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- board1 - No.1605
予想通り!
- 投稿者:つよし
- 1999年07月24日(土) 14時55分
予想通り、アル戦の新刊の発売、未定になったようですね。
でも、今回は予想を裏切ってほしかったなぁ。
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- board1 - No.1606
No.1586
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年07月26日(月) 04時20分
しばらくネット環境にいなかったもので、遅れましたがレスを。
>はっきりいって専制にそんなものありません。理念なんぞ一欠片もありません。管理人さんはあらゆる政治体制は実現すべき理念があるとでも考えていらっゃるのでしょうか。
>たとえば絶対王制は?封建制は?天皇制は?
>すべて理念なんてありませんよ。
>だから名君や暴君が産まれるわけです。理念がないから、為政者の個人的資質によって方向性が全面的に決まってしまうんですよ(もちろん国家の維持という目的はあるでしょうが、それはとりたてて理念というべきものではありません。どんな体制でも維持しようとするのは当たり前のことなんですから)。
あまり政治談義に行き過ぎると脱線するおそれがあるので程々にしておきますが、私にはこのあたりに民主主義の傲慢を感じます。民主以外の政体にも理念はあります。たとえばということで、とりあえず人治政治と徳治政治の違いなどを挙げておきます。
少々脱線を承知で言えば、そもそも理念があれさえすればいいというものではないと思います。理念ある制度が良いと言うことになれば、ルドルフの理念に基づいた銀河帝国だっていいでしょう(最終的に帝国はルドルフの理念からも腐敗しましたが)。そうではないですよね。問われているのは、その理念なのです。
>これも暴論ですよ。全員が哲人にならねばならないなんて、民主主義ってそんな単純なものでしたか?
>これは努力目標でしょう。こういう方向に志向していないと民主主義は維持できませんよというものでしょう。全員がそうなる必要はないけれど、そうなる努力そのものが、民衆の意識を高めて民主制の維持を可能とするということでしょう。
>全然逆ですよ。「程々でいいや」と妥協したからトリューニヒトのような輩に判断を預けて、自ら考えることを放棄してしまった。自律は面倒だから、他人にやってもらおうという怠惰な心が、同盟を崩壊に追い込んだのでしょう。
>管理人さんの論が正しいのなら、日本はこの世でもっとも民主主義の発達した国になりますよ。
矛盾ではないでしょうか。『これは努力目標でしょう。こういう方向に志向していないと民主主義は維持できませんよ』というのなら必然的に『程々』にならざるを得ないでしょう。絶対実現不可能な理念を提示された場合、大多数の人間はその理念に興味を失うものです。例えるなら地区大会レベルの平均的な高校野球チームに「甲子園優勝」という目標を与えた場合と同じようなものです。
『どうして同盟の社会が(末期はともかく)硬化してソ連のようにならなかった』という私の言葉は舌足らずでしたね。『国家危機によって一種ファシズム体制になった末期と、国民全体が民主主義者であった初期はともかく』というべきでしょうか。
そもそも、民主であれ専制であれ宗教であれ、そもそも理念というものは絶対実現不可能的な側面も持っているものです。それはいい。ですが、人に提示されて従う理念と、自らの選択によって選び取った理念では、たとえ実現不可能であっても、その重みがまるで違います。ですから、私は自らの選択によって民主主義を選び取ったヤンには共感しますが、たまたま同盟に生まれただけで努力目標として実現不可能な理念を提示されている同盟市民のAさんはもう程々でいいと思うでしょう。そして、ヤンとAさん(ほか多数。多分同盟市民の過半数以上)が政治の場で同じ一票をもっていてそれによって国家の主権が決められているのですから、『制度が理念を貶め』るのは必然ではないですか。
ちなみに、私は現代日本を基準にして民主主義を評価していますので、『管理人さんの論が正しいのなら、日本はこの世でもっとも民主主義の発達した国になりますよ』について、「もっとも」であるかどうかについては議論の余地がありますが、人類史上に於いて「もっとも」に限りなく近く民主主義が発展している国だと思います。
>銀英伝のなかでも民主主義とは極めて脆弱で脆いものだといわれています。にもかかわらず、ヤンがどうしてこれにこだわったのか。何故ラインハルトを肯定しながら、これと戦わねばならなかったのか。
>管理人さんはこの辺りをもう一度考え直してみてはどうですか。
ううむ。このあたりを考え直し思考実験するために、あえて暴論的ともとれる提示をしているんですが…
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- board1 - No.1607
ラインハルトとルドルフどちらに正義があるか。
- 投稿者:satoko
- 1999年07月26日(月) 05時52分
今日はラインハルトの命日だそうなので、彼が死ぬ間際にいった一言について
「宇宙を手に入れたら、みんなで・・・。」
この後につづく言葉を考えれば「みんなでゆっくりと・・・」とか「楽しく・・・」などが考えられるのではないかと思います。
これらを考えると彼にとって専制政治はあくまで「誰からも命令されなくていい力」を得るためのものであったと考えます。そしてラインハルトにとって専制政治の存続は二の次、あるいはどうでも良かったのではないであろうかとおもうのです。
それと比してルドルフには当時の政治体制を何とかしなければならないという感があり、自身が独裁体制を整えた後にも「下らぬ共和主義に戻らせないために」(それが良いかどうかは別として)と言う意味でゴールデンバウム王朝が存続できるだけの体制を整えています。新Q太郎さんがおっしゃる通り、初代の為政者には後世への責任があることを考えればどちらが拠り優秀な為政者であったかは(しつこく言っておくとそれがいいか悪いかはまた別なんですが)いうまでもないとおもいます。
これらのことを考えて、単なる権力志向者であったラインハルトと政治体制の腐敗から全く新しい政治体制を作り出す事で人類全体を活性化させようとしたルドルフ。しかしながら、より良い政治を進めた事によって臣民を健全な生活に導いたラインハルト、信念のあまり臣民を苦しめる結果となったルドルフ。
歴史は一体どちらに正義があったと判断するのでしょう。
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- board1 - No.1608
軍配はラインハルトに
- 投稿者:鳳杏樹
- 1999年07月26日(月) 16時00分
随分久々の書き込みになります。
覗きには来てたのですが、ね。
*satokoさん
>歴史はいったいどちらに正義があったと判断するのでしょう。
歴史が正義とみなすのはラインハルトの方だと思います。動機が「不当に奪われた姉を取り戻すため」という個人的なものだったにしても、ラインハルトは虐げられていた平民を救いました。権力を握った者の責任を理想的な形でちゃんと果たしたわけです。一方ルドルフは、人類全体の未来を憂い、政治の腐敗を一掃しようとしたにせよ、結果として多くの平民を苦しめることになりました。体制の維持のため自らを神聖視し、「劣悪遺伝子排除法」という身勝手極まりない法律まで制定しました。
歴史が評価するのはあくまで「結果」ではないでしょうか。何を考えて行動したかではなく、「何を行ってその結果がどうなったか」に尽きるのだと思います。ですから、一部特権階級のみが多大な恩恵に浴し、臣民の自由が妨げられるような体制を作ったルドルフではなく、臣民に公平な税制度と裁判をもたらしたラインハルトが「正義」と判断されるのではないでしょうか。
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- board1 - No.1609
正義対決!ラインハルトvsルドルフ
- 投稿者:ベルク
- 1999年07月26日(月) 18時39分
ベルクアイサル改め、ベルクです。
ヤンと民主主義について話題を振っておきながら、ご無沙汰してしまいました。
さて、正義対決!ラインハルトVSルドルフですが、コイツは難しいですね。
まず公平を期すために、ラインハルトが興した王朝の顛末を考えます。
ローエングラム王朝の顛末・・・・簒奪第一世代が存命の間は盤石。しかしその後については王朝の維持すらも危うい。
これは、開明君主の発生する割合があまりに低いこと、および王朝を維持するための整備がされていないことから、
おそらく間違いないでしょう。数百年の間に王朝は腐敗し、弱体化してしまうことでしょう。
ラインハルトについて考える場合、彼の死後の歴史展開について責任の所在をどこに置くかがキーとなります。
死後すらもラインハルトの責任とするなら、彼の評価は低くなります。
ココで難しいのは、ラインハルトがあまりにも早く亡くなっているため、死後の責任を負わせるのが酷であるのと同時に、彼には王朝の維持や安寧に全くと言っていいほど興味がなかったため、長く生きることがあっても自らの死後をにらんだ国家整備を行うかは疑問である点です。
あ~なんだかワケが解らなくなってきたので、実績ポイントの計測はこの辺でヤメます。
単純化してみると、責任感重大・結果がトホホのルドルフ、責任感希薄・結果はおそらくトホホのラインハルトと評価は定まるでしょう。
単純に正義感だけなら、ルドルフの圧勝。生涯の功績という意味で正義度を測るならばボロが出る前に死んだラインハルトの勝ちでしょう。
ただ、ルドルフは民主政体から皇帝に選任されたため明確な敵を得られず、しかも行き詰まっていた銀河連合の以後の歴史に対する責任を、一身に背負う羽目となったのに対し、ラインハルトは富の偏在を是正するなどの比較的簡単な方策を実行するだけで莫大な正義ポイントを稼ぐことができました。
同じ皇帝となった2人ですが、民主政体から引き継いだ故に、正義ポイントの獲得が難しかったルドルフに対し、旧貴族という明確な粛正の対象を得ていたラインハルト。
この勝負はそもそも公平ではないかもしれません。
結論としては、正義という極めて心情的な物差しで測るなら、明確な悪を得ていたラインハルトの勝ちだと思います。
勝ちと言うよりは、「状況的に絶対勝ってしまう」といった感じでしょうか?
余談:私、ルドルフの能力というのはラインハルトとヤンを足しても太刀打ちできない超人だと思っています。
余談2:あ!ラインハルトとヤンは足したら却って弱くなりそうな気が?
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- board1 - No.1610
なんじゃあこりゃあ
- 投稿者:まむし連
- 1999年07月26日(月) 19時40分
ラインハルトとルドルフの正義なんて
比較する意味あんのかね?
ラインハルトの皇帝即位は、
たんに作者のシナ趣味で
「易姓革命」を描きたかっただけでしょ。
そのためにはラインハルトに倒される
先行王朝が必要だから、
なんで現代の民主社会から王朝ができたのかという説明がいる。
そこでしかたなくナポレオン型の王朝発祥
説話が要請された。
だからルドルフは必要に迫られしかたなく
アリバイ的にちょこっと書き加えられた
存在にすぎない。
それでも偏狭で残虐な独裁者ということにはなってたけど。
シナ趣味の田中としては易姓革命の君主は
英雄だけど
民主主義ばんざいの田中としてはヒトラーやナポレオンは嫌いなの。
だから田中はルドルフを主役にした物語は
かかないわけ。
…とかなんとか、という議論をするところじゃなかったの?
オタク話はFCに行ってやってくれ。
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- board1 - No.1611
先にネタばらしてどうするって話を書くと・・・
- 投稿者:satoko
- 1999年07月26日(月) 23時10分
>まむし連さんへ
あの~、もうさきに狙いばらしちゃうと後続かなくなると思ったのですがとりあえず。
ルドルフの存在って田中氏の中国趣味を出すためのアリバイとかそういう単純なものではないと思うんですよね。
民主主義の観点、というかそこから引いての田中氏の考え方から見たらラインハルトよりルドルフの方に正義があるって、田中氏が常々言ってるとこから検証するつもりだったのと、ルドルフと比較すれば専制という政治形態と民主制と言う政治形態を比べるよりラインハルトの政治の長所が見つかりやすいので政治論争にいたりそうな銀英伝の論争もう少しはなしの方で進めやすくなるかと思ったのですが。
もういいやと思ったのですが、レスを返してくださった方の名誉のためにも書いときます。
なんだか、変なやつは現れるし、かきこみゃちゃちゃいれられるし、もういいや。
>あらし
以前カエサルに不当な非難を受けたにもかかわらず、私の身勝手な要請で反論を押さえてくれていた仕立て屋さんに心から感謝いたします。
カエサル氏が書き込んでいた事はまったく根拠がなく、仕立て屋さんが卑下されるようなものではなかったと言う事をここに明記しておきます。
最後になりましたが、仕立て屋さんの冷静な対応に本当に心から感謝いたします。ありがとうございました。
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- board1 - No.1612
初めまして。
- 投稿者:雨野 とりせ
- 1999年07月27日(火) 19時29分
初めて書き込みをさせていただきます。
このHPには始めてきたのですが、田中作品を読んでずっと引っかかってきた事が全て解きほぐされたような気がしました。
そうじゃないかなぁ、と思いつつ実証も挙げられないので深く考えなかったのですがやはりあれは『偏っている』のですね(笑)
田中作品はまず悪名高い(笑)『創竜伝』から入り(でもやっぱり一番これが好きなんですけどね。)、小品を除いては殆ど読んだつもりでしたが、『こうけつじょう(すいません、原本一回読んで売っちゃったんで字が・・・)』のころから「あれ?この人ってこんなに面白くない本書く人だったっけ・・・?」と思い、「薬師寺涼子」(あまりのパクリに読んでて恥ずかしかったですが。)においては「・・・?」としか。
しかしまぁ悲しいかな私の人生に一番影響の大きかったのは始さんです。おかげで立派に高校世界史教師の免状ももらいました(苦笑)(『ゴー宣』も読んだしな。)まぁそのおかげで理論の破綻もわかったんですが。前々から始さんは何であんなに教養がある(事になっている)のに日本の古典や西洋の哲学とかには詳しくないのかな、と。当たり前か、作者が知らないんだから(ルソーを引き合いに出す始さんとか見てみたいけど。笑)ほかにも今になって読み返してみるとツッコミを入れたいところがたくさんあります。ちなみに授業理論に関してだけは結構いいことを言っていたぞ、始さん。(ただ実践がすっごいむずかしいので現場の先生に言うと多分'じゃぁお前やってみろ~!!'と言われますが。
でもまぁ・・・反論がでるって事はそれだけ読まれているんでしょうねぇ。実際まだ面白いとは思うんです、私も。
それでは。私見ばかりの長文レスでごめんなさい。
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- board1 - No.1613
続けてすみません
- 投稿者:雨野 とりせ
- 1999年07月27日(火) 19時58分
下の文章、あまりに頭が悪いんで・・・補足。
『纐纈城綺譚』です。しかも「けいこつじょうきたん」でした。今調べてきました。作品名もちゃんと覚えてないで批判するなんて最悪ですね。ごめんなさい。
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- board1 - No.1614
正義と好みレス
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年07月28日(水) 02時54分
>ラインハルトとルドルフの正義について
銀英伝(というか田中芳樹作品全般)に貫かれている思想として、戦争は正義と正義のぶつかり合いだとか、人間は正義を語るときにもっとも残虐になるという正義相対論があります。
これは一面の真実をついていて、私も今に至るまで影響を受けていますが、一方で、人間は純粋に正義を否定できるほど強い存在ではないと思うんですね。すなわち、正義を否定する正義、というパラドックスを克服できないと思うのですよ。この矛盾がもっともみっともないところに行き着いたのが、竜堂兄弟の『口では悪を名乗っていて実体は正義そのもの』という事態でしょうね。どうせ正義の名の下に好き放題をやるのなら、言行一致しているだけ(田中芳樹が正義の代表として真っ先に批判する)アメリカの方がまともだとすら思います。
さて、田中作品の理論(正義相対論)に基づけば「ラインハルトとルドルフのどちらが正義か」ではなく「ルドルフは自らの正義の為に数多くの人間を抹殺した」というような言説が正しいのでしょうが、やはりみなさんはそれだけでは納得できない…と考えてよろしいのでしょうか?
ちなみに、私は正義相対論を越える正義はあると思っています。ただ、ラインハルトとルドルフの比較には相当な考察が必要なのですぐに答えを出せといわれると窮するのですが。
>雨野 とりせ さん
初めまして。
>田中作品はまず悪名高い(笑)『創竜伝』から入り(でもやっぱり一番これが好きなんですけどね
>実際まだ面白いとは思うんです、私も。
作品の「良い悪い・出来不出来」と、「面白い・つまらない」は別の判断基準で考えていいと思います。このあたりをごっちゃにしている評論家とかもいるんですけど、「出来不出来」は理論的な問題「面白い・つまらない」は感覚的な問題で、必ずしも一致するものではないのですよね。マズいと分かり切っているジャンクフードが恋しくなったり、毎回相変わらず代わり映えのしない消費音楽が心に焼き付いたり、そういう不条理を人間は持っていると思います。
私個人としては創竜伝は「つまらない」と思いますが、そのことをもって批判したことは無いと思います。
批評の本やサイトなどで、せっかく良い批判をしているにもかかわらず、「あんな本を面白いと思うなんてよっぽど読書経験が貧しいんじゃない?」と言ったが為にすべてが台無しになった批評をいくつか見てきました。問題は経験や能力の多さではなくて、「好み」というなんとも不条理なものだと思います。
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- board1 - No.1615
私の創竜伝考察19
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年07月28日(水) 06時27分
アルスラーン戦記議論ですっかりご無沙汰していた「私の創竜伝考察シリーズ」、そろそろ再開したいと思います。ここ2ヶ月ほど7巻で止まったままですし(-_-)。まあアルスラーン戦記の議論も楽しいものではありますけどね。それにしてもなぜまたアルスラーン戦記10巻の発売日を延ばすかな~(T_T)。そこまであとがきを書きたくないのか、田中芳樹。
では久々の創竜伝批評、始めましょう。
P125上段~P126上段
<「……狂気というやつは個人をとらえることもあるが、時代をとらえることもある。そして、そのほうがはるかに始末が悪い。日本人もドイツ人も、本来、とりたてて残忍な人々ではないはずだが、自分たちは優秀な民族だと思いあがったとたんに、狂気にとりつかれてしまったのじゃろう」
しんとして竜堂兄弟は聞きいっている。
「ま、中国侵略は日本の恥だが、中国には中国の恥がある。なかなか一党独裁政治からぬけだせないという、な」
黄老が話題を変えたのは、日本人である竜堂兄弟を底なしに落ちこませないための配慮であったのだろう。毛沢東のことを彼は話しはじめた。
「毛沢東には偉大な理想と巨大な野心とがあった。そのふたつの流れが合流するところで彼は魚を釣りあげた。中国という巨大な魚をな」
黄老は複雑すぎる溜息をつき、それを頸すじで受けた続は、あやうく老人を放り出すところだった。
「毛主席は思想的には世界の半分を釣りあげましたね」
「そう、だが釣糸が途中ではずれてしまった。まあ、たぶん、全人類にとっては幸運なことだったろう。彼は大きな男でな、人類がささえるにはちと重すぎたよ」>
いつもの事ながら、第二次大戦の原因や背景を何も検証せず、ひとつの民族や国民をすべてひっくるめて「狂気にとりつかれてしまったのじゃろう」などと評価する癖はやめていただきたいものですね。ドイツはヴェルサイユ条約の天文学的賠償によって、日本は世界恐慌による経済封鎖によって、それぞれ政治的・経済的に追い詰められていたという事実を、まさか知らないわけではないでしょうに。
しかも「中国には中国の恥がある。なかなか一党独裁政治からぬけだせないという、な」などと言っておきながら、その「一党独裁政治の頭目」であるはずの毛沢東を何で礼賛するのでしょうか。文章が矛盾しているではありませんか。まさか毛沢東は独裁政治を行っていなかったとでも言うのでしょうか? 毛沢東が大躍進―文化大革命でどのくらいの大虐殺を展開したかを知らないわけではないでしょうに。しかも「偉大な理想と巨大な野心」の中身が何なのかも分かりませんし、「思想的には世界の半分を釣りあげましたね」というのは一体何の事なのか理解不能です。当時の中国が侵略戦争と大虐殺に熱中していたのを賞賛しているのでしょうか。それとも「共産主義思想」が世界的に拡大することを喜んでいたのでしょうか。「偉大な理想と巨大な野心」の内容の解釈は、この2つぐらいしかできないのですけど。
P126上段~下段
<「彼に対する正当な評価は、せめて死後五〇年を待つべきじゃろうな。だが、その後継者どもときたら……」
黄老は白髯のなかで口をゆがめた。
毛沢東の死後、建国の英雄を失った中国では、経済の開放化と政治の反動化とが奇怪に共存した。経済建設に失敗したソビエト連邦と対照的に、中国人の生活水準は向上し、一二億の国民は飢餓と貧困から脱出した。これは中国革命の見事な業績だった。だが、いまだに政治的自由はもたらされない。政治的自由のないところに創造的な文化は生まれない。
「自国民を思想のゆえに強制収容所に閉じこめるような国家には、存続する価値はない」
黄老は熱をこめて断言した後、口調を変えてフォローした。
「しかしまあ、一気に無政府状態に陥ったら、混乱はすべて民衆の上にかぶさってくる。わしが高らかに咆えたてるのとは別に、ゆっくりと時を待つことも必要なのさ」
中国の歴史上、悪政や異民族支配の時代はいくらでもあった。だが、むろんそれらは永遠につづくはずもない。
「つづかせやせんよ」
というのが黄老の言葉だった。>
田中芳樹の頭の中では、自国民を権力闘争のゆえに何千万単位で虐殺した毛沢東は「死後五〇年を待」って評価すべきなのに、その毛沢東の後始末に奔走してきた「後継者ども」は今すぐに評価してしまって良いのですか。創竜伝7を執筆している時点では「後継者ども」はまだ生きているのに(笑)。だいたい「中国人の生活水準は向上し、一二億の国民は飢餓と貧困から脱出した」のはその「後継者ども」の功績なのであって、「中国革命」という抽象的なものや、ましてや「建国の英雄」などの功績ではないでしょうに。
それに「政治の反動化」って何でしょうか? 大虐殺がなくなり、民衆が飢餓と貧困から救われ、共産主義が後退したことが「政治の反動化」なのでしょうか? 「政治的自由がない」というのは毛沢東の時代の方がもっとひどかったし、そもそも毛沢東時代の中国は「政治的自由」以前に「生きる権利」自体がなかったに等しいのですけど。
しかもこのような中国に対して何と寛大である事か。
「しかしまあ、一気に無政府状態に陥ったら、混乱はすべて民衆の上にかぶさってくる。わしが高らかに咆えたてるのとは別に、ゆっくりと時を待つことも必要なのさ」
創竜伝の中の日本に対する社会評論でこのようなフォローがある個所を私は見たことがありません。「日本と中国でなぜああも記述と考えが違うのか」と私が考えてしまう所以です。
P127上段~下段
<祖国のため。自由のため。独立のため。革命のため。名誉と栄光のため。企業秘密を守るため。劣等人種を一掃して地球を浄化するため。異教徒を滅ぼして神の御名を讃えるため。奴隷を解放するため。奴隷制度を守るため。無数の正義がこの世には存在し、それぞれが血を要求してやまない。
「何年か前の第一次湾岸戦争の結果を見たろ? 独裁国に兵器を供給し、それを爆弾とミサイルでたたきつぶし、そして復興する。実際の戦費は、同盟国に支払わせる。利益をえたのはいったい誰だ?」
そう始は続に注意をうながしたことがある。一九九〇年代にはいると、戦争は明らかに「国家の商売」になった。ずばぬけて戦力の強い国が、国際連合の看板を利用して、各国から用心棒代をまきあげるようになったのだ。
この世界を支配している政治と経済のシステムには、どこかとほうもなくグロテスクなところがある。四人姉妹の存在もだが、彼らが巨億の富を所有するはるか以前から、ひとつの戦争はかならず次の戦争を生み、ひとつの宗教は必ず分裂して抗争する。ユダヤ教とキリスト教とイスラム教とが、もとは同じ「旧約聖書」から出発したことなど現代ではほとんどの人がおぼえていないだろう。>
「この世界を支配している政治と経済のシステム」とやらを偉そうに批判している竜堂兄弟だって「自己感情を満足させるため」という、全くくだらない「正義」のために四人姉妹と戦っているのでしょうに。それに「どこかとほうもなくグロテスクなところがある」と言われても、ではそれに代わる政治形態なるものがあるとでもいうのでしょうか。銀英伝やアルスラーン戦記などであれほど現実的で詳細な政治や謀略を語っている田中芳樹は一体どこにいってしまったのでしょうか。こんな代案もないような空想的政治評論を聞きたいがためにアンタの小説を読んでいるわけではないんですけどね~(-_-;;)。
それにわざわざ「第一次湾岸戦争」などと、預言者気取りで二回目があったかのような描写をしているのも笑止な限りですが、「湾岸戦争はアメリカの陰謀論」に固執しているあまり、イラクのクウェート侵攻の是非については全く言及していません。クウェートが石油海上貿易の中心国のひとつであり、ここがイラクに併合されれば世界の政治や経済に大きな影響がでるということも全く眼中にないのでしょうな。アメリカが自国の国益で動いているのは否定しませんけど、国家というものはそれが普通なのですし、むしろ国益を追求しない日本の方が異常なのですから、それを「けしからん」などと代案もなしに主張しても共感は得られないでしょうに。
第一、「湾岸戦争はアメリカの陰謀論」のような論理が展開できるのならば、「戦前の日本の侵略行為もアメリカの陰謀ではないか」とさえ主張できるではありませんか。四人姉妹も第一次世界大戦の頃から活躍していますしね~(^_^)。戦前の日本についてだけは全く「アメリカ陰謀論」を展開しようとしない田中芳樹の態度に一貫性がないように見えるのは私だけでしょうか?
P128上段~下段
<「残念だが、不正のない社会はない」
「ええ」
「だがな、すこしでも不正を減らそうと努力している社会と、そこに安住してかぎりなく腐敗していく社会とでは、歴史上に占める地位がまるでちがってくる。日本はどういうふうに語りつがれる国になりたいのだろう」
一九九〇年代に日本で続出した経済界のスキャンダルは、「日本は不正行為によって富を蓄積した」という諸外国の意見を、実証する形になってしまった。諸外国の経済界がすべて清潔で公正なわけでもないが、さまざまな不正行為をはたらき、暴力団と結託した企業が法的に罰せられることもなく、最高経営者が辞任もしない、というありさまは、諸外国から見れば、やはりまともではない。「吾々をヒステリックに追いつめると、日本経済がマヒする。そうなってもいいのか」といった大企業の会長がいる。不正行為をつづけねば日本経済はマヒするのだ、と、自分の口から告白しているである。
「どの企業が不正行為をはたらいたか、などということをしゃべるわけにはいかない。企業倫理に反する」とも。
つまり彼らの「企業倫理」とは共犯をかばうことであって、法律もモラルも良心も関係ない。ギャング団の掟と同じなのである。
こういうギャング団のボス同様の輩が、高級クラブで一本三〇〇万円のブランデーをあおりながら
「最近の若い奴らには国を愛する心も社会に奉仕する精神もない。奴らに中東の砂漠で血と汗を流させろ。でないと日本は世界の国から軽蔑されるぞ」
などと放言するのが、世界に冠たるニッポン財界の正体なのであった。>
↑上記のようなメチャクチャな社会評論を、フィクション小説上で、しかもストーリー構成を破壊しながら、その事に対する反省も羞恥心もなく展開するのが、小説界に君臨する「創竜伝の三流社会評論家」田中芳樹の正体なのでしょうな(^_^)。いつものことながら「全く関係のないものを同列に並べ、そこから自分に都合の良い歪んだ解釈をひねり出して社会評論を展開する」という姿勢にはうんざりしますね。
だいたい「一九九〇年代に日本で続出した経済界のスキャンダル」から「日本は不正行為によって富を蓄積した」という解釈を導き出す事自体異常です。この論理では、国内だけでなく外国に日本製品があふれている理由が説明できないではありませんか。日本の経済が発展しているのは、良質で安価な商品とそれを支える日本の技術力と労働力、日本の教育水準の高さ、そして何よりも世界の貿易が自由貿易体制であり、ブロック経済政策などの保護貿易ができないことなどの結果であって、間違っても「日本が不正行為によって富を蓄積した」からではありません。こんな偏見と悪意に満ち溢れた「諸外国の意見」とやらを、自分に都合が良いからといって持ち上げないで下さいよ。
「さまざまな不正行為をはたらき、暴力団と結託した企業が法的に罰せられることもなく、最高経営者が辞任もしない、というありさまは、諸外国から見れば、やはりまともではない」
↑これも大嘘ですね。「さまざまな不正行為をはたら」いた企業(ないしは責任者)は罰せられているし、企業の最高経営者は不祥事が起こるたびに辞任しています。「暴力団と結託した企業が法的に罰せられることもなく」というのは別に悪意に満ちてそうしたわけではなく、この当時まだ暴力団対策法が施行されていなかったからでしょう。法律で明文化していない罪をどうやって罰するというのでしょうか。今の現状が非難に値するというのならば、これから変えていけば良いのです。暴力団対策法もそうやってできたのですから。それともまさか田中芳樹は遡及法(法律制定前にさかのぼって罪を罰する法で、近代国家のタブー)を適用しろとでもいうのでしょうか。
それに田中芳樹は、マスメディアの影響力をずいぶん過小評価しているようですね。「吾々をヒステリックに追いつめると、日本経済がマヒする。そうなってもいいのか」というセリフを「不正行為をつづけねば日本経済はマヒするのだ、と、自分の口から告白しているである」などとメチャクチャな解釈をしているのですから。マスメディアの影響力を少しでも知っていればこんな解釈はできません。マスメディアの過剰報道によって企業の信用が損なわれれば、売上が激減したり、企業間の取引もキャンセルされたりで大損害を受け、最悪の場合は企業の倒産と大量の失業者を出す事になるということくらい、他人様にさんざん説教している「人を思いやる想像力」とやらで考えられなかったのでしょうか。あの当時のマスコミ(特に朝日)はそれこそ企業を「ヒステリックに追いつめ」ていましたからね~(--)。「大企業の会長」とやらは「不正行為をつづけねば日本経済はマヒする」とは一言も言っていないのですから、勝手な解釈をひねり出さないように。それこそ「ギャング団のボス」のように見えてしまいますから(笑)。
それにしても創竜伝の2~4巻ではあれほど日本のマスコミの「政府や企業べったりな報道姿勢(笑)」を批判しているはずなのに、こんな短期間(創竜伝世界)で見違えるようにマスコミが企業批判をするようになるとは、ずいぶん御都合主義な世界ですね~(^_^)。
この矛盾の解釈は私にはとても説明できません。する気も起きないけど。
P128下段~P129上段
<本来、富は文化を育成するのに欠かせないものである。大富豪メジチ一族の生んだルネサンス文化。足利義満が育てた室町文化。文化とは巨大な富を注ぎこむパトロンなくしては誕生しえないものだ。だが現代日本の富は文化を育まなかった。無名の画家を育成し、そのなかから新たな才能を発掘するというのではなく、すでに世界的な名声をえた大家の作品を買いあさり、独占し、一般に公開しようとしない。他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう。発掘や育成というリスクを負わず、よい結果だけを横取りしてしまうような姿勢が他国の反発を買うのだ。>
「現代日本の富は文化を育まなかった」……私も創竜伝のいろんな社会評論を見てきましたが、これほど日本に対して全否定的な評価を下している社会評論はありません。この部分こそ、私が創竜伝で一番嫌いな社会評論です。
まず、「現代日本の文化の担い手」が「大富豪メジチ一族」や「足利義満」のような大資産家であるという認識自体が大間違いです。現代日本にそのような資産家がいるものですか。長者番付のトップでさえ100億にも届かないのに(T_T)。アメリカの上位なんて100億クラスは当たり前です。日本で大資産家が育たないのは、世界一累進税率の高い所得税と相続税のために巨大資産がつくれないのが最大の原因なのですけど。仮にそういった実情を批判するためにルネサンス文化や室町文化との比較をやったとしても(ありえない話ですが)、そこから一体どうやって「現代日本の富は文化を育まなかった」などというトンデモな結論を出す事ができたのでしょうか? 「現代日本の富が生んだ文化」なんてそこかしこに転がっているではないですか。カラオケなどは「現代日本の富が生んだ文化」そのものですし、日本アニメはディズニーと並ぶ(一時は抜いてさえいた)世界最高水準に近いものでしょう。日本映画や小説だってそれなりの特色がありますし、その他にも「大量消費社会」ならではの文化がありますよ。何よりも田中芳樹の小説自体、「現代日本の文化を担っている物のひとつ」ではないですか。それとも田中芳樹の言う「文化」というのは「画家」だけのことなのでしょうか(笑)。いまどき「画家」だけが文化を担うなどという話は聞いた事がありませんけどね~。
日本文化だって「発掘や育成というリスクを負」ってきたからこそここまで発展してきたのですし、「他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう」にしても、別に非合法的に奪ってきたものではなく、合法的に商取引で買ってきたものでしょう。買い手も売り手も、双方とも満足して商取引をしたのですし、自分の金をどう使おうと勝手なのですから、他人にとやかく言われる筋合いのものはありません。「暴力と掠奪」で他国の富を奪ってきた、田中芳樹の大好きなイギリスや中国と違ってね(^_^)。だいたいこれを言い出したら、中国の文物を「無断かつ勝手に盗作」している田中芳樹の中国小説の方がよほど「他国が生み育てた才能の結実を、金銭でわがものにしてしまう」姿勢そのものではありませんか。それこそ「他国の反発を買う」のではないでしょうかね、田中センセイ。
P129上段~下段
<日本財界のスキャンダルには、さらにつづきがある。欧米であれば明白な刑事犯罪として、証券会社の経営陣に懲役刑が科せられていたであろう。日本では誰ひとり逮捕されることなくうやむやに終結してしまった。そのとき「大蔵省で証券会社との連絡をとっていた証券局の課長はすでに事故死。一方、証券会社の担当役員は、子会社に移った後、行方不明。したがって詳しい事情はわからない」という記事がいくつかの新聞や雑誌に載った。死人に口なし。政財界がらみの事件ではいつものことだ。誰もおどろかない。「そんなことは当然だ。おどろくほうがおかしい」と言い放つ人もいる。だが日本人以外はみなおどろくし、当然とは思わないのだ。
「足もとの床板を持ち上げて下を覗いてごらん。君が地獄の真上に立っていることがわかるから」(ベンジャミン・T・セレスト)
むろん、「地獄のほうが住みやすい」という意見もあるだろう。「水清ければ魚すまず」という警句もある。だが、過度に汚染された工場廃液のなかで生きる魚は、奇形になったあげく苦悶のうちに死んでしまうのだ。弱い魚から死んでいき、強い魚は仲間の死体を喰って生きのび、さらに奇形化していく。いつまでそれがつづくことか……。>
「日本財界のスキャンダルのつづき」とやらを全く見たことがないのは私だけでしょうか(笑)。こういった事例があるのならば提示してほしいものですけど。「日本では誰ひとり逮捕されることなくうやむやに終結してしまった」って、責任者は逮捕されていますし、証券会社だって家宅捜査を受けていますよ。ニュースや新聞をいつも見ていれば分かるはずなんですけど。「誰もおどろかない」というのも阿呆なかぎりですね。「誰もおどろかない」ものがニュースや記事になるわけないでしょうに。「日本人以外はみなおどろくし、当然とは思わない」などと言っている田中芳樹は一体どこの人なのでしょうか(笑)。中国人か英国人か?
それから「日本財界」を「過度に汚染された工場廃液」などと言ってみせる神経はさすがですね。銀英伝の救国軍事会議の面々と全く同じ事を言っているという事実に気づいていないのでしょうか。アノ連中も汚職にはうるさかったですからね~(>_<)。
それにしてもいいかげんに創竜伝7の批評を終わらせないと……。
次で終わるかな~?
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- board1 - No.1616
こんなところでどうでしょう?
- 投稿者:Merkatz
- 1999年07月28日(水) 10時41分
前回はどうも失礼致しました。
書きながら自分でも加熱し過ぎだとわかっていたのですが、どうしても納得がいかなくて。
そんな意図はないと信じてはいますが、ヤンの行動はまったく無意味であると主張しているように聞こえたので。
つまり民主主義というものが堕落が「必然」だというのなら、ヤンの苦悩はなんだったのか。どうせどちらも堕落するのなら、ラインハルトのような為政者が現れる専制の方が優れている、だから民主制にこだわる意味がない、とのようになってしまいませんか?
ラインハルト肯定のために、極論でもってヤンの苦悩をあざ笑うかのように思えたので少々カチンと来たのです。
もちろん、思考実験だという事はわかっているつもりですが、それにしてもヤンの苦悩がどういう所にあったかをあまりに蔑ろにしているのではと思えたのです。
私はヤンの苦悩は、民主主義が内在する矛盾にまで思いを致しているからこそ、あれほど深いものになったのだと考えています。もし表層だけしか捉えていなかったのなら、単純に正義対悪という図式にはまるか、ラインハルトの下にはせ参じるかしたでしょう。
ヤン自身はラインハルトを否定したことは一度もありません。むしろ彼の偉大さ、公正さを最大限評価しています。だからこそそれが民主主義と相容れないのだとヤンは悩むのです。単にもたらされる政治の結果を見れば、衆愚政治となる可能性の高い民主主義より、ラインハルトの善政の方が優れているに決まっています。
今現在の結果だけを見るなら圧倒的にラインハルトを支持する方が、人類全体の為にもよい。そんなことはヤンにはわかっています。では何故ラインハルトと戦わねばならないのか。結局未来を考えた場合、戦わざるを得なかった。
必然は言い過ぎでしょうが、腐敗は起ります。それはローエングラム王朝も、民主共和制も同じです。では何故同じ結果になるのに民主主義の方がよいと判断できるのか。
それをヤンは「個人の才能に全人類の運命を託すことは危険だ」と言っています。すべてが一個人(実際はそこまで単純ではないだろうが、大体において)の恣意によって決まる体制の腐敗というものは止めようがない。クーデターのような力(軍事・政治両方を含む)によるものでない限り、民衆に巨大な惨禍を撒き散らしながら、とどまることなく広がってゆく。
ですが、民主主義には腐敗を止める手立てが民衆の手にある。選挙や世論といった形で実行力を及ぼすことができる。もちろん、同盟末期のようにそれが機能しない場合もありますが、しかし専制のようにハナから無いよりはずっとマシです。
だからこそ、いつかやって来るであろう時のために、ヤンは民主主義の芽を残す決意をしたのです。それが単純なものでないことは、ヤン自身が将来の危険を理由に現在の平和を乱してよいのかという疑問を抱くところからわかります。
矛盾だらけでも、よりベターだと思われる方を選びたい。それがヤンの苦悩の結果導き出された結論ではなかったのでしょうか。
にもかかわらず、管理人さんの言い様は、はい、あんたの思考は矛盾だらけだから意味ないよとバッサリやっちゃってるように感じられた。ヤンはあくまで矛盾を承知の上で決断したというのに、あまりにそれを見ていないのではないかと私は思ったのです。
私は民主主義の真骨頂は「偉大なる立法行為」にあると思います。法律を作り変えることによって、どんどんより良い制度に移行していくことができる。そのためのプロセスが制度として定められている。
そこに矛盾が生じる余地があるとしても、そういうものがまったくない専制よりは「よりベター」である。それは間違いない事実だと思うのです。
あと、民主主義の理念ですが、なんか大げさに考えすぎていませんか?民主主義の理念って実現不可能というようなものなのですか?
「自分たちの運命は自分で決める」。簡単に言えばこういうことではありませんか。それが「地区大会レベルの平均的な高校野球チームに「甲子園優勝」という目標を与えた場合と同じ」ほど困難なものなのですか?
こんな簡単なことすら放り出してしまうくらい、人間というものは堕落しやすいものであるからこそ、完璧な運用というものができないのでしょう。もともと人間自身がそういう有り様ですから、制度として不完全な民主制が、時としてきちんと運用できなくなるのも仕方のない事でしょう。
だいだい、それを防ぐ為に「市民としての教育」があるのでしょう。「Aさん」みたいな人が多数になっては困るから学校教育がある。そうすると私が日本の民主主義が酷いものだと言っている訳が分かるでしょう。また逆に言えば、管理人さんの「人類史上に於いて「もっとも」に限りなく近く民主主義が発展している国だと思います」というのがとんでもない認識だという事も明らかだと思いますが。
「現状ではラインハルト肯定は難しい」とおっしゃっていましたが、誰もラインハルトを否定してはいないと思います。ラインハルトの業績はどうしたって否定できないものでしょう。皆さんのご指摘から永続性において問題ありそうですが、とにかく彼が生前為したことについては否定しようがない。
ヤン-ラインハルトという対立軸で見るのはおかしいと思います。ヤンー専制でしょう。しかしヤンが専制の枠内にいるラインハルトを肯定しているから複雑なことになっている。
もちろん、その程度のことは分かっていらっしゃると思いますが。
今回の実験で、私はヤンの苦悩の原因を再認識いたしました。矛盾があり、それを認めていることがヤンの思考の偉大なところだと感じました。