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- board1 - No.348
レスにかこつけて私見
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月07日(月) 16時58分
>結局生産力に比して戦線を広げすぎた結果各方面で泥沼ににはまってしまっている訳で、なあんだ、自分が「無能・無策」と罵倒している旧日本軍と全く同じじゃん(笑)。
ナイスなツッコミですね(笑)。でも、戦況が判った今、いますぐ出来る対応策がありますよ。
やはり、これ以上戦線を肥大化させないこと(もう新シリーズや書き下ろしは休止!)。田中芳樹は歴史に学べるか!?
とはいえ、いくら作家で食っていると言っても、創作意欲の問題ってのはあると思うのですよ。創作意欲ってやつは、その対象がコロコロ変わるし、創作意欲の失せた作品を書き続けるのは単純に苦痛でしょうからね。
私としては、無理にシリーズを書き続けろとは言いませんけど、ケジメだけはつけるべきですね。素直にこういえばいいのです。「読者の方には非常に申し訳ありませんが、私、田中芳樹は「タイタニア(アルスラーン、レッドホットでも可)」にたいする創作意欲が消失してしまい、これ以上書き続けることは出来ません。これ以上読者の方を待たせるわけには行かないので、これでこのシリーズは打ち切らせていただきます」
それこそ、ファンの間では百家争鳴の騒ぎになるでしょうけど、やはりちゃんと告知する義務があると思いますよ。
銀英伝のあとがきで、田中氏は、十巻で終わらせると宣言したにもかかわらず、それ以外の巻で完結するのでは? という噂が出たことに対して、「信頼して貰えなかったのが残念」という趣旨の発言をしていました。ここで、私は田中氏の誠実さと自分の作品への自信に打たれた覚えがあります。
しかし、現在の氏の同様の趣旨の発言に対しては(アルスラーンは14巻完結とか)、誠実さどころか問題を先送りしようと言う不誠実さしか感じることが出来ません。
>はじめまして。双樹すずかと申します。
こんにちは。
>あと、政治家が竜堂兄弟にやっつけられるのとか、描かれる政治家が往々にして単純で利益のことしか考えてなくて‥‥っていうのは、多分に時代劇的なところがあると思います。
> 悪代官とその手下をやっつける水戸黄門の図とか(最後に印篭が出てくるお約束に対応して、最後は竜に変身して問題解決、だし)?。
> 敵役が何故か必ず議論に乗ってくるってのもお約束だし、少しキャラクターが説教臭いのも時代がかった台詞回しも「時代劇」って感じがして、私は結構好きなんですけど(笑)。
鋭いところを突いている好解釈だと思います。いわゆる、勧善懲悪ものというやつですね。
田中氏は勧善懲悪をどちらかといえば嫌悪しています。正義が、主観的なものである正義の名の下に、正義でないものを迫害するからです。
ですが、双樹さんが指摘されているように、創竜伝は明らかに勧善懲悪小説です。正義を、勧善懲悪を否定しながら、それを覆い、脅かすように新しい勧善懲悪に陥っている。つまり、結局は「正義はいけない。勧善懲悪は愚劣だ」と主張する正義であり、別種の勧善懲悪をもって勧善懲悪を嫌悪するという矛盾です。
「勧善懲悪」とは、つまるところ「物語の形をとった世界観」と考えるとわかりやすいですね。
創竜伝が勧善懲悪に陥るのは、必然なのです。
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- board1 - No.349
はじめまして。
- 投稿者:窪田 笙
- 1998年12月08日(火) 02時20分
はじめまして。窪田笙と申します。元・田中芳樹ファンです。
難しい事は(おバカなので)良くわからないし、田中芳樹の本はずいぶん前から読んでないので、あまり色々言えないのですが、
私があの御仁の小説を読むのをやめた理由は
非常に単純です。
ある日突然、つまらなくなったから。
あっさりというか、物足りない感の有る文章にアキちゃったんでしょうね。比喩の使い方もワンパターンだし。(キルヒアイスの髪の毛がいい例ですね)
それではまたお邪魔させていただきます。
いろいろ風当たりも強いでしょうけど、がんばってくださいね。
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- board1 - No.350
感想
- 投稿者:mori
- 1998年12月08日(火) 02時54分
作中のいろいろな矛盾を指摘されたりしていらっしゃいますが,そういう事は、みんな分かった上で読んでいると僕は思っていました。書いてあることはなかなか面白いとい思うので、もう少し毒がなければなお読みやすくなるのではないでしょうか。
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ちなみに
- 投稿者:不沈戦艦
- 1998年12月08日(火) 03時49分
銀英伝も、確か外伝を6巻出すと言っていました。本編10巻の後書きに書いていたような・・・・4巻までは書きましたが、二度と書かれる事はありますまい。彼にとって、読者に公約した事など何でもないんでしょう。創竜伝で詰っている政治家並みですかな。
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- board1 - No.352
情報提供
- 投稿者:浅識/たうら
- 1998年12月08日(火) 10時55分
不沈戦艦さんこんにちは
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>銀英伝も、確か外伝を6巻出すと言っていました。本編10巻の後書きに書いていたような・・・・4巻までは書きましたが、二度と書かれる事はありますまい
これですが、ちょっともういちどよく読んでみてください。「全6巻」ではなく「全6冊分」、それも「これまでの短編も含めて」、とありますよね。
『銀英伝外伝』ですが、これについては長篇の外伝は全4巻とはじめからいわれていたはずなのですが、いつの間にか誤解されてきているようなのです(じつは私も誤解していた^^;;)。
この勘違いが読者に蔓延したことに関しては、『銀英伝』本伝の文庫化に際して、挿まれていたパンフレットの『外伝』のところに「続刊」とあるなど、出版社側の不手際もあった気がします。あと、98年に配られた徳間ノベルズ版『銀英伝』用のオビには「銀河英雄伝説外伝 全4巻」とありますから、本屋でちょっと見てみましょう。
なお、『外伝』第4巻にあたる「螺旋迷宮」が雑誌「SFアドベンチャー」に掲載される直前、同誌の「フーズ・フー」欄の田中芳樹氏の項目には「現在、長編としては最後となる外伝を執筆中…」とあります。この欄は作家自身によるものではなく、編集者が諸作家の近況を伝えるためのものですが、当時から、長篇は「全4巻」であることが決まっていたことの証左にはなると思います。
で、短篇に関してですが、これに関しては、これまでに発表された五作品
「ダゴン星域会戦記」
「白銀の谷」
「朝の夢、夜の歌」
「汚名」
「黄金の翼」
を計しても、せいぜいノベルス一冊分ですから、公約を完全に果たすには、もう一冊分、短編外伝群が必要なことになります。
たしかに、これに関しては公約が果たされる可能性は限りなく低いといえるでしょう。
ただ、現在、これら短篇五作は徳間ノベルス『夜への旅立ち』と特集本『銀河英雄伝説読本』に別々に収録されているわけで、これをして「計6冊分」と解釈することも可能です。仮にそうなのだとしたら無茶苦茶ですけどね。
不沈戦艦さん+新Q太郎さんへ
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『反銀英伝』の話。
>仮に私が同盟の指揮を取るとしたら、ヤンのイゼルローン奪取直後にフェザーンへの侵攻を行います。それによって同盟はイゼルローン・フェザーン両回廊を押さえた上フェザーンからの借款を棒引きにでき、フェザーンの経済力も同盟の国力に取り込めます。当然アムリッツァ会戦もありません。その後、皇帝が死んで帝国では内戦が発生する訳ですから、適宜に介入すれば、簡単に同盟による銀河の統一がなったでしょう。
これは思わず、うなずいてしまいました。
これなら、ラインハルトが同盟に干渉してクーデターをおこさせようとしても、リンチ-グリーンヒルらだけでクーデターが起こせたかあやしいですしね。
仮に、クーデターが発生(→当然鎮圧)し、幼帝ヨーゼフ2世の亡命が成功したとしても、帝国は遠慮なくフェザーンに攻め込めるわけですが、この場合、同盟の方でも、それは読めるわけですから、ラインハルトとしてもどうにもならないでしょう。
この同盟によるフェザーン占領という案にミソをつけるとしたら、ルビンスキーらフェザーン側がどう出るか、という点くらいのものでしょう。
「SFの小部屋」さんの「私説・銀英伝」(ttp://user.tokachi.ne.jp/abasan/sf/sf.html)の検証の受け売りですけど、ラインハルトの「戦略」というのはとりたてて奇抜なものではなく、常に正道をいく類のものです。逆にいうと、『銀英伝』中の「帝国の戦略的優位」とはラインハルトによって築かれたものではなく、単に同盟がフォークの煽動による愚行「帝国領侵攻作戦」に乗ってくれたおかげでできたものなわけで、「もしアムリッツア会戦がなかったら」というifは考えてみると面白いと思います。
制作者御本人の承諾なく、勝手にページを紹介してしまったけど、よかったかな^^;; こちらのページ以外の田中作品検証ページとしては、他にも、SF的視点から銀英世界を検証している「ちんさんのほーむぺーじ」の「銀英伝世界の実現」(ttp://www2.justnet.ne.jp/~chin.mitsui-waseda/CHINPAGE.HTM)などが非常に興味深いです。
蛇足。『反銀英伝』ってことは、同盟の女提督が登場するに違いない(^^
極楽とんぼさんへ
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>そもそも慣性と重力が制御可能+ワープできる条件であんな宇宙戦ができるとは思えない
これなんですけど、SFアドベンチャーの「銀河英雄伝説特集号」(だったはず)に収録されている田中氏の対談の中に収録されていました。田中氏が『銀英伝』執筆にあたり、各種文献を調べたところ、宇宙での戦闘は「一瞬で勝負がつく」としている説と「緩慢なものになる」としている説があったそうなのです。で、どうせ誰も見たことはないわけですから、話にして面白い後者に設定したそうです。でも、たしかにワープができる条件であの戦闘になるかは非常に疑問ですけどね。
管理人さんへ
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実は私は某田中作品ページの制作者です。私のページができましたら、リンクを張らさせて頂こうかと考えておりますので、その際はよろしくm(__)m
URLの方は(ttp://www.gakushuin.ac.jp/~98011189/psr/psr.html)です。
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- board1 - No.353
反銀英伝
- 投稿者:小村損三郎
- 1998年12月08日(火) 11時24分
と言う訳で私もさわりの部分だけ考えてみました。
>その意味で、「同盟軍、フェザーンへ侵攻作戦発動」って銀英伝世界の歴史改変は、筋としては面白そうでしょう?作者の不備をついているだけに。誰か書きませんかね。
たしか、昔プレイした銀英伝のPCゲームではフェザーン侵攻を行うとフェザーンの経済力が敵側に流出してしまい、敵の国力が著しく増強されてしまう、というような設定になっていたと思います。(ちょっと記憶があやふやなんですけど。)
何でそうなるのかは不明(^^;)。
さて、同盟がフェザーン侵攻を行った場合、一時的に占領はできても帝国軍もむざむざ指をくわえて見てはいないでしょうから、迎撃を試みて(ラグナロック作戦時の同盟にはその力は無かった)、回廊の帝国側出口、又は惑星フェザーン近辺での艦隊決戦となる可能性が考えられます。その場合の勝敗は時の運、ということになるでしょうが、仮に同盟が勝利してもその痛手は決して小さいものではなく、場合によっては惑星フェザーンそのものが帝国軍の核攻撃か何かで破壊されてしまう、てなことも有り得るかも・・・。(そんなことをしたら銀河中のフェザーン商人を敵に回すことになるでしょうけど。)
帝国軍のフェザーン回廊への出動の隙を突いてイゼルローンから侵攻、というのも、そこへ戦力を割いては肝心のフェザーン回廊での決戦に敗北する可能性が高くなり、やっぱり無理かもしれません。
で、イゼルローン占領後の方針として私が考えたのが、
①フォーク准将の作戦のような大規模侵攻ではなく、回廊出口近辺の星系(アニメに登場したクラインゲルト子爵家領あたり)を荒らしまわったり、若しくは“解放”したりして挑発行動を繰り返し、
② 帝国軍の要塞奪還作戦を誘発する。
簡単には乗って来ないだろうけど、“解放”のプロパガンダの仕方とかによっては帝国の体制に動揺を与えることも可能かも。
③かなりの兵力を投入して来ると思われるのでいっそこちらもアムリッツア戦役レベルの動員をかけ、イゼルローン回廊で艦隊決戦を挑む。
④艦隊戦力が拮抗している以上、「トールハンマー」があれば何とかなる(爆)。
これも簡単には近づいて来ないでしょうけど「要塞奪還」が目的である以上最終的には取り付いて来ざるを得ない。
あるいは同盟側の主戦力は回廊の同盟側出口の近くに隠れていて、敵が要塞に接近してきた所を一気に突く、とか。(でも回廊内の空間は結構狭いみたいなので大艦隊同士の決戦は無理かなー)
⑤ めでたく帝国艦隊を撃滅して万々歳。
⑥ 以後の展開はどなたか考えて下さい(^^)。あるいはその時点でフェザーン侵攻とか。
さて、以前に不沈戦艦さんが指摘しておられたフェザーンの存続自体に対する疑問ですが、たしかフェザーンの建国には地球教が大きく関与していたはです。
ラインハルト以前に誰もフェザーン侵攻を思い付かなかったはずはありませんが、両国の体制内部にも隠然たる勢力を持っている地球教が要所要所に圧力や策謀をめぐらし、構想の具体化を妨害していた、てなことは考えられないでしょうか。
で、しがらみの少ないラインハルトの独裁体制が確立して初めて実現できた、と。
まあ、現実にはそんなこと不可能かもしれませんが、この程度だったら「小説だから許される」と思います。
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- board1 - No.356
結構仮想戦記って難しい
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月08日(火) 16時20分
>田中氏が『銀英伝』執筆にあたり、各種文献を調べたところ、宇宙での戦闘は「一瞬で勝負がつく」としている説と「緩慢なものになる」としている説があったそうなのです。で、どうせ誰も見たことはないわけですから、話にして面白い後者に設定したそうです。でも、たしかにワープができる条件であの戦闘になるかは非常に疑問ですけどね。
むかし私がプレイした銀英伝のボード版シミュレーションゲーム(たしかツクダが出していた)で、ゲームデザイナーが、ナポレオニックのゲームを基本にしてデザインしたデザイナーズノートに書いてました。
>さて、以前に不沈戦艦さんが指摘しておられたフェザーンの存続自体に対する疑問ですが、たしかフェザーンの建国には地球教が大きく関与していたはです。
>ラインハルト以前に誰もフェザーン侵攻を思い付かなかったはずはありませんが、両国の体制内部にも隠然たる勢力を持っている地球教が要所要所に圧力や策謀をめぐらし、構想の具体化を妨害していた、てなことは考えられないでしょうか。
>で、しがらみの少ないラインハルトの独裁体制が確立して初めて実現できた、と。
>まあ、現実にはそんなこと不可能かもしれませんが、この程度だったら「小説だから許される」と思います。
>
スマートですねぇ。なるほど。
ところで、ifと言えば、もしヤンにオーベルシュタインのような政治的能力のある汚れ役がいたとしたら、これまたそれだけで戦略状況が違ってくるような気もします。
どちらかと言えば、専制君主制のラインハルト陣営に比べて、民主的なはずのヤンファミリーのほうが考え方というか、思想が均一ですよね。やはり、オーベルシュタインのような「異分子」の存在は重要であり、強みであると思います。
その点で、もしトリューニヒトが上司でなくヤンファミリーだったら面白いかもσ(^_^;)
>窪田 笙さん >moriさん
ご意見ありがとうございます。
>浅識/たうらさん
>
> 実は私は某田中作品ページの制作者です。私のページができましたら、リンクを張らさせて頂こうかと考えておりますので、その際はよろしくm(__)m
こちらからもよろしくお願いします。
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- board1 - No.357
>創竜伝は作者が嫌う「先天的能力」「陰謀論」が根本だから
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月08日(火) 16時38分
おそらく創竜伝の根本的な矛盾というか、破綻というか、なんでもいいのですが、「超人的な先天的能力」を前提にした「竜王」に、「民主主義賛美」をさせるというのが、そもそもの間違いではないでしょうか?
もし、「皇帝」のラインハルトが民主主義は素晴らしいというような事を言いだしたら、銀英伝はたちまち興ざめですよ。それと同じようなことを、創竜伝ではやっているような気がします。
そもそも、もし竜堂兄弟のような超人が実在したら、人権思想というのは根底から覆される可能性がありますよ(人権が付与される前提である「人間」であるとはどういうことか、とか、人間が平等であるという前提の崩壊とか。超人的不死的な能力があれば、法の下の平等なんか簡単に覆ることは、実際に竜堂兄弟が実践しているし)。
そのうえで、単純な民主主義賛美とか人権思想擁護などの評論を小説に織りまぜるというのは、あまりにも無自覚であると思います。
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- board1 - No.358
はじめまして
- 投稿者:くますけ
- 1998年12月08日(火) 18時29分
はじめまして。このカフェの内容の全部には目を通してはいないので、重複する点が多々あるかもしれませんが書き込みさせていただきます。
まずこのカフェを見て思ったのは、「似た事思ってる人、多いなぁ」でした。
実際、創竜伝も途中からくそ面白くない二流政治エッセイと化してしまった。こんな事は管理人さんも言う通り小説で書く事ではないでしょう。本当に政治について語りたいならそういう本を書けばいいし、それを小説で書く事はある種卑怯です。「これは政治批評の本ではなて、小説ですよ」というエクスキューズがなきゃそういう事言えんのか!と思います。
本気で語りたければ政治批評の本を出して、他の政治批評家と同じ土俵で勝負すべきです。そうしない、という事は同じ土俵で勝負する自信がないんとちゃうかと勘繰りたくもなります。
僕は田中氏の政治思想だとかには興味は「全く」ありません。僕が欲していたのは政治批評家の田中芳樹ではなく「作家」田中芳樹でした。他の多くのファンも同じだったでしょう。その期待を裏切った田中氏は作家として「堕ちた」といっていいでしょう。
悲しいかな僕にとって田中芳樹は「過去の」作家となってしまいました。
あと、最近の田中氏の中国史についての本はほとんど読んでないんですが、ざっと見たところの感想です。
はっきり言って、「ページの余白多すぎ」、「文章が単純」です。
ページの上下の余白が広いし、行間も広い。中谷彰宏の本じゃあるまいし。あれって、実際の所、普通の単行本の三分の二程度の原稿しか書いてないでしょ?
文章については「誰々は言った。そして何々した」っていう単文が多かったように思います。また、風景の描写も以前より少ない。率直に言うと「薄っぺらい」文章に成り果ててました。
志茂田かげき(字を忘れました、すいません)みたいに文章を書かずにテープに声を吹き込んで本にしてるんじゃないかって位の薄っぺらさです。
田中氏は小説全般について創作意欲を失ってしまったんでしょうか?
もう一度言います。田中芳樹は作家としては「終わった」人、「過去の作家」であると。
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- board1 - No.359
いきなりですが
- 投稿者:カエルサル
- 1998年12月08日(火) 19時48分
「…『民族の誇りをとりもどそう。祖国を愛しよう。伝統文化を守ろう』と一九三三年に叫んだのは、ナチス・ドイツのゲッベルス宣伝大臣だった。いま日本の文部省が、まったく同じ事をいってるな。一〇年後の日本がどうなってるか楽しみだよ」(創竜伝4巻P56)これって悪いことだろうか。単にゲッペルスが言ってるから不気味に感じるじゃあ。基本的に田中氏はこういう技法を多用しているように思える。氏が批判している大新聞のやり口とか政治家や権力者の情報操作、洗脳と同じではないか。
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- board1 - No.360
RE. 358 重要なところだと思います
- 投稿者:石井由助
- 1998年12月08日(火) 19時50分
>はじめまして。このカフェの内容の全部には目を通してはいないので、重複する点が多々あるかもしれませんが書き込みさせていただきます。
こんにちは。
>本気で語りたければ政治批評の本を出して、他の政治批評家と同じ土俵で勝負すべきです。そうしない、という事は同じ土俵で勝負する自信がないんとちゃうかと勘繰りたくもなります。
創竜伝では、政治評論家を日本で一番いかがわしい職業みたいな言い方で職業差別していましたが…
>田中氏は小説全般について創作意欲を失ってしまったんでしょうか?
>
>もう一度言います。田中芳樹は作家としては「終わった」人、「過去の作家」であると。
ちょっと前に、私は「タイタニアやレッドホットの続編を書く気がないのなら、打ち切りをはっきり宣言しろ」と書きました。その結果、ファンにボロクソに糾弾されるかも知れませんが、このまま問題を先送りして、むなしい期待をファンに抱かせ続けるよりも、責任ある態度だと思うからです。
現在出ている氏の小説で、銀英伝に匹敵する気迫や密度のある作品は、皆無です。否、人間である以上、それでも構いませんが、問題なのは、現在の氏の小説に片手間というか、趣味で書いているような雰囲気があることです。
公表されている氏の資産を見れば、この後の余生は働かなくても食べていけることは明らかです。もちろん、それはそれで結構なことですが、どうもそれが氏から創作意欲(というよりも勤労意欲)を奪っているような気がします。
義務感で創作を続けるくらいなら、いっそのこと作家を引退されたらどうなのでしょうか。落合だって、打てなくなったら引退です。ラモスだって、動きが付いて行かなくなったら引退です。引退するのは、彼らがプロだからです。技術を見せて食っているからです。草野球や草サッカーならともかく、プロだったら素人には出来ない技術を見せられなくなったら金を取るべきではないのです。
田中氏も、プロの作家としての技術を見せられなくなったら、引退した方が、晩節を汚さないで済みますよ。あなたの尊敬する石橋湛山のように。
田中氏が今書いているような趣味の小説は、コミケのようなところで世に問うた方がよいのではないでしょうか。このままプロの作家にしがみつくより、文章系初の2時間行列でも目指した方がよっぽど健全だと思うけどなぁ。個人的な感想だけど。
(じゃなかったら、あとはインターネットだな)
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- board1 - No.361
SF作家の進退
- 投稿者:やぶにらみ
- 1998年12月09日(水) 01時48分
田中氏の作品がSFと呼び得るのか、という議論はさて置き、ああした架空世界の構築にあまり意欲を見せなくなっているのは確かですね。ただ中国物については、なかなか精力的ですし、作家としてはまだまだ枯れていないんでしょう。
考えてみると、小松左京とか、光瀬龍、豊田有恒や、半村良など(敬称略)、日本SFの屋台骨を支えた作家って、ほとんどが今や評論家や時代小説作家になっていますね。
SF作家の耐用期限なんてものがあるのでしょうか。欧米ではアシモフとか、生涯SF者の作家は多いのですけどね。
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- board1 - No.362
反銀英伝構想
- 投稿者:不沈戦艦
- 1998年12月09日(水) 04時10分
浅識さんお久しぶりです。また、小村さんにも論評していただけたようで恐縮です。
さて、前は簡単に「同盟軍、フェザーン侵攻」とだけ書きましたが、実際やるとなるともう少し精密に行わなければなりません。拙案を披露することにいたしましょう。
①実施時期はヤンのイゼルローン奪取直後
この時期しかありません。アムリッツア後では同盟の国力、軍事力ともに衰えすぎで、何かを出来る能力を有していませんから。同盟市民も「帝国を倒せ!」と戦争熱に浮かれていましたから、世論の支持も大きいものです。反戦派にひっくり返されることもありますまい。
②侵攻目標の完全な秘匿
「同盟軍、フェザーン奇襲」でなければなりません。実際の方法はラインハルトのラグナロック作戦の真似です。つまりイゼルローン回廊を通って帝国討伐の軍を起こす、と大々的に触れ回って、フェザーン回廊に関しては無関心、無防備にさせるのです。電撃的な奇襲がいかに効果を発揮するかは、通過不能な筈のアルデンヌの森を抜けてダンケルクにまで至ったドイツ国防軍。真珠湾を奇襲した帝国海軍。いや、銀英伝自体の作中にも前述のラグナロック作戦で示されています。ほとんど無防備なフェザーンを電撃占領できれば、帝国に与える衝撃は小さなものではありませんし、同盟内の戦争熱に浮かれた連中も、巨大な軍事的成果に満足するでしょう。形ばかりとはいえ、フェザーンは「帝国領」ですから。オーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)を徹底的に秘匿した連合軍を見習わなければなりません。謀略も駆使して。この時、英国首相チャーチルは、偽の作戦計画書を持たせた海軍将校の死体を、フランスの海岸に漂着させる、という事まで行っています。これにすっかりドイツは騙されました。
③フェザーン占領後の兵力配置
イゼルローンに一個艦隊、フェザーンに残りの全艦隊を配備します。どちらも任務は防衛だけ。なぜなら、フェザーンを占領した直後ではまだ同盟の国力は回復していません。経済力の半分は帝国側との通商ですから、その余剰人員を同盟のマンパワーとして取り込む作業を優先させます。無理に強制連行しなくても、余った人材を高給で釣れば、同盟の仕事の希望者は殺到することでしょう。例えば余った商船をフェザーン駐留の同盟軍に対する補給任務に駆り出したりする訳です。そして、両回廊ともに防戦に徹し、決して回廊から出戦しません。フェザーン奪取という大戦果を挙げた訳ですから、同盟の市民も満足するでしょうし、「政治業者」たちも、フェザーンの富の収奪に血道を上げるばかりで、他の事に目が行かなくなること請け合いです。大量の餌を与えられた獣、ってとこですから、当分喰うことだけで手一杯でしょう。
④帝国軍、ラインハルトの反撃はフェザーンに行わざるを得ない。しかも失敗する。
形の上とはいえ帝国領、しかもかなりの人口を抱えている経済的先進地域を奪取されたのですから、皇帝から「フェザーン奪還」の厳命が下ることでしょう。いくらラインハルトが戦争の天才でも、かなりきつい任務です。この条件では、同盟軍はフェザーン回廊から出てこないんですから。まだ「防御攻勢」の段階ですからね。「攻勢防御」に移るのは、時間が経って、同盟の国力がある程度回復してからです。穴ぐらに籠もった穴熊相手の戦いでは、アムリッツアの圧勝はありません。消耗戦に引きずり込まれ、そのうち撤退するのが関の山でしょう。
⑤皇帝死去
当然ラインハルトは何の成果も上げられないまま、フェザーン回廊から退却です。
⑥帝国内に内戦勃発。しかし、同盟には何も起こらない。
ラインハルトがリンチ元少将を使う謀略を仕掛けても、誰も乗ってきません。救国軍事会議のクーデターは、アムリッツアの敗戦後に同盟の先行きに深刻な危機感を持った軍人たちが起こしたものです。仮にリンチがグリーンヒル大将に会いに行っても、相手にもされないでしょう。しかし、皇帝の死によるリップシュタット戦役は確実に発生します。リヒテンラーデ公がラインハルトを取り込んでブラウンシュバイク公に対抗する、という構図はそのままですから。
⑦リップシュタット戦役に同盟軍介入
戦っている相手の後ろから撃つんですから、楽なもんです。もちろん主目標はラインハルト軍。先ずは辺境平定に乗り出したキルヒアイス
軍を討てばよろしい。同盟軍が使用できる戦力の方が大きいですから、仮にキルヒアイスを戦死させれば(キルヒアイスの性格なら、最後まで戦場に止まりそうだからその可能性は大きい)ラインハルトは大打撃です。友の戦死に我を忘れて攻め掛かってきたらしめたもの。後ろから貴族連合軍がやって来てラインハルト軍は袋の鼠。戦争の天才の一巻の終わり、という訳です。その後は一時フェザーンに撤退ですね。ラインハルトの死で、攻勢防御段階終了。
⑧回復後に全面侵攻
残るは軍事に無知に近い、内戦でガタガタになった貴族連合軍だけです。同盟軍が回復した後なら楽勝でしょう。艦隊決戦で圧勝した後、あっさりオーディンが陥落。帝国は同盟に降伏せざるを得ません。
以上、反銀英伝「同盟軍フェザーン侵攻」編でしたが、いかがですかな?これを実行する場合、最大の問題は同盟の意思統一だけですね。まあ、リップシュタット戦役の時のシュターデン提督の「一軍を持って敵を迎え撃ち、別働隊でオーディンを陥とす」に近いものがあるとは思いますが。銀英伝に書かれている同盟政府の能力では無理でしょう。でも、「反銀英伝」としては面白いでしょ?
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- board1 - No.363
所詮はダメ作家
- 投稿者:魏衆愚
- 1998年12月09日(水) 09時04分
「…『民族の誇りをとりもどそう。祖国を愛しよう。伝統文化を守ろう』と一九三三年に叫んだのは、ナチス・ドイツのゲッベルス宣伝大臣だった。いま日本の文部省が、まったく同じ事をいってるな。一〇年後の日本がどうなってるか楽しみだよ」(創竜伝4巻P56)これって悪いことだろうか。単にゲッペルスが言ってるから不気味に感じるじゃあ。基本的に田中氏はこういう技法を多用しているように思える。氏が批判している大新聞のやり口とか政治家や権力者の情報操作、洗脳と同じではないか。
しょうがないジャン。所詮田中芳樹ナンだから。
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- board1 - No.364
オーベルシュタインは「本多親子」
- 投稿者:小村損三郎
- 1998年12月09日(水) 13時17分
>ところで、ifと言えば、もしヤンにオーベルシュタインのような政治的能力のある汚れ役がいたとしたら、これまたそれだけで戦略状況が違ってくるような気もします。
>どちらかと言えば、専制君主制のラインハルト陣営に比べて、民主的なはずのヤンファミリーのほうが考え方というか、思想が均一ですよね。やはり、オーベルシュタインのような「異分子」の存在は重要であり、強みであると思います。
>その点で、もしトリューニヒトが上司でなくヤンファミリーだったら面白いかもσ(^_^;)
この点は私も気になりました。
「自由」と「民主」を標榜してるヤン艦隊の面々が、どうしてああも路線も価値観も思考パターンも画一的なんだろう、という感じで、何か胡散臭く見えてしまう。(勢力が弱小なうちはいやでも団結してる、ということかもしれませんが。)
帝国側のミッターマイヤー、ビッテンフェルトらとオーベルシュタインの関係の方が遥かに陰影とリアリティがあります。
オーベルシュタインって、要するに「石田三成」か「本多親子」なんですよね。ビッテンフェルトが大久保彦左衛門だから(^^;)。武断派連中との対立は宿命です。
グエン・バン・ヒューやアラルコン少将あたりが生き残っていればオーベルシュタインとは違った意味で面白い役回りになったかもしれませんが、サックリ戦死してしまったし。
あとはバグダッシュ中佐とかを膨らませたら・・・、でもこうやっていくと10巻じゃ終わらないか。
こういう想像や解釈が無限に広がる所が、逆に銀英伝という作品の本当に凄い所なんですがね。
以後の作品にはこういう所が全く感じられませんね。
>逆にいうと、『銀英伝』中の「帝国の戦略的優位」とはラインハルトによって築かれたものではなく、単に同盟がフォークの煽動による愚行「帝国領侵攻作戦」に乗ってくれたおかげでできたものなわけで、「もしアムリッツア会戦がなかったら」というifは考えてみると面白いと思います。
さすがにアムリッツア後から逆転させるのは志茂田景樹か谷恒生でないと無理でしょうね(笑)。
結局銀英伝全編の展開は1巻で決まっていたのか・・・。
>以上、反銀英伝「同盟軍フェザーン侵攻」編でしたが、いかがですかな?
なるほど、なるほど。
強力な要塞が無くても充分な兵力を揃えた上で回廊と言う穴蔵に立て篭もっていれば防御側が圧倒的に有利、という訳ですね。
根拠地となる惑星も足元に有る訳ですし。
実際、両回廊の中で最大限どの程度の兵力が展開・交戦できるものなのか、是非田中氏に聞いてみたいです。
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- board1 - No.365
久しぶりの書き込み
- 投稿者:小走 洋文
- 1998年12月09日(水) 15時41分
久しぶりに見に来ました。なんだか、田中ファンからの書き込みがずいぶん減ってるんですね。さみしい限りですね。たしかに、私の中でも半分は「過去の作家」状態なんですが。
ちょっと気になったのは、銀英伝のSF的な内容(というか設定)の書き込みが多かったように思うのですが、私は、SF小説も読むんですが、他に、リアルな宇宙空間戦闘を描写しているような作品にであったことが有りません。
映画でも、そうですが、作者が設定したことや
作り出した世界観に入り込むということが、SFを読む時には必要なのではないでしょうか。
だから、私は、銀英伝を読んでる最中は、細かいことは気になりません。創龍伝はSFじゃないですよ。念のために言っておきますが。
皆さんの書き込みを拝見してると、創龍伝は許さないが、銀英伝は認めてる、と見受けられるのですが、田中作品ファンの勝手な解釈でしょうか。銀英伝に対する非難は、創龍伝に対するそれとは、あきらかに矛先が違っているようですしね。でも、SF作品で、「こんなの無理だろう」とか、「こんなの有り得ないよ」とかってゆうのは、非難対象にしてはいけないと思うのですが。どうでしょうか。
相変わらず、ヘタクソな文章しか書けませんが
文才のない人間と思って許して下さい。