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- board1 - No.1173
お返事
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年05月01日(土) 20時15分
小村さん、「中国武将列伝」の本の内容を引用してくださり、ありがとうございます。私は田中芳樹の中国物は3つしか持っていないのですよ。現代物や架空小説はほぼそろえたのですが、中国物は中国アレルギーがあったもので(-_-)。
それにしても「中国武将列伝」における田中芳樹の主張はこれまたひどいものですね~。「紅塵」よりもひどくありませんか? いちおう前半部分で秦檜を評価してはいるようですけど。
<結局、秦檜は、トータルで見てみると、どうしても和平を利用して自分の地位を固めたとしか見えないところがあります。とにかくこの和平によって秦檜は何ひとつ失っておりません。たとえば、金の捕虜になって北方につれ去られていた欽宗皇帝なんかは、もうそのままずっと幽閉されて死ぬわけです。岳飛なんかは無実の罪で殺されてしまいます。そういう犠牲の上に和平が成り立ったわけですけど、秦檜自身は何を失ったかというと、何も失っていない。得るものばかりでした。
ですからぼくがちょっとそこらへんの時代を小説に書いたときに(注・『紅塵』)、秦檜というのは、要するに祖国のために涙をのんで悪役を引き受けた自己犠牲的な人物だった、という解釈ができるかどうか、ずいぶん検討してみましたけど、全然無理でしたね。>
非常に面白い主張です。この田中芳樹の論理を使うと、和平を結ぶ人間は何かを失わなければならない、という事になってしまうではありませんか。こんなアホな主張をよく展開できるものです。だいたい秦檜が和平によって何かを得る事がそんなに悪い事なのですか?
<とにかくそれで、平和にはなったので、宋は経済開発に勤しんで、高宗皇帝自身が詔を出して、海上貿易を盛んにせよ、みたいなことをいっています。それで商業も農業も発展して、豊かな国になったわけで、その点では秦檜の和平策というのは、政策としてはまちがっていなかったと思われます。ただし、政策以前に問題になるのが、無実の人間に謀反の汚名を着せて殺してもいいのかということですね。政策さえ正しければ無実の人間を殺すくらいささいなことだ、という見方もできるでしょうけど、これは当の秦檜でさえ、そういうことはいっていないですからね。彼は反対派を弾圧したり暗殺したりしましたが、さらに歴史書を改竄もしております。>
岳飛を「無実の人間」と最初から決めてかかっている所からすでに間違っていますね。岳飛は一庶民ではなく軍人です。それもかなり高位の。その気になればクーデターでも起こして秦檜を殺す実力をもっているのですよ。現在の価値観を、それもかなりめちゃくちゃな解釈で当てはめる事で当時の政治闘争の勝者を裁くという、歴史の冒涜をやって恥ずかしくないのでしょうか。
「これは当の秦檜でさえ、そういうことはいっていないですからね」
って、それは「当の秦檜」が岳飛を「無実の人間」とは考えていなかったからでしょう。むしろ「自分の地位を脅かす政敵」とでも考えていたのでは? 岳飛は秦檜にとって、少なくとも「無力な人間」ではなかったのですから。田中芳樹は、秦檜の自己防衛という観点はまったく考えなかったのでしょうか。一体何をもって秦檜を「トータルで見て」みたのでしょうかね?
「彼は反対派を弾圧したり暗殺したりしましたが、さらに歴史書を改竄もしております」
またアホなことを言ってますね。それじゃ他の中国の権力者が全く「反対派を弾圧したり暗殺したりしましたが、さらに歴史書を改竄もして」いなかったとでもいうのでしょうか。「反対派を弾圧したり、暗殺したり」なんて中国の歴史では日常茶飯事です。歴史書の改竄なんて中国の歴代王朝全てで当たり前におこなわれていましたし、今現在の中国政府だってやってますよ。「南京大虐殺の犠牲者数」や「日中戦争における死傷者の数と被害総額」がいまだに増加しているという、訳の分からない現象を見ればすぐに分かるでしょうに。
<日本でも、だいたい昔から岳飛というのは、あっぱれ忠臣である、忠義の名将であると誉められていたんですけども、日中戦争が始まると、岳飛というのはいわば外国からの侵略に対する抵抗のシンボルですから、日本にとっては都合が悪くなって、岳飛の悪口を言うようになりますね。それで、当時の外務省のお役人が、「支那は秦檜に学べ」なんてタイトルで論文を書くわけです。要するに日本と和平を結べといっているわけですが。ただこれが根本的にまちがっているのは、秦檜という人は、無実の人間を殺して国を売って、自分ひとり栄耀栄華をきわめた極悪人ということになっていますから、そのときに中国側に日本と和平しようと考えていた人がいたとしても、秦檜に学べといわれたら絶対に応じるわけにはいかないんですね。だから、そのていどのことも、日本の政府はわきまえていなかったということです。つまるところ、まじめに和平しようなんて考えていなかったといわれてもしようがないですね。>
これまた訳の分からない論評ですね。「わきまえていなかった」のはあんたの論理です。あんたの個人的な感情と偏った歴史観で一方的に断罪される秦檜と日本政府もいい面の皮ですよ。
だいたい、たかが秦檜に対する悪感情くらいで中国側が和平を結ばないなんてバカな事がありえるでしょうか。そんなこと、銀英伝で政治を論じている田中芳樹だって分かっているでしょうに。それに、あれほど「愛国者」を否定しておきながら、秦檜を「売国奴」とののしっている姿勢も理解に苦しみます。「タイタニア」のジュスラン公爵ではありませんが、「愛国者でも売国奴でも一方的に弾劾される。一体どう行動したら田中芳樹卿に誉めていただけるのだろうか」と言いたくなりますね(^^;)。
ところで俺様ランチさん、
<いくらなんでも、歴史小説の世界観にケチをつけるのはあんまりでしょう。歴史小説に書いてある内容から作家の考え方を云々するのは、いちゃもんつけ以上には思えません。
んな事言い出したら、陳腐な反論ですが「日本の戦国時代を書く作家の言うことにもいちいちつっかかるのですか?」となってきます。>
私が言いたかったのは、歴史小説の世界観についてではなく、歴史小説の人物評価の中に田中芳樹個人の思い入れが入り込みすぎている、ということです。普通小説の人物評価の中に作者個人の感情が入り込みますか? それも読んでて露骨に分かるほど。田中芳樹と全く同じ考えを持った人間でない限り、「創竜伝」の社会評論や「紅塵」の人物評価には同調できないでしょう。他人が違う見方をしているかもしれないのに、まるで自分の見た視点だけが絶対であるかのような記述が、「創竜伝」にも「紅塵」にもあるのです。私が引用した「紅塵」のP199~P200の文章なんて、その最もたるものですよ。そしてそれが、小説の面白さをかなり損ねています。これは批判されるべき事ではないでしょうか。
<あなたの批判、「秦檜が無実の罪を着せて岳飛を殺した」という部分を意図的に無視あるいは小さく扱おうとしているように思えるのですがどんなもんでしょうか。
田中芳樹だって「秦檜の和平論自体は間違ってない」とキチンと認めた上で、「でも無実の罪で殺すってのはスジが通らない」と言っている訳で、別段見当違いなことを言っているようには思えません。それと「権力闘争だから仕方なかった」ってのはまた別問題でしょう。田中芳樹はあくまで「スジ」の話をしているわけで。>
「権力闘争だから仕方なかった」けど、「でも無実の罪で殺すってのはスジが通らない」という主張は、当時の常識から考えると全く矛盾します。そもそも昔の「権力闘争」というものは、様々な手段を使って政敵を抹殺することで勝者が決まるのです。今だって抹殺とまではいかずとも無力化はめざすでしょう。そこに道徳論など入り込む余地はありません。「勝てば官軍」の世界なのですから。これはアルスラーン戦記や銀英伝でも描かれている事なんですけど、それを田中芳樹が「知らないふり」をして岳飛を擁護しているのがおかしいと考えたのです。だから「これはやはり岳飛に対して相当な思い入れがあるな」と思いました。
それと、私が「秦檜が無実の罪を着せて岳飛を殺した」という部分を意図的に無視あるいは小さく扱おうとしたのはまさにその通りです。上記の理由と、田中芳樹に対するアンチ・テーゼとして今回は秦檜弁護に回ったわけですから。田中芳樹だって、秦檜を「売国奴」だの「他人の犠牲を自分の利益に転化させる芸術家」だのと言っていましたので、そんなに罵倒されている秦檜にだって言いたい事があるだろう、と思ってあえて反対の立場から書いてみました。
後、日本と中国とで、何であそこまで記述が違うのかも疑問に感じました。全面的な否定論調と、いまどきの朝日新聞もやらないような一方的な礼賛です。これもやはり「思い入れ」が大量に小説の中に入り込んでいるからだと考え、あえて秦檜弁護な論調で前回の主張を展開しました。もう一度言いますが、小説の中に作者個人の感情が入っていて、しかもそれが読者に露骨に分かるようでは、小説の面白さは保てません。私が言いたかったのはそれです。けっして「歴史小説の世界観」を否定しているのではありません。
ところでゴールデンウィークは少し留守にしますので、連休明けまで投稿をお休みします。申し訳ありませんが、論争の続きはまたその後ということでお願いします。
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- board1 - No.1174
ついでに
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年05月02日(日) 14時45分
>いくらなんでも、歴史小説の世界観にケチをつけるのはあんまりでしょう。歴史小説に書いてある内容から作家の考え方を云々するのは、いちゃもんつけ以上には思えません。
> んな事言い出したら、陳腐な反論ですが「日本の戦国時代を書く作家の言うことにもいちいちつっかかるのですか?」となってきます。
まあ、ある部分もっともだとは思うのですが(普通の作家などにはね)、田中芳樹には創竜伝で塩野七生氏に対して「いちゃもんをつけて」いるのをはじめ、他の歴史作家の作品の世界観に「つっかかってい」る前科がありますから、許容される要素があると思いますよ。
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- board1 - No.1175
そうかなぁ
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年05月02日(日) 18時22分
久しぶりにかきこみします。仕立て屋です。
俺様ランチさんはじめまして。
1169のあなたの発言内容、なるほど納得できます。わたしも最近のマンネリに、しばらくここをのぞいてませんでした(管理人さん失礼、私の主観ですので)。
ただ、
<あのですね、ここの議論、前から見てて今も見続けててやっぱり思うんですが、無理が多いですよ。「他の作家だってそんなところまで突っつかれて人格疑われたらたまんないだろう」と。
例えばちょっと古い話なんですが、「アルスラーンで騎兵が8万5千もいるのはおかしい」なんて文句つけたって、「それくらい騎兵を揃えられる、馬と草と平原の有り余った世界のオハナシ」なんですから。それ以前に「万騎長ってのが出てくるオハナシ」って事はアルスラーンという作品の基本中の基本なのに、アラを探すのに夢中で作品をよく読んでなかったとしか思えないですよ>
この部分についてはどうかなって思います。私が戦記物で特に重要視するのが、人間模写の巧みさもいいが、それ以上に戦を彩る脇役的小道具や演出部のリアルさです。そういう意味で佐藤大輔の作品は私のお気に入りのひとつです。かれの作品中での戦の描き込みは、読み手がもうええやろっていうぐらい実際の戦闘シーン以外の部分、特に兵站などにこだわりをみせています。こういう地味な部分というのは読んでてつまらないっていう人もいるでしょうが、その世界観のリアルさを演出するうえで、非常に重要だとおもいます。異世界の架空戦記にしたところで、読み手が現実世界の人である限り、こういった主菜(戦闘シーンや軍師さんの軍略模写?{ナルサスみたいに万能超人てのもねぇ、、})を飾る副菜(兵站シーンに限らず、風土をいろどる食文化にこだわってもいいんですよ)にある程度リアルさがないと、その世界はぶっちゃけた話、うそくさいってことにもなりかねません。
アルスラーン戦記と仮にも”戦記”をうたうのなら、騎兵を同一戦場でしかも中世的な世界観で(現在ならあり得るかも)、8万もの数を運用するのはリアルさにかけますよ。8千ならまだしも(これでも多いくらいかなぁ)。戦闘の迫力を出すのに8千もあれば十分です。俺様ランチさんのご指摘のように”それくらい騎兵を揃えられる、馬と草と平原の有り余った世界のオハナシ”といわれてしまえば、だったら”戦記”なって題名つけないでねって感じです。いくらストーリーテラーが巧みでもその世界観を飾る小道具類がちゃんと描き込めてない作品は、どうしても登場人物を立体視することができません(生血を感じない/ロードス島戦記も、登場人物は魅力的ですが、所詮、2次元アニメの域を出ない<主観です)。ファンタジーものはとくにそのあたりを注意してくれないと、子供はだませても大人は納得できません。この作品は大人は対象にいたしておりませんっていわれたら、反論できませんが。
くどくど、述べましたが、上記の意味で、世界観へのいちゃもん(笑<ーーだめですか?)もありでしょう?だめかなぁ。
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- board1 - No.1176
ところで
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年05月02日(日) 18時33分
<そこで、管理人からの提案なのですが、「反日」「左翼思想」「共産主義者」という類のレッテル用語を使わないようにしませんか。一切使ってはダメというわけではなく、使う場合は「反日」「左翼思想」がどのようにダメなのかを明確に説明し(例:創竜伝は政治家や資本家は性悪という、いわゆる左翼的図式に依拠しているが、この図式は現実に即していない。なぜならば…)、言葉自体を悪の代名詞的なレッテルとして使わないようにしよう、ということです。>
ーーーー以上、管理人さんの発言よりーー
これっていいかえれば、主張の根拠をのべよってのと同じですよねぇ。論述のきほんです。
ただ、いろんな方の発言のながれの中でのレッテル張りはしかたないとおもいます。流れでわかるのにいちいち根拠を述べるのも面倒くさくないですか?
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- board1 - No.1177
1175補足
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年05月02日(日) 18時39分
万騎長ってネーミングを用いるのに騎兵が実際に万単位で存在する必要はありません。”たくさん”を意味するのに、百や万をあてるのは昔からよくあるものです。ちょっとした補足でした。
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- board1 - No.1178
主に仕立屋さんと冒険風ライダーさんへ
- 投稿者:俺様ランチ
- 1999年05月02日(日) 20時20分
仕立屋さんへ。
アルスラーンの騎兵の数、8万5千、多いと言えば確かに多いんですが、現実の歴史でもそれくらいの騎兵が揃ったという事実はあるわけですし。
チンギスハンの遠征時、蒙古騎兵はおそらく10万騎前後はあったろう、換え馬も入れると50万騎くらいではないか、
と貝塚茂樹の「中国の歴史」にあったもんで。
アルスラーンを初めて読んだ時は騎兵の多さなんて気にする程の知識が無かったのですが、最近の書き込みを読んだ時はちょうど最近「中国の歴史」を読んだばっかりだったんで、「まあそれくらいはあり得る話じゃないかな」と。まあ細かく考えればアルスラーンの時代のモデルとされているササン朝とモンゴル帝国の時代は1000年ほどズレてるし、パルスが馬メインの生活の国かどうかも考えなきゃならないんですが。そもそも貝塚茂樹の学説が今ではひっくり返ってる可能性とか考慮に入れてないんですが。
「万」が数が大きいことの比喩、ってのも確かにありますが、アルスラーンの場合は「千騎長」「百騎長」とかも出てくるんで、この場合は実数を表してる、と解釈するのが自然ではないかな、と思います。
まあ三国志演義なんかでも「楽進が2万騎を連れてきた」って描写があった気がするんで、昔の方が結構ムチャな数の騎兵を揃えてたりしたかも知れませんよ。
冒険風ライダーさんへ
岳飛が褒めちぎられてるから秦檜の弁護をしたくなる、ってのもわからなくはないですが「秦檜の像に観光客が唾を吐きかける」なんてのは田中芳樹の創作ではなく実際にあった話ですし。田中芳樹の思いこみではなく岳飛ってやっぱ中国ではヒーローなわけですし。
「作家の思い入れの度が過ぎる」なんてのは田中芳樹に限らず日本の戦国時代ものを書く人には少なからず当てはまりますし、塩野七生だってそうですし。「徳川家康」では秀吉は悪役だし、「太閤記」では家康は悪役なわけで。
ただですね、「歴史小説の登場人物」という絵としてはやっぱり秦檜では主人公にはなれないわけで。権力闘争は確かにどこにでもある話だし、追い落とす為になんでもする、ってのも確かにありふれた話です。が、変な話ですが「無実の罪を着せて拷問で殺すよりも、私兵を率いてクーデターを起こして政敵皆殺し、の方がカッコイイ」って思う心は誰にでもあるんじゃないでしょうか。「卑怯よりは粗暴を良しとする」という雰囲気もあるでしょう。
「秦檜の自己防衛」もわからんでは無いですが、それでもやっぱ「冤罪被せて拷問で殺す」ってのは一般ウケしませんよ。岳飛が実際にクーデターを起こそうとした、って証拠でも出てこない限り。普通に話の展開を聞けばやっぱり岳飛は「強かったけど可哀想な人」で、秦檜は「やな奴」ですよ。
そんなに秦檜が悪くなかった、と言うなら誰かしら秦檜を主人公にした小説を書けばいいんですよ。「田中芳樹の偏った歴史観」が責められるべきならば、それを十分な説得力を持って否定できるような「歴史小説」を誰かが書けばいいんですよ。
田中芳樹だって中立の学者じゃないんですから、歴史上の人物に贔屓は出てくるでしょうし、それは歴史小説作家全般に言える事でしょう。でもそんな「偏った歴史観」が大手を振って歩いてるのは他の歴史小説作家がふがいないからだと思います。
責められるべきは「偏った歴史観の元に小説を書く作家」だけではなく「そんな作家だけに題材(例えば岳飛秦檜ネタ)を独占させている他の作家」も同様だと思いますよ。
実際にはそれほどすごかったかどうかわかんない坂本竜馬のイメージが「竜馬がゆく」で決まってしまったように、秦檜を再評価する空気を作るような小説を誰かが書かない限り、「田中芳樹的秦檜論」が「一般化」してしまっても仕方ないと思います。
いくら「田中芳樹の中国ネタが間違いだらけ」だろうとも、他に誰も書かないジャンルを開拓している、という点では田中芳樹風歴史小説は評価されていいと思いますよ。間違いがそんなに多いんだったら、それをつっこむような小説を誰かが書けばいいだけの話で。
田中芳樹が言ってましたが、「歴史小説は魅力ある虚像を作ったもん勝ち」ってのはまったくその通りだと思いますよ。
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- board1 - No.1180
俺様ランチさんへ
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年05月03日(月) 16時41分
どもども仕立て屋です。眠いです。
俺様ランチさんがおっしゃってるように、やはり中国ものの戦闘シーンが頭の隅にあってアルスラーン戦記の戦闘風景は構築されたのでしょうか。きっとそうでしょうね。ところでモンゴル人があれほど広大なユーラシアを短期間に征服できたのは、馬あってのものです。そして、それを可能としたのはモンゴル人が馬中心の遊牧生活を営んでいたという事実です。10万の騎兵(予備50万)を運用できたのもユーラシアの広大な大地とそれほどの数の馬を分散して飼育できたからだとおもいます。全然詳しくないので、わかりませんが、そんなモンゴル人も膨張の初期段階で10万も運用できたとはおもえません。50万というのは最終的なイケイケ状態のときでの数値ではないでしょうか。
一方、パルスはどうでしょう。世界観はササン朝ペルシャですか。パルスが騎馬民族の流れを汲んでいても、定住してかなりの月日がたっているようだし、すでに遊牧民とは言えそうもありません。中世ヨーロッパ風の鎧や城、騎士の類を考えると、おそらく歩兵中心の軍隊ではないでしょうか。ここで、ひとつ問題が。定住となると、遊牧のみが可能とした大量の馬の飼育をある程度決まった地域で飼育せざるを得ません。8万{予備も含めると(まあ、モンゴルより少なくみて2倍ぐらい、適当です。16万はひつようでしょう。それか、国難ということで全投入で}10万としても、10万の馬が一カ所で食べる飼い葉がどれだけ必要か想像できるでしょう。まさに以前、はむぞうさんがおっしゃってるとおりです。アフリカのヌーの群を見たことがあるでしょうか?かれらはいつも草を求めて移動しています。また、歩兵中心だから全軍で50万はくだらないでしょうね。パルスが中央の華的国家としてもモンゴル帝国ほどに膨張課程のイケイケ国家だとは思えませんので、50万も投入できるはずがありません。信長などの戦国末期の大名が何十万と投入できたのは勝ち残り組だからです。しかも、これほどの軍隊を同一戦場で展開させるとなるとかなりの戦場面積と天才的運用が必要です。これも、はむぞうさんがご指摘のとおりです。どうも嘘臭いです。天才的運用ではナルサスという鼻持ちならない天才がいるからよいけど。
基本的に田中さんのストーリーテラーとしての力量には異議を唱えるつもりはありません。ほんとうにたくみです。そのへんの若手、プチ田中など足下にもおよばないでしょう。でも、最近の田中節ってなんか、悪い意味でおたくっぽいというか、少女趣味なんだよなぁ。ストーリー展開や登場人物の踊らせ方などは才能と経験がものをいうでしょうが、設定、世界観構築となると、それらとはべつに、情熱やめんどくさい作業が必要になってくるはずです。わたくし、ゆがんだ一ファンとして、もちょっと田中さんには若かりし日の情熱を中国もの以外の作品にも注いでほしいのです。もう中国ものしかがんばんないよぉってのならあきらめます。そんでも、結局、次期アルスラーン戦記は買うんだろうなぁ。
長々と述べましたが、上記のような細かいつっこみはありますが、物語の楽しさを破錠させるほどのものではありません。そんでも、そこで終わっちゃったらこの場は必要ないでしょう。いろんなサイドから田中作品を切って考察するのもたのしいものです。ですから、こまかなとこまで、つっこみいれるのも有りだとおもいます。ただ、俺様ランチさんがおっしゃるように、(私も含めて)はじめに反日田中、共産主義田中ありきの議論ははっきりいってつまらないですね。冷静な姿勢がもとめられているのですね。自戒、自戒。
それでは、これにて。
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- board1 - No.1181
敢えて言いたいこと
- 投稿者:本ページ管理人(石井由助)
- 1999年05月03日(月) 17時39分
>ただ、いろんな方の発言のながれの中でのレッテル張りはしかたないとおもいます。流れでわかるのにいちいち根拠を述べるのも面倒くさくないですか?
本来は、思いっきり管理人としての不手際なんですけど、あえてそれを棚に上げて言わせてもらうと、最近ここがおそろしく内輪な場になっているように思うんですよ。言うなれば、誰に向かって、また何のために主張を発信してるのかという意識が希薄なんじゃないかという部分が多くあると思うのです(私の書き込みも含めて)。
突然ですが、正直な話、私はファンサイトってのが嫌いです(全部じゃないけど)。閉鎖的に限られた人間だけが集まって、内輪ネタで終始して、生産性も発展性もないところがほとんどだからです。本来、ファンサイトってのは、第三者が見て「面白そうだな、原作に触れてみようかな」というモノであるべきだと思います。
その点、このサイトは新規の人に「創竜伝読んでみようかな」とか、ファンに「銀英伝読み返してみようかな」と思わせている時点で、ファンサイトのネガであることを超えた批評・批判サイトであると自負しています。
ですが、今の掲示板の状況は、昔田中芳樹ファン(銀英オンリーファン含む)で現在は思想がちょい右(あえてレッテル貼りします)っていう限られた範囲の人間以外には絶対に通じない程度の内容でしかないです(例外は田中芳樹本人か?)。ハッキリ言って。この内輪ぶりは、まさにファンサイトのネガ状態。早い話、田中芳樹サカナにして居酒屋でクダ巻いてるレベル。田中芳樹もいい面の皮だな、と私でも思う部分があります。
ごめんなさい。ちょっと特定の例を挙げます。冒険風ライダーさん個人を糾弾しているのではなく、非常にわかりやすい例として挙げたと言うことをご理解ください。
『それと創竜伝の主人公たちは、「変身できるがゆえの疎外感、疎外されたヒーローである」てなことはありません。「常識はずれな力を使って権力者をいびりぬく、偏向した社会評論が好きな反日主義者」ですから(^^)。』
私がレッテル貼りの弊害として指摘するのはこのようなものです。このような図式で割り切る形の罵倒はまさに田中芳樹のネガであると思います。田中芳樹の偏向図式での政治家や資本家への罵倒を読んで一般人や我々が不快に思うのと同様、上記の文章などを一般人やファンが読んだら、内容以前に不快感を覚えるのではないでしょうか?
ザ・ベストに収録したような過去ログ(不沈戦艦さんの反銀英伝・新Q太郎さんのお前が戦争にいけ理論、田中作品の女性観論議、などなど)や、手前味噌ながら私の本論などは、反発も含めて、ファンや第三者にも通じうるものがあると思います。何故なら、これらは田中芳樹の言葉や思想をひっくり返して批判しただけの、田中芳樹のネガではないからです。
よく「批評なんて簡単。誰でも出来る」とか言う人がいるけど、大嘘。単なるネガとしての批判を超えた批判には創造性があるし、本当に難しい。かくいう私も、結構ネガ批判を書いていたりすると思います。
最後に言い訳じゃないですが、冒険風ライダーさんの「私の創竜伝批評」シリーズは「重箱の隅つついて」「絨毯爆撃」などと言われていますが、議論の叩き台として面倒な作業をしている点は、もっと評価されていいと本気で思います(ただ批評というよりかは批判気味かな?)
P.S.
パルスの騎兵問題は、このまま巧くまとめると「そんなところまで文句付けなくても」なんて言われない、反銀英伝のように反アルスラーン戦記になると思います(こっちの方が雰囲気がオリジナルの反三国志に似てるかな?)。個人的には期待している話題です。
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- board1 - No.1182
無題
- 投稿者:カエルサル
- 1999年05月04日(火) 13時23分
> ですが、今の掲示板の状況は、昔田中芳樹ファン(銀英オンリーファン含む)で現在は思想がちょい右(あえてレッテル貼りします)っていう限られた範囲の人間以外には絶対に通じない程度の内容でしかないです(例外は田中芳樹本人か?)。ハッキリ言って。この内輪ぶりは、まさにファンサイトのネガ状態。早い話、田中芳樹サカナにして居酒屋でクダ巻いてるレベル。田中芳樹もいい面の皮だな、と私でも思う部分があります。
無礼承知で申し上げますが、
その通りと存じます。
特に田中芳樹擁護派がいない&できにくい
空気があるため
新陳代謝がなくなっているように感じます。
私ごとき糞餓鬼が申し上げるのも
畏れ多いのですが
なんだかアングラ系右翼サイトに
堕ちた感があります。
↑戯れ言です。
不快で御座いますればこの投稿ごと
削除してください。
>岳飛について、冒険者ライダー様の意見について
岳飛は異民族に苦しめられた明代では
救国英雄、
金の末裔である清の時代には
忠臣として
評価され、
満州事変後は
抗日英雄とされ
民衆の人気が高い
そうです。
田中氏があえて「愛國者」をとりあげ
たのはそこら辺があるのかもしれません。
創竜伝に記述があり、
前に話題になったベトナムの劉なんとか
という方は晩年台湾で抗日ゲリラやってた
そうですし。
秦檜は中国で売國奴扱いですが
対金講和によって南宋の繁栄を
築いた面もあります。
人気がでるタイプじゃないでしょうが。
臨安の岳飛の墓にある岳飛像の前に
鎖でつながれた秦檜夫婦像あるそうです。
秦檜が嫌われてるのは事実みたいです。
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- board1 - No.1183
パルス馬ネタ
- 投稿者:俺様ランチ
- 1999年05月04日(火) 15時38分
仕立屋さんへ。
おっしゃる通りです。モンゴルのアホみたいな騎兵の数は、遊牧民族であること、中央アジアの草原、イケイケ最盛期、の3つが揃ったからこそ可能だった、と言うのはまったくその通りだと思います。
って私は書き込みに書いたつもりだったんですが、すっかり忘れてたみたいでそこをつっこまれてしまってアホですな。そこを突かれると確かに痛いな、とは前回の書き込みの時に意識してたんですよ。でもなんとかフォローを考えてみます。
パルスが実際にムチャクチャ広い領土だった、としたらどうでしょう。パルスが中心はイランのあたりだったとして、東はインド、カスピ海の辺りのトルコ系、北西はルシタニアだからバルカン半島のあたりまで、南西のミスルは人名とかからなんかアフリカっぽい国、とすればパルスの領土ってかなり広く見積もっていいと思いますよ。これくらいあれば10万の騎兵は国難時の最大動員って事で無理してでも揃える!
って解釈すればどんなもんでしょうか?
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- board1 - No.1184
アルスラーン戦記ネタ
- 投稿者:はむぞう
- 1999年05月06日(木) 03時27分
ひさしぶりにこのページをのぞいたら、以前ちらっと書いたパルス騎兵の話題になっていたのでちょっとびっくりしました。
>アルスラーンの騎兵の数、8万5千、多いと言えば確かに多いんですが、現実の歴史で>もそれくらいの騎兵が揃ったという事実はあるわけですし。
> チンギスハンの遠征時、蒙古騎兵はおそらく10万騎前後はあったろう、換え馬も入>れると50万騎くらいではないか、
蒙古騎兵の馬の数については、騎兵一人につき馬5~6頭という構成だったためだと思います。理由は皮はよろいの修理及び渡河時のうきぶくろ。肉は非常用食料。血は水代わり。骨は矢じりにするためです。だから基本的に接近戦はできず、軽量で強力な弓で戦っていました。またモンゴルには装蹄技術がなく動物の革の馬用の靴を履かせただけだったので、替え馬が必要だったせいでもあります。ただモンゴルの馬はとても小さく、ポニーより少々大きいかなという程度です。
余談を承知で装蹄技術について少しだけ書かせてもらいます。
馬が家畜化して使役に使われるようになって間もなく、蹄について問題が生じました。馬自身の体重は支えられても(現在のサラブレッドには不可能)、人間が乗ったり、重い荷物をつけると支えきれずに磨り減ってしまい歩けなくなる為の対策が必要になったのです。
古代ローマでは、革や布で靴をつくり靴底に鉄板をつけて履かせていました。もっともこのころは皇帝などの権力の象徴であったようです。
紀元前後のイラン北東部でイラン系の遊牧民がパルティア王国を建てた頃、ここで蹄鉄をつくる技術が発明されました。これが各地に広がるのは4世紀以降で、一般的な習慣になるのは中世以降とされています。
しかし東のほうへは伝わらず、モンゴルにも中国にも当然日本にも明治維新頃まで装蹄技術はありませんでした。源義経や武田の騎馬隊なども草や藁の馬沓を履き、多くの替え馬を用意していたといいます。これらの話は原田俊治氏の「馬のすべてがわかる本」に詳しく出ています。
個人的には、パルスは上記のパルティア王国がモデルなのではと思っています。だから装蹄技術があるとすれば、50万もの馬は必要ないのではと思います。ただ、装蹄技術者をや鍛冶屋を連れて行く必要はあると思いますが。蹄鉄はよくとれます。砂地を走ってもとれるときがあります。砂利道などでは歩いていてもすぐ取れます。しかも馬毎に形も大きさも全く違います。蹄が裂けることもあり、また病気になったり、怪我したりと、替え馬不要というわけにはいかないでしょう。それに荷物の運搬にも必要でしょうから歩兵隊にもいくらかいたでしょう。歩兵が135,000とあるので、だとするとアトロパテネのパルス軍の馬の総数は12~3万くらいかなと思ったのですが、それでもすごい数ですね。そんなにいると、一帯がハゲ山ならぬハゲ野原になりそうだ。その前に戦場に入りきるのだろうか。
>三国志演義なんかでも「楽進が2万騎を連れてきた」って描写があった気がするんで、>昔の方が結構ムチャな数の騎兵を揃えてたりしたかも知れませんよ。
これについてはゴールデンウィーク中に、6人で「1つの戦場で85,000の騎兵は存在し得るか否か」で議論したときに話題になりました。これ以外にも自分では思いもつかないような意見が出ましたので、載せても差し支えないようなら何点か書かせてもらいたいと思います。
> パルスが実際にムチャクチャ広い領土だった、としたらどうでしょう。パルスが中心>はイランのあたりだったとして、東はインド、カスピ海の辺りのトルコ系、北西はルシ>タニアだからバルカン半島のあたりまで、南西のミスルは人名とかからなんかアフリカ>っぽい国、とすればパルスの領土ってかなり広く見積もっていいと思いますよ。
これはどうかと思います。そんなに広大な国を維持できるのでしょうか?
広いとそれだけ気候も違い、従って文化も異なり、言葉も違ってくるでしょう。共通語をつくっても全国民が完璧に話すことはできないだろうし、日常会話に使う中央の人間と自分たちの言葉以外に学ばなければならない地方の人たちでは感覚が違うと思います。同一民族という意識を保つのが難しくなってしまうのでは?そうなると国の一大事という場合に団結できないどころか、これ幸いと独立運動を始めるのでは?たしかローマ帝国が分裂したのは、たくさんある理由の中で広すぎて西と東で言葉が通じなかった点も大きいと世界史で習った記憶があります。
ぐだぐだと書きましたが、これだけ本筋から外れても議論ができるなんてアルスラーンはすごい作品だなと、改めて思いました。読み終わった後、「おもしろかった」や「つまらなかった」だけで終わってしまう作品も多い中、「これは多すぎでは?」など感じることができるだけ、それだけ他の部分がリアルに描かれており内容が濃い証拠ではないかと思います。
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- board1 - No.1185
長文失礼
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年05月06日(木) 08時47分
ルシタニアにパルスが侵略された次期のパルスの国家規模をちょっと考えてみたいと思います。さすれば、パルスの軍事規模も想像しやすいでしょう。以下はファンサイトにてさんざん論議された当たり前のことかもしれませんが、わたしのオリジナルな邪推ってことで、勘弁をば。
まず、ペルシアというとペルシア帝国が頭に浮かびますが、その最大版図は東はインダス川、アラル海あたりから西はアフリカ北端部、バルカンのトラキアあたりまでの広大なものです(ちょうど、俺様ランチさんのイメージでしょうか)。軍事国家ペルシアの最大動員兵力は30万といわれています(内、騎馬兵は2万)。戦場での騎馬兵と歩兵の構成比が騎馬兵1に対して歩兵が15から20です。その強力さで有名なペルシア騎兵ですらこんなものです。歴史上ペルシア帝国にて騎馬兵の運用法は完成の域に達したといわわれます。実際、馬は元来臆病な生き物で、よく訓練された軍馬ですら、密集陣形の横列槍歩兵にはびびって突っ込めません。突撃するにしても敵陣形の動揺による、その隙間や、側面にまわって行われないと、手痛い目にあってしまいます。騎馬兵の主な任務は、その機動力を活かした偵察や戦場での敵弱体部への突撃ぐらいのものでした(これがめっちゃ有効だったらしいです)。ですから騎馬兵による突撃とは、適度な部隊規模にてよく統率され、絶妙なタイミングで行われるべきものなのです。モンゴル人たちの戦法は機動力によって相手を翻弄させ突撃を成功させたものではないでしょうか(それには,騎馬が自由に展開できる広い平原が必要か。よく統率された歩兵横隊に正面からぶつかる愚はおかさんでしょう)。ペルシア軍の構成比をみれば、なるほどという感じです。
いっぽうアルスラーン戦記の舞台となったササン朝ペルシアは紀元前224年あたりからアルケサス朝パルティアの後をうけた形で成立します。このころすでに東ローマ帝国の勢力がおしせまっていました。しかし、ササン朝のホスロー1世、2世(英雄王カイ・ホスローのモデルか)のころには領土を拡張し、シリア、パレスティナ、ヘジプトまで攻め入り、かつてのペルシア帝国には及ばないものの、往年の輝きは取り戻しまた。その後、東ローマに圧迫され、次々に領土を切り取られ、東に追い込まれていきます。弱体化していく一方で王朝内部では次々に王が交代し、いわゆる宮内闘争の類もありました。王位継承の混乱をおさめたのがヤズダギルド3世で紀元後632年です(シリア王国にはアンドラゴラスって人がいますがかれに3世をつけただけか)。混乱のつづくササン朝ペルシアに対してこのころからイスラム勢力がおしよせ(東ローマをも排除し)、国家的危機がおとずれます。637年のカーディシーヤの戦い(アトロパテネ会戦のモデルか)でペルシア軍は敗北し王都クテシフォン(じっさい、エクバターナという地名もあるが別物)も奪われます。ヤズダギルドはメディアにうつり再起をはかるが、642年のニハーワンドの戦いで敗れ、651年、メルブで暗殺されます。このあたりって小異はありますが、なんだかそのまんまという感じがします。で、王子アルスラーンですが、実はヤズダギルドにも王子がいてその名はペーローズ。彼には漢字読みもあり卑路斯です。なぜ漢字があるかというとかれはその後、中国(唐)に逃れて(田中さんほんま,中国好きでんなぁ。物語の題材として採用したのもこのあたりの知識からか)その支援にてササン朝の回復をはかったのです。現実には夢やぶれ、672年、死んでしまうのですが。
アルスラーンのころのササン朝はいわば、国家の黄昏にさしかかった次期でペルシア帝国とくらぶべきもありません。騎馬兵でその名をとどろかすペルシア帝国軍ですら最大動員30万、内、騎馬2万ですから、黄昏のパルス軍の騎馬12万(アトロパテネ会戦では8万5千)全軍42万がいかに現実離れしているか想像できるでしょう。ます国家財政がもちません。騎馬は非常に維持費のかかる高価な兵種です。ペルシア帝国時期で、すでに兵器類を別とした前近代的な戦争理論、軍事運用論(兵站の重要性はかなり認識されていた)はある程度確立されていたのを考えると、アトロパテネ会戦における騎馬兵8万5千は、実際、ぎゅうぎゅう詰めで、その最大にして唯一の利点、機動力を発揮できないうちに密集歩兵に槍で串刺しってことになりかねません。統率して動かせる騎兵数は数百単位ではないでしょうか。隊長なら百人長(ペルシア帝国の呼称/パルスなら百騎長ってとこか。実際、ペルシア帝国には万人長はいても万騎長はいません)てとこですか。そこで仮に8万5千を部隊別に分けた場合、多めに見て千人隊としても85部隊。各部隊を有効に機動させるとすると天文学的に広大な戦場が必要となります。だいたい、85の騎馬部隊を”使い分ける”ことにいったいどんな戦略的意味があるというのでしょうか。小説では一応、パルスの軍隊は歩兵を軽視した騎馬兵中心の構成ということわりがいれられていますが、このような設定をした時点でパルスの英雄王カイ・ホスローは軍事力的に存在しえなかったでしょう。また、パルス騎馬部隊が古代中国歴史物的?計略でわざわざ全滅させられていますが、ルシタニアにしても、これでは、ウサギを狩るのに大砲を苦労して運んでくるようなものです。しっかし、天才ナルサスっていったい(トホホ)。ナルサス=田中芳樹か?。
馬の件はこれくらいにして、アルスラーン戦記の舞台設定のつづき。
まず,ルシタニア。ササン朝ペルシアがイスラム勢力に滅ぼされたことをかんがえると、アラブの民ってことになりますが、文化風習的に見て、東ローマともみれます。キリスト教が国教であるし、キリストの再臨までに世界を統一すべき唯一の帝国を標榜していたからです。しかし、彼らは軍事的な解決は二の次で政治解決を好んだため、ルシタニアのイメージとのずれがあります。おそらく、イスラムと東ローマ帝国に異端裁判や十字軍のテイストを加えたものでしょう。しっかし、イスラムとしなかったのはイスラム原理主義の報復を恐れたためか。じっさい、賞金首にされて殺害された人もいますしねぇ(<-----おもいっきり邪推してますねぇ、スマン)。シンドゥラはインドってことで。絹の国はもちろん中国(唐)。ミスルは思い付きません。俺様ランチさんのいうとおりエジプトあたりかも。トゥラーンは北方の遊牧集団か。
最後に、アルスラーン戦記の今後の展開ですが、王子パーローズの運命から予想すると、死んじゃうことになりますが、これではおもしろくないので(あとがきにも16翼将だっけか?かれらはどんどん死なされるとありましたので何人かはいなくなるかも)、絹の国(唐)のとってもイカしたナイスな漢(おとこと読め。ナハハ)とお友達になって一緒にルシタニアを追い払って国土を回復した後、名君となりて、友邦国の絹の国などとなかよく暮らしたとさ、なんてのはどうでしょうか。ひょっとしたら、ザーハックの件なんかは絹の国のお友達も力合わせて中国神話的妖怪退治を演じるかもしれません。
長文失礼いたしました。