初代掲示板過去ログ

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投稿ログ30 (No.652 - No.669)

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しばらく触れなかったですけど、帝国の国力について。

投稿者:不沈戦艦
1999年01月28日(木) 15時42分

 銀河帝国の国力についてなんですけど、私は疑問を持ったんですが、意外にその設定に関しては素直に受け入れる方が多かったですね。確かに一見すると国土(と言っていいのやら)は広い、人口は多いで国力がありそうに思えますが、でも現実の地球上を見ると、私には眉唾に見えるんですわ。国土が広くて人口が大きければ大国だって言うなら、ロシアは世界最強でなければならない筈です。ところが、実際はマフィアが蔓延って、政府に力は無い上に権力争いばかり。貨幣の価値があまり無くなり、下手をすると物々交換などという古典的経済体系になってしまっているでしょう。皆さんが論じられたように、帝国貴族たちはいい暮らしをしていたのでは?というのは解ります。財産と領地はあるのですから、仮に貴族本人に経営の才能が無かったとしても、フェザーン商人にでも財産を預託して運用した上がりを受け取る、という方法もあるでしょうから。でも、貴族はいいとしても、平民はどうなんでしょうか?財産は無い、制度は硬直化している、おそらく「人権(現代の日本風の人権絶対主義、ではなく)」の概念すらない。こんなことでは、満足に生きていくのも苦しい、かなり悲惨な状況(ライヒスリッターの下級貴族ですら、「食う為に軍人になった【ファーレンハイト】」者がいるくらいですから)だったのではありませんか?そのような、平民が虐げられている(としか思えません)社会に活力がある筈はないし、いくらラインハルトが改革したところで、一気に国家としての活力を取り戻した、ということがあり得るとは思えないんですよ。経済発展する為には、「資本主義の精神」が不可欠です。それを欠いていたが為に、ソ連は崩壊(社会主義国でも必要です。信用を重んじる、納期を守る、自己の労働に対して誠実、などは資本主義の精神です)しましたし、その後のロシアも混迷の状態から抜け出せていません。500年も帝政が続いていたのなら、健全な資本主義の精神が維持できていたとは思えません。「フェザーンがある」と言う人もいるかも知れませんが、フェザーンの歴史はたかだか100年でしょう?フェザーンができた時点ですでに手遅れになっているんじゃないか、という気がします。その上、同盟と同じく、マンパワーの問題はある筈でしょう。正直言ってこの辺、実は田中芳樹はあまり考えないで銀河帝国の国力を設定したのではないか?と思いました。私に言わせりゃ「疑問だらけ」ですから。弱った同盟と同じ程度、弱った銀河帝国であれば、そんなに疑問はありませんが。

board1 - No.653

銀河帝国の国力について 根源的に考える

投稿者:本ページ管理人
1999年01月28日(木) 16時24分

 「銀河帝国の国力について」ですけど、これについてはもっと根源的に、そう、帝国を作り上げたルドルフから語らなければならないと思います。
 さて、ご存じの通り、ルドルフが独裁権力によって民衆の圧倒的支持を得られた理由の一つに、それまでの閉塞した経済に風穴をあけたことが挙げられます。
 このあたりは、ヴェルサイユ体制を破棄して未曾有のインフレを克服し、ワイマール共和国を独裁化したヒトラーがモデルですよね。
 ただ、ヒトラーが独裁によってワイマールの人類史未曾有の不況を打破できたのは、当然これまた人類史未曾有の賠償金を課したヴェルサイユ条約の打破が大きいわけです。この点が、唯一絶対政体の銀河連邦との違いであり、ルドルフとアドルフの違いでもあります。
 つまり、ルドルフがどのように独裁によって経済を立て直したのか、まったく不明なのですね。
 おそらく、帝国の国力の謎は、ここまで遡ることが出来るのではないでしょうか。

 逆に、銀河帝国の前身が資本主義の銀河連邦だったため、帝国は制度として資本主義の体系を受け継いでいる可能性は大いにあり得ます。
 マルクスが社会主義によって相対化する前の資本主義のように、富が著しく偏向する資本体制にあったとしても、それなりに機能しうるかも知れませんね。

board1 - No.654

RE:銀河帝国経済モデル

投稿者:ゲオルグ
1999年01月28日(木) 17時01分

 一人の偉大な専制君主のおかげで動脈硬化をおこしていた国家経済が活性化するというのは、中国史などによく見られることですので、おそらくそのあたりをモデルにしているのでしょう。
 で、件のルドルフの経済再生ですが、これはソ連の5ヵ年計画あたりが参考になると思います。共産主義者はロシア全土で徹底的な粛清や反乱分子の弾圧、外敵との戦争を継続しながらソ連を世界第二の重工業国に改造しました。また庶民の生活水準が革命以前より向上したことも事実で、一応は国家経済の底上げという目的を達しています。
 ラインハルトによる経済改革ですが、帝国の経済支配体制が徳川幕府のようであれば納得はできます。つまり国家としての経済自体は成長しているものの、体制の問題でそれを活かしきれない。(江戸期の日本は国内経済の質の高さという観点からは世界最高水準といっていいレベルでしたが、にも関わらず幕府の財政が破綻していた)
 なんだかファンサイトみたいになってしまいました。ごめんなさい。

board1 - No.655

なるほど。ですが…

投稿者:本ページ管理人
1999年01月28日(木) 18時05分

>一人の偉大な専制君主のおかげで動脈硬化をおこしていた国家経済が活性化するというのは、中国史などによく見られることですので、おそらくそのあたりをモデルにしているのでしょう。

 ただ、近代経済に於いて、そこまで単純に行くかどうか…ただ、韓国の高度経済成長「漢口の奇跡」も朴政権の軍事独裁の評価すべき面だという説もありますし。



>で、件のルドルフの経済再生ですが、これはソ連の5ヵ年計画あたりが参考になると思います。共産主義者はロシア全土で徹底的な粛清や反乱分子の弾圧、外敵との戦争を継続しながらソ連を世界第二の重工業国に改造しました。また庶民の生活水準が革命以前より向上したことも事実で、一応は国家経済の底上げという目的を達しています。

 大宅壮一が「共産主義のすすめ」という本で、後進国が後進国たる因習・弊習を打破し、国家を近代化する牽引車として共産主義はすぐれた制度だと論じています。閉塞した因習を打破し体質を強引に近代化するカンフル剤としての共産主義・独裁と言う意味では、これはルドルフに近いかも知れません。が、はたして銀河連邦が「後進国(というか比較対象が見あたらないわけだが)」に当てはまるかどうかという疑問は残ります。
 先の朴正煕はかつては赤化将校でしたので、実は韓国経済の発展には上記の説が当てはまると思います。台湾の近代化を進めた蒋経国も、ずいぶんと共産シンパでした。このように、共産主義から資本主義にシフトできた体制は、カンフル剤として共産主義を活用できたかもしれません。が、カンフル剤から抜け出せなかった某国なんかの惨状は知ってのとおりです。
 ルドルフが独裁(まあ、別に共産主義でなくてもいい)によって経済を立て直したとしましょう。
 しかし、そのままでは、間違いなく経済は破綻するはずです。なぜなら、独裁による経済の建て直し・社会変革というものは、あくまでも緊急時のカンフル剤であり、それを引きずって平時の経済は発展しないからです。

board1 - No.656

議論の途中に申し訳ありませんが・・・

投稿者:カエルサル
1999年01月28日(木) 18時39分

四人姉妹って何がモデルだろう?

board1 - No.657

>四人姉妹

投稿者:不沈戦艦
1999年01月29日(金) 01時05分

 モルガン、デュポン、メロン、ロックフェラーの各財閥がモデルですよね。でも、普通そう言いますっけ?セヴン・シスターズ(石油メジャー7社、しかし合併したりしたのでもう7つはない)がヒントなんですかね?

board1 - No.658

ていせい

投稿者:本ページ管理人
1999年01月29日(金) 03時35分

>「共産主義のすすめ」という本

じゃなくてこれは小論文です。収録されている本は「『無思想人』宣言」(講談社学術文庫)です。

board1 - No.659

「共産主義」が破綻するわけ

投稿者:北村 賢志
1999年01月29日(金) 13時33分

>大宅壮一が「共産主義のすすめ」という本で、後進国が後進国たる因習・弊習を打破し、
>国家を近代化する牽引車として共産主義はすぐれた制度だと論じています。

中略

>先の朴正煕はかつては赤化将校でしたので、実は韓国経済の発展には上記の説が当ては
>まると思います。台湾の近代化を進めた蒋経国も、ずいぶんと共産シンパでした。この
>ように、共産主義から資本主義にシフトできた体制は、カンフル剤として共産主義を活
>用できたかもしれません。が、カンフル剤から抜け出せなかった某国なんかの惨状は知
>ってのとおりです。

 私が主義・主張を評価するにあたって第一に考えるのは、その主張に「ブレーキとなる部分があるか」というところです。
 「ブレーキの無い」主義・主張は極めて簡単に集団の意思統一を図ることが出来ますが、そのまま突き進めば最終的に必ず破綻します。
 社会主義と資本主義の最も大きな違いはなにか、と問われれば私は
「資本主義はその実践において自らの弊害を前提としているが、社会主義には自らの弊害が含まれていない」
と答えます。
 つまり社会主義(正確には「マルクス主義」)は「社会主義が進歩すればするほど世の中は良くなる。共産主義という理想郷に近づいていく」との教えであり、もし問題が発生してもそれは「社会主義の発展と共に順次解消していく」ものとされていました。
 勿論、現実がそうでなかったことは今更言うまでもありません。社会主義自身がもたらした数々の問題は、時を経るにつれてより深刻になっていたのはご存じの通りです。
 しかしここに重大な矛盾が発生します。社会主義自らが生みだした問題であるにも関わらず、建前上それは「社会主義の発展と共に順次解消していく」即ち「問題があるのは社会主義の発展の度合いが足りないからだ」との結論に達してしいます。これでは問題は永久に解決するはずがありません。
 言い換えれば「栄養過多」の患者に「体調が悪いのは栄養が足りないからだ」と言ってるようなモノです。
 この点では「負けたのは精神力が足りないからだ」とする旧日本軍も同じでしょう。
 では何故、客観的に見て明らかに間違った虚構が絶対的に正しいことになってしまうのでしょうか。
 理由は二つあります。まず「その方が楽だから」というところです。
 具体例を挙げるとバブル期に、後から見れば素人でもやらないような無茶苦茶な融資をエリート行員が多数行った実例がありますが、その大きな理由は当時「行員の評価にあたって融資した額が異常に重視されていた」からです。
 「とにかく多数貸し付ければよい」というのと「相手の経営状況や担保価値、今後の経済の見通しを考えて融資する」のはどちらが楽でしょうか?
 前者に決まっています。しかもそれだけやっていれば自分の評価に繋がるのですから、皆々が競って杜撰な融資ばかりにかまけたのはある意味当然でしょう。
 スポーツ・政治・経済、何でもそうですが「物事を一つの価値観だけで計る」のは「物事をあれこれ考えて臨機応変に判断する」より遙かに楽な行為でありますが、同時にそれだけでは絶対にうまくいかないことは明白です。
 この点は銀英伝1巻にて語られる「民衆が独裁者を熱狂的に支持する理由」と共通する所があります。
 もう一つの害悪はは主張する本人が「自分を常に正しい側に置き」しかも「責任を取らなくて済む」点にあります。
 精神力や社会主義等それを評価できる客観的な基準の存在しないものに、絶対的価値があると仮定すると、物事が自分の思い通りに進まなくとも「~が足りなかったからだ」「~に反対する連中がいるからだ」と言えば済んでしまいます。それに対する異論は「そんなことを言うのは~が足りないのだ」と非難すれば事足ります。
 しかし一端、この論理を振りかざすと、後は「現実との乖離がさらなる乖離を生む」悪循環に突入してしまいます。
 上記の「栄養」のように客観的な評価基準が有れば、普通はそんな事態に陥らないのですが、絶対的価値のあるモノに基準が無く、目にも映らない結果として「演出」が重要視されることになります。
 当然ながら、ひとつの演出がさらなる演出を生んで、一直線に現実からかけ離れていく結果を招くことになるのです。これは大戦末期の旧日本軍や文革期末期の中国、最近では所謂「自虐系運動家」による「演出」のエスカレート度合いを見れば明らかです。
 このあたりは銀英伝の7巻で田中氏が「忠誠心」を題材に取り上げているのとほぼ同じだと言って良いでしょう。
 つまるところ「手段と目的の混同」はどれほど頭の良い人間であっても陥りやすい落とし穴であり、そこに厳然たる一線を引けるかどうかが重要なのです。そしてその点において
「マルクス主義」は完全な失敗だというのがっわたしの結論になります。

board1 - No.660

共産主義と資本主義

投稿者:不沈戦艦
1999年01月29日(金) 15時34分

 共産主義というものは、本来資本主義体制がその自己矛盾のため崩壊した後、達する最終的段階だ、というのがマルクスの主張でした。よって、共産主義社会の建設にあたっては、資本主義社会の残した遺産(原資蓄積と資本主義の精神を持った労働者)をそのまま利用できる、というのが前提でした。ところが、不幸なことに革命が起こってマルクスの理論が実践された最初の国は、遅れた農奴社会のロシアだったのです。昨日まで農奴だった連中が、資本主義労働者としての精神など持ち合わせている訳はありません。工業が未発達だった(帝政ロシアは西欧諸国のような産業革命社会とは言えません)都市部の労働者も同じ事です。原資もありませんでした。そこでスターリンが行った工業化は、先ずは原資、これは農民からの収奪。「ツァーは卵を持っていったが、スターリンは鶏まで持っていてしまった」と言わしめる程の話です。ウクライナなどで餓死者が大量発生し、反乱も頻発しましたが、全て鎮圧されて運が良くてシベリア送りというありさま。それを原資に、五ヶ年計画に次ぐ五ヶ年計画の発動によって、一応工業化は成功しました。ドイツとの戦争にも勝ちました。しかし、いくらイデオロギーとシベリア送りで労働者を鼓舞(というか脅迫)しても、もともとキリスト教に基づく「資本主義の精神」を注入することは出来る訳ありません。宗教はアヘン、でしたしね。それゆえ、労働者が職場のものを私物化したりすることに全く罪悪感がありません(何しろ私有財産は否定されていますから、「国のものは俺のもの。俺が持っていようと国が持っていようとどうせ国の財産なのだ」に簡単になってしまう)。仕事中にウオツカを飲んで酔っ払っていることも珍しくない惨状です。「契約」の精神に基づいて、自らの仕事に忠実に働く、という思考は全く無かったので。そして北村さんが指摘したように、「共産主義の無謬神話」がありますし、どんな愚行を行っていても、「間違い」と認めることが出来ません。だから、資本主義社会から見たら馬鹿げたことも平気で行うようになります。一例は、ノルマの達成が、生産物の重量で評価された、などということがありました。そんなこと決めたら、あちこちの工場で生産されるものが、無意味に大きく重くなっていくに決まっているじゃありませんか。その為、普通の人の力じゃとても持ち上げられないような机が大量生産されたりしたそうですよ。そんなもん、軽量化した方が持ち運びも楽だし、原料消費もエネルギー消費も少ないし、いいに決まっているのに。

 つまりなんですな、四則演算(言わずと知れた、足し算・引き算・掛け算・割り算)を習っていない小学生に、無理矢理微分積分を教え込んだようなものですよ。それで大学入試問題を解け、と言われても、解ける訳がありません。ここが共産主義の不幸なところでした。しかも、実際は人間ってーのは醜いものでしてね。一日中昼寝しているような人間と、残業までして「労働英雄」になるような人間の給料が同じだったら、精神的に腐っちゃいますよ。「人民は平等」が建前ですからね。それで、馬鹿馬鹿しいからみんな働かなくなる一方になってしまいます。結局共産主義という鎧は、人類が着ると一歩も動けなくなるようなものでしかないということでしょう。神々のサイズの鎧と言った方がいいと思います。神のレベルなら、間違いは起こさないから無謬神話は維持されるし、神々の間には妬みも嫉みもないでしょうから、理想的共産主義社会を実行できるんじゃないでしょうか。でも、「神」のレベルで社会の人員が構成されているのなら、別に共産主義でなくて、資本主義でも大丈夫でしょうから結局何の役にも立っていませんね。

 マルクスが「資本主義」として念頭に置いていたのは、十九世紀の産業革命期の資本主義です。それが「崩壊する」と言った訳ですから、それは当たっていますね。とっくの昔にそうなっています。当時は労働組合も8時間労働もないし、福利厚生も保険も年金もありません。労働者はそれこそ搾取される一方、資本家は肥え太る一方だったってことですよ。結局、共産主義が出てきて、資本主義に「このままでは滅びる」と結果的に警告してしまった為、滅びる筈の資本主義が共産主義的政策を取り入れて生き延び、元々抱えていた矛盾を結局解決できなかった共産主義が滅びる、という皮肉な結果になってしまったんですよ。どうもこの辺、日本の「知識人」と言われる人たちは理解していない(若き日に「資本論」を読んで「これこそ私の理想の世界だ!」と感動した元マルクスボーイはたくさんいますから)場合が多いので、共産主義に関しては理想的(実は夢想的)に見てしまう、バイアスがかかった記述が多い、と考えておく方がいいと思います。

 えーと、私は以上のような事を念頭に置いているものでしてね、「銀河帝国が五百年も続いている」、と言うとそれこそ帝政ロシアのような遅れた実質的農奴社会になってしまうんじゃないか、と考えてしまうんですよ。そんなもんが、いきなり一応市民社会を実現している自由惑星同盟より上になってしまう、という設定が納得できないんですわ。

board1 - No.661

身も蓋もないフォローかも たぶん

投稿者:本ページ管理人
1999年01月29日(金) 15時58分

>えーと、私は以上のような事を念頭に置いているものでしてね、「銀河帝国が五百年も続いている」、と言うとそれこそ帝政ロシアのような遅れた実質的農奴社会になってしまうんじゃないか、と考えてしまうんですよ。そんなもんが、いきなり一応市民社会を実現している自由惑星同盟より上になってしまう、という設定が納得できないんですわ。


 ただ、銀英伝が書かれたのは、十ン年(正確には忘れた)前の、ソ連がアメリカと互角(だと思われていた)ころですからね。
 今ほど、資本主義の絶対性が明らかになってない頃の話ですから。
 結構なんとかなるんじゃないかと感覚的に思っていたとしても、不思議はないような気もしますね。

board1 - No.662

初めて来ました

投稿者:O.R
1999年01月30日(土) 12時04分

田中氏の小説を読んでいる人がいたので、読んでみた時、なんだこれ、と、とても不愉快さを感じました。その時は田中氏の高圧的な感じが嫌、というのが一番強く感じられ、あまり深く考えませんでした。(だって読むだけで不快だったのです、それもほとんど生理的に嫌だと思いました。)分析すると、ちゃんと根拠があるのですね。
なんにしろ、田中氏について「嫌だな」という人はちゃんといるのですね。私が変わってるのかな?とほんのすこしですが思っていました。

board1 - No.663

アルスラーン戦記

投稿者:小村損三郎
1999年01月30日(土) 14時44分

共産主義についての皆さんの深い考察はたいへん面白かったです。
我ながら何となく共産主義に対する偏見が薄まったような(^^;

しかし、ちょっと離れてた間に書き込みがメチャクチャ増えていて、古い話になっちゃいますがご勘弁を。

>昔のみて気づきましたが、この掲示板はアルスラーンには悪口あんまりないですね。

というか、あまり覚えてないんですよねー。何せ前の巻が出てから一体何年たったんだろう(^^;;。私ゃ、まだ学生でしたよ。
一応代表作の1つに挙げられてはいるけど、銀英伝や(悪い意味で)創竜伝ほど印象が無い、と言うか。
あ、でもクリスチャンにとっては創竜伝みたいなもんか(笑)。

>「名君伝」をああいう形で書くというアイデアは確かに彼の功績だし、イデオロギー臭もないしね。

これを「やはり田中作品は高度の(?)思想性が投影されてこそ深みを増すのだ。」ととるか、「思想やお説教のドレスを剥ぎ取ると実は並の作家」ととるか・・・。

とはいえ、唯一とても印象深いシーンがあります。
アルスラーン一行を虜にしようとした(殺そうとしたんだっけ?)領主を反撃して殺し、ついでにそこで使われていた奴隷を“解放”しようとした所、涙を流して感謝される、と思いきや、当の奴隷たちが
「ご主人様の仇!」
と言って殴りかかって来る、というシーンです。

余談ですが、昔アルスラーン戦記のファミコンゲームが出ていて、その内容が
「プレイヤーは家臣になってアルスラーンを助ける」というものだったそうです。
雑誌で「なんて原作に忠実なゲームなんだ。」とコメントされていて笑ったことがあります。

board1 - No.664

田中芳樹の認識

投稿者:不沈戦艦
1999年01月30日(土) 14時58分

 銀英伝が書かれた頃でも、ソ連以下の共産主義国の実態がどうであったかを理解するための著作はあったとは思いますが、実際「理解したくない」人だったらそんなものは読みはしない(フォーク准将に「ヤン提督は士官学校の成績は君より下かも知れないが、実戦においては参謀としても指揮官としての能力も実績も、君とは段違いだ。君にヤン提督に対抗できる能力は無い」と客観的理性的に説得しようとしたって、無駄なのと同じでしょう?人は自分が信じたいものしか信じないものです)ですから、共産主義の未来に関して、信頼感を持っていたとしてもそれは不思議ないでしょう。大漫画家手塚治虫だって、「ソ連幻想」には相当毒されていた(「ブラックジャック」でそんな話があったもので)くらいですから、まあそれはいいですよ。でもそれ、銀英伝に適用できますかな?銀河帝国は共産主義どころか、帝政でしょう。むしろ、共産主義に未来を見た世代ならば、帝政を打倒して一気に共産革命にいってしまう話になってもいいとは思いません?ゴールデンバウム王朝を打倒したラインハルトが、新王朝を樹立する、というのは前にも言った通り易姓革命もいいところですよね。何故かここは中国から持ってきた訳です。まあ中国が好きなのは解りますけどね。むしろそのような考えが田中芳樹の中にあるのなら、ゴールデンバウム朝銀河帝国の国力は、ボロボロに設定してもいいんじゃないかと思いません?何であの設定になっているんでしょうね~。やっぱり解りませんわ。

「田中芳樹7つの大罪」見てきましたよ。あれ、本当だとすると、田中芳樹の勘違いは甚だしいですな。読者は「歴史小説家田中芳樹」など求めてはいないでしょ。「SF作家田中芳樹」のファンの方が断然多いですよ。人間、財産が出来ると、次は名誉ってのは変わらぬ真理なのですかね。取り巻きを作って、新書や文庫本よりハードカバーを求め、歴史小説の賞を取った他人には嫉妬し、etcetc・・・(田中芳樹7つの大罪から)おいおい、これは銀英伝や創竜伝で作者が一番嫌っている筈の「俗物」の行動そのものじゃないですかね。自分がやるのはいいのかな。一般的には「ダブルスタンダード」って言いますけど。それに、そんなに歴史小説家になりたいんだったら、何で創竜伝なんぞを書いているんだろう?

board1 - No.665

作者の目的は他にあったのでは?

投稿者:ゲオルグ
1999年01月30日(土) 19時40分

 銀英伝のストーリーそのものはスターウォーズに対するアンチテーゼから出発していると私は思っています。帝国と同盟に軍事的に二分された対決、強大な要塞、ホントは無意味な航空部隊によるドックファイト…。
 で、おそらくは『正義と自由』のために戦っていれば絶対勝てるというハリウッドな考えに異論を挙げたかったのでしょう。なにしろ最終的には専制君主のお情けで民主主義はかろうじて命脈を保てるのですから。(ハリウッドじゃ絶対作れっこないですねぇ)
 ほかにもそれまでのアニメや小説、コミックなどの戦争ものが戦略や補給の重要性を無視・あるいは軽視していたことへの反発もあると思います。
 私見ではありますが、どうも不沈戦艦さんの「なぜ、共産主義のプロガバンダ的な側面をもっと前面にしなかったのか?」というご意見は、田中芳樹の左翼的側面に囚われすぎている様に見受けられます。このころの田中芳樹のスタンスからは後の『創竜伝』の極端な思想的バイアスはないと思いますので、私的にはOKなのですが。(銀英伝程度のバイアスは他の作家にだって広く見受けられますので問題だとは思いません)

board1 - No.666

あ、なるほど

投稿者:本ページ管理人
1999年01月30日(土) 20時05分

>で、おそらくは『正義と自由』のために戦っていれば絶対勝てるというハリウッドな考えに異論を挙げたかったのでしょう

 かなりいい着眼点ですね。「ハリウッド的」というか、「アメリカ的」ことに「ベトナム戦争的」思想へのアンチテーゼとして考えれば、疑問が無理なく腑に落ちますね。これ、アンサーかも。

 スターウォーズと言うと、銀英伝のアニメのメカデザインのあざとさが連想されてしまって、作品としての関連性まで考えたことはありませんでしたが…


>O.Rさん
こんにちは。
>なんにしろ、田中氏について「嫌だな」という人はちゃんといるのですね。私が変わってるのかな?とほんのすこしですが思っていました。

 私も、このページを作ってみて(どうやら本邦初だそうです)、いかに現在の田中芳樹の言動に不愉快な人が多いかをはじめて知りました。
 それにしても、Webに限らず、田中氏への批判ってものはホントに無いですよね。このようなイエスマンばかりの環境が、健全なノーを突きつけられることのない環境が、どれだけ人間の精神を蝕むか。田中氏の行動の変節ぶりは、この良い実証例だと思います。



 ところで私事で恐縮なのですが、私のパソコンのハードディスクがクラッシュしてしまいました(セカンダリだったのが不幸中の幸いでしたが)。
 ちょっと更新が遅れるかも知れません。ご了承ください。

board1 - No.667

どもですー。

投稿者:伏待 充
1999年01月31日(日) 22時24分

をひさしぶりです>みなさま

「ザ・ベスト」にっ、田中氏と塩野氏の比較のログがっ(汗)>今きがついた

…もー少し、こー頭のいい文体と内容を書けばよかったかしらん(爆)
今さら文体を変えるのもナンですので、このままゆきまする。

えー最近、塩野七生氏の「ローマ人の物語」を読みはじめました(爆)。
エッセイや文庫はだいたい制覇したので本丸にとりかかろうとゆートコです(笑)
「田中氏と塩野氏の作家としてのスタンスと主張方法の比較とそのそれぞれの長所・短所」
とゆーよーな内容の戯言が思い付きましたら、ここに書かせていただきます(笑)

>餓英伝
さいこー(><)/(笑)

黒い背景に銀色のイセルローンが浮かんでいる。
そのまわりに無数の艦影が列をなしていた。
帝国軍である。
巨大な戦艦の一群が、さらに巨大なイゼルローンにむかって主砲を撃っている。
イゼルローンの複合装甲が、
みしみし。
みしみし。
言うが、イゼルローンは揺るがない。
イゼルローンの一部分が光った。
光はどんどん大きくなる。
まだ大きくなる。
さらに大きくなる。
トールハンマーの発射である。
イゼルローンはトールハンマーを、
撃った。
撃った。
撃った。
さらに撃った。

では(笑)

board1 - No.668

四人姉妹について と田中氏の背景設定

投稿者:神海
1999年02月01日(月) 00時09分

 はじめまして、熱狂的田中芳樹ファン(笑)の神海です。今日初めて、このページにアクセスしました。まだざっとしか見ていませんが、全面的に賛成するご意見も多々あります。特に創竜伝の様々な矛盾について。
 ところで、その中に四人姉妹のモデルについての疑問(というか質問)がありましたが、これは近代中国の経済を支配した「四大家族」からもヒントをとっていると思います。アメリカの実在の財閥からは名前と個々の設定を持ってきただけで、四という数字には意味はないのではないでしょうか。「七人姉妹」では煩雑になりすぎますし。

 これに少し関係して、小説家としての田中芳樹氏について一つ。
 特に「銀英伝」に対し、政治や社会設定に対する意見が幾つか出されていましたが、その中に、設定の不備によって作品の「完成度」を批判するようなものが、もしあるとすれば、そのような批判自体に、私は賛成できません。
 一時期問題になった、艦隊行動の矛盾についての議論はその最たるものでしょう。艦艇がどうやって超光速を実現しているかとか、ルドルフやラインハルトが具体的にどのような経済政策をとって帝国を再建させたか、など、物理的、経済学的な理論は、「田中芳樹の作品」に必要なものではないのです。
 作家として、田中芳樹氏の最も「恐い」ところは、氏が、作品内の舞台設定やSF設定というものを、人物描写や背景描写のための「雰囲気づくり」程度にしか見做していないように私には思えます。
 たとえば、自由惑星同盟の議会は一院制、二院制、どちらなのでしょうか。原作では説明されていません。ですが、同盟がどのような建国を経、どのような現在にいるかを描写するのに、意識してか否か、田中氏はそのようなものを必要としないのです。
 考えてみれば、世に優れた(と評価される)エンタティメント小説とはそのようなものだったのではないでしょうか。専門的な予備知識を事前に用意しなければならない物語は、マニアにはうけても決して一般化しません。氏が大きな影響を受けたと言われる「三国志演義」についても然りです。
 私のように未熟な同人作家から見ると、これは本当に「恐い」事です。いったい、自分が精魂込めて創り上げた「宇宙」に対して、満足な組織機構の説明も行わず、逆にそれをエンタティメントとしてプラスの方向へ結実させるということが、どうして出来るのでしょう。作家というものは多少あれ「設定魔」であり、求められない解説を長々と続けてかえって娯楽性を損ね、読者から見放されるという危険と常に背中合わせで書いています。
 最近流行のシミュレーション小説の大部分や、「エヴァンゲリオン以後」に多発している的外れな心理描写、問題提起を売りにするアニメ(この辺りの悪口なら幾らでも出てくるのですが、それは後日)とは比較になりません。勿論、「それが求められているから売れるのだ」と言われれば、それまでですし、銀英伝にもゴールデンバウム王朝の歴史に関する数ページに渡る文章もあります(第六巻第四章等。この時機の説明は娯楽性を深めるものであり、決してマイナスになっていないと私は判断しますが)。創竜伝については一言もありません。

 そういうわけで、田中氏の思想や心理も含めて、今述べたようなものを想像や議論の対象にするのは楽しいのですが(私も好きですし)、作品の完成度に対する批判に用いる事には、反対します。勿論、説明不足が気に食わないとおっしゃる方も多いのでしょうけれど。
 ……我ながら贔屓が過ぎるかとも思いますが、とりあえずこれでしめさせて頂きます。長々と失礼しました。ご意見、ご反論、お待ちしています。
 では、今日からよろしくお願いします。
       「マニアなファン」の一人
              こうみ あきら

board1 - No.669

アンチ「スター・ウォーズ」

投稿者:不沈戦艦
1999年02月01日(月) 03時53分

 はい。ゲオルグ氏の言われるとおり、銀英伝にはハリウッド的なもの、アメリカ的なものに対する反発が相当あると思っていましたよ。それと、「あのような『アメリカの正義』的なエンターテイメントと逆の話を書いたら面白いんじゃないか」という創作意欲が多分あったと思いますし。その点は私も評価していますね。間違ったって、アメリカ的価値観では悪の専制独裁国家が最終的な勝者で、自由と民主を体現していた体制が実質的に崩壊してお情けで生き残らせて貰っている、なんて話はあり得ませんから。ステロタイプな作品(正義は勝つ!)から脱却している点は、銀英伝の優れたところだと思います。ま、そういう意味で「銀英伝はアメリカに持っていったって受けないだろうな」とは思いましたが。実際の人類の歴史でも、「正義は勝つ!」だなんて到底言えませんからね。ヨーロッパ人(大航海時代以降。この点は田中芳樹の考え方にも賛同できる面があります)が、世界中で働いた悪逆非道の数々。それでも連中が「勝ち組」でしたから。

 「なぜ、共産主義のプロパガンダ的な側面をもっと前面にしなかったか」についてですが、田中芳樹のモノの考え方からすると、そのような話になってもいいんじゃないかな、と思っただけのことでして、だから銀英伝がどうしようもない、などと言うつもりはありませんが。あら探しをしているようにしか見えないかも知れませんけど、非難する為に言ってはいないつもりですよ。ここをこうしたら面白い、とかこの点はどう解決するんだろう、とか。特に銀英伝は、ゲオルグ氏の言われるように、「それまでのアニメや小説、コミックなどの戦争ものが戦略や補給の重要性を無視・あるいは軽視していたことへの反発」があるでしょう?国力の設定や経済状況などは充分そのカテゴリーに入ると思いませんか?「反発している割には自分も不備じゃねーの」とは考えていますけどどう思われますか。


>神海氏へ
 私はけっこうこのHPでは、田中芳樹に対する批判じみたことばっかりやっていますけど、「銀英伝の完成度」について批判しようとはしていないつもりですけどね。やはり田中芳樹のモノの考え方に対する批判が一番大きいですよ。それと、そんな思想をジャンジャン広められたらたまったもんじゃない、という事です。「銀英伝」に関しては、「反銀英伝構想」のように、ファンサイトと変わらないような、面白がって進めた論もありますし。「銀英伝の完成度が低い」とか「銀英伝は下らない」という意見は、他の人でもあまり見たことがないと思いましたが。管理人さんもそうですが、

「銀英伝はいいけど、創竜伝はひどい。早くあんな馬鹿げた話は打ち切って、銀英伝のようなもっと面白い小説を書いて欲しい。中国モノももういい。まっとうなSF作家に戻ってくれ」

 ってのが、ここで田中芳樹に批判的な書き込みをする人の、最大公約数的な考え方だと思いますがどうですかな。銀英伝の内容についてあーだこーだ言ったりするのは、面白がっている面が非常に大きいですね。矛盾点を言ったりするのもそうです。「突っ込まないのがお約束」じゃ、面白みに欠けるでしょう?それだけの話ですよ。

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