初代掲示板過去ログ

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投稿ログ71 (No.1304 - No.1314)

board1 - No.1304

田中芳樹とプレジデント系歴史観

投稿者:本ページ管理人
1999年06月01日(火) 16時32分

>俺様ランチさん

>他の作品はおいといて、銀英伝でヤンの言う「歴史に学ぶ」ってのは、あくまで「歴史のある状況でこんな事をした人は大失敗したから、違うことをすれば少なくとも失敗はしない」みたいな「歴史を反面教師的にする」って意味だと思うんです。
> で、田中大先生がナスと同じくらい嫌いな「ビジネス書的に歴史に学ぶ」ってのは「この偉人がやった事をマネすれば経営もうまくいく」って態度を嫌っているんだと思います。
>まあプレジデント史観がそういう方法も取っている、というのならごめんなさいですが、見た所は「信長的人材管理法に学べ」ってのがやっぱ主流みたいですし。

うーん、この両者装いが違うだけでベクトルは同じような気がするんですけど。見た目ほど、本質に差はないと思います。
 私がつっこみたかった本義の方は、
>近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる
の方なんですよ。
 成功に学ぼうと、失敗に学ぼうと、『近視眼的な実利など求めない』姿勢からは程遠いんじゃないかなぁ。


 いつか本論に使おうと思っていたんですが、ちょうど良い実例を挙げましょう。
『民主主義には抵抗権という考え方がある。権力者が国民の人権を侵害したとき、それに抵抗する権利である。また、古代中国の思想家孟子は、いまから二〇〇〇年以上も昔に、権力者の不正と暴虐をただすためには、実力行使が必要であると明言している。始が好きな中国の思想家は、孟子と墨子である。墨子はこれまた紀元前に、「強大国が弱小国を侵略するのは悪で、弱小国がそれに抵抗するのは正義だ」と明言しているのだ(創竜伝2 P61)』

 皮肉を承知で言えば、「中国は2000年前に民主主義を見つけていたんだぞー」といういつもの中国エラいかよ、と言いたくなってしまいますね。
 しかし待ってください。別に孟子や墨子は民主主義の宣伝がしたくて、フランス革命よりも2000年近く前にこんな言葉を残しているわけではないですよ。孟子や墨子の思想は、「自由・平等・友愛」を軸にした民主主義とは全く別の思想です。具体的に言えば、民主主義の抵抗権と孟子や墨子の革命思想は全く違います。民主主義の抵抗権は国家制度に保証された国家へ抵抗する権利ですけど、孟子や墨子は国家に抵抗するのに国家に保証された「権利」をよりどころにするという選択をとりません。
 ともかく、思想の固有性を無視して「抵抗」の一語で民主主義と孟子を結びつけることがOKなら、「戦略」の一語で武田信玄と経営戦略を結びつけることも是であるはずです。


><歴史や人物をダシにして現代人にビジネス上の教訓をお説教するような「中国もの」から、私は何ひとつ学んだことも感じることもない。
>近視眼的な実利など求めない読者、過去からの語りかけを実感し、歴史の悠久に思いをはせる読者がこんなにもいるというのは、うれしいことだ。>


 私はあえてこの言に賛意を表したい。そのとおりです。歴史小説によけいな説教やら評論を付け足して、その説教やら評論があるから高尚な小説だとか、ためになる小説だとか、面白い小説だなんて風潮はまっぴらですよ。歴史は歴史として味わいたいし、小説は小説として楽しみたい。私は以上の宣伝文句をこのように受け取りましたけど、間違っていませんよね?
 まぁ、プレジデント史観に対する批判が全部創竜伝に当てはまってしまうところが田中センセのユニークなところですが。

 創竜伝だって<歴史や人物をダシにして現代人にイデオロギー上の教訓をお説教するような「中国もの」>じゃないですか。


>冒険風ライダーさん
>少し早いでしょうけど、40000アクセス&掲示板1300投稿、おめでとうございます

 お返事遅れましたが、ありがとうございます。

board1 - No.1305

歴史の解釈

投稿者:Kan
1999年06月01日(火) 18時29分

 どうもはじめまして。銀英伝に影響を受けて,歴史学(の,類いを)専攻している学生です(笑)。

>成功に学ぼうと、失敗に学ぼうと、『近視眼的な実利など求めない』姿勢からは程遠いんじゃないかなぁ。

 もともと歴史学の目的の一つに,歴史を学ぶことによる「実利」が存在するのは自明です。実利(経済的な範疇を越えるかもしれないが)が何もない学問が,存在するはずないですから。ですから,「実利を求めない」というのは決して歴史学の視点にはなり得ないと。「近視眼的」の部分だって,歴史のダイナミズムを考えれば,長期的な視点なんて持ちようがない。本来,歴史学と言うのはそんなもんです。
 にっちもさっちもどうにもならなくなったとき,藁にもすがる思いで過去から参考になる事例を探す。そのときだって歴史は過去の蓄積でしかないし,そこに何らかの正解が存在するものではない……というのが一番真実に近い形でしょうか。
 この点で,プレジデント系の歴史解釈も,田中芳樹氏の故事の利用形態も「歴史信者」という同一の次元にあると申せましょう。過去の真実を現在の真実と同一の地平に置いた時点で,同じ誤謬を犯していると言うことです。この点で田中氏の批判は,ある種の近親憎悪とも解釈できますね。基本的には自分と異なる楽しみ方をする歴史ファンに対する,感情的ないちゃもん……という感じがしてならないのですけど。

board1 - No.1306

はじめての参加でボケるかも・・・

投稿者:ハル
1999年06月03日(木) 13時25分

管理人さん、常連のみなさま、はじめまして。
ハルと申します。
みなさまほど理論的に論議ができるような人間ではないので、もっぱらROMで通すと思いますが、たまにでしゃばるかもしれません。今日もボケ覚悟で書いていますので、よろしくご指導ください。

№1292 水野さま
>>ちなみに銀河英雄伝説の外伝は「銀河英雄伝説読本」の中にある短編4編と「黄金の翼」で2冊分のため、田中氏が公言なさってた6巻
 <以下略>

> これがもし田中芳樹サイドから出た公式な話だとしたら、これまた読者をナメているとしか思えないですね。

おっしゃる通りだと思います。

>一部が抜けた状態で完結宣言をするというのは……納得がいかないというか、半端な感じがするというか

田中先生は外伝あと2冊分を読本の短編などでごまかしてチャラにするつもりはないそうです(今のところ)。私も、あまりに次が出ないので「読本の短編云々」のつもりなのだろうかと満足できずにいたんですが、そうではないようです。もちろん先生本人から直接お聞きしたわけではありませんが。ただ徳間さんには今田中先生の担当者が存在しないらしく、その辺も理由なんだろうかと思います。

>アル戦やタイタニアは「いよいよこれから盛り上がる!」ってところで中断してる

アルスラーンは現在間違いなく執筆されておられるようです。タイタニアも忘れられてるわけではなくて、これから書く順番の中には入っているそうです。その「順番」というのがクセモノなんでしょうが、一応そこに入れてるということですから、

>一部のシリーズのみ続刊を書いて他をないがしろにしてる

とは言い切れないんじゃないかと思います。もっともそういうことが公に知らされなければ、水野さんのように思うのは当然でしょう。

ひとつ分からなかったのは、水野さんの「そういう姿勢は批判されてもやむを得ない」というコメントが、田中先生個人に向けられたものなのか?ということです。
たしかに、先に出されたシリーズを読んで続刊を待っている読者の心理としては、「新しいものにばかりかまってないで、早く続きを出せ」
となるのですが、それって作家業にはありがちなことだと思うんです。私は田中先生が平凡な作家だなどとは思っていませんが、神がかりな作家だとも思っていません。だからいくつもの小説を一度に進めるのも難しいだろうし、書きたいとインスピレーションが湧いてくるのを抑えて既刊シリーズから順番に書けというのも辛かろうと思うのです。
もしあのコメントが作家全体に対してのものであって「なんで客のほうが商売人に気を遣わなきゃならないんだ」と言われればそれまでなんですが、作家のほうだって、そこまで創作意欲をコントロールできるものならやりたいと思っているでしょう。
まあ、〆切健忘症だのプレッシャーかかると書けないだのとしょっ中言い訳しながら、それで暗に許してくれーと訴える姿は、どの作家にもあるというものでもないし、本気でそこまで甘えいるとしたらそれこそ批判されて然るべきだと思います。

うまく書けなくて言葉足らずだとは思いますが、お許しください。

board1 - No.1307

ついに!

投稿者:ラインバック
1999年06月03日(木) 16時02分

アルスラーン戦記の新刊発売だそうです。
発売日は7月25日の予定らしいですんで、10月くらいでしょうか。
まさか出すはずがないと思ったので驚いてます。
ちなみに情報源はここです。>ttp://www2.sega.co.jp/bbs/c/comic/50_osmkdr_ALL.shtml

board1 - No.1308

アルスラーン戦記の新刊

投稿者:石井由助
1999年06月03日(木) 16時54分

>発売日は7月25日の予定らしいですんで、10>月くらいでしょうか。

わははは。本人が見ているかどうかわからないですけど、いろいろなところでこんな事を書かれていて、何とも思わなかったらプロじゃないよ。

>まさか出すはずがないと思ったので驚いてます。
>ちなみに情報源はここです。>ttp://www2.sega.co.jp/bbs/c/comic/50_osmkdr_ALL.shtml


おもしろかったです。必見。


 ところで、余談ですけれど、最近このサイト、どこかに紹介されましたか?
 アクセス数が急増しているんで、ちょっとびっくり。

board1 - No.1309

さらに後出しで申し訳ないです。スマン

投稿者:仕立て屋
1999年06月03日(木) 23時37分

 管理人さん、ご苦労様です。遅れ馳せながら40000ヒットおめでとうございます。

 ご発言、1281、1282について、すこしだけ付き合ってください(やめると言っときながらもうしわけないっす。単なる揚げ足取りでうざったく見えるかもしれませんが、重要だと思います)。

>では、もしコンテンツ8に小林氏との対比がなかったら、このコンテンツやこのサイトの説得力はなくなりますか?

 いえいえ、そんなことは決してありません。十分、説得力がありますよ(基調として私、管理人さんのスタンスとコンテンツ8の主旨を理解しておりますし、同調いたします<今までの私の発言を見ていただければ自明ですか?)。ただし、この反論はよく考えていただければ、おわかりになるはずですが、ちょっと、不可思議です。批評家がある命題について論じる際、具体例あげて主旨補強をするのはよくあります、ってゆうか、普通です。そこで、管理人さんの論調をこれに当てはめると、その具体例を外した場合、この批評家の主張は説得力が欠けるか?とおっしゃってるのと同値ですよね。そんなはずが無いことは自明であって(主張に無理が無ければの話ですが)このような反論をなさるのはほんと不可思議でなりません。ところで、管理人さんにお尋ねします。主旨と具体例が概念的に同一のことを意味していなければ、具体例は具体例として機能しないってのは同意されますか(たとえば、コンテンツ8の主旨と小林、田中の比較を採用なされた際の管理人さんの意図としては、概念的にその主旨と相通ずるからでしょう?もし、これに同意なされないのなら私の主張は根本から、すれ違いってことになるので、このままフェイドアウトいたします)?いいですか?'概念的に'ですよ。これを前提として述べます。で、主旨と具体例の関係に話をもどしますが、ある批評家Aがライバル批評家Bに”その具体例は'無意味'だと言ってのけられた場合(そんな奴いないだろうけど、素人同士ではよくあります)、批評家Aはどのように対処するでしょうか?”主旨でないし、おまけついでの例だから、それほど、意味があるとはおもいません”と果たして言うでしょうか?主張と概念的に同一の具体例が'無意味'と言われているのに、頓着しないはずがありません。私が1266において申し上げたのは、つまり、同一概念の具体例”小林、田中の比較”が'無意味'と言われているのに頓着しないってのはどういうことですか?ってことです。わたしも、”小林、田中の両比較”を'単独'で見た場合は、確かに、それほど意義はないのは同意いたします。しかしながら、言説において'適切な'具体例として組み込まれた場合は話が別です。

>私は「小林よしのりと田中氏のスタンス比較」の意義は大したものではない、と繰り返し言っていますけど、意義がゼロだとかマイナスであるだとかは一度も言っていません。つまり、一回も「否定」はしていません。
 「否定」という取り方はえらく極端だと思いますが。


 あの~~すみませんがよく言葉をみてくださいね。わたしはなにも管理人さんがご自分の論旨補強のための具体例を自ら'否定している'とは申し上げておりません。'否定されたている'のに(もう一度satokoさんのご発言1202を見てください、普通に読めば、この比較が無意味であると、つまり、否定されているのが読みとれますよね)、頓着しないのはおかしいと申し上げているのです。この'否定'を看過するということは、具体例と同一概念であるその主張の否定をも看過するに等しいもうしあげたかったのですが、、ですから

>「だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。」について私は「全くわかりません」と答えます。

 とおっしゃるのには、あまりに言葉を大切にしていないというか発言者としてあまりに大雑把過ぎるように感じられます。

>別に私は比較対象がよしりんでなく西部邁でも網野善彦でもドストエフスキーでも、「学者・小林よしのり」だとしてもいいんですよ。それでも田中芳樹のイレギュラーフィクション評論に対する姿勢は批判できますから(田中芳樹がフィクションという自分のフィールドを踏み出した以上は当然のこと)。
 確かに小林よしのりとの比較はともにエンターテイナーとしての側面を持っているからわかりやすいし、この比較でなければできない指摘もできます(おぼっちゃまくんとゴー宣に対するよしりんのスタンスが違うけど創竜伝はそうではないとか)。ですが、小林よしのりを引き合いに出さなければ批判できない部分というのは、引き合いが評論家や学者であったとしても批判できる部分を差し引いた部分であり、だからこそ余技であると思うわけです。

 なるほど、そういうことだったのですね。納得いたしました。しかし、単に、'イレギュラーフィクション評論に対する批判'に対して”西部邁でも網野善彦でもドストエフスキーでも”ってことになるとそれこそsatokoさんがおっしゃられたように”ジャンルを超えた比較はタブー”ってことを私は申し上げたいです。あそこの具体例として小林を持ってきているからこそ、コンテンツ8における最後の比較はスパイスが聞いて具体例として成立するのだと確信いたしておりますが、単に、批評に不適切な表現形式を用いる愚、不誠実さを批判するのに'小林、田中比較'を採用なさったとするならば、まったくもって、それこそ無意味でしょうね(苦笑)こうしてみていくと管理人さんの主張はどうにもぶれていて定まらない印象がぬぐえません(失礼ですが、純粋に言説から判断いたしますとこうなります。管理人さんの基本的主張は理解しておりますが)。

>必要じゃないけどあったほうがいいもの」だってあると思いますので。

 そうですね、主旨と概念的にかすらないのであれば、そのとおりです。しかし、概念的に共有する文言を否定された場合に、頓着しないってのは、発言に無責任でありますし、'あったほうが良い具体例がなくたっていいじゃない'的な論法は論旨のすり替え以外のなにものでもありませんし、不誠実です。


>ちなみにさっきの話だと西部邁や網野善彦は生粋のボクサーですから、空手家よしりんを比較に出さなくても同じようによしきんのインチキボクシングの批判は可能です。
 余談でした。

 雑感、むちゃくちゃであります。コンテンツ8の主旨は、評論ぶっこいてるのに、原典も示さなければ、ノンフィクションの形式もとってないという'単なるルール違反'を批判しているものなのですか?それじゃ、とりわけてこのサイトが存在する意味はありませんし、そんなことは他でもやってることでしょう(っていうか当たり前過ぎて見つけ出すのに困難を極めることでしょう)。ちがうでしょう?田中作品の創竜伝以前のフィクションの名作群があり、比較して創竜伝においてはスタンスが半端で小説としても評論部分が癌となり、評論として見ても原典も明かさず、ノンフィクションの形式を取らず、表現者として不誠実だと主張されてるわけでしょう?つまり、小説家としての田中芳樹を前提にしているのではないのでしょうか?だからこそ、画期的なのではありませんか。この流れで管理人さんは西部邁や網野善彦らを採用せずに小林をあえて採用されたものだとずっと考えていましたし、コンテンツ8を見る限りそれが自然ではないでしょうか。実際、あそこに西部らと比較した文章を挿入してみてください。それでも不自然でないとおっしゃるようでしたら、これ以上言うに値せずとします。繰り返しますが、

>確かに小林よしのりとの比較はともにエンターテイナーとしての側面を持っているからわかりやすいし、この比較でなければできない指摘もできます(おぼっちゃまくんとゴー宣に対するよしりんのスタンスが違うけど創竜伝はそうではないとか)

 当然、この比較でしか論ぜられないからこそコンテンツ8において採用されていると読むのがごくごく自然だと存じます。

以上、後出しジャンケンさらに後出しさせてください。誤解されたままってのは本意でないので、一応の納得が得られれば、通常モードにもどります、お付き合いください。わたしもくだらないなぁとはおもってますけど。

board1 - No.1310

まずは「無意味」から

投稿者:本ページ管理人
1999年06月04日(金) 00時54分

> あの~~すみませんがよく言葉をみてくださいね。わたしはなにも管理人さんがご自分の論旨補強のための具体例を自ら'否定している'とは申し上げておりません。'否定されたている'のに(もう一度satokoさんのご発言1202を見てください、普通に読めば、この比較が無意味であると、つまり、否定されているのが読みとれますよね)、頓着しないのはおかしいと申し上げているのです。

 私はsatokoさんのNo.1202に対しては明確に無意味だとは思わないと述べています。で、その時に使った「とりたてて意味があるとは思わない」の趣旨については無意味とは全く異なる旨をすでに説明しています。
 satokoさんの言に対して「そうです。無意味でした」とは一言も言っていません。「頓着」するというのがどういう態度であるのかわかりませんが、その頓着が仕立て屋さんのような行動であるならば、私はそういう戦法を取りません。


>>「だとすれば、その緒言の具体化のひとつであるコンテンツ8においてその補強的検証の部分が否定された場合、当然、コンテンツ8の主旨も論理的関係上、否定されかねないのはおわかりになりますね。」について私は「全くわかりません」と答えます。
>
> とおっしゃるのには、あまりに言葉を大切にしていないというか発言者としてあまりに大雑把過ぎるように感じられます。

 繰り返しますが、私は小林よしのりと田中芳樹の比較が無意味であることを肯定したことは一度もありません。satokoさんのレスに関してはあえてソフトな語り口にしていますが、よく読んでいただければ「無意味」に関しては否定している文脈であることがわかると思います(って、はやく過去ログをアップデートしなきゃいけないですけど…)


 以下、いろいろありますが、話がこじれだしたキーの一つはこの「無意味」の取り方だと思いましたので、取り急ぎ。

board1 - No.1311

アル戦10巻一番の関心事

投稿者:冒険風ライダー
1999年06月04日(金) 03時56分

いや~、ついに出ますか、アルスラーン戦記10巻!
確か7年前なんですよね、9巻が出たのは。月日の流れの何と早いことか(^^;)。これ以上発売を延ばしてほしくはないものです。希望的観測でしょうけど、一応「7月25日に出る」というのを信用することに致しますか。

しかし今回のアルスラーン戦記一番の目玉は、何といっても「田中芳樹が、あとがきでどう言い訳するのか?」でしょうね(^^)。私も買ったら真っ先にあとがきの方を見るだろうな~(^_^)。これだけ読者を待たせたのだし、見苦しい言い訳をしてもらいたくはないのですが、言い訳に困ってあとがきを書かなかったりして(-_-;)。いっそ悪意に満ちた記述でもいいから、あとがきでこのサイトを紹介してくれないかな~(もちろんHPアドレスも書いて)。そしたら私は田中芳樹を絶賛するんですけどね。無視するよりもよほど誠実だし、反対意見のサイトを紹介するなんてのは結構勇気がいりますからね。

<ところで、余談ですけれど、最近このサイト、どこかに紹介されましたか?
アクセス数が急増しているんで、ちょっとびっくり>


しかしその割には投稿量が以前よりも少ないですね~。最近は1通も来ない日も多いし(T_T)。

board1 - No.1312

レス

投稿者:仕立て屋
1999年06月04日(金) 09時44分

 毎度,仕立て屋です。

>私はsatokoさんのNo.1202に対しては明確に無意味だとは思わないと述べています。で、その時に使った「とりたてて意味があるとは思わない」の趣旨については無意味とは全く異なる旨をすでに説明しています。satokoさんの言に対して「そうです。無意味でした」とは一言も言っていません。「頓着」するというのがどういう態度であるのかわかりませんが、その頓着が仕立て屋さんのような行動であるならば、私はそういう戦法を取りません。


> 繰り返しますが、私は小林よしのりと田中芳樹の比較が無意味であることを肯定したことは一度もありません。satokoさんのレスに関してはあえてソフトな語り口にしていますが、よく読んでいただければ「無意味」に関しては否定している文脈であることがわかると思います(って、はやく過去ログをアップデートしなきゃいけないですけど…)


 以下、いろいろありますが、話がこじれだしたキーの一つはこの「無意味」の取り方だと思いましたので、取り急ぎ。


 やっと私の論旨に沿った反論が得られましてうれしく思います。そうです,私の主張を崩すとしたらこの'無意味'の捕え方に尽きるものと考えていましたし,ここしか反論する余地はないように思います(偉そうかもしれませんが,そう思います,失礼)。で,私なりの無意味の捕え方について述べます。


>ゴー宣がらみの話になったので、ちょっと順番を変えてお答えします。
 まず、「参考文献を出してる分、小林氏の方が田中氏より真摯で…」とありますが、「『この作品はフィクションであり実在の人物団体うんぬんとは関係ありません』という評論としての責任逃れの一文を入れてない分、小林氏の方が田中氏より真摯で…」という趣旨のことならば私も述べたと思いますし、掲示板でも出てきたと思います。もちろん、創作小説である以上は、「この作品はフィクション…」という断りを入れること自体は、当然のことです。ですから、創竜伝でも首相や保守の政治家を愚劣に描くことは小説として許されると思います。ですが、創竜伝中にはリクルート事件や大韓航空爆破事件などの実在の事件やマハティール氏など実在の人物に対する明確な評論が存在します。たとえば、全くストーリーに関係のないところで明確にマハティール氏と判る記述に対して「独裁者で反民主的だから言うことを聞く必要はない」と評論しておいて、「これはフィクションだから」ということは卑怯であり、小説という表現技法を隠れ蓑にしていることで小説を貶めていると思うのです。もちろん、マハティール氏が独裁者で反民主的という主張を持つこと自体は結構なことです。その主張に自信があるのなら、「フィクション」である創作小説と一緒にせず「現実の」評論として語ればいいのですし、風刺というのなら「超能力兄弟が悪の財閥と戦う活劇」がテーマの小説の中にわざとらしく入れるのではなく、明確に風刺をテーマにした小説を書けばいいのです。
閑話休題。
 少々話題がずれましたが、私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます。

 以上,ご発言1214から


 文脈を解釈しますと,まず,(1)創竜伝において田中氏がフィクションなのかノンフィクションなのか立場を明らかにせず,その結果,結実した物が中途半端な作品に仕上がってることを述べられています。次に(2),(1)を閑話休題として'話題がずれた'としておられます。最後に(3),(2)をうけて,"私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません。ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます"と(1)を客観的にあたかも他者の発言かのように"比較するというのであれば"と評しておられます。これを踏まえてもう一度コンテンツ8を読み返して下さい。(1)を(2)において本旨ではないとして話がずれたとおっしゃられていますが,普通に読めば(1)の内容はそのままコンテンツ8の主旨と同じことを意味していると思われませんでしょうか?それなのに(2)でそれが本旨ではないように述べられ,また,コンテンツ8における'小林,田中比較'を無意味としたsatokoさんの主張に対する回答として(3)のように文脈上,概念的に主旨と共通する(これに対する管理人さんからの返事がまだありませんので保留としたほうがいいのかな)'小林,田中比較'の例をあたかも客観的に文脈から切り放して"比較するというのであれば"とし,コンテンツ8においては"私も田中氏と小林氏の比較にとりたてて意味があるとは思いません"と蛇足のような扱いです。で,"ただ、まったく無意味とは思いませんし、比較するというのであれば、以上の理由から小林氏の方が自分の発言に責任を持っていると考えます"とさらに文脈から切り放した形で評価されております。もし管理人さんが私の発言1309における'主旨とその具体例の概念上の相関関係'を否定されるのでしたら,私の'文脈から切り放した形で評価=あった方がより良いが,あってもなくてもよいと管理人さんが考えておられると私が感じる'に'否'とされて結構です。が,そうでないのならこのような反論は無しです。ですから,

>私は小林よしのりと田中芳樹の比較が無意味であることを肯定したことは一度もありません

は言葉上そのとおりでしょうが(同意します),

>satokoさんのレスに関してはあえてソフトな語り口にしていますが、よく読んでいただければ「無意味」に関しては否定している文脈であることがわかると思います

 とされるのは,(1)を(2)->(3)とされた瞬間から文脈上,論理的に無理があります。その証拠にsatokoさんのご発言1220をよくごらんになって下さい。彼女は管理人さんの"あえてソフトな語り口"を誤解?されて管理人さんがおっしゃる”「無意味」に関しては否定している文脈であること”とは受け止められていませんよね。私だってsatokoさんの解釈は間違っていないと思いますよ。それなのに管理人さんはそのことをその後の発言において言及されていませんから私は発言1309おいて"看過"としているわけです。このながれで私の発言1309をよく見返してください。管理人さんのご発言1310の管理人さんの'無意味'の捕え方は論理的にいって後付けの感をぬぐえません。また,ご発言1281における"小林よしのりが居てもいなくても"や"小林よしのりを引き合いに出さなければ批判できない部分というのは、引き合いが評論家や学者であったとしても批判できる部分を差し引いた部分であり、だからこそ余技であると思うわけです"そして"この程度の要素をないがしろにした程度で価値が失われる本質というものは、しょせんその程度の価値しかないと私は思います"はまったくの奇弁でありましょう。なぜなら,私の発言1309において申し上げたように主旨に対する十分条件である具体例(この場合の要素)を'削除'しても主旨がそこなわれますか?云々の論法が至極あたりまえのことを言ってるだけとしか私には評価できないからです。わたしは十分条件が'否定'された場合にその十分条件を'真'だと主張しなければおかしいのではないのかと申し上げているのです。それに対する管理人さんのレスがご発言1310となるわけですが,1310を見る限り正しい反論です。しかし,上記のように1214を解釈すると矛盾が生じるのです。
 最後に私の発言1309に対する最初のレスがご発言1310のようになることは予想しておりましたので,別の視点から(違う側面であって結局,言いたいことは同じかも)ひとつ申し上げときますが,1310の論調(satokoさんの無意味発言を結果的に否定している云々)と1281における'小林,田中の両比較'が無くとも主旨は成立するとする論調の'意図'は矛盾するものと存じます。しかし,これもまた私の発言1309における'主旨とその具体例の概念上の相関関係'に同意されないとするならば,その限りではありませんが。

以上,長文にて失礼します。あ~俺ってウザイ?

board1 - No.1313

アルスラーン10巻,わたしもたのしみです

投稿者:仕立て屋
1999年06月04日(金) 09時58分

 冒険風ライダーさんおひさしぶりです。
私も10巻のあとがきで氏がどのようなことをおっしゃるのかとっても気になります。まあ,後書きがないってことはさすがにないでしょうが。既刊については実家にありますので内容を思い出す為にも立ち読みにて発刊に備えたいとおもいます。今日は1巻を読み終えました。

board1 - No.1314

ありがちですか?

投稿者:水野忠右衛門
1999年06月04日(金) 11時17分

No. 1306ハルさん、こんにちは。

>>田中先生は外伝あと2冊分を読本の短編などでごまかしてチャラにするつもりはない

 それは朗報ですね。
 ところで、この情報のソースってどこなんでしょう。何かの雑誌とかでインタビューとかで言っていたのでしょうか。
 既刊外伝の愛蔵版が出てるところなんかを見ると、どうも信用しにくいんですが。


>>タイタニアも忘れられてるわけではなくて、これから書く順番の中には入っているそうです。

 そういえば、予告されていたタイタニアが別の作品にすり替わった事があったような気が……。


>>ひとつ分からなかったのは、水野さんの「そういう姿勢は批判されてもやむを得ない」というコメントが、田中先生個人に向けられたものなのか?ということです。

 一応、田中芳樹だけのつもりです。
 ハルさんのおっしゃることはごもっともだと思います。だけど、田中芳樹の場合は極端すぎるんですよ。2年や3年ならともかく、5年以上(タイタニアなんて8年)も書かないってのは、「作家業にはありがち」な事だとは思えませんけど。

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