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- board1 - No.634
レス
- 投稿者:やぶにらみ
- 1999年01月27日(水) 05時17分
不沈戦艦さま
まず、前回の書込みが不沈戦艦さんに対してだけのものでなかったことをお断りしておきます。ナショナリズムは、謎の転校生さんの用いた言葉です。個別にレスをつけるべきでした。この点に関して、不沈戦艦さんと謎の転校生さんに対してお詫びします。
さて、不沈戦艦さんは、自民族よりも他民族を批判する方が自然である、ということを前提にしていますね。自然=善だと書かれていない以上、不沈戦艦さんに差別増長の意図が無いことは明白ですが、それでも、ここから日本人の「反省」傾向が不自然であるのを批判しているのですし、「自民族の悪口より他民族の悪口を言うのが当たり前」と曲解する人も出てくるのではないかと危惧したのです。不沈戦艦さんの口から改めて否定してもらえて恐縮です。
私自身は、こうした前提自体を疑ってかかるべきでないか、と考えてはいます。
(ところで三浦氏の発言ですが、強姦を助長する意図は無いにせよ、強姦という非道な行為に対する想像力の欠けたもので、批判されるのは当然でしょう。しかしどういう文脈で出てきたのでしょうね)
話を戻しますが、問題は「日本人に自罰的傾向があるか否か」ではなくて、その傾向に妥当性があるか、ということだと思います。
(たとえば田中芳樹氏なら、日本人には後暗い過去がたくさんあるのだから、反省するのは当たり前、と考えているのでしょう)
井沢さんの喩えですが、私にはピンときません。完全消毒したトイレの床を舐めろといわれれば躊躇しますが、自分の手のひらなら、洗う前でも舐められます。科学的真実と生活上の感覚がかけ離れていることは、「穢れ」という日本的(?)発想を持ち出すまでもなく、よくあることではないでしょうか。
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- board1 - No.635
RE.632,633 余談として
- 投稿者:石井由助
- 1999年01月27日(水) 06時19分
>仮にこの二つの事件が、並んで新聞の三面記事になっていたとしましょうか。それを読んだ「普通の日本人」はどう思うでしょうか?……「ああ恥ずかしい。いくら何でも中国人だけ出入り禁止にするだんて人種差別もいいところだ。なんて日本人は情けないんだ」、と考えませんか。
まあ、この種の問題ってのは、万引きの対抗策がどこまで許されるかというのと同じで(やりすぎだって感じる店、ありますよね)、結局、店側の対抗策がどこまで許されるかという問題だとは思うのですが、確かに差別的、排他的な話であることに間違いはありません。が、実のところ、実際はもっと怪奇なんですよ。この話は。
何故か。
その種の統計を見て貰えれば一発で判ると思うのですが、パチンコ屋の大部分は「在日コリアン」です。風呂屋の件は別にしても、パチンコ屋の件に関しては、明らかにコリアン(「朝鮮人」だと現在では南北の誤解が生まれそうなので、敢えてこう書く)の排他性、中国人差別の問題なはずです。
ところが、これに関して日本人の側はどうでしょうか?
93年11月2日 朝日新聞
「『中国人拒否の動き』
『中国人の入店禁止』など、外国人を締め出す張り紙が、埼玉県内のパチンコ店やパチスロ店で目立っている。中国人が玉が多く出る細工をしている、というのが理由だ。(後略)」
という本文のあとに、外国人人権センターの弁護士とやらの「こういう風潮が怖い」というコメントが付け加えられています。
もちろん、この記事を書いた記者や、外国人人権センターの弁護士は、「『コリアンの』こういう風潮が怖い」と言いたいわけではありませんね。「『日本人の』こういう風潮が怖い」と言いたいわけです。この記事のすぐ下には、ご丁寧にも関連記事のような配置で「中国人慰安婦」の調査について書かれていますしね。
朝日だからねぇ…という言葉が聞こえてきそうですが、国民新聞じゃなかった(笑)読売新聞にも、このことに触れて「日本人の排他性が恥ずかしい」という意見が読者欄に載っていました。
不沈戦艦さんの「日本人は民族的に自虐」という説には正直言って肯えないのですが、現在の日本人がある種の自虐思想(というか、田中芳樹的「被差別者は偉く、清く、正しく、美しい」思想の裏返しとしての自虐であると思う)にとりつかれているのは、事実であると思いますよ。
>差別主義者相手なら「だまれ、ボケ」で済ませてしまって構わないと思うのですね。どだい言説としてすら成り立っていないと言いますか。
これは、病的な差別摘発運動などのように、差別そのものの隠蔽や差別の実相から目をそらす事(上記の例なんてまさにそれ)になると思うので、私は反対です。やはり、遠回りのようでも、論理的に解体して行くしかないと思います。
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- board1 - No.636
うーむ、なかなかご理解頂けないようです
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年01月27日(水) 14時48分
>やぶにらみさんへ
「自民族より他民族を批判する方が自然である」と言うより、日本以外ではその方が一般的ではないか?という話ですね。特に優越感に浸りたい場合は。ここで、実はやぶにらみさんも、その傾向に駆られているのでは?と思いますよ。なぜかと言うと、やぶにらみさんは「何となく」、「自民族より他民族を批判することは反倫理的なのではないか?」と考えているのではないかと思いますが違いますか?それよりは、「自民族を批判した方が」精神的に落ち着く訳です。先に他民族を批判すると「何か良くないことをしている」というような不安感に囚われているのではありませんか?それこそが、「反省的(あんまり自虐的、という言葉はここでは使いたくないですね。歴史論争ではないので。実際、私は使っていませんよ)」な日本人の心性だと思います。揚げ足を取って喜んでいる訳ではないので、誤解のなきように。このケースのやぶにらみさんのように、
「先ずは自民族批判に矛先が向くことが、日本人としては自然な感情だと感じてしまうのだ。しかもそれは無意識に、自分の精神が落ち着く方向で行われるので、実際言っている本人に自覚は全く無い」
一応これが、私の論の集約です。そして、これに対する批判と言うより、「日本人はこういったモノの考え方を持っている」と自覚したほうがいい、という話です。病状の診断を間違えたら、その間違いを元にどんな治療をしても、効果がありませんからね。だから、あまり自分の理性を信じ過ぎない方がいい、と言った訳です。つい「科学的」に考えてしまい、自分の理性では認識していないことを言われると理解できない、というのはよくあることです。これに関しては、共産主義思想がどうのこうの言う以前に、福沢諭吉の思想によるものも大きいと思います。彼の幼年時代のエピソードに、神社に飾っている御神体の石を、周囲の大人が有難がっているのを馬鹿じゃないかと思って夜中に勝手に他の石と替えてしまったが、周囲の誰一人それに気付かず、前と同じように御神体として有難がっているのを見て、ますます周囲の大人は馬鹿だという確信を深めた、という話があったと思います。つまりこれ、不合理な宗教感情を馬鹿にしている訳ですよ。そして明治維新後は、それがある程度「科学的」な態度を取ろうとする人間の間では常識と化してしまい、今に至っている訳です。更に、戦後蔓延った唯物史観で増幅された、というのはありますが。やぶにらみさんや管理人さんが「どうも不沈戦艦氏の意見は肯定できない」と考えてしまうのも、これらの影響だと思います。つい「科学的」に考えてしまう為、自分では認識していない無意識の宗教的(精神的、心理的)感情などがあると実感できない、という訳なんです。
また、井沢氏の「穢れ」に関してですけど、残念ですが自分の手は「穢れ」ではありません。あくまで「他人」でなければ「穢れ」にはなりませんよ。もちろん、その他人との関係にもよりますが(恋人だったら、穢れとは思わないでしょう)。やぶにらみさん、どうです?あなたの両親が20年使った箸と茶碗、何回も洗浄し煮沸消毒したとしても、抵抗無く使える心理になれますか?やっぱり「何となく嫌だ」と思いませんか?その煮沸消毒した箸と茶碗、買ってきた割り箸と茶碗、これらのどっちか使って飯を食え、と言われたら買ってきた方を選ぶんじゃないでしょうか?「穢れ」の概念は他人からのものですので、自分の手を例に出しても無意味だと思います。トイレの便器は言うまでもありません。
また、全然関係無い話ですけど、前に山本七平氏が、
「日本人とユダヤ人が遺跡の発掘調査をしていた。そうしたら、大量の人骨が出土した。その後、ユダヤ人はなんともなかったのだが、日本人は熱を出して寝込む者が続出。作業にならなくなってしまった。どうやら、日本人たちには『おはらい』が必要だったようだ」
という事を言っていたことがありました。これなんかも、いかに「無意識の宗教感情」に日本人が突き動かされるか、という好例でしょう。そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、今でも建築する場合は「地鎮祭」を必ずやりますよね。日本人には不合理な宗教感情もある、とある程度ご理解頂けたら、と思います。もちろん、韓国人なら根底には儒教(キリスト教徒もいますが)、中国人なら儒教と道教、インド人ならヒンズー教、中東ならイスラム教、欧米はキリスト教と、「無意識に刷り込まれている宗教」は世界のどこへいってもある、というのは言うまでもありません。
三浦朱門氏の件に関しては、どういう文脈で出てきた話かは忘れてしまいましたね。でも多分、いわゆる「人権屋」を挑発するつもりで言ったのでは?と想像しますけど。「人権屋」に対するイヤミのつもりだったんじゃないでしょうか。でも、つまんない事を言ったもんだと思いますね。「現代の男に体力が無い」と言いたいのなら、他にいくらでも言いようはありますので、わざわざ犯罪行為を例に持ち出すこともないと思いますから。
>管理人さんへ
まあ、「日本人の反省指向」は絶対正しく、認めないのは愚か者だ。いい加減解らんか!、などと言うつもりはサラサラありませんので、「肯えない」のももっともだとは思います(やぶにらみさんも)。ただ、一応上に「何でやぶにらみさんや管理人さんはそう考えるか」も書いていますので、ご一読されれば、ある程度理解してくださるのでは、と思います。また、「現代の日本人がある種の自虐思想に」とりつかれている」のは、二次大戦の敗戦も影響しているでしょう。あの後、占領軍は「日本は全て誤っていた」という刷り込みを強烈にやったでしょう。それが、元々持っている「反省指向」にズバリ適合したのではないかと思います。「そうか、我々は間違っていたんだ。進んだアメリカの文化を取り入れてやり直さねば(中には、対象が唯物思想の人もいますが)」と、日本人にとって精神的に落ち着く心理になったことが、現在まで響いているというのはあると思いますよ。それゆえの「自虐(あんまり使いたくないんだけど)」なのでしょうね。田中芳樹などはその好例でしょう。
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- board1 - No.637
オウム教の中の田中文学
- 投稿者:コジラ
- 1999年01月27日(水) 15時11分
>オウム教
例の「新世紀シヴァンゲリオン・人類解脱計画」ですね。(笑)
(ttp://aum-internet.org/aum1-5/index.html)
もの凄く笑えました。
そういえば、オウム教のオクラホマ爆破事件ページで「ブリュンヒルト・ローエングラム」となる人物が出てきました。
(ttp://aum-internet.org/aum7/4/02ok/)
前にもオウム教の機関誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ」の記事「アニメ・映画に見る世紀末世界」の中でターミネーター、北斗の拳、風の谷のナウシカに並んで創竜伝が取り上げられており、内容は「FourSistersの名前がモルガンやロックフェラーといった欧米の財閥と似ていることなどから40億人虐殺計画は進んでいる!」というものです。
いったい、オウム教はどれくらい田中文学に影響を受けたのか?
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- board1 - No.638
銀河電脳伝説・i mac自治政府
- 投稿者:李家健次郎(byコジラ)
- 1999年01月27日(水) 16時04分
ヤン・ジョブスリー加わるimac自治政府は前もってイゼルローンの業者と直接取引の契約を済ませており、イゼルローンを皮切りにimacを銀河系で大成功させた。
MS帝国のゲイツ皇帝はWin98部隊を率いて参戦したもののジョブスリー部隊とメルカッツのシャーロックの森と呼ばれる販売部隊の前に破れる。
ジョブスリーはMac World Expoでの講演会でmacの発展を祝い、新技術を発表。
反響は上々。
その後、ゲイツからジョブスリーに首脳対談の申し出があった。
この機会しかWinとMacの共存をはかることが出来ない。
そして、ジョブスリーはMS帝国の本社のあるフェザーンのシアトル市へと向かっていった。
そのころ・・・。
ゲーム教のド・アンソニー大主教はゲイツとジョブスリーが対談を成功させ、WinとMacの共生を計る可能性が強まった。
ジョブスリーはゲーム教の資金源の一つであるプレイステーションのエミュレータを紹介して、即日銀河系全体の話題になった。
ド・アンソニーはVAIO部隊と共にコンピュータと娯楽の融合を果たそうとしたが、ほんのわずかの差でジョブスリーに先を越されてしまった。
WinとMacが共生を果たしてしまえばゲーム専用機の出番がなくなるという恐怖にとらわれある一つの恐るべき計画を発案した。
それは「ヤン・ジョブスリー暗殺計画」。
ジョブスリーを暗殺して反MS勢力をゲーム教に寄せるためにある一人の男が選ばれた。
其の男の名はアンドリュー・フォーク。APPLE3の開発と販売責任者だった。
APPLE3はMac開発を主張したジョブスリー達の反対にあったものの強引に発売されたが、ほとんどが不良在庫として残ってしまい、アップル同盟の国力を大いに削いだ。
アンソニーはフォークに言った。
「フォーク君。君こそはアップルアーキテクチャの真の救い手になれるだろう。ヤン・ジョブスリーは専制支配者ウィリアム・フォン・ゲイツと妥協し、講和して、彼の覇権を容認し、その下で自己の地位と特権を確保しようとしている。ヤン・ジョブスリーを殺せ。彼はアップルアーキテクチャを売り渡そうとする醜悪な裏切り者だ。フォーク君、いや、本来ならば君こそがいまごろは若きCEOとなり、アップル全体を指揮して、市場を二分する決戦にのぞんでいたはずなのだ。すべての準備は吾々がととのえる。ヤン・ジョブスリーを殺してアップルアーキテクチャを救い、かつ君の正当な地位を回復したまえ。
背教者アドリアン・ニンテンスキー、あの男には酸素の一原子すら与えてはならない。ド・アンソニーの憎悪と危機感は、精神的な血縁者にむけて増幅されたものであった。
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- board1 - No.639
偽史銀英伝
- 投稿者:コジラ
- 1999年01月27日(水) 16時13分
>バーラト星系自治政府
確かに取りつぶしになりやすいですね。
前に「田中先生は未だに具体化されていない民主主義を理想としている」「中国万歳」といったことからも立憲君主制では「最後は大日本帝国」となってしまいますね。
ふと思ったことなんですが、「偽史・銀英伝」ていうのはどうでしょうか。
内容は「反・銀英伝」とは異なりラストをバーラト星系自治政府又はトリューニヒトor 地球教政権以外でのローエングラム王朝の立憲君主制化までを最もらしく・面白く描くというものです。
取り合えず私が書いたシナリオではラップ大佐はアスターテで戦死せずにヤン、シェーンコップと共にイゼルローンを陥落させ、ジェシカとの結婚のためにヤンと共に退役しようとします。
しかし、ラップはヤンと共に退役は却下され、フォークが(このときから地球教のアジテーターがからんでいたとするのも面白い)帝国領大遠征を企てます。
そして、ヤンとラップ、シトレ元帥、ビュコックは帝国大遠征に反対します。
だが、「内閣」に反戦派はレベロとホワン、トリューニヒトしかいません。
ここでトリューニヒトが地球教に付くところをヤンの可能性を見いだし、帝国大遠征反対と同盟の国力回復の点で取り合えず合意。
それに対してフォークは戦場でヤンやラップなどといった「邪魔者」を特攻させようとする計画を立てる・・・。
この場合はラップが「特攻」させられるとはいえ戦死したわけでもないしイゼルローン陥落の余韻もあることからもジェシカの反戦運動に無理が残ってしまいますが。
うーん。最初から難問にぶち当たってしまった。
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- board1 - No.640
日本人の習性
- 投稿者:カエルサル
- 1999年01月27日(水) 17時10分
日本人と不文律、宗教意識の拘束については故山本七平氏の「空気の研究」(文春文庫)が興味深いです。日本人が自虐だとは書いてないけど
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- board1 - No.643
オウムと田中芳樹(結構重要)
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年01月27日(水) 18時28分
>そういえば、オウム教のオクラホマ爆破事件ページで「ブリュンヒルト・ローエングラム」となる人物が出てきました。
>前にもオウム教の機関誌「ヴァジラヤーナ・サッチャ」の記事「アニメ・映画に見る世紀末世界」の中でターミネーター、北斗の拳、風の谷のナウシカに並んで創竜伝が取り上げられており、内容は「FourSistersの名前がモルガンやロックフェラーといった欧米の財閥と似ていることなどから40億人虐殺計画は進んでいる!」というものです。
をぃをぃ!!!!……もうこれだけでアイツらに破防法かける理由は充分だってば!!(^_^;;;
>いったい、オウム教はどれくらい田中文学に影響を受けたのか?
文庫本のおまけの竹河聖さんとの対談で、オウム事件(じゃなくて幸福の科学だったかな? 文庫本は買っていないので曖昧です)に対して「僕もさんざんおちょくって書きましたからね」と得意げに書いていたのには唖然としましたね。
ああ、コイツ、これに関しては小林よしのりの足元にも及ばないな、と思いました。あんなのでおちょくったつもりになる精神は理解不能です。
大体、宗教事件に関しては、アンタそんなこと言っている場合じゃないだろ! とも思いました。オウム事件なんて、創竜伝で散々批判している警察の別件逮捕、違法捜査、容疑者の人権侵害のオンパレードですよ。そして、それがなかったら、第二第三のサリン事件が起こっていた可能性が大きいのです。公安もしかり。あの事件で、公安が果たした役割は大きい。
今までの創竜伝の文脈から行けば、田中芳樹は警察のやりすぎを糾弾し、駅前で「これは警察の違法捜査であり、人権侵害です。オウムへの捜査は、公安のファシズムなのです」とビラを配っていたオウム信者の応援をしなければならないはずです。
そして、被害者や遺族からクレームが来たら、こう答えなくてはなりません「これは日本をファシズム軍事国家にしないための市民運動なのです。あなたのご家族が亡くなったのは残念でしたが、容疑者の人権と日本の民主主義のために我慢してください」。
また、以上のことが出来ないのなら、彼は如何に自分の意見が間違っていたかを反省し、謝罪するべきです。しかし、見事にほおかむりしてくれましたね。
私にとって、田中芳樹の思想が腐っていたことは、オウム事件で決定的に明らかになりました。それに輪をかけて腐っていると思ったのは、あれだけ得意げに自分のご高説を開陳しておきながら、いざ実際の状況になると無視して逃げ、反省もしない、田中芳樹の態度です。
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- board1 - No.644
日本人は自虐か云々・・・
- 投稿者:仕立て屋
- 1999年01月27日(水) 19時15分
一連の”現代の日本人にある傾向としての自虐性”については自虐という言葉を当てはめることに問題があるように思います。"バチカンの日本人排除"や"中国人を銭湯に入れないよ事件?"に対して一般的な日本人が他国人よりもむしろ日本人を問題視するのは自虐でもなんでもなく至極当然なことのように思えます。よそ様の国に行ってそこでその国の文化慣習を無視すれば、日本人の郷にいれば郷に従えの見地から日本の恥さらしになるわけで、負い目のある国の人を排除すれば、日本人の判官贔屓的な気質からこれまた、日本の恥さらしと感じるわけです("大よりも小を贔屓するー>小は大になにをしても許される/小から派生して負い目のある中国人が日本人の銭湯に迷惑をかけても許される"という図式です。中国人がアメリカ人ならそれほど問題にはならないでしょう)
ともすれば自虐的にみえる日本人の特性をこうした伝統的な日本人の気質によるものだと考えれば、負い目のある国に対して弱腰であったり、それに伴う先ずは自己反省という姿勢もごく自然なことのように感じられませんか?いわゆる自虐とは実現象は同じでもその源泉はまったくの別物だということが理解できると思います(ナショナリズムが希薄な人でもサッカー日本代表を熱烈に応援し日の丸をふり回せるのはこの日本人の気質に反しないからです) また、景気が悪くなればすぐ落ち込んで自己反省一辺倒になるのも"文化は(良いものは)常に外部からやってきて、自分は劣ってる”という時代背景と島国の特殊性からきているものと思われます。やっと外部に追いついたとおもって外部に向かって飛び出して行く度に、失敗して島国に閉じこもり反省の時を過ごす、というものです。アングロ=サクソンが同じ島国でありながらこの反省病を克服できたのは外部進出に成功したからだと言えるでしょう。現在の日本の落ち込みようを見てるとなんか2000年間未だに同じことを繰り返してるんですねぇ(いつになったら精神的外部進出に成功するんでしょうか)。ま、これも日本の反省病であって決して自己を貶めるという意味での自虐とはちょっと違うように感じられます(ちょっと話が脱線してしまいましたね、ゴメンなさい)
問題はこうした日本人の気質を自著で日本人を貶めるために?都合よくつまみ食いをする田中氏の姿勢とそれを喜ぶ読者の自虐性に問題があるのではないでしょうか?
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- board1 - No.645
偽史銀英伝
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年01月27日(水) 19時21分
>「僕もさんざんおちょくって
>書きましたからね」
まあ、本人は非・宗教のスタンスを取っていたことは事実だし、ああ描いておけば(番外編・4巻だっけ?)オウムがそれを援用するとは思わなかったのでしょうね確かに。
ただ、「陰謀論」を小説の枠組みとして用いた以上、その影響についてもっと慎重でもよかったかも。
小林よしのりというより、転生を信じて自殺した女学生が出たとき「これ、フィクションですからね!」と野暮を承知で強調したナントカさん(「僕の地球ナントカ」だったと思う)くらいに責任を感じてもバチはあたらんぞ。
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ピエトロについての私の書き込みにある「背けし」は「背きし」ですね。始さんに言われる前に訂正(笑)。(「顔を」などが省略されてると考えれば強引に文脈繋がるが)
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「偽史銀英伝」を本編の後の話(つまり「銀英後伝」)と定義すると、元老ミッターマイヤーやミュラーらは皇帝遺訓派でしょうから・・・二世ジークやウォルフの養子ら第二世代が冷酷に自治政府を潰そうとするとか、あの行方不明のゴールデンバウム末裔の決起とかに、未亡人フレデリカのロマンスやらシェーンコップの隠し子その2(笑)とかが絡めばおもしろいでしょうね。
バーラト自治政府取り潰しはいわば銀英伝版「城塞」(大阪の陣を描いた司馬作品)か?
田中芳樹の中国古典紹介の仕方については、多少意見があるのですが時間ですのでこれは後日。
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- board1 - No.646
帝国が自助努力で立憲化するなら・アルスラーン
- 投稿者:新Q太郎
- 1999年01月27日(水) 19時47分
正史で地味ーにいい役してた(笑)カール・ブラッケに働いてもらう必要があると思う。
まあ、これは余りにも娯楽小説に求めるものではないし、銀英伝はよくやってたほうだが、それでも「思想」が政治状況にあたえる影響、は書ききれていないですね。例えばブラッケは旧王朝で迫害されていたのか道楽として無視・黙認されていたのか?
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昔のみて気づきましたが、この掲示板はアルスラーンには悪口あんまりないですね。
「名君伝」をああいう形で書くというアイデアは確かに彼の功績だし、イデオロギー臭もないしね。中国ものよりああいう路線を突き進めばよかったんだ。
軍人の勲章じゃあるまいし、直木賞なんていらないでしょう(←俺が言うな)。
俺も同作品への批判は「ギーヴ、弓矢が届いてたんなら安楽死じゃなくボダン司教を射殺しとけ」ぐらいですね(笑)。
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- board1 - No.647
RES:636&644
- 投稿者:やぶにらみ
- 1999年01月28日(木) 01時07分
不沈戦艦さん、こんにちは。
私は「自覚」を持っている、という主張に対して、あなたは気づいていないが、宗教的に方向づけられている、と返されると、泥試合にならざるを得ないですね。ギヴ・アップしてしまいます。
とりあえず、私は「反省」がア・プリオリに正しい、と信じているのではなく、理性的に考えて、その方が正しい場合が多いのでは、と判断しているのだ、と思っています。
ただ、これでは不沈戦艦さんを説得できないのですね。うむ。
「穢れ」についてですが、確かに私も他人の茶碗は使いたくないですね。フォークだったら共有するのに抵抗はないのに。
「トイレと手のひら」の喩えで言いたかったのは、何が不浄で何が清潔かを判断する根拠は科学的ではない、ということです。
不沈戦艦さんは「宗教的感情」とおっしゃっていますが、これは日本人に限ったことではない。外国人だって日本食に親しめば、そうした傾向が生まれるはずで、日本民族固有とするには、恣意的なただの「習慣」ではないかかと。
ただ、そうした傾向が、日本人に多い、という指摘は納得しました。ささいな習慣が集まって、日本人的なある種の性質を象っているのかもしれません。
この点は、私も考え直さないといけませんね。
遺跡発掘の話は興味深いですね。こういう「怖れ」をバチカンでも持っていてくれれば、立ち入り禁止、なんて問題は起きなかったかもしれません。
仕立て屋さん、こんにちは
ご指摘ありがとうございます。確かに、「日本人の性質」というものは、いろいろ想定し得ますね。それを「反省」とか「自虐」と言う言葉で単純化することに、反撥を覚えていたのかもしれません。
いや、不沈戦艦さんの主張に、今では結構、納得してしまっているのです。とりえあず自己反省します。
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- board1 - No.648
>やぶにやみさんへ、まとめ
- 投稿者:不沈戦艦
- 1999年01月28日(木) 03時57分
>やぶにらみさん
「自覚」を持った反省だというあなたの主張、「無意識の心性」による反省だという私の主張。どっちが正しい、という客観的判断基準はありません。勝ち負けを決めなければならない問題でもありませんし。お互い、相手の言わんとすることを理解する、ということでよろしいんじゃないでしょうか。相手の言うことが正しいと思ったら説得されればいいんですし。まとめとしてはこんなところでしょう。
「穢れ」に関しては、外国人にはないと思います。かなりアニミズム的なものですので。日本食に親しんでも、食器の個人化には行き着かないと思いますよ。「日本ではこれが習慣だ」とでも言えば、そうするかも知れませんけど。洋食器を例に出しましたけど、あれ、個人用を識別する目印など無いですよね。そういうモノの考え方が存在しない証拠だと思いますけど(少なくとも欧米は)。箸と茶碗の話を外国人にしたら、不思議がるのではないでしょうか?私だって不思議ですね。理屈は解っていても、他人の箸や茶碗を使う気にはなれませんよ。「何が不浄で何が清潔かを判断する根拠は科学的ではない」ってのはまったく同感です。主観そのものによる判断でしかないですから。度が過ぎた例が、最近の若者の清潔志向(潔癖症とでも言うべきか)ではないでしょうか。何でも抗菌モノを使うとか。「そうした傾向が、日本人には多い」という点はご理解頂けて幸いです。
引用話ばかりですので、最近身近であった「穢れ」の例を言いましょう。私の母親なんですけど、知り合いが突然交通事故で亡くなって、通夜の葬式のと大騒ぎになりました。また、ほとんど同時に、家で飼っている猫(まだ子供、黒猫)が、うめき声をあげて倒れてしまい、タクシーを呼んで獣医に連れていくこれも本人にしてみれば大騒動(可愛がっているもんで)。実は、さかりがついただけだったみたいなのですが、何で倒れたか(さかりがついても何とかしてくれる雄猫などいないもので、ストレスが溜まったようでした)解らなかった母親にしてみれば、「タダでさえ葬式で縁起が悪いのに、黒猫まで同時に死んだりしたらたまったもんじゃない」と思ったそうですよ。それらのため(お節介な方なので、葬式に駆けずり廻っていましたから)、疲れ切ってグッタリしていたんですよ。ところが、風呂に入って塩もみ(塩を全身にまぶす。特に頭を念入りに)をしたら、「ああ、さっぱりした。疲れも重苦しいのも一気に取れた」と言って元気になって出てきたんですよ。その言いようを聞いて、「やっぱり『日本人』だね~、塩もみで気分が良くなるってのは、塩分による化学的な効果の他に、『清め』の精神的な効果もあるんだよ」と教えたんですが、本人はあんまり解らなかったみたいです。「えーっ、でもホントに塩は効くのよ」としか言わないですから。私に言わせれば「少なくとも『塩もみ』で気分が良くなった効果の半分は、自覚していない精神的効果だ」ということになるんですけど、「そういうもんなの」くらいの理解でした。葬式で付いた「死穢」を塩できれいさっぱり洗い流せた訳です。「塩」が浄化に役立つ、という考えはみなさんご存じですよね。葬式から帰ったら、玄関に塩を撒く習慣がありますから。
実際、こんな話も身近で起こりますので、「日本人の無意識な宗教感情」てのは面白いな~、といつも思っております。カエルサルさんが「空気の研究」をあげておられるけど、この本も必読だと思いますよ。「日本人の心性」に対する理解にはかなり役立つと思います。
えー、最後に「自己反省」まではいらないのではないでしょうか。私の言っているような考え方もある、と理解して下されば充分ですよ。それが正しいと思うか正しくないと思うかは、それこそ個人個人の問題ですから。「日本人の反省的傾向」について、おつき合い頂きありがとうございました。
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- board1 - No.650
失礼な奴がいて
- 投稿者:りるりる
- 1999年01月28日(木) 10時08分
お初にお目にかかります。りるりると申すものです。少し気になりいきなり不躾な質問を致します。
私の知人の先輩は、かつて私が田中芳樹が好きといった時こう言いました。
「お前は田中芳樹より知性が低いのね」と
なかなか痛い所を突いた指摘だと思います。ここの方は田中芳樹を「卒業」されたのでしょうか?それは、めでたい事だと思うけど、小説に小説以外の面白さを求めて読んでいる、随分不純な読み方だと思うのですけど。
あなた方は田中芳樹より知性が低かったのでしょうか?それで知性を超えられたのですか。そんな読み方が正しいとは思えませんが。
たぶん、「ミッターマイヤー様素敵!」と言っていた女の子のほうが正しい読み方だった、そう感じるのですけど。
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- board1 - No.651
RE. 650
- 投稿者:本ページ管理人
- 1999年01月28日(木) 14時47分
久々の問題提起ですね。ありがとうございます。
>小説に小説以外の面白さを求めて読んでいる
この点については逆ですね。我々は小説を小説として読みたいのに、田中氏の方が、小説に小説ではない事を書き連ねているのではないでしょうか(特に創竜伝ですね)。
私などは、そう思って田中氏の批判をしています。また、そのことは私や常連さんの銀英伝と創竜伝の評価の差に顕著だと思います。ここでの「反銀英伝」(ザ・ベスト参照ください)の話題などは、きっと『ミッターマイヤー様素敵!」と言っていた女の子』さんと変わらないと思いますよ。
>随分不純な読み方だと思うのですけど。
う~ん、小説の読み方に「こう読むべきだ」というような純も不純もあるのでしょうか。
>「お前は田中芳樹より知性が低いのね」と
>あなた方は田中芳樹より知性が低かったのでしょうか?それで知性を超えられたのですか。
なんともまあエグい言い方をされたものだと思います。お気に触られたら失礼ですが、私はこの先輩のような発言をする知性をこそ疑いますね。
知性がどうこうと言うよりも、私は読者を馬鹿にした現在の田中氏の態度こそが問題だと思うのですが。銀英伝のあとがきで「自分を信じてください」と明言できた田中氏と、創竜伝のあとがきに「作者を当てにするのは間違いです」と平然と書く田中氏。とても同一人物とは思えないほど堕落しているのは明らかだと思います。