めない民衆の前で演じられてきた講談やお芝居だったそうです。
それも通しで演じられるものではなくて、皆に馴染みの名場面をピックアップした
(三国志だったら赤壁の戦いに当たるような部分)、一幕芝居のようなものだった
そうでして。
んで、講談やお芝居を演じる人たちが、勝手に新しい場面やお話をこさえて、どんどん
元の話に追加していき、それが明代にまとめられたのが、今ある「封神演義」なのですと。
(でもどの話を取り入れるのか編者によって違うから、百回本や百二十回本とまちまちに
なってたりもして)
これを聞いちゃったら誤訳はともかく(^^;)、翻案はアリだよなーと思っております。
ちゅうか、演じたり語ったりする者が、自分の好きなように世界を表現する事は、
大衆娯楽としての「封神演義」においては正統的なスタイルのような気すらしております。
これが学者さんの仕事だったら問題アリだけれど、一人の作家が娯楽小説として、
「これが自分の「封神演義」です」として提出する事自体は、別に構わないのでは。
日本でも「忠臣蔵」という素材が、様々な作品として料理されているので、それと
同じ事ではないかしらと。
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- board1 - No.575
アドルフとルドルフ
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年01月13日(水) 20時35分
というわけで、やはりルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの最大のモデルはアドルフ・ヒトラーでしょう。
絶望的な不況を打破するための独裁、優生学的な見地からの障害者抹殺など、多くの類似点を感じずに入られません。
しかし、ヒトラーが強気な態度でインフレを打破できたのは、あくまでも当時のドイツ(ワイマール共和国)がヴェルサイユ条約の人類最悪とも言える負債を負っていたから、それを無効とする強権独裁が有効であったのであって、単一国家である銀河連邦では、おそらくは通用しないでしょう。
さて、同盟は民主主義にカテゴライズされていますけれど、民主主義にも種類があり、大まかに「アメリカ型(つまり資本主義)」と「ソ連型(社会主義)」に分けるならば、同盟は明らかにアメリカ型民主主義になります。
私は、初めて銀英伝を読んだときに素朴に「共産主義はどうしちゃったのだろう?(当時はソ連がまだあった)」と思ったものですが、歴史の中で敗北して消えてしまったのでしょうか。
でも、「お前が戦場に行け」という言葉は、大資本(兵器産業)が労働者(兵士)を一方的に犠牲しているという認識でないと、原理的に出てこないんですよね。大資本と労働者は絶対に相容れない存在で、大資本の人間は絶対に戦場には行かず、労働者階級は一方的に戦場に行かされて、という、いわゆるレーニンばりの階級理論ですから。
ま、野暮な話しです
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- board1 - No.576
先生カッコい~(アトネ女学院)
- 投稿者:石井由助
- 1999年01月13日(水) 20時37分
>2巻第6章・誰がための増毛
Belialさん、新Q太郎さんのカキコミ、笑いながら読ませてもらいました。
確かに、あの著者近影、まさに写真記録という感じですね。小学生の夏休みの宿題のアサガオ日記みたいでグッドです。
んでも、とりあえずズラとかで誤魔化さないところは感心しますね。(もし「人の身体的特徴をあげつらって笑いの種にするとはけしからん」という抗議が来たら、この項に限って速攻で削除します。冗談ですからね)
>*「ザ・ベスト」にギャグ・パロディという項目を作ったほうがいいかも?いや、よくないか
やろうかやめよか考えちゅう♪
>半ば冗談で賭けの項目に「田中芳樹」
今でははらたいらに全部並のカタさですな
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- board1 - No.577
「お前が戦争に行け!」の疑問点
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年01月13日(水) 23時18分
ジェシカの話題が出ていたので少しだけ。「お前が戦争に行け」論に関してですけど、ジェシカが婚約者のラップ少佐の死によって反戦平和に傾倒したのはいいですけど、それを以って自分の行動を「絶対的な正義」と確信してトリューニヒトを「あなたは戦争に行かない」と糾弾するのはかなり自分勝手だと思います。なぜなら、ラップやヤンは「もず(by 日本ちゃちゃちゃクラブ)」君流に言うなら「軍人という、人間として最低最悪の恥知らずな職業」を自ら選択した訳でしょう?それは、誰にも強制された訳ではありません。二人は徴兵されたんじゃなくて、自分の意思で士官学校に入ったんですから。「軍人になる」ってことは(しかも戦争中)、戦死する場合も覚悟している、って意味です。「タダで勉強が出来る」という利益を享受したのですから、戦死したとしても、国家や指導者を恨むのは筋違いではないでしょうか。「命を掛ける」つもりはなかった、というのなら最初から上級学校への進学を諦めればいいだけの話です。ジェシカに関しても、軍人を婚約者として自ら選択した(これも誰かが強制した訳ではない)のですから、戦死する事態あり得る、と当然考慮すべきでした。どうもこのへん、危機管理能力が欠如している戦後日本人の思想そのものですね。「戦死する」という最悪の可能性に関して、ヤンやラップ、ジェシカなどはあまり真面目に考えていないように見受けられますから。それに対して、トリューニヒトは職業軍人を選択したりはしていません。無責任は無責任(愛国的行動を囃しているだけで、実効的に戦争に勝つ為の手段はほとんどやっていない)ですが(政治家がこれじゃ困りますけど)ラップと同列に並べてトリューニヒトに恨みをぶつけるのは筋違い(悲しむな、とは言いませんが)だとは思いませんか?仮に、兵器開発の技術者が、トリューニヒトと同じように愛国的戦争推進論者(言うだけでも)だった場合、「お前が戦争に行け」と非難することは正しいでしょうか?そんな事をさせるより、兵器開発に没頭してもらった方が、よほど勝利の為に貢献できると思いますけど。トリューニヒトも同じ事だと思います。仮に戦場に連れ出してもあまり役に立ちそうにありませんし。国民の志気を鼓舞するのをやってもらっていた方が、役に立つのではありませんか?銀英伝の話の中で、夫や息子を戦場で失っているのに、更に孫までも「いずれは軍人に」と言って「英雄ヤン」に声を掛けきた老婦人がいましたよね。こういう人もいるんですから。
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- board1 - No.578
戦争に行く人、送り出す人
- 投稿者:やぶにらみ
- 1999年01月14日(木) 03時33分
「お前が戦争に行け!」というのは、要は感情論ですから、論理的な反駁というのは、あまり意味が無いような感じもしますね。指弾する相手を実際に戦場に連れていって、それで戦果が上がるはずもありませんが、だからこの糾弾が意味が無い、ともならないでしょうし。ジェシカはそもそも勝ち負けに興味はないようで、戦争を止めること自体に意義を見出しているはず。戦争に勝ったら勝ったで、「それでもあの人は帰ってきません…」とか言い出しそうですよね。
軍人になっておいて、戦死の可能性を考えないのは、確かに怠慢ですが、徴兵されないまでも、言説に煽られるがまま、という人は多そうだし(小林よしのり氏、大ウケですし)、誰かに死なれて初めて悟る人も多いでしょう。そして、それを「仕方がなかった」と諦めきれない人も。
死ぬ/死なれる、というのは、当然ながら悲しいことなので、そこに理屈づけが欲しくなる。戦時中なら「お国のため」というのが一番ストレートでしょう。だから、お国の上層部が信用できない、というのは我慢がならない。
「お前が戦争に行け!」というのは、「お前は兵士たちの気持ちが判っているのか!」と翻案した方が良いかもしれません。トリューニヒトは確かに考えてなさそうだし。
まあ、ヤンだって、兵士を駒のようにしか扱っていないのですけどね。ヤンの命令でラップが戦死したとしたら、ジェシカはどう反応したのだろう。田中氏は「ヤンの戦争責任」については、仄めかしつつもうまくごまかしている印象があります。
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- board1 - No.579
Re577と「お前が戦場に行け」補足
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年01月14日(木) 03時48分
>「タダで勉強が出来る」という利益を享受した
人様の税金を使って学校に通いながら、自衛官にならずに就職する防衛大生のようですな。
>仮に、兵器開発の技術者が、トリューニヒトと同じように愛国的戦争推進論者(言うだけでも)だった場合、「お前が戦争に行け」と非難することは正しいでしょうか?そんな事をさせるより、兵器開発に没頭してもらった方が、よほど勝利の為に貢献できると思いますけど。トリューニヒトも同じ事だと思います。仮に戦場に連れ出してもあまり役に立ちそうにありませんし。国民の志気を鼓舞するのをやってもらっていた方が、役に立つのではありませんか?
「お前は戦場に行け」という論理は、その構成上、エスカレートさせていくと、「戦場にいるったって、安全な要塞のなかにいるだけだろ。お前が前線に出ろ」→「前線といったって戦艦の中じゃねえか。スパルタニアンに乗れ」というように発展していくことになります。
しかし、キャゼルヌをスパルタニアンに乗せて、役に立ちますかね。否、当然、イゼルローンあたりで事務処理でもやらせていた方が役に立つのは明らかです。もっと皮肉を言えば、イゼルローンを落とす時、ローゼンリッターが「俺らが一番危ない立場じゃないか。なんだ、あんたは安全な旗艦にいるくせに。そんな危険な役、あんたが自分でやればいいだろ」と言ったら、ヤン個人では説得も反論も不可能なのです。
イゼルローンは、ローゼンリッターがヤンに対して「個人の自由と人権」を放棄したからこそ、落とすことが出来たわけですね。
指導者と兵士の関係もこれと同じようなものであって、職能ということを考えれば、ただ「お前が戦場に行け」といっても、そうそう説得力があるものではないわけです(ただ、徴兵のがれ等は、平等な義務であるだけ、別ですね)。
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- board1 - No.580
はじめまして
- 投稿者:キムラ
- 1999年01月14日(木) 03時51分
以下、議論も何にもないただの感想なので、熱いのを期待してる人はとばしてくださいね。
いや、大変おもしろいですよコレ。僕は田中芳樹のファンですが、笑いながら読んでます・・・って笑うものじゃないのかな?
まだページ全部読んでないのであまり多くは言えませんが、田中氏の作品っておかしな所が多いですよね。その最たるものが創竜伝だったりすると僕は思うわけですが、あれって設定から何からめちゃくちゃなところが良いと思うんですが。セリフなんてウケ狙ってますって、絶対。全体的に。
考えや思想や評論にしたってまともに受ける人いませんってば。アレは。あ、ええと補足しておくと僕は田中氏の思想というか考えというか、そういったものは結構好きです。けど、全部が全部ではもちろんないし、矛盾も割りとある。というか、その矛盾がおもしろさのひとつでも僕の場合あったりするワケで、「どんどんやれ」といったところでしょうか。
あと、この人の思想って、理屈じゃないですよね。理屈ではなくて感情だと思います。ジェシカの件だってあれは感情ですし。まあ、このへんは議論されてるでしょうから、これからじっくり読ませていただきます。
あー、そうだ。これ言おうと思ってたんだった。えっと、田中氏の文章って、句読点(特に点)が多すぎません?
それでは、これからもがんばってください。
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- board1 - No.582
帝国と同盟の国力比+帝国ってホントに貴族制?
- 投稿者:村の電器屋
- 1999年01月14日(木) 06時28分
こんにちは、ROMしてましたが、久しぶりに書いてみました。
両国は慢性的な戦争状態にあり、戦略バランスが激変したアムリッツァ以前でも疲弊していたのは同盟のみということですね。
私も以前それについて考えたことがあったのですが、その要因としては純粋に国力の差と戦略的にイゼルローン要塞の存在があったのではないでしょうか。当時の国力比はたしか一巻でルビンスキーが述べていたと思いますが50:38:12ぐらいだったと思います(確認していないので正確ではない)。そのままでもおよそ5:4、戦力二乗則を用いれば5:3となり、消耗戦を続ければ同盟が不利になるのは必定でしょう。
しかし、この国力比で弱者が勝った例が無い訳ではありません。が、帝国が戦略拠点イゼルローンを抑えているのでは。国力的優位にある帝国が唯一ともいえる戦略拠点を抑え戦闘を行なう選択権を得ているのに対し、劣勢の同盟にその選択権が無いのではしょうがないですね。
この事は同盟がイゼルローンを攻略した後の状況にも関係してくるのですが、国力の劣勢を相殺できるほどの戦略的優位を得た後の行動があれでは・・・。
帝国の内政状況については私も興味があります。上で述べた国力比には貴族勢力も入っていると思います(入っていなければ話にならない)が、小説で見る限り反乱軍(同盟)と闘っているのは帝国の当局のみとしか思えない。帝国の政治体制っていったいどうなっているのでしょうか?(同盟の政治体制にも多分に疑問ですが)
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- board1 - No.583
国力
- 投稿者:ドロ改
- 1999年01月14日(木) 12時21分
確かに不沈戦艦さんの言う通り、人口が増加すれば普通経済は発展するんですよね。私はその利点より、宇宙開発の困難さの方がはるかにお起きと思ったんですが…。今読み返してみたら、ロンゲストマーチの最初に脱出した共和主義者達が、いとも簡単に恒星間航行用宇宙船を建造してるんですよね。確かにこれはちょっと考えを変えなければならないようです。
取り敢えず、戦争での疲弊度は同盟のほうが上なのは確かですから、(国力の違いから、動員兵力や補給の関係で総合損傷度は上がらざるを得ない)後は、なぜ帝国の経済が破綻していないかでしょう。ここで、フェザーンの存在を思い出して見ます。あの国は一人の商人が異常な熱心さで働きかけて成立させた事になっています。と言う事は、帝国内での商人の地位は非常に高くなければならないでしょう。いくら地球教のバックアップがあっても、有力者に話を聞いてもらえる立場で無ければならないのですから。では、何故商人の地位が高いのか?それは、帝国貴族の財産を実質的に管理していたのは、商人だったからではないでしょうか?貴族の財産は、株や有価証券や預金の形でフェザーン商人の手に渡り、その投資先は彼らきめる。要は、貴族が金の行く末に口出ししなければ良いわけですから、この時点で資本の還流体制は出来上がると思います。基本的に帝国貴族は余り施政にねっしんでは無いようですから、領地の惑星の開発も結局は企業が許可を得て開発、税金程度の使用料を払って、分譲するなり採掘をするなりする、と言った所ではないでしょうか?貴族はたんす預金を自ら管理するような面倒な事はしなさそうですし、(石油王の預金率って結構高いそうですし)名目上貴族のものだった資本は、しっかり有効利用されていたのではないでしょうか?経済は余り得意ではないので、粗があるかと思いますが、こんな感じでどうでしょうか?
・・・・・・・・・・
友人某が創竜伝10巻を読んで言った台詞。
「この世界の日本って、富士山爆発して大混乱じゃなかったっけ?住専がどうこう言ってる暇あんのか?」すっかり忘れてましたがそうでしたよね。ひょっとして作者も忘れてたりして(余り笑えない)
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- board1 - No.584
モデルの話・その他
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年01月14日(木) 17時27分
>というわけで、やはりルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの最大のモデルはアドルフ・ヒトラーでしょう。
直接的なイメージモデルはロシアのイヴァン雷帝だと聞いたことがあります。
それにヒトラーの志向・政策等を混ぜ合わせたのでしょう。
ラインハルトは、アレキサンダーやナポレオンはもちろんですが、30年戦争で活躍したスウェーデンのグスタフ・アドルフⅡ世もモデルの1人だそうです。
いろいろとモデルが取沙汰されるヤンですが、やっぱりキャラ造形の中核に位置するのは「革命の仕上人」こと花神・大村益次郎でしょうね。
もともと武人ではなく学者(医者)志望、
空理空論を廃し、徹底した合理主義と算術に基づく戦略戦術を至上とする態度、
天才的な知略を持ちながら、自らの肉体を使った実技はからっきしダメ(大村は馬にも乗れなかった)、
こだわりの嗜好品(大村の場合は湯豆腐(^^))、
そして狂信的な反動主義者に暗殺されるという最期(致命傷を受けた箇所まで同じ)・・・。
中村梅之助主演の大河ドラマ「花神」のビデオが出てますが、襲われるシーンとかそっくりで笑えます。
あと、軍内部での思想や立場なんかは、ひょっとしたら「ラジカル・リベラリスト」こと井上成美とかも入ってたりして。
名前は南宋の詩人・楊万里からとったとのこと。
>中国文学に詳しい友人に聞いたところ、「封神演義」というのは元々は、文字が
読めない民衆の前で演じられてきた講談やお芝居だったそうです。
>それも通しで演じられるものではなくて、皆に馴染みの名場面をピックアップした
>(三国志だったら赤壁の戦いに当たるような部分)、一幕芝居のようなものだった
そうでして。
>んで、講談やお芝居を演じる人たちが、勝手に新しい場面やお話をこさえて、どんどん
元の話に追加していき、それが明代にまとめられたのが、今ある「封神演義」なのですと。
>(でもどの話を取り入れるのか編者によって違うから、百回本や百二十回本とまちまちに
なってたりもして)
「三国志演義」、「水滸伝」、「平家物語」にしても王朝文学に対する大衆文学というのはこのパターンが多いですね。
余談ですけど、「平家物語」は元々琵琶法師が調べに乗せて唄ってまわったのが本来の姿なので、これを本で読むというのは、今で言えば歌謡曲を譜面で読むのと同じことなんだそうです。
>そのころ、惑星ハエナイゼンの皮下深くで、一人の男が同士をハゲ・・・はげましている。
>「まだだーまだ吾々には『ア○ランスの首飾り』がある。これある限り脱毛は頭頂内に突入することはできない」
>(中略)
>他の本物の毛、がすべて制圧されても、植毛部分だけは生き残るというあさましい思想のシンボルがこれだ。
>人口毛的ハードウェアに頭部の維持を頼るのは、硬直したヅラ主義者の悪夢の産物でしかない。(第2巻)
ププッ・・・、腹の皮が・・・よ、よじれる・・・(爆笑)。
>ジェシカの戦い
私も私の親も肉親や親しい人を戦争で亡くしたことはないのでジェシカのような人に対しては本当にお気の毒ですとしか言えないのですが・・・、たしか彼女のお父さんは士官学校の偉いさんでしたよね。
いわば教え子を戦場に送る立場の人なわけで。
当然戦死した人も百や二百ではきかないでしょう。もしそれらの遺族の人が自分のお父さんに向かって同じことを言ったら彼女どう思ったかな?
>実写版・銀英伝
ジェシカ・・・・・田嶋陽子、ってのは却下?(^^)
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- board1 - No.585
レス追加
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年01月14日(木) 17時49分
>ナタクじゃねえよ、ナタだよお
以前話題になった「ガンダムW」で“ナタク”と言ってたのはこれの影響か?
私もナタじゃないのか?と思ったけど、こういう言い方もあるのかなあ、て感じでこの時はあまり気にしませんでしたけど。
>人様の税金を使って学校に通いながら、自衛官にならずに就職する防衛大生のようですな。
任官拒否した場合は返還しなければならなかったと思いますが。この点は同盟の士官学校もそうですね。
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- board1 - No.586
防大生は違ったかも
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年01月15日(金) 05時58分
何でも、防衛大学はそんなに人気のあるところでもないので、任官拒否されてもどうしようもないのだとか。「任官拒否したら授業料払え」では受験生が集まらないんですって。実際は脅したり、宥めすかしたりで何とか自衛隊に「入ってもらっている」状況だそうです。軟弱極まりない話ですが、これが「戦後日本」ですよ。戦争中の同盟とは違います。
>ジェシカは田嶋陽子
これだけは解る。嫌だー、やめてくれー、美しくないー、見苦しいー、やかましいー(思わず魔よけのお守りと呪文を、以後錯乱モードに入る)。
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- board1 - No.588
指揮官先頭?
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年01月17日(日) 13時20分
銀英伝の中で、ラインハルトが何度も「私は常に自ら前線に立ち戦ってきた。安全な後方から指示を出すだけの卑怯者には、決してならぬと誓って。」という趣旨のことを繰り返してしますわな。司令官が前線に立ち、戦況を把握しつつ指示を出すことはいいでしょう。でも、わざわざ目立つ艦を仕立てて、前線に繰り出すのは何のつもりでしょうか?ラインハルトの旗艦ブリュンヒルトはそれは目立つ艦ですよね。「回廊の戦い(反銀英伝ネタではない)」で、ヤンの不正規部隊はイゼルローン回廊内に現れたブリュンヒルトをすぐ識別(「カイザーのお出ましだ!」と言って)していますから、ブリュンヒルトは一発で解る目立つ艦なのでしょう。まあ、ヤンのヒューベリオンも、ロイエンタールがラグナロック作戦前にイゼルローンに攻めかかった時、囮艦として使われています(ヒューベリオンを囮にして、強襲揚陸艦をロイエンタールの旗艦トリスタンに接舷させてローゼンリッターが突入、ロイエンタールの抹殺を目論んだ作戦)から、これも目立つ艦のようです。しかしまた、何でそんなに目立つ艦ばかり使っているんでしょうか?まあ、「主人公のメカは量産モノではいけない。ハンドメイドの特注品でなければならない」ってのは古今東西問わずSF小説やアニメの約束事なのかもしれませんが(それを言っちゃあおしまいかな?)。実際のところは、前線に立つ指揮官の登場する艦船、戦車・装甲車、航空機などは、目立たないことが大原則ではありませんか。例えば沖縄戦の時の米第五艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将の旗艦は重巡インディアナポリスでした。目立つ空母でも戦艦でもありません。まあ、第三艦隊司令長官ウイリアム・ハルゼー大将はフィリピン戦の時、戦艦ニュージャージーを旗艦にしていましたから、司令官の性格(スプルーアンスは寡黙で不言実行型、ハルゼーは派手好きで暴れん防)もあるとは思いますが。でも、防御力の高い戦艦を旗艦に選んでいることは、司令官の安全をかなり考慮している、ということです。沖縄戦でインディアナポリスは特攻機の命中を受け、損傷して修理のため回航せざるを得なくなりましたが、これは偶然もいいところです。「スプルーアンスが乗っている」と知って攻撃した訳ではないですから。たまたま特攻機が突っ込んだのが旗艦だった、というだけの話です。アメリカは昭和18年に、暗号解読によって山本五十六連合艦隊司令長官搭乗機を撃墜し、長官暗殺を成功させています。よって、日本軍に同じ事を返されるのを極度に警戒していました。それが沖縄戦のスプルーアンスの旗艦選択にも影響していると思います。言うまでもないことですが、司令官が戦闘中に死ぬか負傷により指揮不能になったら、部下は大混乱になり、統制がつかなくなりかねません。
長々と言ってきましたが、結局銀英伝世界では、ラインハルトやヤンは何の為に目立つ旗艦に乗っているのでしょうか?仮にラインハルトの旗艦が標準タイプの戦艦だったら、バーミリオン会戦はないでしょう。なぜなら、ヤンとしては仮にラインハルト艦隊との一騎打ちを実現させたとしても、どれが旗艦か解らないからです。バーミリオンのヤンの戦略目標は一点だけ。ラインハルトを戦死させて、帝国軍を撤退させることだけです。どの艦を攻撃すればラインハルトを殺すことが出来るのか全く解らなかったら、ヤンがこういった無茶な作戦行動に出ることはないと思います。「ラインハルトを戦場で斃すこと」の実現性がほとんど無くなり、実際やったとしても運任せ天任せもいいところになってしまいます。その場合、玉砕戦法はヤンの趣味ではありませんから、交戦を断念して降伏する、という選択肢になったんじゃないでしょうか。「戦術の積み重ねで戦略的不利を逆転させることは不可能」ですからね。
「主要キャラの旗艦が目立つ艦なのは、小説だったら許されるお約束の設定」だと言われればそれまでですが、リアリティの面からは馬鹿馬鹿しい話なので、敢えて取り上げてみました。
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- board1 - No.589
田中芳樹の少年時代
- 投稿者:小村損三郎
- 1999年01月17日(日) 14時49分
>小説家になって、わざわざこんな名前を名乗るのは「日帝三十六年の恨、決して忘れないぞ!」というコリア人の怨念を篭もらせている気がしませんか?まあ、そうではないようですが、「ひょっとして田中芳樹って在日かその系統の人間なの?」と一瞬邪推してしまった程です。
たしか熊本の出身で先祖は西南戦争にも参加した士族だとか(この辺ちょっとあやふやですが)。
何故か加藤清正を引き合いに出すことが多いような気がするのも熊本人だからか?
意外にも子供の頃は軍国少年で、
「当時、プラモデルは軍艦ばかりだったので、あれで随分名前を覚えた。」
「「日の丸」(筆者注・当時の少年誌。軍事色が強い)を愛読していた。」(←爆)
「横山光輝の「少年ロケット部隊」(筆者注・自衛隊の少年特殊部隊が活躍する。米軍と協力して敵と戦う等生臭い内容)のファンだった。」
等等・・・。
小学生の時に見た東宝の「マタンゴ」がトラウマになって、それ以来キノコが食えなくなったそうです。
あと、クラスの女の子が小説を書いて授業で読んだ際、田中氏が「この程度なら俺にも書ける。」と放言し(笑)、女子一同から「じゃあ書いてみろ」と迫られて仕方なく1本書いた所逆に評判になり、大いに面目をほどこした、てな話を自慢気に語ってました。
しかしヤなガキだな(^^;)。
高校時代は図書委員になり、図書室のヌシに。職権を利用してハヤカワだか創元推理だかのSF全集を全巻揃えたそうです。
一方、この時期マンガからは離れていて、「あしたのジョー」をリアルタイムで読んでないらしいです。
「ぼくらの世代には非常にめずらしい」(本人談)
早稲田の受験に失敗し、1浪して学習院に。そんな時に始まったのが「ヤマト」で、マンガ・アニメに戻るきっかけになったようです。
「“宇宙戦艦”と言われて反応しちゃうのが三つ子の魂。」(本人談)
大学で出している輔仁会雑誌という本の懸賞小説(審査員は辻邦生等)に中国物の短編で入選。ちなみに私が在学していた当時は、いまだに田中芳樹が最後の入選者でした。(その後1人か2人出たらしい。)
当時賞金が一万円だったはずが、下宿に届いた書留を開けてみると八千円しか入っておらず、紙切れに「本当は一万円差し上げなければいけないのですが、財政難の為八千円でがまんして下さい」と書いてあったそうです(笑)。
以上、先日紹介したムックで語られていた“田中芳樹の少年時代”のエピソードですが、現物が見当たらず、一部記憶違いがあるかもしれないので、お持ちの方は訂正をお願いします
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- board1 - No.590
まだちょっと忙しい(T_T;
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年01月18日(月) 17時44分
>指揮官先頭?
これは、銀英伝が想定している戦闘の質が、近代戦ではなくて、武将が敵陣に乗り込んでいく戦国もののノリだからだと思います。ラインハルトが、戦い終わったあとの敵将に、「卿も我が傘下に入らぬか」というのも、「三国志」とか「水滸伝」のノリですよね。
>意外にも子供の頃は軍国少年で、
うーん、こうなると、思想遍歴が結構気になりますね。
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- board1 - No.591
参考?元ネタ?パクリ?
- 投稿者:退谷屋 張網
- 1999年01月19日(火) 03時48分
初めて書き込みさせていただきます。毎度このホームページを楽し
く拝見させてもらっています。
ところで、下の管理人さんの書き込みを見て思ったのですが、元々
銀英伝は三国志を宇宙でやってみようとした作品だったのではない
でしょうか。帝国、フェザーン、同盟は魏、呉、蜀ということで。友人
にこの話をしたところ、「ラインハルトが曹操でヤンが孔明なのは分
かるが、劉備がトリューニヒトじゃ同盟が滅ぶわけだ。しかしこれじ
ゃ呉が弱すぎる。」と言われました。田中氏には三国の拮抗を書き
きれなかったのでしょう。しかし、そうするとルドルフが董卓でオフレ
ッサーが呂布で、ロイエンタールが司馬ということになるんでしょう
か。同様にアルスラーン戦記はキャラを点在させて後にまとめると
いう点で水滸伝を彷彿とさせます。失敗ぎみでしたが。ちなみに、
あの魔天楼はスレイヤーズとゴーストスイーパー美神の混合である
ように思われます。それぞれの外伝の同人誌と思えば楽しく読めま
す。
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- board1 - No.593
妄文~「バーラト星系自治政府」は反日作家への予兆!?
- 投稿者:コジラ
- 1999年01月19日(火) 08時52分
>李家豊
確かに創氏改名はコリアのみで行われましたね。
今から思えば「絶妙な名前」だと思います。
(まあ、「りのいえ」という響きが妙によいので私がもずさんの真似をするときにちょっと拝借していますが)
田中先生のように軍国少年から左傾化したというのは珍しいと思いますが。(by佐高信)
>バーラト星系自治政府
ふと思ったことですが、田中先生がバーラト星系自治政府という妙な存在をひねり出したのも「日本が世界に広めるべき天才文学者」から「反日売文業者」に至る前兆ではなかったのでしょうか。
銀英伝10巻においてユリアンがラインハルトに帝国憲法・議会の設立を主張したのに対してラインハルトが「確約出来ないことは約束できない」と言い、その後、遺言によってルーヴェンブルン七元帥と共にバーラト星系の自治権が認められました。
ラインハルトは「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが許せないのは全宇宙に専制政治を敷いたことではなく、それで得た権力を自己神聖化に使ったことだ」「全宇宙を統一して、人類の進む方向を統一し、無用な争いによる人類全体の発展のオーバーヘッドをなくすべきだ」というような趣旨の話をしていました。
田中先生の豊富な歴史の引き出しから引っ張ってきたら全人類統一政権と地域の統一政権との違いがありますが、プロイセン憲法におけるかなり専制的な政治の例もありますので、私からしてみれば少なくとも「一応憲法・議会がある極限まで専制政治的な立憲君主制国家の創立」の方が「バーラト星系自治政府」よりも現実性があるのではありませんか。
銀英伝世界においてもフェザーン議会はほとんど傀儡でしたし、実際にも北朝鮮が「共和制」のシステムで「絶対君主制」を実現していることからも、「限りなく専制政治に近い立憲君主制」の方が最もらしいと判断できます。
話の流れからしても「帝国憲法・議会が作られることになった」というふうにしても無理はないからなおさらでしょうか。
しかし、「プロイセン憲法」はご存じの通り「大日本帝国憲法」のモデルとして有名であり、家永史観派から見れば「天皇を現人神と崇める専制憲法」として忌み嫌うべきものです。
かといって「バーラト星系自治政府」的な憲法・議会を作ると現在の日本を想像させてしまいます。
田中先生は創竜伝において「現在までの日本全て」を嫌っているような文章を書いているので(ここの紹介記事から。創竜伝はまだ2巻までしか買ってない)ドイツの影響が強い明治時代末期の大日本帝国はおろか現代日本を想像させる銀河帝国を描きたくなかったのではないのでしょうか。
>銀英伝外伝の巻数問題
そういえば、今頃になって新書版の銀英伝外伝の愛蔵版が出版されましたね。
本編の愛蔵版は1992年発行でしたから6年のブランクがあるのはひょっとして1992年当時はまだ「短編集による外伝5・6巻発売」を目指していたのかもしれませんが。
このことは田中氏が事実上初めての「続巻執筆放棄宣言」ともとれなくはないので、新鋭伝外伝の宣伝が入っている資料をお持ちの方はぜひとも外伝の巻数に関する記述について教えていただけないんでしょうか。