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- board1 - No.1513
マルヤム
- 投稿者:ドロ改
- 1999年07月12日(月) 15時27分
>仕立て屋さん
>十字軍の時代になると、ペルシアは完全にイスラム化してますし、戦略的には十字軍は、キリスト教圏にとって(イスラム教圏にとっても同じなんだけど)最大の聖地をオスマン・トルコなど異教のイスラム勢力から解放しよう、というものですよね。イアルダボートの光で異教の地を照らす、というルシタニアの建前とは戦略目標の点で微妙にずれると思います。ところで、作中ではパルスの友邦国マルヤムはルシタニア同様、イアルダボート神を崇める国です。ルシタニアはその協会会議にてルシタニアの西方教会に対してマルヤムの東方教会が異端であると決議し、これを併呑しました。史実においては、エフェソス公会議におけるコンスタンチノープル主教ネストリウス異端断罪に同意しなかったシリアのキリスト教徒が自称東方教会と名のりビザンティン教会から離脱、ローマ帝国の弾圧を逃れ、ペルシャ領ニシビスをネストリウス派教会の拠点とし、その後、ササン朝ペーローズ王からペルシアにおける支配的キリスト教派として公式に認可される、という出来事があったそうですが、この史実をヒントにしますと、マルヤムという独立国とペルシア領内北西部の1キリスト教派拠点という違いはありますが、この教派の拠点をシリアあたりの国とし、ペルシアがそれを保護するという形にすれば、立地的に地中海に面している点もちょうどマルヤムと共通しますし、これに十字軍の伝承を加味すれば、ちょうど作中イメージになると思います。どうでしょうか。
私はてっきり、マルヤムはビザンチンだと思っていたのですが。勿論イスラム勢力の圧力を恐れて救援要請を出し、十字軍遠征のきっかけを作ったビザンツとは立場が違いますし、攻略された順番も逆になります。しかし、マルヤム宮廷の描写などを見ていると、ルシタニアとは文化レベルが一桁違う様ですから史実のビザンツがそうしていたのと同じように、ルシタニア(西ヨーロッパ)をバカにしていたとしても全く不自然では無いと思います。十字軍遠征初期であれば、海峡東岸は失っていてもヨーロッパ方面の領土は大部分健在でしたし、地中海貿易の覇権も握っていてマルヤム国に似た状態であったと思われます。(マルヤム国はルシタニア方面から見て大陸の玄関口)大陸航路を扼し陸の貿易を押さえるパルス、内海を含め海の貿易を押さえるマルヤム、結構ぴったりはまると思うのですが。
ただ、当時のカスピ海沿岸は、取れるものが精々穀物どまりの上便利な陸路が完備されているため、押さえるも何もないでしょうが。
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- board1 - No.1514
自分でHPを作ったらいかが?
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年07月12日(月) 15時36分
>どう、気に入った。できればこれもベスト版に加えてくんないかな? ダメ?
「田中芳樹を撃つ!を撃つ!」か「石井由助を撃つ!」でもご自分でお作りになられたらいかがかな?ベストでも何でも勝手に作って好きに掲載すればよいでしょう。図々しい事夥しいの。はっきり言って鬱陶しいだけなのでこれが最後、以後はアンタの相手はやめるわ。荒らしを相手にしてもしゃあないですしな。
もちろん、こっちもアンタのような人間が気に入る訳はない。言うまでもない話だがの。
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- board1 - No.1515
パルス国の庶民の生活水準と主食、そして都市の修正計算
- 投稿者:冒険風ライダー
- 1999年07月12日(月) 17時31分
Infoseekで「田中芳樹」と検索したら、面白いHPサイトを見つけました。
ttp://members.tripod.com/~neko_maru/index.html
いろいろと特集しているのですが、この中の「田中芳樹考」で、田中芳樹作品の特徴や社会評論の影響力についての考察があります。なかなか面白いものでしたので、興味のある方はぜひどうぞ。直接見るならば下のURLです↓
ttp://members.tripod.com/~neko_maru/yosiki.htm
<現代のクウェートになるんですが、普通の日常食の基本形態は、
「パン類(ナン、ホブス)」+「乳製品(ミルク、チーズ、ヨーグルト)」で、ちょっと奮発して(牛丼に卵つける感覚)ケバブを食べるという感じらしいので、庶民食があの通りだとすれば、パルスはかなり生活水準が高いと言うことになりそうです。
しかしそれよりかは、まず商人が結構金持っていていいもの食べているとは考えられないでしょうか? また、長旅で普段粗食していると考えれば「やっとエクバターナに着いたんだからちょっと奮発したもの食おうぜ」という気分があるのかも知れません。
…ってところでどうでしょうか?>
パルス全体の庶民の生活水準が見えてくるかは分かりませんが、アルスラーン戦記の記述の中に庶民の生活水準を推測できる記述がいくつかありますので、それらを少し引用してみましょう。
アルスラーン戦記2 P128
<「馬を買うにしても、お金はあるの?」
現実的なことをアルフリードに問われ、ナルサスはむぞうさに羊皮の袋を少女に手わたした。袋の口をあけたアルフリードが目をみはる。
「馬が百頭くらい買えそうだね。何でこんなに金貨を持ってるのさ」
「なぜといって、もともとおれのものだが」
アルフリードはしかめつらしい表情をした。
「ふうん、あんた、あんまりまともな生活をしてなかったんだね。見かけはまともそうだけど」
「どうしてそう思う?」
「金貨なんて、まともな人間の手には、はいらないようになっているんだよ。もし自由民が金貨なんて持ってたら、役人がきて拷問するくらいさ。どこかで盗んだに決まってるといってね」>
アルスラーン戦記2 P129
<彼女の、凍りついた視線を追って、ナルサスは見た。一軒の家の戸口に、男がうつ伏している。流血のあとが、男の死を証明した。
死体のふところから羊皮の袋がはみだし、こぼれおちた銀貨と銅貨が夕日を反射してきらめいている。>
アルスラーン戦記4 P52
<パルス王国の東北部、広大なダルヴァント内海に面したダイラム地方である。
働き者の漁師や製塩職人たちが、すでにひと仕事をすませた後、屋根と柱だけでつくられた集会所に顔をそろえ、朝のお茶を楽しんでいた。砂糖菓子や乾したイチジクをつまみ、女房が肥ったの、町の酒場にいい女がはいったが情夫がついているの、噂話の花を咲かせる。>
アルスラーン戦記9 P200~P201
<初夏五月。パルスの王都エクバターナは緑陰濃い季節をむかえている。
陽ざしはかなり強いが、空気が乾燥して適度の風があるので、樹木や建物の影にはいると、ひやりとするほど涼しい。石畳にも水がまかれ、蒸発する水が熱気をとりさる。水をまいてまわるのは老人や子供が多く、彼らには役所から日当が出る。
露店は葦を編んだ屋根をかけて、陽ざしをふせぐ。地面に、絹の国渡りの竹づくりのござを敷き、ハルボゼ(メロン)をはじめとする色とりどりの果物を並べてある。ときどき冷たい水をかけると、果物の色どりはひときわあざやかになるようだ。
汗と塩を上半身に噴きださせて、炉の火をあおっているのは、硝子の器具をつくる職人たちだ。交替で公共の井戸に出かけて水をあびる。タオルを冷水にひたして頸すじに巻き、ふたたび炉の前にもどるのである。
小麦の薄いパンに蜂蜜をぬって売る店がある。どうやら小銭の持ちあわせもないらしく、ひとりの子供が、ひたすらパンを見つめている。最初は無視していたパン屋が、根まけしたように、ひときれのパンを渡す。顔をかがやかせた子供が走り去る。その背中にむけてパン屋がどなる。
「恩を忘れるなよ。出世したら十倍にして返すんだぞ!」>
パルス国の通貨単位の問題がありますが、村の人間が銀貨や銅貨を持っていること、ダイラム領土の漁師たちの生活水準の良さ、そしてエクバターナの様々な職業や、露店で売られているといった記述から推測すると、パルス国の庶民の生活水準はかなり高いものであるという解釈は充分に可能であると思われます。もちろんこれもまた、肥沃な地方と不毛な地方とで差があることでしょうが。
食糧の物価については下の記述である程度推測できるのではないでしょうか?
アルスラーン戦記1 P73~P74
<侍童の少年が、大きな盆をはこんできた。葡萄酒、鶏肉のシチュー、蜂蜜をぬった薄パン、羊肉と玉ねぎの串焼き、チーズ、乾リンゴ、乾イチジク、乾アンズなどがこうばしい匂いをふりまき、アルスラーンとダリューンの食欲を刺激した。
(中略)
テーブルに出されたすべての食物が、客人たちの胃におさまってしまうと、エラムは食器をかたづけ、食後の緑茶を出し、ナルサスに一礼して自分の部屋にひきとった。
「おかげで人心地ついた。礼を言う」
「お礼にはおよびません、アルスラーン殿下、私は殿下のお父君から、一万枚もの金貨をいただいたことがあります。今日の食事は銀貨一枚にもおよびませんな」>
さらに村の人間までもが通貨を持っていることから、パルスでは商業の力が末端まで徹底していたという解釈も可能です。パルスの村でも、原始的な物々交換はあまりなかったのではないかと思われます。そうなると、パルス国内のみを回って商売をする隊商がいるという裏設定もでてくるのではないでしょうか。これならば、末端にまで通貨が行き届くでしょうし、商業国家パルスの補強にもなるし、地方都市が発展しているのも説明できます。まさに一石三鳥(^_^)。
それから「羊肉が主食」という解釈は、
アルスラーン戦記5 P24
<パラザータは肉を主体とした料理をことわり、一椀の麦粥、それに卵と蜂蜜をいれた麦酒を所望した。疲労で胃が弱っているので、重い食事を避けたのである。>
という記述から、パルス軍の補給物資が小麦系と羊肉で構成されているのではないかと考えたからです。肉が高価な物資であるならば、パルス軍はもっと安価なものを補給物資にしたでしょうしね。10万もの軍団の食糧となると半端な量ではないのですから。他の記述とも合わせて「これが主食」と推理したというわけです。
<以前、冒険風ライダーさんによる上記パルス軍、騎兵12万5千と歩兵30万が常設軍だとの見解に対して私はその騎馬の多さを農耕兵も含まれる、とすることで説明しようと試みたことがありましたが、よくよく調べて見ると冒険風ライダーさんの常設軍とする見解が正しいような気がしてきました。というのも、まず、西アジアでは馬を農耕には普通利用しないという点が一つ。また、軍馬は戦場の環境(大きな騒音や鬨の声、血の臭い)に慣れている必要がありますし、第一、重装備の騎兵を乗せて俊敏に動けなければ役に立ちません。それには、組織的に訓練される必要がありますから、それには直轄の軍馬繁殖地などで生産されるべきではないでしょうか。同時に職業は分化してるでしょうから騎士はもちろんのこと、自由民歩兵も職業軍人の可能性が高いです。以上の点から騎兵12万5千人、歩兵3万人は職業軍人であると予想されます。さらに冒険風ライダーさんがおっしゃったように東方国境8万人、西方国境6万が常駐しているということでこれらを王直属の地方分遣隊(もし、これら国境防備隊が王直属でなく、地方領主による防備砦とするならば、かなり信用の置ける譜代の臣を配置する必要がありますが、他に分遣隊と思われる記述が見落としなければありませんので、ここでは王直属としておきます)と見なすならば、当然、国庫支出の常設軍であり、その軍構成も主力軍と同様でしょうから、内、東西両方面軍で騎兵、歩兵の職業軍人として3万人、2万人が見こまれます。その異常な兵科構成を除いても、パルス王国軍における国王直属の職業軍人の多さ(計、17~18万人)は、なんだか現実離れしているように感じられます。まだ、パルス王国軍に、各属州からの臨時召集歩兵隊が存在するならば、この異様な軍構成は幾分、正常視されるでしょうが、そうなると今度は、王国軍全体の最大動員兵数が下手すると100万人に達するという異常な自体になりかねません。>
この記述を見て思い出したのですが、1巻のアトロパテネ会戦時のパルス軍の配置があったのでそれを調べてみたら、とんでもない事が判明しました。
アトロパテネに展開したパルス軍(アルスラーン戦記1 P27)
騎兵85000 歩兵138000
エクバターナの留守部隊(アルスラーン戦記1 P42)
騎兵20000 歩兵45000
東方国境
騎兵20000 歩兵60000
西方国境
騎兵0 歩兵60000
これらを計算すると
騎兵 = 85000 + 20000 + 20000 = 125000
歩兵 = 138000 + 45000 + 60000 + 60000
= 303000
何とほぼこれでパルス全軍になってしまいます(しかも歩兵は3000人オーバー)。
しかもさらに2巻では諸侯のひとりホディ―ルが「三千の騎兵と三万五千の歩兵を動かすことができる」(アルスラーン戦記2 P24)という記述があったり、三カ国同盟軍侵攻時に「ダイラムの領主テオスは五千の騎兵と三万の歩兵を率いて駆けつけると約束し、王を喜ばせた」(アルスラーン戦記1 P62)などといった記述があることから、パルス軍の中には、諸侯の軍が入っていないとしか思えません。
そうなると、仕立て屋さんのいう「王国軍全体の最大動員兵数が下手すると100万人に達するという異常な事態になりかねません」というのは全くそのとおりで、これでは今までの軍事計算が全部水の泡です(T_T)。諸侯軍が全体でどれくらいの軍を持っているかが問題になってきますが、記述が不足していますし、以前計算した「人口に対する軍隊の比率」もやり直さなければならない事になってしまいます。さすがにこれでは私にも手におえませんね。何とかならないものかな~。
<田中氏自身、物語にでてくるような英雄的騎馬突撃の有効性を信じて疑わないのでしょうが、MerkatzさんのHPにおける武田騎馬軍は実際には戦う前に下馬してから戦った、という話を考慮しますと、パルス王国軍はかな~り無茶してます。>
これは日本の馬が西洋の馬と比べて小柄だった事、そして牧畜がそれほどさかんではなかったことが原因ではないでしょうか。武田の騎馬軍団にしても、品種改良を重ねて何とか戦に使えたのですし、その騎馬隊にしてもその程度の力でしかなかったということです。
しかしパルスの場合はそもそも祖先が騎馬民族だったのでしょうから、馬を戦争に使う事に関してはそれほど無茶ではないような気がしますが。数はそろえられたかというとやはり疑問ですけどね。
余談ですが、MerkatzさんのHPは私も見ています。グラディウスⅢの音楽をダウンロードしてますしね(^^)。
<また、これは、冒険風ライダーさん宛てになるかと思いますが、アケメネス朝ペルシアにおいては属州含めて大体20州前後だったらしいです。ササン朝においてはディフカーン(村の領主)とよばれる小貴族を軍人や役人に取りたてられた、とあるので、州の中でさらに細かく行政区画を分ければ問題ないとは思いますが。参考までに。>
う~ん、マヴァール年代記のマヴァール帝国が130州で構成されているから、パルス国の100州もそれほど無茶ではないかなと思ったのですが。
そこで今度は州県制で考えてみました。
諸侯の中でも大諸侯が州を管轄し、その中の4つの県を4人の小諸侯が支配する。
大諸侯の州都を10万、小諸侯の県都を5万として、エクバターナとギランの合計140万と計算すると
20000000 - (1400000 + 20×100000 +80×50000)
= 12600000
この残りを一千万と二百万と六十万で区別し、一千万を人口一万の街に、二百万を人口1000の大村に、六十万を人口100の小村に配置します。そうなるとパルス国には
1000の街
2000 + 6000 = 8000の村
が存在する事になります。これで何とかバランスがとれたかな? 例によって大雑把だけど(^^;;)。あとそれから税制と交通網システムは以前指摘した通りです。ただ
村・街――→県都――→州都――→エクバターナ
というパターンになっているかもしれませんが。
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- board1 - No.1516
なんかとりとめなくなってしまった・・・
- 投稿者:Merkatz
- 1999年07月12日(月) 18時07分
>ttp://www.linkclub.or.jp/~suno/
これはなかなか良いですね。確かにルドルフの敷いた「専制」という道から一歩も出ることがなかった以上、ラインハルトはルドルフを超えることはついに出来なかったといえるでしょう。
彼は善政を敷きましたが、所詮「専制」という枠内での話です。「俺はルドルフのようにならない」と少年の頃誓いましたが、専制そのものの打破をしなかったのですから、「ルドルフのように」なってしまったといえるでしょう。単に権力の使い方が違っただけで。
>うーん、「人類の歴史がもっていた君主制→共和制というベクトル」「あるべき歴史の流れ」という未論証の根拠を
>持ってローエングラム朝を批判するのはどうかと思いましたね。「人類の歴史がもっていた君主制→共和制という
>ベクトル」「あるべき歴史の流れ」が本当にそうなのか、という思考実験が銀英伝のテーマの一つですから。
>これについてはまた、そのうち。
基本的に人類史は民主共和制という、よりベターな方向に進んだと私は思います。ただこれからの未来において、つまり銀英伝の世界のような時代にもその流れが続くかどうかは分かりません。
あくまで民主共和制は「よりベター」ですから、将来的により良いシステムが産まれればそちらに流れるでしょう。
また、専制への逆行も当然ありうるわけで、そのなかでラインハルトのように「非民主的な制度がきわめて民主的な政治を行なう」という皮肉が生じる可能性もあるわけです。
ですから、「ラインハルトがあるべき歴史の流れに逆行した」とはいえないでしょうね。民主制→専制という流れが「あるべき歴史の流れ」なのかもしれないのですから。
>私があのサイトでもっとも興味深かったのがこれです。「単一国家」は人類が未だ経験していないシミュレーション
>として非常に面白い。義務教育は富国強兵制度の一環であり、近代国家においては権力者が人民の無知蒙昧を望むこと
>はあり得ません。
>自国民の知能指数の高さを誇るのが、ある意味近代国家の為政者の本音でしょう(銀英伝の世界だって宇宙船によって
>戦う以上は一般兵でも高度なレベルの知識が必要)。が、専制によって人類統一国家が誕生したら富国強兵の
>必要性がない以上人民に知識がある必要はない。むしろ、無知蒙昧のほうが扱いやすいはずですし、必要な知識は
>一部階級によって独占された方が支配には効率的です。
>同盟という恒久的な敵が居てはじめて、帝国は強力な近代国家たり
うるのではないでしょうか。
>となると、どうも、帝国には同盟の存在がないと成立し得ない逆説があるような気がします。
これについては一つ考えてみました。
「宇宙の摂理は弱肉強食であり、適者生存、優勝劣敗である。人類社会もまたその例外ではありえない」と主張したルドルフのことですから、バカな国民というのは「弱者」であり、生きる価値のないものだと考えた。したがって義務教育を施し、優秀で強健な帝国臣民を育成した、というのはいかがでしょう?
ルドルフは単なる権力者ではなく、人類に対する異常な使命感を持っていましたから有り得るのではと思いますが。
>さらに責任には法的責任と道義的責任に分けられると思います。議会制民主主義の場合、民衆に法的責任を
負わすことは事実上不可能です。となると、このMerkatzさんの言う「責任」は道義的責任と言うことになります。
>この道義的責任は社会を構成する上で不可欠ですが(ex.人を殺すな、物を盗るな)、制度として見た場合、
非常に脆弱な物です。よく言われるとおり、「ゴメン(道義的責任)で済んだら警察(法的責任)はいらない」のであって、
>強制力を有する法的責任が必要です。
>道義的責任に依拠した民主制はきわめて脆弱で危なっかしい制度とはいえないでしょうか?
純粋に道義的責任に依拠しているのなら、確かに危なっかしいでしょうが、それを権利且つ義務として法に定めることにより、擬似法的責任と化していますよね。
もちろんそれだって放棄ということがあるわけですから、完全ではありませんが、現段階における人類の試行錯誤の結果としては、まあまあではないかと私は思います。
>ちなみに皇帝には道義的責任も法的責任もないと言われそうですが、道義的責任で言えば結構な責任はあると
>思います(「朕たらふく食う汝ら臣民飢えて死ね」とはたぶん言えないですよ。いくら絶対君主制でも)。
>法的責任においても、文字通りの法的責任はないかもしれませんが、政治力学的な意味での法的責任は厳然として
>あると思います(歴史を見れば滅んだ帝国の皇帝の末路がよく物語っている)。ただ、世界にただ一つの国家しかない
>という状況はきわめて特異なので、その状況下ではちょっと興味深い物がありますけど。
私は皇帝に対するそれは甚だ弱いと思います。
道義的責任は暴君の例を見れば明らかでしょう。ゴールデンバウム朝のアウグスト2世が、果たして道義的責任を1ミクロンでも感じていたでしょうか。
現実の歴史でも「いくらなんでもそんなことすれば滅びて当たり前だ」と思える暴君はいくらでもいますよね。彼らが道義的責任を感じていたとは到底思えない。
まさに彼らは「朕たらふく食う汝ら臣民飢えて死ね」だったわけです。
法的責任についても「政治力学的な意味」というのは確かにあるでしょう。しかし皇帝自身が、それを感じてなければ意味がない。
対抗勢力に滅ぼされた皇帝というのは、直前までその動きに気付かなかったなんていう事はよくあります。
存在していても、本人が感じてなければ、ない事と同じです。
したがって法的責任・道義的責任の両者において、民主制は専制よりは「マシ」だといえると思います。
究極的な事を言えば、どんな制度も運用する人間次第なんですけどね(^^;;。
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- board1 - No.1517
つまりですな、小説ならば
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年07月12日(月) 18時35分
小説「掲示板のドラゴン」
「中先生を侮辱するとはとんでもない奴らだ!同じ分泌、いや文筆業者のはしくれとして、フリーライターの私、コケコッコがお前らを論破してくれるわ!
第一、こんな風に悪口をかくやつはな欲求不満がたまっていて、…。日常生活でいい目見てないやつらだ、そうに違いない。
何故なら私が悪口を書くときは、いつもそうだからな!」
「うーん、批判=日常生活で不幸、欲求不満という図式・・・なかなか理解しづらいが、そういう発想をするようになった人生、もあるのかな」と竜堂捨(すてる)はつぶやいた。
職業に貴賎はない、のは当然である。
しかしフリーライターと呼ばれる人の中には、自分の意見や感性で勝負することなく、編集部の望むように取材の事実を改変し、ひたすら上に気に入られるようなことだけ書くものもいることは事実である。
それだけならまだしも、広告を貰えるように「お宅を悪く書きますよ」とほのめかし、広告を入れたらベタほめの記事を書く。そういった雑誌に文章を書くライターもいた。この場合、一から九まで内容は編集部が決める。フリーライターは操り人形であり、いざという時に切り捨てるためのシッポでしかなかった。
ライターで、時たまでもそれに反発や良心の呵責を覚えるのはまだマシなほうで、最低の連中の中には取材中、企業に「お車代」を露骨に要求し、その多寡によっていくらでも事実に手を加えたりデマを流したりするのである。
目の前の「コケコッコ」はまさしくその、最低の一人であった。
「大体、お前らは中先生の革新思想が気にいらないのだろう!だから作中に整合性がないとか、連載中断が無責任とか、軍事知識が出鱈目だとか言うんだ!正しいけど。」
「じゃあ、あなたは中のファンなの?」
「アンタもそういう事を書きたいのなら、自分の志向くらい言ったらどうだい?」
質問の声が飛んだ。
「うっ・・・し、思想調査だ!」コケコッコはヒステリックな叫びを上げた。
もちろん、彼は夜ごと中先生の小説(それも同じ内容の文庫とノベルス両方)を読んでは、感涙にむせんでいたのだ。仕事では、まったく正義を実現しようという気はなかったが、いや、だからこそ想像の世界では強いものに歯向かい、徹底的に破壊する英雄と自己同一化をしていたのだ。
しかし、それは言いたくなかった。
さすがにHPをチェックする限り、中や自分の考えがツッコミどころだらけであることは薄々気付いていたのだ。
「別にどうだっていいじゃん。
ただ、はっきり言えることは「お前らが嫌い」ってことだ」
「はあ?別に俺たちが好きでも嫌いでもいいけどさ、そうじゃなくて貴方が中先生の社会評論に賛成か反対か、好きか嫌いかを聞いてるんですよ。何故言いたくないの??」
「竜創伝は読んでるんだろ?じゃあ、そこに書かれた社会評論に反対か賛成かだけでもいいよ」
「う、うるさい!お前らはこの前早稲田に入ったヒロスエにまとわりつくストーカーと同じだ!」
「・・・ごめんなさい、この小説内では早稲田は第3巻でドラゴンに大破壊されて、もう廃校になっているんです。
早稲田に入ったヒロスエが、少なくともこの話の中で出てきては世界の整合性がとれないんですよ」
「う、うるさい!無理やり時事ネタをいれたために世界観がぐちゃぐちゃになった小説もアリじゃないか!「悪夢物語」だって、「ポートピア」だって・・・・」
もはや、反論ではなかった。
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あっと忘れるところだった。
「この項は小説である。よって、この物語はあくまでフィクションであり、現実の事件・団体・個人などとは無関係であることを、とくにお断りしておく」
こう書いておけばすべてOK(笑)。
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- board1 - No.1518
解題
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年07月12日(月) 18時47分
うーむ品がないなあ。これじゃフリーライター「にしか」なれない(笑)。
というのは冗談です。
もちろんさっき書いた小説も念を押しておいた通りフィクションでして、私フリーライダーをとっても尊敬しております。
もちろんお車代がどうとか広告がどうかという話はまあいろいろアルのでしょうが、それを一般化したり、ある特定の人がそれをやっているはずだ!などと断定するにはもっと厳密な調査や評価が必要です。
しかし、小説で書いておけば「あれはフィクションだから・・・」でごまかすことが可能になる。
そして下記のようなアンフェアな小説(アンフェアであることを認める。だから後で削除するかもしれん)が出来てしまう、というわけ。
世界観の整合性、については付け加えていうまでもないか。
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それから、ココ氏の田中芳樹に対する評価、を小説という形ではなく正式にお尋ねしたいですね。
やっぱこれも「思想調査」っすか(笑)?
じゃあ、さっさと終わらせましょう。
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- board1 - No.1519
武田騎馬隊
- 投稿者:Merkatz
- 1999年07月12日(月) 18時55分
うーん、なにやら私のつたないHPが話題に登っているようで汗顔の至りです。
皆さんのアルスラーンに関する議論はすっごく面白いです。私は西洋史は全然ダメなんで、ただただ皆さんの知識に恐れ入るばかり。
アルスラーンの議論には加われませんが、せっかくですから武田騎馬隊についてちょっと説明しましょうか。西洋の騎馬隊との比較になれば幸いです。
一般に言われているような「騎馬隊」は実は日本に存在しません。というのも、日本の馬は西洋に比べて小型で、また騎馬を縦横に展開できる地形が少なかった為、西洋でいう「騎馬隊」は実現しようがなかったのです。
フロイスは「我らにおいては馬上で戦う。日本人は戦わねばならぬときには、馬から下りる」と記しています。
甲陽軍鑑には「武田軍の大将や役人は、一備え(千人程度)の中の七人か八人が馬に乗り、残りはみな馬を後ろに曳かせ、槍をとって攻撃した」とあります。
やや時代は遡りますが、義経のひよどり越えも徒歩によるものだそうです。
以上のことから「騎馬隊」というものはなかったことがわかります。
しかし「騎馬武者」はいました。使番と呼ばれる伝令役や、上級指揮官が馬に乗っていました。
また迅速に部隊を展開せねばならない局面においても活用されています。側背・後背攻撃や残敵掃討などです。この場合は少数の部隊で決定的な局面を作るという役目を担うわけです。
武田軍の恐ろしさは騎馬隊ではなく、変幻自在の陣形にありました。もともと甲州兵は精強を謳われています。それが戦況に応じて素早く適した陣形を取るのですから、弱いはずがありません。
武田軍の強さの秘密は優れた軍法にあったわけです。
ちなみに鉄砲に関しても武田軍はかなり進んでいました。信長の専売特許のように言われる鉄砲ですが、どこの戦国大名でもその使用は当たり前でした。ただ信長は有効な戦術的運用を考え付いたわけですが。
さて私は「エイジオブエンパイア」というゲーム(知ってます?)をよくやるんですが、この中では騎馬兵ユニットは馬に乗ったまま戦います。
集団で歩兵をいたぶるのが愉快(^^;;
やっぱり大平原にずらっと騎馬が並んで突撃してきたら、ちょっとやそっとじゃ止めようがないかなあ。
セコく宣伝。戦国武将中心にHP開いています。
ttp://ww3.tiki.ne.jp/~yang/index.htm
是非お越し下さい。
あっ、管理人さん、もしよろしければ相互リンクしませんか?
田中芳樹と関係ないんでどうかなと思って言わなかったんですが。
よろしければ是非お願いします。
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- board1 - No.1524
RE.1508
- 投稿者:石井由助
- 1999年07月12日(月) 19時25分
うーん、つまらないなぁ。芸のある罵倒ネタってのは難しいものだなと思った次第。
俺はあんたがメアドを明記してる(ホンモノか虚仮か確認してないしするつもりもないが)ってんで無視はしなかったし今までなかったタイプだから何か新しい流れが出来るか期待もしたが、ダメでした。
「田中芳樹を撃つ!を撃つ!」ってよりかは、俺のアンチでしょ。「ある意味」ファンでしょ(ぷぷぷ)。俺を撃ちたいんだったら、これじゃダメだなぁ。もう少し研究してください。ここはあくまでも「田中芳樹を撃つ!」ってコトを読めなきゃダメよ。
とりあえず、あんたがメアドを明記した意気に応えるということで、今、俺は自分の評判落とすことを承知で愚直な返事書いてるけど、こういう事書くのはこれが最後です。まあ、もう少し芸のある事が書けるようになったら考えないでもないけどな。