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- board1 - No.431
中休み
- 投稿者:新Q太郎
- 1998年12月17日(木) 19時37分
註1:以下の話は少年サンデー「神聖モテモテ王国」(ながいけん)を知っている人しか分かりません。
註2:そもそもこの作品は「田中芳樹の思想的批判」が目的のこの掲示板の趣旨を完全に誤解しています。
「神聖モテモテ王国--初小説がこれか?」
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「さて、キルヒアイスキー君今回の作戦じゃが・・・」
ファーザー、トンカツをほおばりつつ、何かクスリでもやってるかのような確信に満ちた声を上げる。
「また、なにか考えたのか。無駄だと思うが一応言ってみろ」
メガネスキーは表情一つ変えず、箸を動かす。
「ズバリ、竜の戦士がもてるんじゃよ!!常人とは異なる異形の者が未知の能力を以って、日本と世界の名所をサザエさんのOPのように巡って破壊の限りを尽くす(タイアップ付)。そして地球を牛耳る『四姉妹』と闘い続け、そのうちに次女とねんごろになって、牧場でダービー馬の生産に情熱を燃やすことになるのじゃよ!」
ファーザー、また不必要な熱弁を振るう。大丈夫か。
「・・・その四姉妹は、『じゃじゃ馬グルーミンUP』の」
ほうじゃないのか?・・・まあいい、竜の子孫はともかく『常人と異なる異形』という点は演出不要なのは利点だ。」
「よおし貴公らの勇気と忠誠に期待する。この作戦は名づけて『神々の指紋』(ハンコック)作戦!」
「・・・『神々の黄昏』(ラグナロック)じゃないのか?」
ファーザーガラスのコップを持ち上げ「ブロージット!」と言うや否や、コップを床に叩き付け粉々にする。
「あっバカ、替わりのコップ誰が買うんだ!」
「フッ、卿はまだ若いな」と憐憫の微笑を浮かべつつ、ファーザーは作戦の一歩を踏み出した。もちろん裸足で(笑)。
「ギャアアアアア!」ファーザーの足から鮮血が噴き出す。
「はだしでガラスの破片まみれの床歩いてどうするんだお前。インドの苦行僧か?」オンナスキーは呆れたようにつぶやくが、部屋を出る前に彼が中ダメージを負うのは、もう慣れっこであまり動じてはいない。
「うう・・・と、とにかく作戦を実行するのじゃよ」
<第2章>
さてお約束の、作戦に応じたファーザーの新キャラクターである。
命名『竜の子プロ』
「*解説・・・彼こそは世界に数多い竜族の子孫の中でも、ドラフト1位でプロ入りした逸材である。キャシャーンやガッチャマンも彼の配下にあると言われている」
「『竜堂一直線』は直線だと曲がれないので没になったんじゃよ。このヌンチャクが隠し味じゃろ?」
「燃えよドラゴンのつもりか?」
もう(というより最初から)やる気の失せているオンナスキーであるが、ファーザーは自信満々である。
「なあに、勝つための準備は出来ているから気楽にやってくれ・・・それでは始めるとしようか」笑顔で語るな。
そこに近づいてくるナオン一人。いざ、にじりよるファーザー。
「ぼうやよいこだねんねしな。あのオープニングの餓鬼もわしらの仲間じゃろか。・・・皆さんこんばんは、拙者が竜のブルジョアを打倒し革命をせんと企む竜の子プロです。」
・・・すでに設定が違う。ファーザーはオンナスキーも引っ張り出して名乗らせる。
「そしてこやつが、兄弟の一番末っ子、『竜の子捨(すてる)』です。」
「・・・やな名前だなあ」
「わしらこそ竜堂なんとかいうアマチュアと違い、確かな仕事をするプロですよ!偉大なる竜の子孫である我ら優良民族が、劣等民族を根絶やしにするのです!!諸君らの愛した、ガルマザビは死んだ!なぜだ!」
「お前、何を言ってるんだかわからんぞ。それにナオンも、もう逃げた」
「何い!?・・・ううむ、やはりアピールが足らなかったか。よおしここは竜の魅力をアピールするため、東京の名所を完膚なきまで破壊殲滅するのじゃよ!まず目黒の寄生虫博物館の首、取ったれや!」
そう叫ぶやいなや走り出すファーザー。手にはいつのまにかダイナマイトが握られている。
「お、おい、何をする気だ!誰かそいつをつかまえてぇ!」
しかし、そう叫ぶオンナスキーの声も届かぬ間にファーザーはさらなるお約束の展開に遭遇していた。
そう、警官隊である。
「あんた、何持ってんの」「・・・ちょっとこっちまで来て」
「ギャワー、権力と軍国主義の尖兵が不当に抑圧しにきました!み・・・民主主義の危機ですよ!こうさりげなく竜族らしい社会風刺の評論も交えてみたがナオンはいずこ!??ギャワー」
これもお約束ですでに隠れ、物陰で一部始終を見ていたオンナスキーがぽつり。
「いや、あれを捕まえるのは十分民主主義だと思うぞ」
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- board1 - No.432
Re>管理人さん>申し訳ありません
- 投稿者:カエルサル
- 1998年12月18日(金) 00時16分
怒りの掲示板って>荒らしみたいな書き込みすいません。悪意はありません。ちょっと行ってみたらイッテたんでいい加減な感想を書いてしまいました。どうかご容赦くださいませ。
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- board1 - No.433
「神聖モテモテ王国」便乗
- 投稿者:石井由助
- 1998年12月18日(金) 04時32分
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|友| 共 闘 希 望|竜の化身|
====================
|こんにちは。ワシは誠実で |18|178cm|
|明るくりりしい竜の子捨と |----|
|いう竜の化身です。四姉妹 |大学生 |
|と戦っています。年しゅう |----|
|1000万。じっちゃんから受 | | |
|け継いだ土地と家屋敷あり。|----|
|ルックスはわりとみんなか | |
|らハンサムといわれ、服の | → |
|しゅ味はイタリアンスタリ | |
|オン(スタローン等)。 ------
|スポーツは万能で、飼い犬は蛤と虹と |
|蛇。相手への希望はかわいくて明るく |
|てやさしくて料理の上手な四姉妹との戦|
|いにきょう味のある女子生徒。返事180%|
|確実(約2回出す計算) |
| わ し |
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オンナスキー「誰だこの竜堂続は?」
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- board1 - No.434
カリカチュアとしての創竜伝
- 投稿者:ドロ改
- 1998年12月18日(金) 05時33分
前に書いたことを整理して考えてみました。
創竜伝が「面白さ」を追求した作品であることは、作者自身が語るところでも有ります。
であるならば、社会批評まがいの破綻した文章や、「事実誤認」にも説明がつくのではないでしょうか?
「面白さ」を表す最大級の誉め言葉は「理屈抜きに」です。たしかに創竜伝は妙な「理屈」を
多く含んでいますが、それがもたらす「面白さ」
は「理屈抜き」です。
それが作者の目指すところであるとして、
創竜伝を解釈すると答えが見えくる様に思います。
つまり、主人公に叩きのめされる悪役は、
とにかく悪い奴で有った方が面白いわけです。
(少なくとも爽快感と言う意味では)
ガンダム0080は面白いですけど、
見終わった後なんだかブルーに成りますよね。
そんなものは要らないわけです。
話がそれましたが、出は悪役を作ってみましょう。醜い怪物もいいですが、ありふれている上にホラーになってしまいます。(爽快感を出すのが一版難しいジャンルでは?)ナチス残党なんて言うのもありふれている上、現実感が薄れて(良い意味での、というか過去の)田中作品らしく無くなってしまいます。
ではどうするか?世間一般で「悪い」と認識されているものを戯画化して出してやれば良いのです。どうせボコボコにされるだけの悪役なんですから、「三部の利」なんていりません。
でも唯「汚職政治化」等と言っても、説得力が
沸きませんから、何らかの形で「ボコボコにされて当然の悪役」であることをアピールしておかねばなりません。悪役の悪行を描くのも手ですが、話が暗くなる危険性があります。
だったら一見理論的な文章で「けなして」やれば良い。つまり創竜伝の社会批評は戯画化された
社会に対して行われている、作品の小道具だったのではないでしょうか?
少なくとも7巻ぐらいまではそう感じられます。
さてここからは、分析では無く単なる憶測です。最近の創竜伝は社会批評(?)のウェイトが
大きすぎる上に物語りもつまらなく、末期症状
を呈しています。物語がつまらないのは作者の筆力の低下として、露骨に前面に押し出されるようになった社会批評は、
「作者自身の戯画化」の様には受け取れないでしょうか?それが意図してかどうかは解りませんが、前回私が「読者をバカにしている」
と書いたその正体を突き詰めていくと、
「小説の小道具としての戯画化された悪役への悪口を、批評か何かと勘違いして自分に心酔してしまうバカな読者」を、作者は作品中で自身を戯画化することでバカにしているのではないでしょうか?
座談会などの手法も、元は作品世界を客体化
する為の「解毒剤」だった様に感じるのですが。
(結局現実世界と作品世界の混同を{作者に}引き起こす結果となってしまっているようですが)
それと、全共闘に対する若者の潜在的共感は当然だと思います。全共闘は内の抗争と、外からの武力行使で解体しましたが、その運動を引き起こすに至った社会矛盾は放置されて拡大しているのですから。
一例を挙げれば、今泥縄的に行われている
大学改革(教官の学生による評価、予算重点配分、等々)は当時学生運動が目指して果たせなかったものですし、沖縄問題等の報道を見ている学生に「日本は世界で唯一の戦争放棄国で(コスタ・リカは?)」と教える矛盾も無くなった訳ではないのですから。
(憲法は一番大切な決まり、日本は戦争放棄国、
日本の軍事力(軍事予算)は世界第3位、の三つの情報を与えられた生真面目な学生が出す結論はほぼ一つのしぼられますよね)
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- board1 - No.435
妄想
- 投稿者:悪徳
- 1998年12月18日(金) 08時00分
>そこで、最近考えてる仮説があるんです。
>田中芳樹は自分の衰えを自覚していて、
>そのうえであんなものを買う読者に愛相がつきているんでは?
>最近の田中作品には、やるきの無さと同時に何か
>読者にたいする憤りというか、馬鹿にしているというか、
> そういう物を感じるんです。
これすごいですね。だったらいいなあ。田中トリューニヒト芳樹とでも名付けたい。田中信者とアンチ田中派を手玉にとって何を企んでいるのか。
『ドラゴンボール』の終わり頃もこんな風だったけど。
全然関係ないけど、ディズニー映画『ムーラン』のパンフレットに田中さんが解説だかコメントだかを書いているそうです(未確認)。
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- board1 - No.436
平和のミッション?
- 投稿者:ありゅう
- 1998年12月18日(金) 08時07分
こんにちは。始めて書き込みします。
このHP大変面白いと思います。
前々から田中芳樹の創竜伝に漠然と異和感を覚えていたのですが
ここの掲示板を拝見するかぎりでは、同じような思いをしている
方が結構多いようですね。
ところで、前に、田中氏が塩野氏をあてこすったとかいう話題があった
とおもいましたが、田中氏も結構でたらめなことを言っていると
思うのです。
創竜伝のどっかの巻で 明の宦官 鄭和に言及して
彼の大航海は全く平和的な目的だった、
後々のイギリス人が支那に働いたような残虐行為を行ったりは
しなかったなどという主旨を述べていたと記憶しています。
でもこの間、図書館で鄭和艦隊の業績(行跡?)を調べたら、
セイロンでは政争に介入して国王を捕まえたりしているそうです。
平和のミッションどころか武力介入してるとおもうのですが。
だれかこの辺の経緯を詳しく御存じないですか?
田中先生 例のごとく 二重基準を行使か?そんなことを感じました。
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- board1 - No.437
田中センセと読者
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月18日(金) 20時11分
>>最近の田中作品には、やるきの無さと同時に何か
>>読者にたいする憤りというか、馬鹿にしているというか、
>> そういう物を感じるんです。
というよりか、読者を侮っているという点で馬鹿にしていると思います。
>創竜伝のどっかの巻で 明の宦官 鄭和に言及して
>彼の大航海は全く平和的な目的だった、
>後々のイギリス人が支那に働いたような残虐行為を行ったりは
>しなかったなどという主旨を述べていたと記憶しています。
>でもこの間、図書館で鄭和艦隊の業績(行跡?)を調べたら、
>セイロンでは政争に介入して国王を捕まえたりしているそうです。
>平和のミッションどころか武力介入してるとおもうのですが。
>だれかこの辺の経緯を詳しく御存じないですか?
>田中先生 例のごとく 二重基準を行使か?そんなことを感じました
鄭和に関しては、伴野朗氏の小説で読んだことくらいしか知らないので、情報を求めます。二重基準については、充分あり得そうですね。
鄭和には罪はないのだけど、あそこまで徹底的に「善」として描かれていると、かえっていかがわしい(笑)。世の中に絶対的な「善」と「悪」の区分がないという事をはじめて私に教えてくれたのは田中先生の小説ですから、私は先生に教えられたことを先生に返します。
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- board1 - No.438
宦官鄭和について知ってる限り
- 投稿者:カエルサル
- 1998年12月19日(土) 04時22分
宦官とは去勢した後宮管理人兼側近のことです。後宮には皇帝と皇太子、未封の太子しか入れません。その管理のため去勢した男性が必要でした。しかし職務上国家機密を握り外宮の臣下より皇帝に近いことから宦官は歴史上様々な政治的混乱を招く原因となりました。秦の始皇帝の遺言を独占して改竄し、一番愚かな胡亥を擁立して横暴を極めた趙高などが有名です。特に宦官が専横を極めたのは明代です。一見不要の長物に見える宦官ですが絶対君主制で太子や妃にも心を許せない皇帝にとって幼い頃から世話をしてくれた宦官は特別な存在だったみたいです。明を創業した洪武帝は漢唐両朝における宦官の弊害を嫌って徹底的に弾圧し、儒教思想と士大夫による官僚政治を進めました。2代目建文帝もこの政策を引き継いでます。そのころモンゴル族の侵入に備えて華北に封じられていた燕王が北京を中心に巨大な勢力を築いてました。建文帝はこれを潰そうとし、燕王も挙兵し3年にわたる内戦になります。(端難の役)雲南省昆陽県の貧しいイスラム教徒の家に生まれた鄭和はその時燕王の宦官でした。戦況は建文帝を怨んでいた宦官が機密情報をもらしたため燕王側の逆転勝利となりました。このとき鄭和は将軍として出陣し、卓越した軍略で勝利に貢献します。どうやら宦官ながら軍事的才能があったようです。南京を占領した燕王は即位して永楽帝となります。(1402年)ところがこのとき官僚の統御がうまくいかず、彼らに不信を抱き、ますます宦官を寵重します。彼は特務機関「東廠」を創設しスパイで政府に批判的な官僚を摘発し、重罪犯用の1000人の番卒を揃えた収容所にぶち込みました。政治犯の捜索、逮捕には宦官の命を受け錦衣衛(憲兵隊)があたり、さらに勅命で逮捕する詔獄を設け、在官の大臣も有無を言わせずぶち込みました。この役所を「北鎮撫司」と言い、同じく「東廠」の指揮下におかれました。「東廠」の長官には宦官の最高官職の2番目のへい筆大監(副宰相)があたりました。初代長官は鄭和です。(「東廠」は以後強大な警察力で明末魔で猛威を振るう)宦官が政治の表舞台にでて来たのはこのあたりからです。永楽帝が遷都した北京は元朝の大都のあったところで雑多な人種であふれ、永楽帝に仕えた宦官も異民族出身が多くいました。女真人のイシハモンゴル人のハイトンなどです。永楽帝は彼らに幼い頃から海外事情を聞かされてたのでモンゴル親征に南海遠征、ベトナム占領を行いました。(今の感覚で言えば侵略)鄭和はイスラム教徒で父がメッカに巡礼に行っていたため、、鄭和が南海遠征の総司令官になりました。南海遠征は1405年から1433年にかけて行われ、恩赦が約束された囚人を中心に27800名の将兵が参加しました。長さ140メートル幅50メートルの大船62隻で編成された大艦隊は東南アジア、インド、ペルシャ湾岸アラビア海周辺、アフリカ東海岸など32の港に寄りました。結果、イスラム圏を中心に三十数カ国の使節が明に朝貢に来ました。永楽帝は自由貿易を許可し国際貿易が活発化しました。ちなみにここから華僑がうまれ、鄭和は彼らに神として崇められてます。(ここから私見) このように明の海外進出は中華帝国の威光を天下(世界)に知らしめるためのものです。よって中華帝国に都合のいいよう内政干渉したこともあります。(内政干渉について詳しく知らない)たしかにイギリスの植民地政策に比べて遙かに穏やかですが、この場合鄭和の遠征の引き合いにするのなら(何でそんな逸話を挿入するのかは別として)ポルトガルの遠征の方が的確だと思いますが。年代的に。意地の悪い批判をしますと、中国に侵略したイギリスを陥れたいだけで書いたように思えます。また、公安警察も真っ青の「東廠」(鄭和が初代長官)については書かれません。田中先生が大っ嫌いな秘密警察だから、いつものように強引に文脈を考えず批判するのに十分な事実のハズですが。あと、文部省を批判するのに宦官の「皇帝洗脳」を引き合いに出してますが(無茶具茶)これぐらいに強引にやるンなら、宦官が無くてはならないような中華帝国の絶対君主制を批判する方が無理がないと思います。氏は華僑に友好的みたいなので、残虐な」イギリスの交易と対比させようして書いたとみることもできますが。どうでしょうか。。
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- board1 - No.439
言葉遊び またまた
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月19日(土) 06時24分
(続は)ものを考えないような人間は、権力者にどんな目にあわされてもしかたないし、ものを考えない人間を大量生産するような国は滅びてもしかたがない、と思っているのである。(創竜伝3巻P145)
「日本は民主国家なんだ。国民が自分で政権を選ぶことができる。あんな老人を暗闇から追い出して、腐敗していない清潔な政府を民意によって作ることができるのに、そうしないのは国民の責任じゃないか」(夜への旅立ちP69)
さて、初期作品から創竜伝まで一貫している「民主国家では国民一人一人が責任をとれ」論ですが、ところで日本国憲法15条第4項には以下のような項目があります。
『すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に際し、公的にも私的にも責任を問はれない』
よく読んでください。いいですか。
「選挙人は、その選択に際し、公的にも私的にも責任を問はれない」…「公的にも私的にも責任を問はれない」ですよ。おお、なんて言うことだ! 民主主義者を自他共に認めていて、護憲論者で改憲論者を「憲法改悪をもくろむ」なんて言い方で貶めている田中センセが、よりによって憲法を否定した主張をするなんてっ!!
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- board1 - No.440
田中氏は「撃壌の歌」を歌っているのか?
- 投稿者:北村 賢志
- 1998年12月19日(土) 13時26分
>さて、初期作品から創竜伝まで一貫している
>「民主国家では国民一人一人が責任をとれ」論
確かに銀英伝でも6~7巻にて、ヤンが「同盟崩壊時の大混乱・無秩序状態」の危険性を考えていないとしか思えない描写が有りましたね。
帝国の首脳部がその事態を心配しており、何よりヤン自身が、その前の5巻でラインハルトを殺したときの「帝国の大混乱」については悩んでいるのに、このとき「同盟崩壊による大混乱」を考えないのはかなり無理がありました。
どうやらそれを説明するのが「国は滅びても、人民は残る」とのヤンの言葉らしいですが、そこには前に取り上げた2巻のセリフと同様「その場合の自由、人権、民主主義はどうなるのだ」との視点がやっぱり抜けています(無秩序状態となるとさらに財産、生命が掛かることになりますが)。
普通だったら「ヤンにはもうどうすることもできない。同盟は自身を殺そうとした相手でもあるので義理も無いのから、それは諦めた」とする描写が入っても良さそうなモノですが、ファミリー全員がそこを抜かしている(としか思えない)のは非常に不自然でした。
どうも田中氏は「国が滅びても国民には関係ない」との感覚を持っているようです。
中国の諺「鼓腹撃壌」にて「君主のことなど自分には関係ない」と農民が歌っている(これを「撃壌の歌」と言います)のを聞いて、尭帝が「自分の統治がうまくいっていることを知り安心した」という話がありますが、まさに田中氏の感覚はこの農民と同じモノではないでしょうか。
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- board1 - No.441
ちょっと不適切では?
- 投稿者:ドロ改
- 1998年12月19日(土) 14時34分
>中国の諺「鼓腹撃壌」にて「君主のことなど自分には関係ない」と農民が歌っている(これを「撃壌の歌」と言います)のを聞いて、尭帝が「自分の統治がうまくいっていることを知り安心した」という話がありますが、まさに田中氏の感覚はこの農民と同じモノではないでしょうか。
これは、「君主が何もしなくても国家が治まる」
状態を理想とする中国の思想が表れた逸話
ですから、「守ってもらってることも知らずに呑気な奴だ」
と言う文脈で用いるのは不適切だと思います。
ただ,上の思想を辿っていくと田中芳樹の
思想の源流にたどり着く気はします。
徹底した「何もしない」小さな政府と,
弱者の受け皿となる在地社会。
この、近代以前の中国の社会構造に、
民主主義を組み合わせたものが、
田中芳樹の描く理想像のバックボーンではないでしょうか?
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- board1 - No.442
独自解釈だったかもしれません。
- 投稿者:北村 賢志
- 1998年12月19日(土) 15時28分
>これは、「君主が何もしなくても国家が治まる」
>状態を理想とする中国の思想が表れた逸話
>ですから、「守ってもらってることも知らずに呑気な奴だ」
>と言う文脈で用いるのは不適切だと思います。
いま手元には無いのですが、私が読んだ本では、伝説とともに結論として
「統治がうまくいっていれば、人々はそのありがたみを忘れてしまう」
という意味で紹介されていました。
確かに儒教道徳から考えれば、ドロ改さんの言われる方が正しいと思います。
ひょっとするとその本独自の解釈だったのかもしれません。
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- board1 - No.443
鼓腹撃壌は無政府共産ではない
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月19日(土) 18時23分
撃壌歌ですか。
たしかに、鼓腹撃壌の故事からすると、北村さんの本の解釈はちょっと特殊かも知れません。
>>さて、初期作品から創竜伝まで一貫している
>>「民主国家では国民一人一人が責任をとれ」論
>
> 確かに銀英伝でも6~7巻にて、ヤンが「同盟崩壊時の大混乱・無秩序状態」の危険性を考えていないとしか思えない描写が有りましたね。
>ただ,上の思想を辿っていくと田中芳樹の
>思想の源流にたどり着く気はします。
>徹底した「何もしない」小さな政府と,
>弱者の受け皿となる在地社会。
>この、近代以前の中国の社会構造に、
>民主主義を組み合わせたものが、
>田中芳樹の描く理想像のバックボーンではないでしょうか?
ただ、私の『「民主国家では国民一人一人が責任をとれ」論』説を前提にした、北村さんの文脈の流れから行くと、田中芳樹の理想世界像に鼓腹撃壌を当てはめるのは違うような気がします。むしろ、『>この、近代以前の中国の社会構造に、>民主主義を組み合わせたものが』の民主主義の部分が色濃く反映されていて(=メイン)、中国古代の社会構造は、むしろそのメインを覆う表皮なのではないかと思うのです。
というのは、「民主国家では国民一人一人が責任をとれ」論を前提にした『徹底した「何もしない」小さな政府と、弱者の受け皿となる在地社会。』は、つまるところ「無政府共産」以外の何者でもないからです。「鼓腹撃壌」は、伝説的名君による最高の政治によって統治されることによって発生した、「君主が何もしなくても国家が治まる(と民衆が思えている)」社会であり、田中氏の理想社会とは全く別物です。撃壌歌を歌っているおっさんが、「一人一人が責任をと」っていることによって、君主がいなくても国家が治まっているのとは違うのです。
これに限らず、田中氏の中国理解は、確かに知識の量は凄いのだけれど、その解釈を自分の都合のいいように歪めていることが多いと思います(氏が批判している詰め込み式の知識と大して違わない)
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- board1 - No.444
「帝力我に何の・・・」
- 投稿者:新Q太郎
- 1998年12月19日(土) 20時51分
「尭舜伝説と鼓腹撃壌」に関連して、ちょっとした思想対決が昔あったんですよね。
司馬遼太郎は「明治という国家」の中で、明治革命によって日本人が「国民」となったことを大変高く評価し、それまでの日本人を「鼓腹撃壌」の農民と同じ状態だったと(批判)しました。
そして江戸の(武士以外の)日本人も、鼓腹撃壌の農民もいわば「阿Q」と同じである、と書くのです。
考えようによってはこんな厳しいことばもない。彼は無責任で呑気で自立心がない、旧時代の悪にどっぷり漬かった、「士大夫」の反対概念としての「匹夫」の代表です。
「帝力我に何の・・・」と、国家に対して責任を負わず、国の防衛に関しても「それはお武家様の考えること」と無関心な彼らは本質的に「阿Q」と同じであるというのだから。
ところがこれに書評家の井家上隆幸は「そうじゃねえだろ、といいたい」と猛反発しました。
彼はゴールデン街世代のせいか(笑)、隆慶一郎などの公界アウトローものを極めて高く評価し、その主人公たちは「帝力我に何の・・・」というキャラクターだからこそ素晴らしいのだ、と力説していました。
つまり「鼓腹撃壌」の人々はだからこそ自由で独立した、責任ある男達なのだ、という論理ですね。
無縁・公界もののブーム(もののけ姫含む)なども手伝い、また
司馬→権力者、支配者の歴史、
隆慶一郎、松本清張→民衆、抵抗者の歴史
などという杜撰な見方なども関係して(「梟の城」は?)いたりするのですが、そこまで論じるには力が足りない。
「与党精神」「野党精神」とも関係してくるかな?
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- board1 - No.445
田中氏のモンゴル記述は大甘?
- 投稿者:新Q太郎
- 1998年12月19日(土) 21時09分
具体的にどのへんにあったかは記憶が曖昧なので指摘しない(できない)のだが、田中芳樹氏の歴史評価における「ダブルスタンダード」といえばモンゴルの残虐行為についてが一番感じる。
はっきり言って、キリストの十字軍以上ですぞ彼らは(まあイデオロギーに基づく殺戮を、別種のものと見なしているのかもしれないが)。
モンゴル支配といえば一般的に(?)宗教寛容政策や、東西交流なんかが高く評価されるが、
しかし「寛容」は無関心の裏返しであったり、「安定」が恐怖支配の結果であったりすることも多い。そしてそれが、次代にはいい結果となることもある。それが歴史の逆説でしょう、ねえ陳先生。
* * * *
ただ基本的に、近代国家としての連続性が無い時代の「残虐行為」や「侵略」を今の価値観で計って論難するのもどうかな、とは思うのだが。
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- board1 - No.446
お知らせ
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月19日(土) 22時39分
掲示板過去ログとザ・ベストを更新しました。
さて、ザ・ベストのリクエストですが、フォームを悪用して連続投稿をし、サーバと集計に負担をかける人間がいますので、残念ながら一時休止とさせていただきます。申し訳ありません。
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- board1 - No.447
ちょっと保留気味見解
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月20日(日) 17時27分
>司馬遼太郎は「明治という国家」の中で、明治革命によって日本人が「国民」となったことを大変高く評価し、それまでの日本人を「鼓腹撃壌」の農民と同じ状態だったと(批判)しました。
>ところがこれに書評家の井家上隆幸は「そうじゃねえだろ、といいたい」と猛反発しました。
>彼はゴールデン街世代のせいか(笑)、隆慶一郎などの公界アウトローものを極めて高く評価し、その主人公たちは「帝力我に何の・・・」というキャラクターだからこそ素晴らしいのだ、と力説していました。
司馬遼太郎の説の方が、おそらく福沢諭吉の延長線上にあろう為か、説得力が有るような気がします。いくらなんでも、隆慶一郎の主人公を捕まえて鼓腹撃壌は無いと思うのだけど。
>田中氏のモンゴル記述は大甘?
確かに。何故でしょうね。 中国と同じく、情緒の問題でしょうか?
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- board1 - No.448
そういえば…田中芳樹と武道
- 投稿者:本ページ管理人
- 1998年12月20日(日) 20時13分
田中氏は小学校から中学校にかけて剣道をやっていたそうですね(田中芳樹の特集を組んでいたダ・ヴィンチを読み返したら書いてあった)。結局、体育会的雰囲気になじめなかったと書いてありましたが、氏の態度はそのあたりから来ているのでしょう。
ちなみに、私は氏の小説の記述から判断すると、剣道初段というところではないかと思います(根拠なし)
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- board1 - No.450
極論として
- 投稿者:やぶにらみ
- 1998年12月21日(月) 00時59分
どんな国家であろうとも、無謬であるはずはない。個人もまた同じ。モンゴルでも明国でも、全面肯定しようとすれば、いくらでもボロはでてくるわけです。日本やアメリカにしても同様。
小林よしのり氏の『戦争論』も、公と個の問題など、なかなか興味深い議論を展開しているのですが、日本の過去の戦争を、それこそ一点の曇りも無い正義の戦争として前提しているのが、弱い。
二人の断定的な物言いというのは、エンターテインメントとして、その思想に共鳴する人間にとっては、非常に気持ちの良いものなのでしょうが、読む方でいろいろ補完しないと、足元をすくわれそうだ。
完全に正しい戦争は無いし、完全な国家も無い。
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- board1 - No.451
司馬遼太郎ほか
- 投稿者:やぶにらみ
- 1998年12月21日(月) 01時06分
司馬遼太郎批判が一部で盛り上がっているのは、自由主義史観派(ひょっとして死語?)が持ち上げたので、左翼的立場の人間が叩きにかかったからではないでしょうか。
隆慶一郎は、反権力の人なのですかねえ。どのみちマッチョな作家だと思うのですが。
むしろ、反=司馬遼太郎と言えば、山田風太郎の明治物が思い浮かぶのですが。『警視庁草紙』や『幻灯辻馬車』の暗い明治観とか。
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- board1 - No.453
RE.450
- 投稿者:石井由助
- 1998年12月21日(月) 04時49分
結局、交通事故の加害者責任の割合というヤツと同じでしょう。田中芳樹とかは(革新・左派)要は、「当時の日本は車(植民地主義)に乗っていたし、平気で100キロオーバー(侵略)していたから加害責任100%」と主張していたのに対し、小林よしのりなど(自由主義史観?等)は「いーや、轢かれたヤツが飛び出してきたのが悪いのだし、他の車も平気で100キロオーバーしている。そういう道路だったんだ。だから、日本の加害責任は20%」というハナシでしょう?
>しかし「寛容」は無関心の裏返しであったり、「安定」が恐怖支配の結果であったりすることも多い。そしてそれが、次代にはいい結果となることもある。それが歴史の逆説でしょう
と前に新Q太郎さんが述べていたけど、まったくそのとおりで、明らかに悪の事であっても、それが後に善のきっかけになるというか、そういう「責任の割合」という見方だけではないダイナミズムこそが、本当の意味での「自由」主義史観だと思うのだけど。