初代掲示板過去ログ

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投稿ログ93 (No.1617 - No.1626)

board1 - No.1617

初めてアクセスしました

投稿者:蒼咲 有絵
1999年07月29日(木) 05時55分

初めまして。私は多分、いわゆる田中芳樹のFANの一人だと思います。それでも、このHPをおもしろく拝見させていただきました。
たしかにそうだ、と思う点、そうなのか、と思う点などありましたが、私にはそれに賛成、もしくは反論するための知識がないため、一読者として拝見しておりました。
ただ「創竜伝が一巻で終わる」というのは巻末対談で本人が言っていた(誤魔化しかもしれないけれど)ので、それだけお伝えしようと思います。
では、短めですがこのへんで。

board1 - No.1618

予想通り

投稿者:はむぞう
1999年07月29日(木) 23時26分

 予想通りと言うべきか・・・やっぱりアルスラーン戦記の新刊は出ませんでしたね。現実に10巻を手にする日はくるのだろうか。しかし8月の新刊案内に気になる情報を見つけました。角川文庫から8月25日に「アルスラーン戦記読本」なるものが田中芳樹らいとすたっふ共著で発売予定だそうなです。
 価格は未定ということですが、いったいどんな代物なのでしょうね~。「読本」というくらいだから、新刊でも外伝でもなさそうですが。もしや、これが今夏発売予定と言われていたアルスラーン戦記の新刊のことでは? そうだったら悲しすぎるぞ。それよりこの本まで発売延期になったら怒るよ~! というより泣くかも…。でも購入するかどうかは、冷静に内容を見てからにしたいです。

board1 - No.1619

らいとすたっふのなんとか読本について

投稿者:榊屋ごん太
1999年08月01日(日) 04時21分

こんにちは、久しぶりに覗かせてもらいました。

>角川文庫から8月25日に「アルスラーン戦記読本」なるものが田中芳樹らいとすたっふ共著で発売予定だそうなです。

アルスラーンでもとうとうしますか…。これが出ると、なんかもう本編は出ないような気がしてしまいますね、個人的に。らいとすたっふからは別に「銀河英雄伝説読本」なるものも出していて、内容は、アニメやアイテムの紹介、対談、SFアドベンチャーで掲載された「ダゴン星域会戦記」など4作品が入っていました。おそらくこれに準じた内容になるのではないかと思われます。そんなたくさん短編があるのかどうか知りませんけど。ちなみに早川から「田中芳樹読本」なるものも出ていて、これ七都市を主に、田中氏の初期作品等を掲載しておりましたが、他人が書いたエッセイや作品紹介等も多いです。これを読むと、七都市の続編がでることは絶対にないと言いきれるようになります(笑)。ま、未掲載の短編が読んでみたい方にはいいかもしれませんね。
それにしても、アルスラーンの10巻なんか百年たっても出ねえよ、とか思いながらも、本屋へ行くたびに角川のコーナーを一巡りする私って、やっぱり馬鹿なんでしょうか。

board1 - No.1620

あれれ?本当にこんな読みなんですか?

投稿者:MA
1999年08月01日(日) 20時46分

初めて書き込ませていただきます。

>『纐纈城綺譚』です。しかも「けいこつじょうきたん」でした。

どう考えても、「こうけつじょう(もしくはこうけちじょう)」だと思うんですが。

作者が間違えたのか、誤植なのかは知りませんが、「纐纈城」って結構有名な話だった記憶が。

国枝史郎に「神州纐纈城(今は講談社芸術文庫だかで手に入る)」という作品もあります。その中の「纐纈染め」のくだりで「これを、こうけつ、またはこうけち染めと呼んだ」と言う一文があった記憶が。

#ちなみに田中芳樹は「李家豊」の頃のしか呼んでなかったりして・・・。

では、失礼します

board1 - No.1621

まとめレス

投稿者:本ページ管理人
1999年08月02日(月) 14時00分

>No. 1615

>そこまであとがきを書きたくないのか、田中芳樹。

 あとがきはもとより、本編も怪しいと思うべきでは…


>中国の歴史上、悪政や異民族支配の時代はいくらでもあった

 というか、悪政と異民族支配が等価値なんですね。世界でも有数の多民族国家であるはずの中国で。…なるほど。


>「足もとの床板を持ち上げて下を覗いてごらん。君が地獄の真上に立っていることがわかるから」(ベンジャミン・T・セレスト)

 小説にこのような警句を引用するのが悪いとは言いませんが、どうしてこういう最悪の形で入れますかねぇ。田中芳樹はどうしても創竜伝を三流小説に貶めたいのでしょうか。個人的に創竜伝で一・二を争うほど嫌いな部分です。


>No. 1616

 思考実験のための極論に納得いただきありがとうございます。

 本来は少々イデオロギー的討論もするべきなのでしょうが、銀英伝の話題からはずれてしまう可能性があるのでこのあたりが妥当かも知れませんね。
 とりあえず、おおまかなところだけ。

>だいだい、それを防ぐ為に「市民としての教育」があるのでしょう。「Aさん」みたいな人が多数になっては困るから学校教育がある。

 これは疑問です。基礎教養ならともかく、政治や社会のありように対する考え方にまで教育は効果を及ぼせるでしょうか。もし、及ぼせるのならそれはそれで怖い事だと思うのですが。
 あと、これの気になるところは、必ず「民度が低い」という趣旨のことを言い出す輩が出てくる事ですか。民主制において「民度が低い」と言える人間がいることは論理的な矛盾であり、これもヤンが悩んだパラドックスの一つだと思います。ヤンと違って、創竜伝における田中芳樹などは何の悩みもなく日本人の民度をバカにしているのですが、このあたりを洗うために思考実験したかったんですよね。


 それと、私が日本を民主国家として評価していることには違いありません。
>管理人さんの「人類史上に於いて「もっとも」に限りなく近く民主主義が発展している国だと思います」というのがとんでもない認識
 と言われるのであれば、理想かそれに近い現実の民主国家を挙げていただきたいと思います。
 私は田中芳樹が創竜伝で「日本は民主後進国」と言う度に「じゃあ民主先進国って何なんだよ」とイライラします。
 もちろん、Merkatzさんと創竜伝の思想を同一視しているわけではありません。念為。ただ、そんなに卑下するほど悪いものではないと思うのですよ。


>No. 1617

 初めまして。

>ただ「創竜伝が一巻で終わる」というのは巻末対談で本人が言っていた(誤魔化しかもしれないけれど)ので、それだけお伝えしようと思います

 これに関しては、古本屋で「1」がついていない創竜伝1巻を確認しました。


>No. 1618

>角川文庫から8月25日に「アルスラーン戦記読本」
>「読本」というくらいだから、新刊でも外伝でもなさそうですが

 シャレになっていないかも(^^;)
 まあ、内容を見てみないと何とも言えないですが、今までの所行から考えると、ちょっとねぇ。田中氏が自分のこれまでの作品やファンをどう考えているかの良い試金石になりそうな気がします。
 まあ、オフィシャルなんだから、アンチサイトのアルスラーン考察よりも深く濃い内容を期待しましょうか。


>>『纐纈城綺譚』です。しかも「けいこつじょうきたん」でした。
>
>どう考えても、「こうけつじょう(もしくはこうけちじょう)」だと思うんですが。

 取り急ぎブックシェルフベーシックで調べてみたら以下のようになっていました。

こう‐けち【纐纈・夾(カフ)纈】

こうけち(カウ‥)
飛鳥・奈良時代に行なわれた絞染(しぼりぞめ)の名。後世の板締絞の類。女子の裳、唐衣に使用された。こうけつ。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition)Shogakukan 1988.国語大辞典(新装版)小学館1988.

board1 - No.1622

創竜伝についてのくだらない疑問(ゴミです)

投稿者:石井由助
1999年08月07日(土) 15時31分

 しばらくクルマをいじるバイトをしていて、ふと思ったんですが、竜堂兄弟(上二人)ってどうやって免許証とれたんでしょうか?
 自動車学校に通っていた頃を思い出すにつれ、あの偏屈兄弟が自動車学校教官の態度に我慢できるとは思えません。たかが普通学校の教員の態度に我慢できないようでは、自動車教官はちょっとヤバいと思うのですが(^^;)(全国的に同じような程度傾向みたいですね)。
 それに、よく考えると、オービス、Nシステム、ねずみ取りなど、国家警察権力が竜堂兄弟の偏狭な神経を逆なでするものばかりですよね、クルマの世界って(^^;)。一般のドライバーにもヤな奴も多いですし、「無礼には無礼を返す」なんてことを一々やっていたら、御前や四人姉妹に関わるまでもなく自然に前科持ちだと思います。


 まあ、創竜伝自体が田中芳樹の不満のガス抜きですから指摘するだけ野暮なのでしょうけど、基本的にカルシウム不足気味じゃないでしょうか>竜堂兄弟。

board1 - No.1623

竜堂兄弟の自動車教習と免許取得について(これもゴミです)

投稿者:冒険風ライダー
1999年08月07日(土) 17時46分

 1週間ほど何の投稿もありませんでしたね~、この掲示板。正直いつまで続くのかと固唾を飲んで見守っていましたが(爆)。この掲示板でこれだけ空白期間があったというのは新記録な気がしますけど(^^;)。

<竜堂兄弟(上二人)ってどうやって免許証とれたんでしょうか?
自動車学校に通っていた頃を思い出すにつれ、あの偏屈兄弟が自動車学校教官の態度に我慢できるとは思えません。たかが普通学校の教員の態度に我慢できないようでは、自動車教官はちょっとヤバいと思うのですが(^^;)(全国的に同じような程度傾向みたいですね)。>


 竜堂続はかなり危なそうですな~(--;;)。教官を脅していたか、学校の方が手におえなくなってさっさと「合格」の免状を与えたのかのどちらかではないでしょうか。教官に怪我人(それも膝蹴りによる再起不能者)が大量発生して学校運営が危なくなったとか(笑)。
 自動車免許は、早ければ1ヶ月くらいで取る事ができるのですけど、あの兄弟はどのくらいかかったのでしょうね。特に竜堂続は作品世界では19歳ですから、教習期間次第ではクルマに初心者マークを貼ってなければいけないはずですが、竜堂続にこれはちょっと(いや、かなりだな)まずいと思いますね。初心者マークが貼ってあると「いやがらせ」するドライバーが絶対にいますから(笑)。
 もっと竜堂兄弟が怒りそうなのが学科試験ですね。共和学院はエスカレーター方式で進級していくのでしょうから、「何回も試験に落ちた」という貴重な経験が味わえたかもしれない(笑)。
 あの兄弟は教習を受けている最中も社会評論を展開していたのではないでしょうかね。「自動車教習の暗部の歴史」とか(^^;;)。

<それに、よく考えると、オービス、Nシステム、ねずみ取りなど、国家警察権力が竜堂兄弟の偏狭な神経を逆なでするものばかりですよね、クルマの世界って(^^;)。一般のドライバーにもヤな奴も多いですし、「無礼には無礼を返す」なんてことを一々やっていたら、御前や四人姉妹に関わるまでもなく自然に前科持ちだと思います。>

 Nシステムは創竜伝の社会評論でも論じられていますね。麻生幾氏の「宣戦布告」では、Nシステムが工作員検挙のために活躍していますが。
 しかしねずみ取りにつかまる竜堂兄弟というのは一度見てみたいものですな。特に竜堂続が運転したら絶対につかまりそうだし(笑)。警察官を「権力者の手先」とみなして膝蹴りをやってくるかもしれない(^^;;)。


 しかし考えてみたら、何で竜堂兄弟が免許を取る必要があるのでしょうか? ちょっと走っただけでもクルマ以上のスピードが出せるはずなのに。


<基本的にカルシウム不足気味じゃないでしょうか>竜堂兄弟。>

 カルシウムが骨の方にばかりいって、感情を安定させる機能にまでいきとどいていなかったりして(笑)。

board1 - No.1624

遅くなりましたがレス

投稿者:Merkatz
1999年08月08日(日) 17時54分

>政治や社会のありように対する考え方にまで教育は効果を及ぼせるでしょうか。もし、及ぼせるのなら
>それはそれで怖い事だと思うのですが。

「教育とは洗脳である」という言葉を聞いた覚えがあります。用い方によって毒にも薬にもなる。それが教育の怖さです。共産主義国家の教育を見れば明らかです。日本も日教組に牛耳られた為、著しい偏向教育で子供の健全な精神の発育を阻害していますね。
民主国家でなされる教育とはつまるところ公民(市民でも国民でも可)としての自覚でしょう。それが一つの思想の押し付けだというのなら、その通りですと言わざるを得ない。
しかし教育を受けた結果、それを受け入れるかどうかまで制限しているわけではない。共産主義や過激派テロリストになったって構わない。教育を受けたら全員が「偉大なる金正日将軍のおかげ」と口を揃えて言う国よりは、遥かにマシでしょう。

>あと、これの気になるところは、必ず「民度が低い」という趣旨のことを言い出す輩が出てくる事ですか。

公民としての自覚の程度によって「民度が・・・」と言うのでしょうか?確かにそう言えるかもしれません。しかしなんでもかんでも民度というのは乱暴なことです。「創竜伝」はその乱暴なものの一つですね。
私があの政治批評で不思議に思う点は、個人の腐敗と政治の腐敗は違うのではなかったかということです。
ヤンは救国軍事会議のエベンス大佐に言います。「政治の腐敗とは、政治家が賄賂をとることじゃない。それは個人の腐敗であるにすぎない。政治家が賄賂をとってもそれを批判できない状態を、政治の腐敗というんだ」。
「創竜伝」における批判の数々は、すべて「個人の腐敗」です。これらは冒険風ライダーさんが創竜伝批評でご指摘の通り、マスコミや司法で裁かれています。つまり社会の浄化作用はとりあえずは働いている。個人の腐敗をあげつらって日本の政治はダメだというあの批判は、とても銀英伝と同じ作者とは思えません。この辺の識見の低下はわざとなのか本当に堕落したのか・・・。
本当に腐敗を非難できない社会になった時、「民度が低い」と言われるのは仕方がないと思いますが。

>民主制において「民度が低い」と言える人間がいることは論理的な矛盾

それが矛盾にならない存在があるとすれば、思想村の住人でしょう。普段は俗世との関わりを最小限にして思想を切磋琢磨する。そして俗世を観察するわけです。ヤバくなったら俗世に出てきてこんなことじゃいかんと言う。
思想人とは孤高の存在であるからこそ、俗世の堕落に犯されることなく高みから判断できるのではないでしょうか。しかしそういう存在ですからめったに表には出ない、出てはいけない。俗世に関わり過ぎると思想家としての立場が危うくなってしまう。
ですから小説家なんていう俗世にまみれて生きている人間が、お前ら民度低すぎ、俺は違うけどね、なんて言っているのはちゃんちゃらおかしい。

>理想かそれに近い現実の民主国家を挙げていただきたいと思います。
>私は田中芳樹が創竜伝で「日本は民主後進国」と言う度に「じゃあ民主先進国って何なんだよ」とイライラします。

私は今現在、理想の民主国家が存在しているとは思っていません。また所詮は到達し得ぬ理想かもしれないとも思わなくもない。しかし日本はかなり特殊な形で民主主義を営んできたことは間違いない。
民主主義とは変革のプロセスを政治のプロセスに組み込んだものです。しかし日本は戦後ただの1回も改憲をしていない。見かけはどんなに民主主義的でも、肝心の部分がない。やはり日本の民主主義は畸形であるとしか言えない。
それをもってダメだと言うわけではありませんよ。冷戦の特殊環境下の産物であるし、その方が都合がよかった。しかし状況は変わった。もはや畸形民主主義じゃ立ち行かなくなった。だから今は正常形への移行時期なのでしょう。改憲への盛り上がりなどその兆候が随所に見られます。
つまり、これからが日本の民主主義が本物になるかどうかの分かれ目だと。だから戦後民主主義を普通の民主主義と捉えることに、私は異議を唱えたわけです。

「民主後進国」なんて認識は最悪ですね。欧米のものならなんでも優れていて、日本はすべてダメだという思想の現れでしょう。田中芳樹には「人は自分が思っているほど不幸でもなければ幸福でもない」という言葉を贈りたいですね。


○雑談

>自動車学校に通っていた頃を思い出すにつれ、あの偏屈兄弟が自動車学校教官の態度に我慢できるとは思えません。
>たかが普通学校の教員の態度に我慢できないようでは、
>自動車教官はちょっとヤバいと思うのですが(^^;)(全国的に同じような程度傾向みたいですね)。

私はくじ運悪くて、その教習所で一番悪いのに当たってしまいました(TT)。
「止まれ。止まれ!止まれ!!」(クレッシェンドで)
「何をしょんなら!」(岡山弁、何をしているの意)
など、毎回ビクビクもんでした。なんでもその教習所ではその人「だけ」が悪いのらしい。よく免許取れたと今でも思う。

>冒険風ライダーさん

>しかし考えてみたら、何で竜堂兄弟が免許を取る必要があるのでしょうか? ちょっと走っただけでもクルマ以上のスピードが出せるはずなのに。

いや、昼間はまずいでしょう。いくらなんでも「Dr.スランプ・アラレちゃん」よろしく「キーン」なんてやった日にゃ花井夫人じゃなくても怪しがるって(笑)。

ところで竜って何が主食なんだろ?というか中国の天界の住人は何か特別な果物が主食だったような覚えがあるんだが。

board1 - No.1625

私の創竜伝考察20

投稿者:冒険風ライダー
1999年08月09日(月) 06時20分

 「私の創竜伝考察シリーズ」も、ついに20回目を数える事になりました。10回目は半月くらいで達成できたのに、20回目は四ヶ月以上もかかってしまった……(-_-;;)。創竜伝7で二ヶ月くらい足止めされていたし……(^^;;)。
 そんなわけで、さっさと創竜伝7の批評を終わらせましょう。

P156下段~P157上段
<一九九一年に九州で火山の大噴火があり、多くの犠牲者が出たとき、暴力団が義捐金を出した。それを受けとるかどうかで問題になったが、もっと問題になるべきことがある。暴力団でさえ寄付をしたというのに、「財界四団体」などと呼ばれる大企業集団は、三団体までが一円の寄付も出さなかったのである。しかもそのうち二団体は、出版社の取材に対して、「そんな寄付はこれまでもしていないし、今後もいっさいする気はない」と答えたのであった。ニューヨークの高層ビルやハワイのゴルフ場を買い占める金銭はあっても、被災者に寄付する金銭など一円もないというわけだ。この冷血さが、日本経済を世界一にのしあげたのだとすれば、アメリカ中央情報部が「日本が経済的に世界を支配するようになったら世界は破滅だ」というのは偏見でも何でもない。正しい予測だといわねばならない。>

 「この冷血さが、日本経済を世界一にのしあげたのだとすれば」などというアホな仮定をもとにして「アメリカ中央情報局(CIA)」の「偏見まじり」のヨタ話を「正しい予測」とまで言える神経は大したものですね。「のしあげたのだとすれば」と仮定の話にする事によって「アレはあくまで仮定の話ですから」と言い訳できるようにしているのでしょうけど。いつの間にこんな「処世術」を身につけたのやら(笑)。
 ところで上記の社会評論は1991年の雲仙普賢岳の噴火の事を言っているのでしょうけど(あの当時に話題になった九州の噴火といえばここしかないし)、「暴力団が義捐金を出した」ことと「財界三団体が一円の寄付もしなかった」こと、この両者に一体何の関係があるというのでしょうか。「暴力団」と「財界」が全く同じ論理で動いているわけがないではありませんか。「暴力団が義捐金を出した」ら財界も寄付しなければならないという論理はどうやって組み立てられたのでしょうか。それに当時はバブルが崩壊した真っ只中でしたから、それに対処するだけで「財界」も手一杯だったでしょうに。
 そもそも「義捐金」というものは強制されて出すものではないし、出さなかったからといって「冷血」と決めつけられるものではないでしょう。義捐金を出す出さないだけで人間や組織の評価が決まるわけではありますまい。災害に巻き込まれた人に同情しない、金を出さないというのは「冷血」と簡単に片付けられる問題ではなく、人間がもつ否定しがたい一側面として論じるべき事でしょう。「自分の関知しないところで災害があっても所詮他人事」という考え方だってあるのですから。それとも思想や考え方を問わず、義捐金は絶対に出すべきであるとでもいうのでしょうか。それこそ思想の押しつけだと思いますけどね。
 そもそも他でもない田中芳樹自身が「人間には自分に災厄が回ってこないと想像力がなかなか働かないという一面がある」と、確か「タイタニア」か「灼熱の竜騎兵」あたりで主張していたはずなんですけど、金を持った組織や個人に対しては例外なのでしょうか。

P180下段~P181下段
<一九八九年に北京で天安門事件がおこり、多くの学生や労働者が殺害されたときにも、中国内陸部の人々は、長いこと事実を知らなかった。
「このごろ日本人の観光客が減ったなあ。何があったんだろうか」
 そう不思議がっていたのだ。TVを見た世界各国の人々が知っていることを、彼らは知ることができなかったのである。
 中国にかぎらず、悪しき権力者や軍隊は、報道を統制したがるものである。自由の国アメリカでさえそうである。
 あるTV局のキャスターが一九八〇年代にイラクを取材し、独裁者サダム・フセインの恐怖政治を厳しく批判した。するとアメリカのSという上院議員がキャスターを呼びつけ、「アメリカのたいせつな友人であるフセインの悪口をいうとはけしからん」と非難した。この当時イラクはイランと戦争中であり、アメリカはイラクを応援して武器を供給していたのだ。一九九一年に第一次湾岸戦争がおこると、そのキャスターは決死の取材で、アメリカ軍の爆撃により多くのイラクの民間人が死んだことを報道した。すると同じS上院議員、「アメリカと全人類の敵であるフセインに有利な報道をするとはけしからん」と非難した。卑小な権力者にとって、報道とは、自分につごうのよい宣伝でしかないのだ。>


「卑小な権力者にとって、報道とは、自分につごうのよい宣伝でしかないのだ」
 確かにその通り。田中芳樹自らが創竜伝の社会評論で実践してくれていますからな~(^_^)。論理破綻している社会評論を展開する時にいつも「つごうのよい報道」を勝手な解釈で引用し、自分の主義主張にすっかり合わない報道は「こんな異常な意見が日本のマスコミでは報道されるのだ」と言わんばかりですからね。
 だいたい田中芳樹は「マスコミが展開する政治批判は全て正しい」という幻想でも持っているのではないでしょうか。もちろん「政府の政策や政治が全て正しい」ということはないでしょうし、批判する事それ自体が間違っているというつもりもありませんが、どうも創竜伝の社会評論を見ていると、マスコミの政治批判を無邪気に礼賛しているようにしか見えません。マスコミの報道だって偏向や偏見が混じっていたり、全くの誤報から批判を展開するという事もあるのですから、政治批判が完全に正しいという保障はないでしょうに。田中芳樹は「反権力もまた権力である」という認識を持ってもらいたいものですな。朝日新聞や日教組なんてその好例ですし。
 ところで上記の社会評論で少し疑問に思ったのですが、「政治家がキャスターを非難」しただけで、田中芳樹の言う「報道の統制」になるのでしょうか。「S上院議員」なる政治家がこのキャスターに圧力をかけて左遷したり、記事を発禁(!)にしたりしたというのならば、「報道を統制した」という解釈も成立するでしょうけど、上記の社会評論を見た限り、かのキャスターは湾岸戦争時も同じ場所で取材していますし、報道もされているようですから、この解釈は当てはまらない気がするのですけど。この問題について詳しく知っている方はいらっしゃるでしょうか?

P186上段~下段
<「自省、自律、自制。人間にとってもっとも困難なものだ。自律というのはたしか共和学院の標語にあったと聞いとるが」
「ええ、ありました。でも現在は変わってます。勤勉、努力、至誠に」
 苦々しげに続が答えた。
「勤勉に努力? そりゃまたずいぶんと楽な目標に変わったもんだて」
 黄老は笑いとばした。努力などというものは、本人が必要を感じれば、誰からいわれなくてもするようになるものだ。だが自律というものは、必要だとわかっていても、なかなかできるものではない。自律のほうが勤勉なんぞよりよほど厳しい目標だ……。それが黄老の意見だった。おそらく正しいのだろう、と、始は思う。>


 いや~、「勤勉に努力」というものを必要としない人に「そりゃまたずいぶん楽な目標」などと言われても全く説得力がありませんな。だいたいこれが正しいというのならば、せめて田中芳樹自身が率先して実行すべきではないですか。あの遅筆ぶりからして、田中芳樹が「そりゃまたずいぶん楽な目標」というものを実行しているようには見えないのですけどね~。
 最近の田中芳樹を見ていると、「勤勉のほうが自律なんぞよりよほど厳しい目標だ……」と思ってしまう今日この頃。

P187下段~P188上段
<「湾岸戦争といえば……日本は中東から無料で石油をもらっておるのかな」
「いえ、きちんと代金を支払っています」
「誰に支払っとる?」
「国際石油企業です」
「四人姉妹の所有する会社じゃな」
 黄老のいうとおりであった。四人姉妹は中東での石油の権益を独占し、産油国の政治にも干渉する。独裁者に兵器を売り、その兵器を自分たちの兵器で破壊する。油田の一部が炎上すれば石油代金を値上げする。一セントの損もしない。それどころか、独裁者をやっつけた自分たちが正義の味方だということを宣伝できる。彼らの代理人であるアメリカ大統領は、戦争をやることによって支持率を四〇パーセントから九〇パーセントにまではねあげる。見えすいた計算。そして計算どおりに世界は動き、人々は「正義の味方」に感謝する。忠実な属国は、あたらしい税までつくって、正義の味方に戦争資金を提供する。>


 確かにあまりにも見えすいていて興をそぎますな。アメリカの宣伝や正義がではなく、ウソをついてまで日本とアメリカを貶める田中芳樹の社会評論の姿勢が、ですけど。しかもこれを聞いていると中東諸国に自主性が全くないみたいではないですか。いくら何でもイラクや中東諸国に失礼な話ではないでしょうかね。
 「独裁者に兵器を売り、その兵器を自分たちの兵器で破壊する」これがすでに違うんですよね~。自国で兵器を生産していない国が他国からの輸入に頼っているのは間違いありませんが、その場合の鉄則として、兵器を二カ国以上の国から輸入するというものがあります。理由は簡単で、一カ国からだけの輸入だと、その国との関係が悪化した時に兵器を輸入してもらえなくなるからで、その時の保険としてもう一カ国輸入対象を設定するわけです。だからイラクだけでなく中東諸国のほとんどはソ連(創竜伝7当時、今はロシア)からも兵器を輸入しています。それにもともとソ連(ロシア)製の兵器は安価で信頼性があると評判ですから。
 現に湾岸戦争で使用されたイラクの兵器を見てみると、大半がソ連製である事が分かります。例えば湾岸戦争で話題になったスカッドミサイルとその発射台(SS-1C スカッドB)はソ連製の兵器ですし、湾岸戦争で使用されたイラクの戦車もT72主力戦車で、これもソ連製です。四人姉妹の設定に、旧ソ連を支配していたという設定はなかったはずなんですけどね~。兵器という物をリベートと金もうけの手段としか見ていないからアメリカとソ連の兵器の違いが分からないのでしょう。兵器というものひとつをとってもこれだけの政治性が見えてくるのに。まあ創竜伝の兵器描写は間違いだらけですから、そこからはじき出される認識がトンデモなものになるのも当然といえば当然ですが(^_^)。
 「忠実な属国は、あたらしい税までつくって、正義の味方に戦争資金を提供する」
どうやら田中芳樹の頭の中では、消費税が湾岸戦争の資金提供のために創設されたものであるようです。消費税が1989年4月1日に施行されたのに対し、湾岸戦争開始が1991年1月17日(←偶然にも竜堂兄弟の誕生日です(^_^))ですから、田中芳樹の言う通りならば、未来を見据えた日本政府の何と慧眼であることか(笑)。まさか田中芳樹から日本絶賛の社会評論が聞けるとは思わなかった(笑)。
 田中芳樹よ、評論をやる時はきちんと整合性を考えてやらなければダメです。上記のようなトンデモ解釈ができてしまいますから。

P188上段~下段
<一時ミャンマーと改称していたビルマでは、軍事独裁政権が狂気のような弾圧と虐殺をおこなった。世界は独裁者たちを非難したが、口先だけで、軍隊を送りこんで彼らを打倒しようとはしなかった。
 ビルマは石油資源もなく、四人姉妹の権益もない。だから自由と正義の守護神であるはずのアメリカ軍は、そんなところへ出かけていって悪人たちと戦おうとはしなかった。むろんアメリカの兵士たちに「ビルマでもチモール島でも、世界じゅうどこへでも出かけていって正義のために血を流せ」と強要することはできない。アメリカ軍がアメリカの国益のために戦うのは当然のことである。ただ、アメリカの利益でしかないものを、あたかも絶対の正義であるかのように宣伝するのが、傍から見るとうさんくさいわけである。むろん、すこしもうさんくさいと思わず、正義の味方のかっこいい姿に感激する幸福な人々も多く存在する。こういった人たちをひとりでも増やすことが、四人姉妹の世界支配を永続させるための重要な手段であろう。かくして情報は操作され、油で汚れた水鳥の映像が世界に流れる。>


 アメリカ軍がアメリカの国益のために戦う? 違うでしょ。アメリカ軍は四人姉妹の利益のために戦っているのであって、「アメリカの国益」などという四人姉妹にとってどうでもいいようなシロモノのためになんか戦っていませんよ。だいたい「アメリカ軍がアメリカの国益のために戦うのは当然のことである」なんて、戦前の国粋主義者のような言動ではないですか。前回の「P127上段~下段」のところで、「この世界を支配している政治と経済のシステムには、どこかとほうもなくグロテスクなところがある」と「アメリカ軍がアメリカの国益のために戦う」ことを批判(?)していたではありませんか。同じ本の60ページほどで何で勝手に見解を変えるんですか。
 このような評論は、現実と小説設定が食い違って整合性がとれなくなっている好例でしょう。小説設定に忠実ならば上記のような矛盾が発生せざるを得ないのですから。さらには別の所で主張している社会評論とも食い違っていますし、田中芳樹の主義主張にも反しています。「アメリカ軍がアメリカの国益のために戦うのは当然のことである」というような論理を、なぜ日本には適用しないのか説明していただきたいものですね。
 そしてアメリカ軍の行動を「うさんくさい」と考えるのは田中芳樹の勝手ですけど、他人が別の事を考えているからといって「すこしもうさんくさいと思わず、正義の味方のかっこいい姿に感激する幸福な人々」と「幸福な人々」などと蔑むように貶める主張にはいつもながら感心させられますな。ではアメリカが一切「正義の味方のかっこいい」行動をせず、イラクのクウェート占領を指をくわえて黙って見ていたらどうなるのか、その事を少しは考えた事があるのでしょうかね。私に言わせれば田中芳樹は
 『イラクのクウェート侵攻の政治的・経済的影響について全く考えず、アメリカ軍の「正義の味方のかっこいい姿」とやらをのんきに非難する幸福な人』
にしか見えないのですけど。
 ついでに余計な感想を言わせてもらえば、「一時ミャンマーと改称していたビルマ」(「一時」ってずいぶん長いものですな(笑))の「狂気のような弾圧と虐殺」を批判するならば、何で毛沢東の文化大革命を批判しないのでしょうな。ミャンマーのレベルではないと思うのですけどね。やっぱり「一時ミャンマーと改称していたビルマ」には田中芳樹が小説にできるネタもなく、田中芳樹のシンパシイもないからなのでしょうか(笑)。

P190上段~P191上段
<一九四一年、リトアニアに駐在していた日本人外交官が、亡命を希望するユダヤ人に、国外脱出に必要な査証を発行した。六〇〇〇人の生命が、ナチス・ドイツによる虐殺から救われた。これはナチスや日本政府からの圧力をはねのけてのことであった。むろん誰にでもできることではないが、狂気と悪意の時代にあっても、個々の人間は自分と他者との尊厳を守ることができる。そしてこういう人たちこそが、歴史において日本の名誉を守るのだ――「日本人は優秀だ、日本は世界一だ」とそっくりかえるような人たちではなく。
 アジア人留学生のために私財を投じて援助をつづける八百屋さん。南アメリカの奥地で稲づくりを指導する農業技術者。ネパールの山奥の学校の電気を引くために苦闘をかさねる技師。そういった人々が日本にはいる。政治業者や財界が無法のかぎりをつくし、日本の評判を堕とす一方で、そういった人々が黙々と日本の名誉を守っている。そして日本国の勲一等の勲章は、こういう人々ではなく、政治業界と財界にばらまかれる。
 竜堂兄弟の年代では想像するのもむずかしいが、日本にも貧しい時代があったのだ。外国からの援助を必要とした時代。国内によい職場がなく、人々が外国へ出稼ぎに行った時代。二〇世紀末の日本人に、「南アメリカのペルーとはどんな国か」と問えば、「左翼ゲリラが跳梁し、日本人技術者を殺す、おそろしくて貧しい国」という答えが返るだろう。だが第二次大戦の直後には、そのペルーが日本に食糧援助をしてくれて、おかげで何万人もの人たちが餓死から救われたのだ。今度は日本が多くの国に力を貸し、自立を助ける立場になった。けっこうなことだ。できるだけのことをさせていただこうではないか。そう祖父の司は始に語ったことがある。
 アメリカにつぎのような小咄があることも、祖父は始に教えてくれた。日本経済の脅威について、ふたりの人物が語りあっている。
「日本人は世界を征服しようとしている!」
「いや、日本人はだいそれた野望をもっているが、それは世界征服ではない」
「では日本人のだいそれた野望とは何だ?」
「せめて六畳間をもうひとつ……」
 この小咄に日本人は苦笑するが、日本人の実像とはそのていどのささやかなものだ。その実像を世界に伝え、なるべく親しまれるようにしたほうがよい、とも。>


 そう思うのならきちんと有言実行しなさいって(-_-;;)。「日本人の実像」とやらをウソまで交えて徹底的に歪めた社会評論を展開しているのはどこのどなたでしたっけ? まさか「日本人はイベント大好き民族」だの「嫌われ者の成金民族」などという評価が「日本人の実像」と思っているわけではないでしょうね。
 それに「いかにも素朴に見えるボランティアの人々」を礼賛するのは大いに結構な事ですが、勲章をあれほど罵っている人が「日本国の勲一等の勲章は、こういう人々ではなく、政治業界と財界にばらまかれる」と言っているのは笑止な限りですし、
「今度は日本が多くの国に力を貸し、自立を助ける立場になった。けっこうなことだ。できるだけのことをさせていただこうではないか」
と、三十年ぐらい前の認識を披露しているのには笑わされますね。こんな事を言っている間に、日本のODA拠出額はとっくに世界一の水準になっていますし、世界各国のODA拠出額がむしろ減少傾向にあるなかで、日本のODA拠出額はいまだに増加傾向にあることも知らないのでしょうな。「政治家や財界はひたすら民衆の事を考えない愚劣な政治を行っている」という妄想的な考え方からいいかげんに離脱してほしいものです。


 やっと創竜伝7の批評終わり~。あー長かった(T_T)。
 次は少し「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」の特集をやってみましょう。

board1 - No.1626

竜堂兄弟のクルマ問題と天界の食事

投稿者:冒険風ライダー
1999年08月09日(月) 06時22分

<「政治の腐敗とは、政治家が賄賂をとることじゃない。それは個人の腐敗であるにすぎない。政治家が賄賂をとってもそれを批判できない状態を、政治の腐敗というんだ」>

 これは銀英伝の政治論の中でも、最も正論を主張している所のひとつでしょうね。創竜伝の場合は「個人の腐敗」を「政治の腐敗」に結びつけたいがために「日本のマスコミは政治批判をしない」「日本では汚職や腐敗の責任を追及されない」と言ったトンデモなデマを主張したり、文部省や財界の「罪悪」をでっち上げてまで「批判」したりしています。
 私が思うに、創竜伝は出す時期が60年ばかり遅かったのではないでしょうか(^^;;)。その時期ならば、あの社会評論も正論だったのかもしれないのですけどね。


<いや、昼間はまずいでしょう。いくらなんでも「Dr.スランプ・アラレちゃん」よろしく「キーン」なんてやった日にゃ花井夫人じゃなくても怪しがるって(笑)。>

いや、私は創竜伝世界ならば「集団幻覚」で押し通せるのではないかと思いまして(笑)。
それに彼らは人前で超能力を披露することにためらいを覚えていないようですしね。
まあ私の疑問は極端だったでしょうが、彼らは遠出でもしないかぎりクルマを使用していないのは確かでしょう。一般人のように近くに行く時までクルマを使うとは思えませんね。駐車場探すのも一苦労ですし(-_-;;)。
第一、彼らのクルマって8年物の中古車ですから(創竜伝2 P39)、乗りごこちも相当悪いんじゃないでしょうかね。手入れが悪ければいつ故障するか分からんし(笑)。


<ところで竜って何が主食なんだろ?というか中国の天界の住人は何か特別な果物が主食だったような覚えがあるんだが。>

 創竜伝の場合、竜は何も食べてはいませんね。人型形態(笑)の時の食事は普通一般の日本人とあまり変わらないと思います。創竜伝5巻でカレーを作っていましたし、鳥羽茉理が作る料理も普通一般の食事と変わらないでしょう。味の方は知りませんけどね。
 ところで創竜伝8巻に天界の食事の記述がありますので、それを引用してみましょう。

創竜伝8 P66上段~下段
<「これは豚肉と春雨と野菜を細切りにして炒めて卵焼きを帽子みたいにかぶせてあるの。こっちの薄餅にくるんで食べて下さいね」
「うーん、美味! こっちの何だかふわふわした泡雪みたいのは何?」
「それは富貴金絲盞(ふうききんしさん)。卵の白身にフカヒレと中国ハムの細切りを加えて、型に入れて蒸してあります。アスパラガスを添えてどうぞ」
「すごいな。中国料理って芸術だなあ。で、こっちの綺麗なのは?」
「これは淡水魚のイシモチを丸揚げにして果物のソースをかけてあるのよ。果物は一〇種類ぐらいで、熱帯のものが中心ね」>


 ちなみに「特別な果物」というのは桃です。中国神話(だったか?)には桃源郷なんてシロモノもありますからね。主食かどうかは知りませんけど。
 アルスラーン戦記やマヴァール年代記でもそうでしたけど、田中芳樹の食事のウンチクって相当なものがありますね。まあ中国関連のウンチクや創竜伝の社会評論と違ってこちらの方は好感が持てますけどね。「ジャガイモの設定ひとつで物語に影響が出てくる」というマヴァール年代記の文庫版あとがきは私も感動したものですし、「食事から生活水準が分かる」という視点もありますから。
 これの十分の一の真剣さでも創竜伝の社会評論に組み込んでくれればねえ……。

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