初代掲示板過去ログ

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投稿ログ78 (No.1438 - No.1447)

board1 - No.1438

(いまさらヤン・ウエンリー)民主主義を、リセット

投稿者:ベルクアイサル
1999年06月25日(金) 19時21分

 ずいぶん前にライト兄弟ネタで書き込みさせていただきましたベルクアイサルです。皆様、お久しぶりです。

 さて、半年も前にとある超メジャー(でもヌルいBBSの代名詞でもあります)BBSでヤン・ウエンリーを批判した際に、私の達した結論を記したファイルが出土したので、こちらでも論じていただきたく書き込ませていただきます。
 いや、ずいぶん遅いってのは、解ってるんですけど。(^^;

以下本文です。

 ヤン・ウエンリーは、彼なりに理念と現実の折衷を試みていたと考えていたと、考えることができるようになりました。

 彼は自由惑星同盟を見捨ててしまいましたが、その発想自体には矛盾は無かった(理念に負けたタダのアマちゃんではなかった)と、今は考えています。

 ヤンは自由惑星同盟を守護するのではなく、歴史の流れを観て敢えて流されたと考えます。人類はラインハルトという希代の英雄を得て、再び統一される時を迎えた。(と、ヤンは考えた)そこで彼は、行き詰まっていた「自由惑星同盟の民主主義」に、「リセットをかけた」のではないかと考えます。

 本当はそういう役目を負いたくはなかったのだけれど、たまたま、そういう時節に同盟の重要なポストを得てしまった自分の、これは歴史に対する義務なのだ。とでも考えていたのでしょうか?(これって、後世の歴史家に酷評されるのは目に見えている行動ですよね)

 民主主義再生の希望は、ありますね。もとはといえば自由惑星同盟だって、ゴールデンバウム王朝から飛び出したのですから。
 歴史を「繰り返すもの」として認識していれば、バーミリオンの時点でラインハルトを殺すことは「リセットを遅らせる」ことにしかなりません。民主主義は何度でも再生する。おそらくは、イデオロギーとしての完成に近づきつつ。

 こう考えると、バーラト星系のユリアンたちの政府が、民主主義の寄り代となり得るかどうかは、問題ではありません。無限に生まれ、死ぬであろう、民主主義の胎動の一つに過ぎなくなるからです。

 はたして、意外と次に来るのは,人民解放宇宙軍による共産革命(田中芳樹的にはオッケーか?)だったりするかも知れませんね。

 それでも、ヤンがシビリアンコントロールを、男気のない行動をとった免罪符とした疑いも、私の中では否定しきれていないのですが。

 みなさんは、どう思われますか?

board1 - No.1439

見捨てた?

投稿者:satoko
1999年06月25日(金) 20時37分

ベルクアイサルさんへ

ヤンは果たして同盟を敢えて見捨てたのでしょうか?私はそうは思いません。退役した後の同盟を脱出した後の事をお話になっていると思うのですが、ヤンはあくまで同盟に復帰する事を望んでいた事が、エルファシル共和政府に合流する以前に彼の行動を鈍らせていた原因でもあるという記述がありますし、それがラインハルトの機先を制した宣告でたたれた時「これで完全に同盟に復帰する道は断たれた。」と発言している事からもわかります。

そして何より、ヤンがカイザーラインハルトが最高の専制君主となり得る事をわかっていながらの誘いに乗るわけではなく、彼と戦いつづけた事から考えても、ヤンが民主主義を完璧に近づけるために専制政治に一時的なら奪われてもいいなどと思ったとは思えないのです。

ヤンはシャーウッドの森を残した理由もまた「同盟が帝国によって民主主義が犯されるような日が来た時のために」といったものだったと思います(ちょっと記憶があいまい)

私は、ヤンは同盟の悪い部分を完全に理解しながらも、同盟の中にある民主主義をあくまで守り通したいと考えていたと思います。それは確かに同盟でなくてもよかったのかもしれませんが(たたが国家と発言してるし(^^;)媒体としてその時期、最適(?)だったのはやはり同盟だと考えていたのではないかと思います。

なんかたくさん書いてるうちに焦点がぼやけてきたのですが、結論としては
ヤンは選択の余地のない状況に追い込まれ、同盟から脱出せざるをえなかったけど、あくまで同盟、そして民主主義への復帰を望んでいたがラインハルトやその他の理由でその道をたたれ、民主主義を守るための手段としてエルファシルにいった。でも、彼の戦力や(確かヤンは同盟が最後の決戦に臨むの知らなかったはず)その他の事情で同盟そのものを救う(少なくとも手段を講じる)事はできなかったというだけで(まあ、冷静に考えると結構間抜けな話かとも思いますが(笑))見捨てたという事ではないと思います。

あともう一つの「ラインハルトに委ねる」という事に関しては確か「一度民主政治の火種が消えてしまうと再興するのに、何百年という時間がかかる・・・・。」という感じの発言があったと思いますが、はっきりしないので調べてまた今度かきます。

雑文で失礼いたしました。

board1 - No.1440

あっ、しまった。ごめんなさい。

投稿者:satoko
1999年06月25日(金) 22時16分

ベルクアイラスさんへ
ねぼけてて、かなりずれたことかいてました。ごめんなさい。

とりあえず、同盟から脱出云々の部分は抜きにして、ヤンの考えとかそういったものは私なりに前のものに書いていたもので一貫してたと思います。

ほんと、寝ぼけ文章ですいませんでした。

board1 - No.1441

ヤン・ウエンリーの本質とは?

投稿者:ベルクアイサル
1999年06月25日(金) 22時27分

 速攻レスに、ちょっとビックリしながらお返事します。

 さて、私はヤン・ウエンリーは同盟ではなく民主主義という理念そのものに仕えていると考えています。
 SATOKOさんの仰った「たかが国家」などの台詞・行動から、ヤンにとって政体とは民主主義の寄り代に過ぎず、逆に言えば健全な民主主義を育むものでなければ、そんな政体は(民主主義そのものを至上とする)ヤンにとって無意味なのではないでしょうか?
 もちろん、そこに所属する人々への情はあるんでしょうが、彼にとってあまり大した問題じゃないような気がするのですよ。

>ヤンは同盟の悪い部分を完全に理解しながらも、
>同盟の中にある民主主義をあくまで守り通したいと考えて

 ココのところですが、ヤンにとって同盟の中にある民主主義は、死んだ。と解釈しています。
 事、ココに至れば、理念を優先するヤンが、同盟を維持する必要は決して大きくありません。

 以上を前提として考えると、同盟が敗北を喫し、隠棲?していたヤンが決起したという行為は、自らを民主政治の火種としたと解釈できるのではないでしょうか?

 絶大な人気をバックボーンに政治家として立ち、自ら強権をふるって同盟の民主主義を矯正することも可能だったはずですが(それこそトリューニヒトと手を組むくらいしなくてはなりません)しかし、彼にはそれは不可能であったため、新たな民主政体をおこす事を目標とした・・・・自由惑星同盟の失敗を糧とする、「同盟以後」の民主政体を・・・・

 あと、彼が本当に歴史研究と紅茶を愛するだけの、お気楽な人生を求めていたのなら、あのまま隠棲してれば良かったのであって、「民主主義の闘士」(笑)となる必要はどこにもないわけです。
 ヤン本人も自覚していない部分が闘争を求めていたとも考えられます。ただ、自分の存在そのものが帝国にとって危険で有ることを知っているヤンならば、生きるために敢えて「火種」となったとも考えられますが・・・・

 酷い表現を敢えて用いれば、帝国による同盟の併合すらも、自らの理念達成のために利用した・・・・

 以上が、かなり乱暴な解釈であるのは承知しているのですが、私としては、この様な解釈をすることが、ヤン・ウエンリーを最も高く評価する方法なのです。

 いやしかし、こんな手前勝手な解釈すら何とか成り立ってしまう銀英伝って、まったく奥が深いですね。

board1 - No.1442

話を、終わらせろ

投稿者:Rigel
1999年06月27日(日) 03時31分

頼むから、書き始めた物は、最後まで書いてくれ

board1 - No.1443

名誉毀損

投稿者:フィル
1999年06月28日(月) 04時51分

初めて投稿させていただきます.
とはいえ,田中氏の著作は,銀英伝,アルスラーン,マヴァール,アップフェルラント,流星航路(短編集)くらいしか(幸か不幸か)読んでいません.

satokoさん:
>はっきり覚えてはいないのですが、判例法って感じのものがあり、似たような裁判は前例の判決に習う場合が多いようです。

判例は,それが出ることによって,社会への影響力を発生させます.

たとえば鉄道の騒音・振動公害に関する民事訴訟について,最高裁で損害賠償が認められたと仮定します.この判決は当該事件について適用されるのはもちろんですが,判決の影響力はそれだけにとどまらず,鉄道路線の敷設計画を立てていたり,既存路線の高速化を図ろうとしている人々に対しても影響を与えます.
企業はこの判決を受けて,損害賠償請求を受ける事態を回避するために,騒音や振動の縮小に関する対策を行うでしょう.それは政府や地方自治体による法や条例の規制を待つまでもなく行なわれますが,やがては法制化されることもあるでしょう.

この例のように,判例はそれ自体で社会に大きな影響力を与えるので,めったなことでは判例変更は行なわれません.
もし判例が二転三転するようなことがあれば,社会の構成員はどのような行動が自分にとって結果的に「損」になるかわからなくなり,それが(逆説的ですが)秩序のない行動の横行を招くことになります(これを法経済学では,判例の「行動決定能力」「政策決定能力」と呼びます).

>もちろん今回の場合は、社会事件などで名前が公表されたりした人物ではなく、芸術家だそうですが有名な人ではないので、プライバシーの権利が優先されたとも取れなくはないので

今回の判例についてはそうですが,名誉毀損に関しては,ロス疑惑の三浦和義氏が何度も提起している訴訟が参考になります.週刊誌の三浦氏に関する記事について名誉毀損であるとして損害賠償をそのつど請求しており,このほとんどにおいて勝利をおさめています.

board1 - No.1444

今更ですが

投稿者:はむぞう
1999年06月30日(水) 03時20分

過去ログを見ていて、自分で「後日書く」というようなことを書いておきながら、ほったらかしになっていたのを発見しました。今更もう遅いのは重々承知しておりますが、パルスの馬ネタ関連です。

だいぶ経っているので自分でも詳しいことは忘れたのですが、85,000の騎兵が存在しうるか否かを農業生産の観点からみたものです。結論から言えば「書かれている人数の軍隊を維持し得る人口を、完全に食べさせるだけの食料を調達できないと思われるので不可能」です。

このときのパルスの国全体の人口は何人だったかというのが問題になります。常設の軍隊が40万人以上で構成されているとあります。奴隷が多いとしても奴隷全部が兵士のわけはないし、奴隷にしても一般人にしても子供もいれば老人や女性もいるわけで、国民の2~3人に1人が兵士というわけにもいかないでしょう。また産業や農業がかなり発達しているということは、それに従事する人間も多いということで、そこから考えると相当数の人口になると考えられます。少なくとも数百万単位では足りないのではないでしょうか。

世界観が中世ペルシアということですが、当時の農業技術を考えると間違っても化学肥料や農薬のたぐいはありません。また耕運機やヘリコプターがあるはずもないです。有機肥料や家畜を使っていただろうとは想像できますが、農作物自体がより原種に近くて今ほど品種改良がされてなかったでしょう。だから現在よりはるかに収穫量は少なかったはずです。果たしてそれだけの人口を維持するだけの食料が収穫できたのでしょうか? 人海戦術をとっていたとすれば、農業従事者の割合が増えるわけで更に人口は多かったことになります。またアトロパテネの広さが話題になりましたが、では広大な農地というような表現はでてきますが、実際はどれだけの面積なのかも疑問です。1平方メートルあたりの収穫が少なければ面積を増やすしかありません。どれだけの面積を耕地にあてることができたでしょうか? また奴隷とはいえ仮にも兵士であれば、ある程度は食べないと働けないでしょう。力が入らないので武器を持てないと言っていては話になりませんから。

また周辺国から輸入していたという考えもあるかもしれませんが、頻繁に戦争をしているような状態では安定的な輸入は難しいでしょう。また「輸出をストップするぞ」と脅されては、強い態度もとれなくなるでしょう。だからこれはないと思われます。

三国志演義などを中心とする中国の物語には同規模の軍隊が登場するが、白髪三千丈のお国柄だから最低でも「0」を一つとった数でしかないという意見、また物語りが伝わるうちに次第におおげさになって数が増えたという意見もあるようです。

これは数人で話し合った結論なので自分1人の意見ではありません。だけど自分なりに納得できたのと、少しずれているけど視点としてはおもしろいかなと思ったので書かせてもらいました。

board1 - No.1445

領地、農業と動員力

投稿者:新Q太郎
1999年06月30日(水) 04時22分

日本史の「公式」として、
「一万石の領地を持つものは、そこから250人の軍人を動員できる」というのがあるそうです。
百万石の領地を持つ今川義元なら、大体総力を挙げて二万五千人の軍隊、ということだそうです。(「逆説の日本史1」井沢元彦より)

勿論単位面積も栄養価も高い米で、そのかわり遊牧という選択枝がなかった日本での話ですが。

board1 - No.1446

私の創竜伝考察18

投稿者:冒険風ライダー
1999年06月30日(水) 08時57分

 最近どうも遅筆になってしまってます。時間をかけて書いているといえば聞こえはいいのですが、3月の頃に比べるとやっぱり遅いんですよね(^^;)。まああの頃の執筆速度が異常に早かっただけなのかもしれませんが。
 今回はストーリー評論が中心です。では始めましょうか。

P114上段~下段
<拡大する混乱を眺めながら、始は政治犯たちの運命が気になった。兵士たちの銃撃を免れて逃亡したとしても、不毛の荒野で迷うことにならないか。助けてやるべきではないのか。
 だが黄老は始の感傷を否定した。
「彼らは幼児ではない。自分の足で立てるはずだ。ひとりひとりの意思と判断とが、彼ら自身を救うだろう。いいかね、お若いの」
 黄老の両目が力感をこめてかがやいた。始は圧倒され、黄老の話に聞きいった。
「他人にくっついて後々までめんどうを見てもらおう、などということを考える者は、そもそも革命だの解放だのを志したりはせんのだ。他人に運命やら人生やらを委ねるのが嫌だからこそ、損を承知で戦うのだからな」
 他人の背に自分の身体をあずけるのはいいんだな、と、続は皮肉に考えたが、口には出さなかった。始にしかられるだろうし、一言いえば一〇〇倍になって返ってくるのが明白であったからだ。黄老はさらにつづけた。
「まず自分自身を救うことだ。それもできんで他人の運命に干渉する資格なんぞない」
「はい、わかりました」>


 はじめに言わせてもらうと、竜堂兄弟に助けられかつ護衛され、しかも「自分の足で立」ってもいない黄老にあんな道徳論を言う資格はありませんね。政治犯たちにしてみれば「何で一人だけ助けられたあいつにあんな事を言われなければならないんだ。俺たちだって死にたくない」というのが本音でしょうに。黄老の道徳論で見殺しにされた政治犯こそいい面の皮です。それに納得する竜堂兄弟もアホですけど。
 そもそも「勧善懲悪もどき」の創竜伝で、しかも常識はずれ(それも尋常ではないほどの)の力を持つ竜堂兄弟に対してこんな「常識論」を唱えても全く意味がないのでは? 政治犯を見殺しにしては「勧善懲悪」にならないし、彼らの力をもってすれば、兵士たちを全滅させて政治犯を救出する事は充分に可能です。最後まで面倒を見る必要はないでしょうが、安全な場所まで運ぶぐらいはやっても良かったのではないでしょうか? 政治犯に恩を売ることもできるでしょうし、「政治犯を救出した」と宣伝する事で北京政府のイメージダウンにもなります。「勧善懲悪」を訴えたいのならこれぐらいしなければ。
 しかもこの先の記述では、逃亡した政治犯が追手に撃たれ、竜堂兄弟が激発する場面がありますが(P192~P193)、「そこで怒るくらいなら最初から助けておけ!」とツッコミたくなりましたね。しかも自分たちが政治犯たちを見捨てた事については何の反省もありません。このあたり、竜堂兄弟の行動原理はかなり破綻しています。感情のままに動いているからこんなことになるのでしょうけど。
 結局のところ、竜堂兄弟の行動原理がその場その場の感情であるというのが最大の問題点ですね。自分の感情に訴えた相手だけを助けたいというのは偽善以外の何者でもありません。50億人抹殺計画「染血の夢」の阻止もどちらかと言えば感情でやっているみたいですし。竜堂兄弟を見ていると「ただ感情にまかせて権力者をなぎ倒す」事しか頭になく、「何のために戦っているのか」という命題が全くないような気がします。これでは「勧善懲悪もの」としては失格ですね。読者に何の共感も与えないのですから。
 それと以前から思うのですが、竜堂兄弟の力が尋常なものではないという設定はいいのですが、強大な力を持っているがゆえに自制しなければならないという主張がどこを探してもまったくありません。「特殊な力を持った主人公たちによる勧善懲悪もの」では結構重要なテーマのはずなんですけどね~。「特殊な力」に魅了されて暴走する危険性と常に隣り合っていなければならないのですから。現にそうなっていますしね(^_^)。

P123上段~下段
<「……長兄たる者、楽じゃないのう」
 黄老は白髯のなかで微笑した。
「生まれ育った日本を捨てることになっても、知るべきことは知らねばならぬ、か」
「別に日本は惜しくないです」
 辛辣な台詞は次男坊続のものである。
「だが日本は繁栄しているのだろう? 世界一といわれるほどに」
「その繁栄とやらは、ギャング級並のモラルしか持たない財界指導者とやらが、法も倫理も、サラリーマンの権利も消費者の幸福も、すべて無視して、外見だけはでに飾りたてた砂のお城ですよ」
「ほう、手きびしいのう」
 黄老は笑った。
「すると、こうは思わんのかね。日本はアメリカのいうなりになるのをやめて、独自の道を歩むべきだ、とは」
「日本がアメリカと対決して独自の道を歩むと喚いたところで、どこの国が応援してくれるというんです?」
 続の声は、氷点のはるか下にある。
「アメリカを敵にまわすことになっても日本との友情に殉じる。そういってくれる国が地球上のどこにあるというんですか」
「ざまあみろ、ひどい目にあうがいい、と手をたたいて喜ぶ国なら五〇ぐらい心あたりがあるがな」
 辛辣な台詞を、悠然たる口調で黄老はいってのけた。>


 今現在中国の「圧政と暴政」に苦しんでいる中国国内の50以上の民族や、華僑勢力が牛耳っている東南アジア諸国は、中国がアメリカに敵対した時には、さぞ「ざまあみろ、ひどい目にあうがいい、と手をたたいて喜ぶ」ことでしょうな(^_^)。中国こそ、北朝鮮と並ぶアジアのトラブルメーカーであり、他国から嫌われているという事を知らないのではないでしょうかね。
 それにしても田中芳樹は、何か日本の財界に恨みでもあるのでしょうか? あれほど中国礼賛で「長安の繁栄はどこよりも素晴らしい」だの「中国それ自体はりっぱに生き残るさ」などと言っておきながら、日本になると突然冷酷非情になるのはどういう事なのでしょうか。だいたいあなたの言う「ギャング級並のモラルしか持たない財界指導者」が日本のために努力したからこそ、今の日本の経済的繁栄があるのではないですか。すくなくとも全く無意味ではないであろうその成果を「法も倫理も、サラリーマンの権利も消費者の幸福も、すべて無視して、外見だけはでに飾りたてた砂のお城」とまで貶める神経は理解に苦しみます。田中芳樹の小説「夢幻都市」において、
「私はただ自分の職業が不当に侮辱されるのが、がまんできなかったんです。東堂さん、あなたにしても、ご自分の事業が単に金銭もうけのためだと言われれば、愉快ではないでしょう。何かを創る、何かを興すということは、すくなくとも当人にとっては意義があるはずです。それを否定されたとき、へらへら笑っていられる奴は、単なるばかですよ」(P38上段~下段)
と主人公相馬邦生に言わせていたのは何だったのですか? せめて自分で主張した正論ぐらいはきちんと守ってくれませんか?
 それと「日本はアメリカから離れて独自の道を……」の方はあまりにもばかばかしすぎて呆れてしまいましたね。今の日本がアメリカに敵対してそもそもどんな利益があるのかという視点が見事に欠如していますし、「日本は世界の嫌われ者」という全く架空の前提で論じています。竜堂続は「親日国家」というものの存在など全く考えた事もないのでしょうね。だいたい今の日本とアメリカが戦争しなければならない必然性が全くないではありませんか。
 そして一方では日本を「アメリカの忠実な属国」とののしり、「独自の道を歩めば」と言われれば「日本がアメリカと対決して独自の道を歩むと喚いたところで、どこの国が応援してくれるというんです?」では話になりませんね。現状維持も独立独歩もダメだというのでは一体どうすれば良いというのでしょうか? まさか「中国に征服されれば良い」とは言わないでしょうね(-_-;;)。結局竜堂続は、いかなる口実でもいいから日本を罵りたいだけなのですか。
 かくのごとく理論が支離滅裂な竜堂続が「聡明な毒舌家」などと言われるくらいですから、創竜伝全体の知能指数も相当低い水準なのでしょうな(もともと高いとは思っていませんでしたが(^^;))。「ラインハルトと対等の条件で勝負してみたらどうなるか」という命題を「戦略的に無意味な仮定だ」と言ってのけたヤン・ウェンリーの智謀を少しは見習ってもらいたいものですね、あんな会話をしている2人には。

P124下段~P125上段
<一九三一年から四五年まで、中国を侵略した日本軍は非道のかぎりをつくしたといってよい。関東軍特殊部隊による人体実験では、捕虜の身体にコレラ菌やチフス菌を植えつけ、生きたまま解剖して脳や心臓を取り出した。蒙古連合自治政府では大量の麻薬を製造販売し、多くの麻薬中毒患者をつくりだした。そして「三光作戦」。三光とは「殺光、焼光、略光」で、これは「殺しつくし、焼きつくし、略奪しつくす」という意味である。南京で、撫順で、その他の都市や村で、一〇〇〇万にのぼるといわれる中国人が日本軍に虐殺され、財産を奪われ、そして女性は暴行された。>

 だから「中国を侵略した」日中戦争は「一九三一年から四五年」じゃなくて「1937年から45年」だってば(T_T)。中高生を対象にしている小説が歴史教科書と違う記述をしてどうするのですか。満州は中国本来の領土じゃないって。あそこが女真族の領土で、しかも漢民族の王朝が領有した事が一度もないという事を「紅塵」を書いている田中芳樹が知らないはずがないのに。
 それに「三光作戦」というのは中国共産党が「日本軍の悪行」とやらを断罪するためにでっちあげたプロパガンダですよ。第一「殺光、焼光、略光」って中国語ではありませんか。どこの世界に敵国の言葉を使った作戦名を考える人がいるのでしょうか? 中国通を自認している田中芳樹ともあろうものが、これらの言葉が中国語であると見破れなかったのは不思議な限りですね。
 後、日中戦争における犠牲者数は、すくなくとも今の中国政府が存在しつづける限り特定は不可能です。かの国は数字の改竄なんて当たり前なんですから。そもそも田中芳樹自身、「中国は言論の自由がない国だ」とあれほどしつこく主張していたではありませんか(中国批判と言えばこれくらいしかないし)。いくらあなたの大好きな中国であるからといって、そんな国の資料を頭から信用する事自体間違っていませんか?

P125上段
<一九〇四年から五年までの日露戦争で、日本軍は「規律正しく、よく国際法を守るりっぱな軍隊だ」と諸外国から賞賛された。それからわずか三、四〇で、日本軍は、野獣の群れにまで堕ちてしまった。日本軍だけでなく、おそらく大多数の日本人が変わってしまったのだ。一九三〇年代の人気作家が書いた文章を読んでみると、「あの薄よごれた中国人どもと、高貴な日本民族とが、同じ平等な人間であるはずがない」とか「日本が幸福になるために他の国が犠牲になるのは当然だ」とか書いてある。この作家はたぶん正直だったのだろう。だがその正直さは、高貴さとは何の関係もない。>

 そりゃ旧日本軍も完全無欠の軍隊ではなかったし、特に軍上層部はかなり愚かであったかもしれませんが、組織や制度のあり方を批判するのではなく、「野獣の群れにまで堕ちてしまった」と道徳的に貶めている上、さらにそれをもって「大多数の日本人が変わってしまったのだ」などと何ら関係のないことを口走っていますね。この2つに一体どんな相関関係があるというのでしょうか? 戦場という特殊な環境における残虐行為(しかも中国の場合、ゲリラ戦ばかりでしたし)をもって一国の国民性を問うという姿勢は、どこか狂っているように見えます。
 しかも「一九三〇年代の人気作家が書いた文章」などというシロモノまで取り上げ、さも当時の日本人全てが狂気の集団であったかのような記述をしてもらっては困りますね。一部の発言や著書をもって、さも日本人全部がこのように考えていたと断定するような記述は、田中芳樹が嫌っているはずの「自分に都合のよい情報操作」ではありませんか。この先の社会評論で湾岸戦争でのアメリカの情報操作を批判していながら、自分も同じ事をやっていては説得力はありませんね。
 ところで戦前の日本の軍国主義や言論統制を批判するのならば、当時の朝日新聞の主張こそ批判の好材料であるはずなのに、何でそっちの方は取り上げないのでしょうね。やはり何らかのシンパシイがあるのでしょうか?
 それでは久々に文章改編をしてみましょうか↓

<一九八〇年代、銀英伝やアルスラーン戦記を世に出した田中芳樹は「面白い小説を書く一流の小説家だ」と読者から賞賛された。それからわずか一〇年足らずで、田中芳樹は、偏向社会評論を垂れ流す三流作家にまで堕ちてしまった。田中芳樹だけでなく、おそらく大多数の読者の、田中芳樹を見る目が変わってしまったのだ。異常なほど中国礼賛にこだわっている一九九〇年代の創竜伝を読んでみると、「あの薄よごれた日本人どもと、高貴な中華民族とが、同じ平等な人間であるはずがない」とか「中国が幸福になるために他の国が犠牲になるのは当然だ」とか書いてある。この作家はたぶん正直だったのだろう。だがその正直さは、高貴さとは何の関係もない。>

 どんなに小説の中に事実を捻じ曲げた一方的な偏向社会評論を書き連ねても、高貴さや面白さとは全く関係ないのですよ、田中センセイ。まあ正直ではあるのでしょうけどね(^_^)。



 さて、今回はストーリー評論を少し展開してみましょう。
 創竜伝の矛盾のひとつに「敵対する陣営の対立原因がわからない」というのがありますが、黄大人率いる華僑組織と四人姉妹との対立もそのひとつです。
 黄大人は竜堂兄弟に対して「黄老を救出してくれ」と依頼し、様々な手助けをするのですが、それによって四人姉妹との対立を招いてしまいます。しかし黄大人はともかく、華僑組織にとって四人姉妹を敵にまわしてまで黄老を助ける必要があったのでしょうか?

 そもそも華僑組織が四人姉妹と対立すべき理由は何もありません。創竜伝のストーリー上でも、すくなくとも竜堂兄弟をかくまうまでは共存共栄していたのですし、華僑の歴史を見ても彼らは欧米列強と手を組み、植民地の支配階級になっていた歴史があります。むしろ華僑組織と四人姉妹は反日主義という共通項があるのですから、手を組む事さえできるわけです。黄老の救出の件にしても、四人姉妹と手を組んで中国政府を脅せば簡単に返還してくれる事でしょう。何しろ四人姉妹は「中国国家主席」を暗殺する事もできる実力を持っている(創竜伝7 P214)のですから脅すなんて簡単な事です。ましてや、黄老は中国政府にとっては「単なる政治犯」でしかないのですから。

 では四人姉妹の陰謀「染血の夢」計画に対してはどうなのか? 実はこれも華僑組織にとっては他人事でしかありません。彼らは相当な資産家ですし、どこで手に入れたのか「染血の夢」計画についてもかなり詳細な情報を持っています。その気になれば自分たちだけ「安全な国」に移住して悠々と生活できるわけです。華僑は土地に対して大した執着もないでしょうから、心理的にも何の障害もありません。華僑組織は四人姉妹の意向に逆らわなければそこそこの繁栄をきずくことができる立場にあり、わざわざ四人姉妹に逆らう事をする必要がないのです。

 ではなぜ黄大人は竜堂兄弟をかくまい、四人姉妹と対立したのか? 突き詰めてみると、どうも黄大人の個人的感情が最大の原因のようです。おそらく感情に突っ走って「四人姉妹の手を借りずに兄を救いたい」とでも考えたのでしょう。しかしそれによって彼は四人姉妹を敵にまわし、華僑組織を危機に陥れているわけです。自分の兄に対する感情と、「四人姉妹に頼りたくない」というプライドだけで。はっきり言って彼は組織を束ねる者としては失格ですね。8巻で彼が殺されたのは華僑組織のためにもよかったことです。彼が殺された後、華僑組織は四人姉妹との対立理由が失われてしまい、竜堂兄弟一党と手を切ることになります。結局、ストーリー的には何のために登場したのかも分からないままに華僑組織は黄大人もろとも創竜伝から姿を消してしまいました。

 黄老もストーリー的には何のために登場したのか全く理解できません。一応彼には「竜堂兄弟に竜泉郷を案内する」という役目があったのですが、最初は「秘密の地下道を進めばよい」という設定だったはずなのに、竜に変身した竜堂兄弟に対して
「暗い地下の通路を這い進むなど、お前さんたちには似合わぬ。天を翔けよ。高く遠く、天空の路を赴け」(創竜伝7 P210)
などと主張して、結局道案内の役を果たしていません。これでは黄老を助けなくても竜堂兄弟は竜泉郷に行くことができたことになるではありませんか。これからいくと、そもそも何で竜堂兄弟と華僑組織が手を組む必要があったのかという疑問さえわきますね。お互い感情で動くもの同士、さぞかし気が合ったのでしょうけど(^-^)。

 もっとも、なぜ田中芳樹が黄大人や黄老、そして華僑組織を登場させたかという理由はとても単純明快なものでして、単に中国礼賛と、中国人による日本断罪論を書きたかっただけなのでしょう。黄老も道案内よりも社会評論の方に熱が入っているし。あんなシロモノを書きたいがためにストーリー矛盾を引き起こすのはやめていただきたいものです。小説で社会評論を展開したいがためにストーリー設定をおろそかにするなど、本末転倒ではありませんか。

 銀英伝やアルスラーン戦記などのストーリー設定の矛盾は「いくら指摘しても作品の面白さを損なうものではない」し「むしろ作品の魅力を見直すものである」とさえ言えますけど、創竜伝ではそうはいきませんね。何といっても、ストーリー自体が全然面白くないのですから。社会評論をやりたいがためだけにキャラクターを登場させている可能性が高く(あの社会評論の力の入れようは異常です。ストーリーと何の関係があるのでしょうか)、しかもこんなストーリーの根幹にかかわる矛盾点が創竜伝は多すぎです。社会評論だけでなく、小説のストーリー設定においても創竜伝は三流以下であると断定してよいと思いますね。あれほど設定が充実していた銀英伝にくらべ、何とひどい事か。


 それにしてもこのシリーズをやっていて思うのですが、私ほど創竜伝を辛口評価している人はなかなかいないのではないでしょうかね。この掲示板で一番の過激派かもしれない(笑)。

board1 - No.1447

創竜伝の社会評論引用

投稿者:冒険風ライダー
1999年06月30日(水) 08時58分

P77上段
<こと地震や噴火に関しては、権威ある学者とやらはまるで信用できないといわれる。一九二三年に一〇万人の死者を出した関東大震災の場合も、無名の学者が警告を発したのに、当時の帝国学士院に拠った大学者がそれを否定したので、何の対策もとられなかった。警告を発した学者は「世を騒がす非国民」と罵られ、学会を追放されてしまったという。>

P87上段
<火山という一種の生命体は、一万年、一〇万年の単位で活動をおこなっても全貌をとらえることは、きわめて困難である。だが長期にわたる精密な観測、そして迅速な避難・救援活動によって、死者の数を減らすことは可能だ。ことに問題となるのは、観光業者が避難命令や危険地域指定をいやがることである。「生命あっての観光」という意識変更が必要であると同時に、地域住民の生活を保障する政策と行政体制がきわめて重要といわねばならない。道路を走れもしない欠陥戦車に一両何十億も支払うより、同じ価格で二〇台の火山振動計測システムをそろえるほうが、国民の安全のためにはよほど有益である……。>

P88下段~P89上段
<近畿地方から瀬戸内海にかけては火山が存在せず、地震もすくない。関東大震災の直後、兵庫県加古川一帯への遷都が真剣に検討されたことがある。この地域が、日本でもっとも地質が安定し、大地震の恐怖がなかったからである。この事実は歴史学的にも興味を持たれるところで、
「中国大陸にも朝鮮半島にも、有史以来、火山活動はない。そこから古代日本に渡来した人々は、見慣れぬ火山を恐れた。だから火山のない大和・難波の一帯に王朝の中心を置いたのだ」
 という説がある。>


 この3つは引用だけに留めておきますので、だれかうまい批評をよろしくお願い致します。

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