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- board1 - No.1558
新Qちゃんへ。短かったのでちょっと追加
- 投稿者:ココ
- 1999年07月15日(木) 18時48分
>わかる?佐高氏が例えば小林よしのりを批判する、小林は「わしへのしっとだ、薬害エイズでお前が何をした!?」と言う。その小林が批判した厚生官僚や医者が「あの当時、実際にエイズを予防するために必死だった我々を、外からとやかく・・・」と怒る。
つまり構造として、全ての批判は「青蝿」と呼ばれうるのだよ。
それは、田中が自衛隊や政治家を批判したことに対する、あんたの反応にも言えると思うけどな。あげ足取るようで悪いけど。
つまり、構造として、全ての批判は「差別」と呼ばれうるのだよ。
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- board1 - No.1559
ココ号は猿である
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年07月15日(木) 19時18分
毎度、仕立て屋です。
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>わかる?佐高氏が例えば小林よしのりを批判する、小林は「わしへのしっとだ、薬害エイズでお前が何をした!?」と言う。その小林が批判した厚生官僚や医者が「あの当時、実際にエイズを予防するために必死だった我々を、外からとやかく・・・」と怒る。
つまり構造として、全ての批判は「青蝿」と呼ばれうるのだよ。
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なるほどぉ、博学ですな。やっぱり、わたしは使い方を間違っとったのね。 「英雄の骸にたかる青蝿」なる言い回しは、発言者の立場を固定化せずとも使用できてしまうために、立場が代われば同様な論法で逆に斬られてしまうという、諸刃性を孕んどるんですな。そやから、この言葉を使うときは、自ら立場を入れ替えるようなマネは控えんとまずいわけですねぇ。この諸刃性をわきまえなかったココさんは、語るに落ちちゃったわけか、アララぁ。思慮浅だったのね。エッヘンって得意げに出した宝物のバタフライナイフで、自らの指を切っちゃったようなもんですかぁ、カッチョわる~~~。
ん~、勉強になりました。
あと、それから、ココさんの傾向としてヤバ目の話題は避けるっちゅうのがあるみたいですね。答えないのか、答えられないのかわかりませんが(答えた場合も、お粗末な”論旨のスリ替え”しか出来ないみたいだし)、とにかく、これじゃぁ、論理思考ができないって決め打ちされてもしゃ~ないね。で、やばなったら、原典は?原典は?って九官鳥みたく繰り返すだけで。たとえば、
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>小説の初歩の初歩として、作品の中に作者の言葉が入ってはいけないというものがある。作者の主張は、キャラクターに語らせるとか、テーマとして伏流にして流すとか、そういうテクニックこそが小説であり、物語だからである。
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に関してココさんは最初に「管理人さんが仰るような”まっとうな”小説に対する定義は誰がきめたの?」って聞いてはります。逆にいえば、”まっとうな”小説に関して自分なりの定義をもってるからこそ、それと異なる定義を他人が主張してるのに対して異議申し立てしているわけですよね。であるならば、自分の異なる相手の定義の原典が何か?ってのが異議の本質ではなくて、その相手の定義の是非が問題なわけですよ。ですから、わたしは、管理人さんの定義の一面の真理を説明し、その上で、ココさんに管理人さんの定義の是非を問うたのです。なのに、答えるわけでもなく、原典は?原典は?って繰り返すだけです。これは、相手の定義の非を論理で指摘できないのか、もしくは、そもそもの異議の意味するものが理解できていないか、のどちらかです。つまり、論理思考がサルなみなのです。よって人間さまがまともに議論するような相手ではないっちゅうことですね。
結論: ココ号は猿である。猿は猿らしく、猿山で猿番長気取ってるのがお似合いである。
あ~あ、プロっちゅうから、どんなもんかと思って相手してみたら、ぜんぜん手応えないのね。つまんね~の。ひょっとして、チョイ書き? あ~シラけたシラけたっと、アルスラねたに戻ろ。
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- board1 - No.1560
仕立て屋さんへ。ごみんね。オレもちかれとる
- 投稿者:ココ
- 1999年07月15日(木) 21時11分
もう、こんなにレスが返ってきて。オレって人気者じゃん!
ところで、仕立て屋さん。返事の順番みんな後にしちゃって「おゴメン」。
そ、それにしても…。な、長い。校了の徹夜明けにこのネームの長さは辛いかも。まあ、それだけ労力を割いてくれているのは。ありがたいけど…。こっちもなるべく長いネームでお返しするぜ!
>ワオーッ、こんなレトリックありでっか?ボルテッカァ!
「初代」と「ブレード」。どっちが好き? オレは山田康男が主役貼ってた方が好きだけどな(嗚呼、年齢がばれる)。
とりあえず、いろんなとこすっ飛ばして言うけど…。
頼む! 仕立て屋さん。「夢物語」読んでくれ!
「読んだことない」ことを前提に「想像」で話してるからいろんなところで論理が破綻してるよ。
まるで、裁判で検事が証拠品無しに起訴したあげく「裁判長、私の想像しますところ被告は…」と答弁しているみたいだぜ。
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>わたしは、先に述べたように「夢物語」を読んだことがございませんので、わたしの書評を申し上げることはかないませんが、ここはココさんの仰ることをそのまま使用したいと存じます。ところで、夢落ちってのは、まるで、ドラえもんに関するあの有名な都市伝説を連想しますねってこりゃ、話がずれましたね。夢落ちにした長英の意図は不明ですが、幕末の言論弾圧下では、夢落ちにしようと幕府に睨まれると考えるのが自然ですから、おそらく、庶民受けするようにそのような形式を採ったものと想像いたします。
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あのねえ…。まず、「夢物語」の夢落ちに関して言えば、読めばわかるけど庶民受けなんて可愛いもんじゃない。この夢落ちを語る前に、幕末史の「モリソン号」事件を知っておく必要があるんだけど、ここでは時間も労力も惜しいし、仕立て屋さんに実際読んで知ってもらいたいんで割愛する。歴史書でも読んで勉強してくれ。あ~、最初にこれを言っておくべきだった~。
つまり、すっげえハショって言わせてもらえば、「夢物語」ってのは、この「モリソン号」事件を、架空の国、架空の人物を使って再現したうえで、この事件に対する幕府の処置を批判した話なの。ここで言う架空の国とはもちろん日本。で、この「モリソン号事件」ってのは幕府の最高級機密なもんで庶民が知ってるわけがないの! だから、庶民受けもするわけないし、ましてやこれは尚歯会って言う長英の所属している組織や、当時の進歩的知識人のあいだで隠し読み(もちろん作者は匿名)されてたのが、どこから洩れたのか世の中に出回った本なの。だから、当時の反体制知識人向けに作られた物語で、庶民受けを狙ったなんて絶対にあり得ねえんだよ。
つまり、長英は「モリソン号事件」を知っている人しか判らないストーリーで、しかも内容もファンタジーにしてボカしたうえに、最後は「夢でした」にすることで幕政批判書であることをなんとか隠そうとしたの。これについては、いろんな歴史家の間でも一致した意見なんだけどな~。それでも、作品の中で「こう言う国(日本、もちろん作中では架空の国)にはロクな未来はない」とか威勢のいい事言ってるから、ラストの「実は夢でした」で「なんだよ、これ~」と最後まで読んだ人は拍子抜けする。そう言う作品なんだよ。これで庶民に受けると思ってるんなら、庶民をバカにしてるってもんだ。大体、近代文学の萌芽もなく、歌舞伎の勧善懲悪物が幅を利かしている当時、庶民に夢落ちなんていう抽象的(当時としては)なプロットが受けるわけないでしょ。判った?
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>最初にこれ見てから疑問に思ってるんだけど、この定義、いったい誰が決めたんかな? 神様? ゲーテ? 夏目漱石? それとも石井?
あんたらは、これを金科玉条のように崇め奉っているけど、だったら原典出してくんさいよ。前にも書いたけど、どっから孫引きしてきたの?
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さあ? わたしにもわかりません。あっと、これは誰が言い出したのか、と言う点ですけどね。ところで、ココさんは、管理人さんの”作家が作中で己の主張を盛り込む場合のお約束”に関してそれを全面否定するものですか? それとも、一面の真理を認めるものですか? わたしは、その原典がどうであろうとも、そこに一面の真理を感じます。なぜなら、主張がキャラクターの言葉の中や作品のテーマに伏せて必然的且つ統一的に盛り込まれる以外に表現しうるとすれば、行間の突に隔絶された心理模写や状況描写、作中の場面場面での思想のモロ出しなどを行わないかぎり難しいでしょうし、そんな場合、小説という表現形式においては上記(B)の(1)の点で問題が生じます。故に、管理人さんの小説で主張する場合に関する言及には一面の真理を覚えます。
また、ココさんは、上記管理人さんのご発言に関して、その原典を示せ、と仰っていますが、仮に原典があろうとも、では、その原典の原典はどこなの?云々の同道巡りになりかねません。そんなことより大切なのは、そこに一面の真理を認められるか、否か、ということではないでしょうか。それとも、原典があれば、精神的安泰でも得られるのでしょうか。
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つまり、ここであなたの言う「真理」とはあなたの思う「信念」、悪く言えば「信仰」なんですな。いやはや…。大体、「真理」などと言う言葉は「正義」と同様軽軽しく使う言葉ではない。Aの人にはAの人の、Bの人にはBの人の「真理」があって、Aの人の「真理」がBの人の「迷惑」である場合があるのです。たとえば、オウム”真理”教が己の手前勝手な真理にしたがって「何をしたか」よく知っているでしょう。”「真理」を認める”と言う事で、己の中にある批判精神や懐疑心を放棄していませんか?
「私が原典を出せ」と言っている理由は、石井が「自分で創ってヨタ言ってんじゃねえのか?」と思い信用していない懐疑心と、「こんな狭量な定義が呑めるか!」という批判精神から来ています。もし、石井が「ヨタを言っていたなら」私の石井に対する信頼(うへぇ、こいつにだけは使いたくない言葉)は今まで以上、絶対零度に限りなく近いぐらい低くなり、従って「こんなやつの創ったヨタ話など信じるに足らん」と断言できます。ウソつきの言うことを信じるバカはいませんから。ただし、もしその原典が明らかになり、それが私の信頼する人物(例:宮武外骨)の言葉だった、あるいはその著書を読み大いに感銘を受けたなら「ムゥ、ひょっとして石井の言うことは正しいのかも…」と思いなおすことも可能かと思います。だから、「精神的安泰」ではなくあくまで「判断材料」の問題なのです。
うわ、思わずまじめな口調になっちまった。我ながら気持ちワリィ。「真理」なんて、思わずサブイボ立つ言葉聞いちまったから、ショックで口調が変わっちまったよ。
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ココさんの論法を適用すると、評論家、批評家なる職業も卑しいってことになるのでは?と申し上げてるのですよ。
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そうは、言ってないし思ってもいないよ。それこそあんたの誤読だろう。どの職業もそうだけど、職業自体は卑しくない。問題はその行為だろう? 批評家が批評、評論をするのはあたりまえだ。だが、その論説や対象となる作者が気に食わないからと言って批評にかこつけて、「田中は職業差別をしている」とか「田中はヒトラーと同じ」などと言って、個人の人格を貶めるなど明らかに卑しい行為だろう。その「卑しさ」に対するオレ流の報復が、オレの石井叩き、青蝿たたきの「卑しさ」なのだよ。判った?
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- board1 - No.1561
前言撤回します。ココさんへ
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年07月15日(木) 23時31分
毎度、仕立て屋です。
なんだ、まともな文章書けるじゃないですか。管理さんへのレスもできれば、普通にやってくれたら、こちらも、読んでてたのしいですが。じゃ、また、レスします。その前に、まずは、猿と言った事を撤回しておきます、失礼。
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- board1 - No.1562
ほんと、やれやれだね。
- 投稿者:カエサル
- 1999年07月16日(金) 07時15分
仕立て屋さん、あんたさー、人のことサル呼ばわりしておいて、あんな一般常識も知らなかったの?「夢物語」のことなんて、ココ仁木かなくても当然知ってるもんじゃないの?
つまりあんたは、サル呼ばわりした二人より物を知らないの。そんなんでココと遣り合うのはやめとけよ。どんなに礼儀知らずでも、プロで、それ専門にやってるんだぜ。
あんたこれ以上なんか書くと「僕はいっぱんじょうしきもしりませ-ん。」ってみんなにばらすようなもんだから
SATOKOさん、あんた思ったよりおりこうさんだよね。おれはフェミニストだからあんまりきつくは言わないけど、文章力を磨きなさい。でも、あんた頭切れるよ。だけどね、あんたが予想してる以上にここの人たちおばかなの。だから、せっかくあんたが恥じかく前に何とかしようとしたのに管理人も俺様ランチもちょろいことやってはじかいたでしょ。
それよりおれとくんで仕立て屋おちょくらない?あんたは文章力ないけど結構いたいとこつける度胸あるから楽しいぜ
だいじょうぶ、だいじょうぶ
激しくやっても「こんな事で怒るのは潔癖だ!」ってフォローしてくれるヒトいるからさ。ねえ!ひっひっひ!
管理人どの
こんな状態になって気の毒に思うよ。こんな感じになって結局つぶれたとこたくさん知ってるからね。おれが言えた立場でもないけどさ。まあ、がんばりなよ。まともな状態になったらおいらもまともな事欠いてあんたを援護してやるから
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- board1 - No.1563
私もsatokoさんに続いて(終わらせるなんてとんでもない)
- 投稿者:Merkatz
- 1999年07月16日(金) 10時54分
ああ、なんかめちゃくちゃですなあ・・・。続きを投稿しようかと思ったらあんな状態でちょっとゲンナリしちゃいまして。でもsatokoさんが投稿なさったんで私もマイペースでやっていこうかなと思います。
>>ラインハルト派的見地から言ってみれば、「暴君の例によって専制が否定されるなら、
>>ファシズムの例によって民主主義は否定されるべき」ですかな
>絶対的強者によって支配される専制政治が民主政治から生まれるという事は絶対にありえず、民主国家(なり媒体)からあらわれた
>専制というものはシステムの使い方の方に問題があったといわざるをえないのではないかという事です
民主主義という理念が専制の母体となるのではなく、民主主義の理念を実現する為のシステム(選挙・多数決など)が、運用を間違えば専制を生み出すという話ですね。
結局のところどのようなシステムも、実現しようとしている理念を忘れてしまっては役に立たないということでしょうか。
>では、「理想の民主政治」とはどのようなものでしょうか。ヤンは「最良の専制政治より最悪の民主政治の方がマシ」というように、
>どうも消極的民主支持という印象を私は感じるんですが(ちゃんと理想を語る場面があったっけ?忘れてる可能性が高いので指摘を
>いただけるとありがたいですが)、ヤンの理想社会とはどのようなものだとみなさんは思いますか?
確かにヤンは民主政治を積極的に支持する発言はしていませんよね(私もうろ覚えなのでちょっと自信がないが)。しかし、にもかかわらず何故ラインハルトに抵抗するか、彼自身の苦悩が語られていましたね。
ラインハルトの専制は効率極まりないものであり、人類の統一と発展の為には自分がやろうとしていることは妨害でしかないのでは、と。
しかしヤンはやはり個人の才幹にすべてを託すような危険なことは出来ないと、民主主義の芽を残す行動をとる決意を新たにします。
私はヤンは民主主義の理念に消極的だったのではなく、それを実現する為のシステムに懐疑的だったのではないかと推測するのです。
アーレ・ハイネセンが掲げた「自由・自主・自尊・自律」の精神は、おそらくヤンの心の中に深く刻み込まれていたのではないでしょうか。だからこそ、それを貶めるような輩に激しい嫌悪を覚え、ラインハルトに「民主共和制とは、人民が自由意志によって自分たち自身の制度と精神を貶める政体のことか」といわれたとき、反論せざるを得なかったのでしょう。
ヤンの苦悩は民主主義という理念(精神)を、制度(システム)が貶めることがあるということに起因するものではないでしょうか。
敢えてどのような理想があったか忖度すれば、「民主主義の理念を守り、実現できる制度、そしてその理念を理解した民衆により制度が維持・運用される社会」ということでしょうか。
ヤンが専制を否定できるのは、実に専制が民主主義の理念をいっさい含んでいないことあるのでしょう。
ラインハルトの民主的政策にしたって、専制そのものの理念が産み出したものではなく、単にラインハルト個人の才幹が産み出したものです。決して恒常的に民主主義の理念が実現されるわけではありません。
ファシズムはまさに、制度が理念を貶めた瞬間であり、それは民衆が理念を忘れて行動したことに原因があるのです。しかし専制は常に為政者の個人的才幹にすべてがかかっており、民衆の理念などまったく関係ないものです。
「私はベストよりベターを選びたい」というヤンの言葉は、そのような苦悩から導き出された、実は最大限積極的な支持ではないかとすら思えるのです。
>ちょっと極端なんですが、ラインハルトは専制政治そのものに対するこだわりってあんまりなかったんではないでしょうか?
>単に自分が運用するのに専制ならば都合(?)がよいから今はそれでいい。専制以上に民主政治がうまく運用するものであるならば
>それに変わっていくのもいいだろうと考えていたのではないでしょうか?(現にユリアンに民主政治を命を懸けて守る決意が
>あるかどうかを試してから、その後はヒルダの判断に委ねてますし)
ラインハルトの理想って、なんとなく尭舜の政治みたいですね。しかし実力主義は絶え間ない戦乱を誘発しますからね(中国の歴史を見れば歴然)。誰だったかそのことをラインハルトに指摘して、だから結婚して子を作れといってませんでしたっけ?
ラインハルトにとって政体そのものには興味なかったのではと思います。ようは命を懸けるだけのものがあるかどうか、それがすべてだったのでしょう。
それにしても改めて「銀英伝」の奥の深さに感心しました。それに比べて創竜伝の底の浅さといったら・・・。
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- board1 - No.1564
はじめまして
- 投稿者:まっきー
- 1999年07月16日(金) 16時49分
はじめまして管理人殿(「管理人さん」というのは綺麗な未亡人を想像してしまうため使いたくありません、悪しからずご了承下さい)。子のHP内容が濃くて面白いですね。いつも(といっても読み始めたのは最近ですが)興味深く拝見しています。
得に銀英伝に関しての書きこみは、最近は少ないようですが、反銀英伝等面白いものが多く、いつも感心しつつ読んでいます(私はもし二巻でキルヒアイスが死ななかったら、どういう死にかたをしたのかが非常に気になります。ストーリー的に一番無理のないのは地球教徒による暗殺か、若しくはヴェスターラントの復習者の凶刃に倒れる、といったところでしょうか)。
私の田中芳樹へのスタンスはやや好意的、といったところです。やや、というのは、皆さんが感じるほど、氏に反感を持ってはいませんが、氏の作品は基本的には好きで、新刊が出るたびに買っていますが、昔の作品に比べると最近のものはかなり質が落ちている、という点を不満に思っている、という事です。
得に仙界がからんできてからの創竜伝のストーリーの荒唐無稽さや小早川奈津子に見られる作品世界のイメージを壊す三枚目キャラクター等(薬師寺涼子の心霊事件簿のオタク警官とかも同類)の出現、というか活躍が嫌になり、最近の(といっても数年前の)作品はほとんど読み返していません(カラトヴァ風雲録は別だけど)。
ちなみにここで良く取り上げられる氏の「左翼的な」政治評論に関しては、まあテンポは悪くなっているかもしれないけれども、それほど気になるほどではないし、氏の左翼的な論も、巨大資本に搾取されている労働者としては共感できる点も多く、その点で(あくまでもその点で、ですよ)最近の氏の作品をどうこういう気は私にはありません(冒険風ライダーさんの書きこみは楽しくよませていただいてますが)。確かに「フィクションの形で評論をするのは卑怯である、得に影響力のある作家がそれをするのは犯罪的である」という管理人殿の意見も理解できるのですが、正直なところ少し極端すぎる意見であるような気がします。この点に関して貧弱な理論を振りかざして恥をかくようなことはしないつもりなので、過去ログを見ろ、とかのレスは勘弁してください。私にとって、管理人殿の正論を理解は出来るけれども納得はしていない、というだけの話ですから。
わけのわからない書き込みになってしまいましたが、これからたまに出没したいと思いますのでよろしゅうお願いします。
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- board1 - No.1565
あーあ、ブームが過ぎちゃった
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年07月16日(金) 18時02分
やっぱそろそろ、飽きられてきて尻すぼみ状態だわ。まあこの1週間ばかりは「特別サービス週間」として引っ張るとしましょう。そんで大体、終わりそうだし。
Q>わかる?佐高氏が例えば小林よしのりを批判する、小林は「わしへのしっとだ、薬害エイズでお前が何をした!?」と言う。その小林が批判した厚生官僚や医者が「あの当時、実際にエイズを予防するために必死だった我々を、外からとやかく・・・」と怒る。
つまり構造として、全ての批判は「青蝿」と呼ばれうるのだよ。
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コ>それは、田中が自衛隊や政治家を批判したことに対する、あんたの反応にも言えると思うけどな。あげ足取るようで悪いけど。
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うーん、少しご自分の立脚点を整理したほうがいいのではありませんか?
つまりココさんは・・・。まずその前に、
>構造として、全ての批判は「差別」
>と呼ばれうるのだよ
呼ばれうる?いや、はじめて聞いた、そんな理論。ぜひすべての批判が差別と呼ばれうる、という根拠を教えてほしいと思います。だれか文豪が言ったのかな(笑)。それに
>自衛隊や政治家を批判したことに対する、あんたの反応
「私の」反応というと?お手数ですが過去ログよく探してもらうことにしましょう。
まあ、直接の反応はともかく、私は田中芳樹氏が自衛官(や警官)に対して書くような論法、ストーリーの組み立てでもって一部のフリーライターを悪役にしたフィクションを書いた。
しかしだね、それが差別的になったのは批判が構造的に差別になるのでも何でもなく、意識してワタシが差別的に書いたからじゃ(笑)。
それ最初に、1518で認めてるじゃないですか。
>下記のようなアンフェアな小説(アンフェアであることを認める。だから後で削除するかもしれん)
って。
そしてココさんが予定通り?大変傷つかれ、
>あんたが「フリーライター」を「職業差別」した
>まさに「語るにおちる」
とおっしゃった。やっぱり「ああいうのもアリ」じゃなかったわけだ(笑)。
そこでもう一度確認したいのだが、
ア:田中の自衛隊などに対する書き方はアンフェアで差別的であり、また新Q太郎の1517でのフリーライターに対する書き方もそうである
と考えているのか
イ:田中のほうは正しいが、新Q太郎のほうは許せない
ウ:新Q太郎のほうは正しいが、田中のほうは許せない
のどちらかと考えているのか、そこが不鮮明なのである。どうも貴方の立場が上下左右に動いているので分かりにくいのですよ。1553の繰り返しで悪いが。
ちなみに私自身(←注目)が「ア」だと考えているのですよ、念を押すが。しかしこれとか、
不>おっと、ココ氏は特殊例ではないと限らないか。偏見を持ってはいけないな。済まん済まん
と書いてあるのに
>オレは「特殊」な方だよ。
>何の責任もないオレの同業者を引き合いに
というように、あらかじめ防御線をはってあるところに突っ込んで自分から爆発するのはなぜだ。大仁田か?
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さて、その後がまたたいへん面白い。
>田中って政治家の「石橋湛山」と震災処理をやった「自衛隊員」を誉めてたような…。
うーんわからんわからん!別のところで別の個人や、あるひとつの業績を褒めていれば、他のアンフェアな描写は許されるというご意見なのか?実に奇抜な発想で理解しづらい。
そうすると、俺は別のところの書きこみで、山本弘はじめフリーライターも参加して構成されている「と学会」を褒めている(過去ログ参照)から1517はすべてチャラにしてもらっていーい(笑)?
まあ、まさかこんなこた言わないだろうから真意をあとでお聞きしよう。
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>いくらオレでもHPには嫉妬しねえぞ。だって今までHPなんか作ったことねえもん。
ほお、これは非常に重要な意見である。
つまり「自分がHPを造る立場にある人だけがはじめて、HPに嫉妬をする。HPを造ったことがない人間が、『嫉妬している』などといわれる筋合いはない」と。ほうほう。
不沈戦艦さん、
不>何で、物書きを志したこともなく、当然やったこともなく、今後やろうとも思っていない人間が、「物書き」としての田中芳樹に嫉妬せねばならないのだろうか?
というのに賛同してくださる人が現れました(笑)。だがうーんと、俺は生涯2回ほど小説を書いたから「田中に嫉妬」してることになるんだろうな。いや、ながいけんに嫉妬か(分かる人は笑)。
で、ワタシもココ氏の書きこみの動機が、この人気HPへの嫉妬であるとは考えない。
というか、そう断定する理由が無い。
それは
>俺の周りの自称「作家志望」のライター連中にも。世のベストセラー作家を軒並みこき下ろして自己満足の悦に入っているヤツが。それで、自分の作家としての力量が上がるわけでも、自分の人格が向上するわけでもないのにさ。
という人々と、ここの掲示板を一緒にするのが根拠がないようにね(笑)。それともそこに、説得力ある根拠を出せるのかな?
(しかし蛇足ながら、あなたの周囲には本当にそんな人が多いのですか?やな人たちですねえ(笑))
Q>蝿にたかる小蝿、もしくは寄生虫か?
コ>よせやい、オレはそこまで自分を貶めるつもりはねえよ。どんなに低くしてもお前らとは同等であっても、下には落ちねえよ。だって、たかるほど中身がねえだろ? おまえら
なんかまた傷つけてしまったみたいで、もしそうならごめんなさいなのだが。しかし構造として貴方が
「他のHPを軒並みこき下ろして自己満足の悦に入っているヤツ。」
「それで、自分のライターとしての力量が上がるわけでも、自分の人格が向上するわけでもないのにさ。」
という点で、こちらからみて同じ、にしか見えないのである。そしてそちらの書きこみ・批判の対象は我々なのだから、自然に考えると貴方は「我々の”骸”にたかっている」ということになる。
では青蝿と貴方が呼ぶ行為と、自分はどこが違っているのか、についてご説明いただきたい。
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と思ったら、何時の間にか方向転換されて、
>批評家が批評、評論をするのはあたりまえだ。
しかしそれが
>人格を貶めるなど明らかに卑しい行為だろう。
おお、良識ありますねえ、まるで別人(笑)。
つまりココ氏は
「田中(の思考様式)はヒットラーと同じ」というのは不当だ、と。
その根拠は
>それを「実際に実行した者」と「小説にした者」を同列に扱うなど、それこそあんたの言う「アンフェア」
だと。
それでは、例えば実際にジェノサイドに荷担したゲッペルスと、まだ(笑)ジェノサイドはしていないであろう戦後日本の官僚を一緒にする描写、というのにはどう思うか聞いてみたい(爆笑)。
ちなみに私は”思考様式”が似ていると思う場合、実際に実行しようがしまいがその類似性を指摘し、その内容の正否を争えばいいと思っている。マルクスが実際に殺した人はいない(決闘は好きだったようだが(笑))かもしれんが、その思考様式にレーニン、スターリン、毛沢東のような虐殺(の実行)者の萌芽を見ることは可能だし、またキリスト教の黙示録的千年王国のメンタリティがナチス運動に影を落としている可能性を論じるとき、『キリストは人を殺していない!ナチスと比べるな!』と言われたらハラホレヒレハレではないかと思うがいかがか。
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最後に蛇足的質問。
*石井氏の批判が青蝿的人格攻撃だと思うなら、佐高信氏の評論をココ氏はどう考えるかお聞きしたい(佐高氏の文章の、どこを後で引用しようかな~♪)。
*貴兄のシェルダンやクライトン評は、嫉妬によってなされた青蝿的評論ではないか、こともお聞きしたい。
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- board1 - No.1566
RE.1550、1554&1563
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年07月16日(金) 18時33分
>はじめまして。織田といいます
こんにちは。よろしくお願いします。
>今でも鮮明に覚えているシーンの一つ。何巻かは忘れたけど、敵が「諸葛亮孔明」って言っただけで、始か誰かがまるで鬼の首でもとったかのように、「諸葛亮か諸葛孔明とは言うが、諸葛亮孔明とは言わない」と言い出すところ。この後、軍事的功績の少なかった孔明の実績について語り出す。これって芳樹さん、さぞかし「三国志」、特に「演義」ばかりを崇め奉る世間一般の人々に言いたかった事なんだろうねえ。確かに中国じゃ、お互いを呼び合う時に名と字を重ねて使う事はないけど、歴史上の人物を指し示す場合なら問題ないだろうに
5巻ですね。私の本論2に対して「たった一つの間違いですべてを否定するのはあんまりだ」という意見があるのですけれど、当の本人がこういう事を連発しているんですよね。自分がされたらイヤという想像力はどうしたのでしょうか。
>民主主義と民主主義における制度を取り違えているのではないかと思います。
>民主主義という理念が専制の母体となるのではなく、民主主義の理念を実現する為のシステム(選挙・多数決など)が、運用を間違えば専制を生み出すという話ですね。
>結局のところどのようなシステムも、実現しようとしている理念を忘れてしまっては役に立たないということでしょうか。
私もあのHP(ttp://www.linkclub.or.jp/~suno/LGH_monologue.html)を見ましたが、この理論に関しては断固反対します。この論法が有効なら、共産主義だって専制政治だってなんだって理念の崩壊ではなく制度の崩壊でしょう。
そうやって考えると『村井実「人間の権利」(講談社・1996年)民主主義とは,もともと人々のすべての訴えを,それがどんなに少数のものであっても平等に取り上げようという,道徳的な目的から生まれたものである。代議制とか,多数決とかは,民主主義を実現しようとする制度に過ぎないのであって,その制度がうまくゆかず,民主主義を廃止しようということになったとすると,それは自ずから,すべての訴えを真剣に取り上げるのはやめようということであり,それは前述のような民主主義本来の道徳的な目的と対立するものである。そしてこの対立の解決は,我々自身の道徳的決定の問題である,と(同書241~242頁)。これを銀英伝にフィードバックさせると,こういうことになるであろう。民主主義とは,少数者を最大限尊重しようとする思想である。しかるにその民主主義が,少数者を絶対に認めない専制政治を選択することは,まったくの背理であり,認められない。ところで,現実には選挙などの結果,民衆の大多数の支持を受けた独裁者が出現する事があり得る。しかし,これは選挙とか,多数決とかという制度がもたらした結果であって,民主主義そのものによる結果ではない。ルドルフを選んだ民衆は,民主主義の本来もつ道徳的な目的・思想を忘れ,うかうかと制度に乗ってしまったのである。これをあたかも民主主義が独裁者を生んだとか,最悪の民主政は専制政治の母であるとかというのは,民主主義の本質を忘れた誤りである』というのはとんでもない詭弁だと思うのですよ。大体『民主主義とは,もともと人々のすべての訴えを,それがどんなに少数のものであっても平等に取り上げようという,道徳的な目的から生まれたものである』という前提から根拠が無くウソっちいですが、もし仮にそうだとして、その場合には理論的により道徳的ということになる共産主義はどうなんでしょう。
失礼ですが、ソ連崩壊後にこの本が書かれているというのは、ちょっと凄いです。
>アーレ・ハイネセンが掲げた「自由・自主・自尊・自律」の精神は、おそらくヤンの心の中に深く刻み込まれていたのではないでしょうか。
>敢えてどのような理想があったか忖度すれば、「民主主義の理念を守り、実現できる制度、そしてその理念を理解した民衆により制度が維持・運用される社会」ということでしょうか。
ヤンの民主制の理念が「自由・自主・自尊・自律」の精神であり、理想が「民主主義の理念を守り、実現できる制度、そしてその理念を理解した民衆により制度が維持・運用される社会」であるのならば、やはりヤンの理念理想の中には崩壊の種が埋伏していると考えます。なぜなら「自由・自主・自尊・自律」出来る人間も出来ない人間もまとめて一つの集団と見たのが民衆であり、「自由・自主・自尊・自律」出来る人間だけを選りだして政治を行ったら一種の哲人政治になるからです。民衆を制度の基盤とした民主制は、かならず『制度が理念を貶め』る可能性を持っていると思います。
民衆みんなが「自由・自主・自尊・自律」出来るというのは、おそらく人間には無理な理想であり、その意味では共産主義と同質の崩壊原因を持っていると言えそうです。
では、どうして同盟の社会が(末期はともかく)硬化してソ連のようにならなかったといえば、私の仮説では、民衆が「自由・自主・自尊・自律」なんて大して重要視していなかったからじゃないかと思うのですよ。「まあ、これらの理想は大切だけど、目を血走らせて追求する必要はないや。俺は程々でいいや」と民衆の大部分が思っていれば、社会は柔軟にまとまるのではないでしょうか。
ちょっとネガティブな感じかな。ただ、先程のHPの引用文みたいに、現状でのヤン擁護論はちょっと無理があるような気がするもので。本当はラインハルトの可能性を擁護できると面白いんですけど、ちょっとまだ難しいですね。
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- board1 - No.1567
ラインハルトの夢
- 投稿者:satoko
- 1999年07月16日(金) 22時53分
>1566
確かに管理人さんがおっしゃるとおりだと思います。ただ、民主主義の意義がどうしても理想論に行き着いてしまうのと、ラインハルトの専制を積極的に肯定する事ができないのは銀英伝に
「少年の夢から抜けきれなかったラインハルトと大人の理想を捨て切れなかったヤン」
という印象を強く持っているからです。ヤンの場合大人の理想(つまり民主主義の理想)を捨て切れる事がなかった事が逆に彼自身の評価を上げる事になってると思うんですが、ラインハルトは前回も書いたのですが、専制政治にそれほどこだわっていなかったのではないかと。あくまで彼は自分が欲するままに宇宙がほしかっただけで、自分が手に入れたものをよりよく運営する事はその次だったのだろうと思うのです。ラインハルトは為政者であるとうより覇者として評価されるべきなのではないかと思います。
実際にラインハルトが帝位に就く事で、ゴールデンバウム王朝より良い政治が行われたのは確かですが、かといってその当時の混乱していた同盟とのみ比較して民主政治を専制政治で否定する事はできないと思うんです。もしその当時もっとまともな政治家達が同盟を運営していたら?市民がもっと政治に興味を持っていたら?(まあ、それも裏を返せば惰弱につながるんでしょうけど)
結局何だかんだいって、ラインハルト自身がそれほどこだわってなかったんじゃないか。単に自分の思い通りに事が運びやすい専制(というよりラインハルトが専制という政治体制そのものに疑問なり何なり持ったりしたこと自体ないんじゃないでしょうか)でいいや、と思ったんだろうと感じられる所にラインハルトの専制政治を軽く見てしまう原因があるのかなと思います。
できたら、管理人さん自身が難しいのはわかるのですが専制政治のどこらへんを評価しているのかという事を示していただければもう少し深く議論できるのではないかなと思います。
(もしかして示してくれたんでしたってけ?いちいち間が開き過ぎて確認しにくくて。してくれてたらすいません。)